人生の描きかた

- interview with MAYA MAXX -

私達は、どこに向かって流れているのだろう?
水の中では、もがけばもがくほど苦しくなる。
しかし、その全ての意図を止めたら、次の瞬間、
予想もしなかった流れの中にいる自分に気がつくことがある。
それを人は、天命に出会う、と言うのかもしれない。
今回は、言葉を超えた存在感で多くの若者をインスパイアするアーティスト、
MAYA MAXX氏にお話を伺った。

MAYA MAXX(マヤ マックス) プロフィール


1961年、愛媛生まれ。早稲田大学教育学部卒業。
32歳でデビュー以来、オリジナルなアート活動で注目を集める。
本、CD、ポスターなどのイラストレーション、
絵本、アニメーション制作などでも高い評価を得ている。
最近は、テレビ出演や講演会など、イラストにとどまらず幅広く活躍中。
2002年から個展にて「対話の記録」を始め、2003年にはニューヨークで作品を発表。
今、日本で最も注目を集めるアーティストのひとりである。

B:MAYA MAXXさんは、自分の軸というものをしっかり持っているように見えるのですが、
  そこに至るまでにはどんなプロセスがあったのでしょうか?


 あのね、今まであんまり言ってこなかったけど、
私こういうスピリチュアル系の本、すごくくわしいんですよ。
MAYA MAXXになって今年で11年目なんですが、そうなる前の2年ぐらい、
精神的に最高に調子悪い時期があったんですよね。
早稲田大学卒業して、絵を描きはじめて、そうなったのが28、9くらい。
要するに世の中っていうものに対する恐怖ですよね。
やっぱり世界というものが恐ろしかった。
裏を返せば、自分というものに対する執着というか、自意識。
で、独学なもんだからひとりで考えなきゃいけなかったんですよね。
そういうものすごく苦しい時期をひとりで越えたことは、
自分にとってすごく良かったけれど、あまりおすすめはしない。
今みたいにさばけた感じだったらよかったんだけど、
その時は結構かたくなだったですからね。
だから人に聞くっていうのもちょっと難しい。
いろんな情報とか、いろんな人の意見とかがまわりにいっぱいあって、
その中からゲットしたり、捨ててゆくという状況はなかったんです。
 だからドロッドロッに悩んでしまう今の若い奴の気持ちはよくわかります。
もう一つの穴の中に入っていますから。
その穴の中で、今日は上向いたとか、下向いたとか、それだけ。
そこから出ればいいんだけど、その出るという事ができない。
その時に一番読んだんですよ、こういうスピリチュアル系の本を。
けっこうくわしいよ〜。いいか悪いかわかんないけど、とにかくなんでもやってみましたよ。
そんな中で、あれ、ちょっと違うなとか、こういうんじゃないんだよな、とかやってた。
たぶん考え方のきっかけとかはつかんだとは思いますよ。
いろんなボタンがあって、そのボタンの押し方とか、
このボタンはどっち行くとかそういう情報は知ったけど、
でもね、最後のボタンは違うんですよね。一回「ああ!」って、
本当にそうだなと感得したことは、やっぱり忘れない。
それでMAYA MAXXになれたんです。
それは理解とかそういうことでなく、すごく静かで、すごく何気ない行為でしたね。
そういうのは確かに何個もはないです。
何個もはないけど、それはほんとにわかっているから、それだけでいい。
うん。他のことはわからなくても。







B:それはきっと言葉にするのが本当に難しい感覚ですね。  うん。今はもう、知識とか理解なんていらないと思っています。 実感しか信用していないんです。 子どもの頃から何が好きって、本読むのが好きだったんですよ。 田舎で育ったというのもあって、自分にとって本が世界の窓口だった。 こんな人達と会ったことないし、言語が違うから本当だったら話せるわけないんだけど、 翻訳されて一冊の本になったら、その人と会話できる。 その人の考えている一番大事なことを知る事ができる。 だから本を読むことで、自分の中の可能性が開くような感じは、子供の頃からわかってました。 だからそういう自分が本を読まなくなるなんて思ってもみなかったですね。  たとえばすごく感受性が豊かで、なんかいろんなものを感じられる人とか、 この世の中にはいっぱいいますよね。 若い時ってさ、そういうのを見てて、あぁすごいな、繊細なんだな、とか、 カッコイイなとか思うものがありましたけど、 最近は、役に立たない事なんか感じたくないと思います。 あくまでこの世の自分だから。この世を生きる上で役に立たないような、 いろんなスピリチュアルな現象を感じる事とか、見えるようになったりとか、 そんなのは一切いらない。そういう知識もいらない。 そういうことによって、自分がどんどん現実の世界とずれていくし。 「あの世に行ってから考えればいいんだよ、あの世のことは」と思ってます。 だからって私が現実的だという事ではないです。ぜんぜん。 現実的じゃないですよ、生き方としては。 だけど、なんかそういうものを、いっぱい知る事によって、 自分がそういう表現みたいなものをできると思っちゃうでしょ。 あれは絶対違うと思うんですよね。表現することに直接結びつく知識っていうのはないし、 どんな修行をして、どんな事を感じたとしても、それと自分が表現するということは全く違う。 その参考になるだろうし、きっかけにもなるだろうと思うけれど。 それと表現するということは双子みたいな感じなんだけど、やっぱり、ちょっと違うんですよ。 まだ、ちょっと今の段階ではうまく言えないな。 あと何年か経ったらうまく言えるようになるのかもしれない。 よく、どこからインスピレーションが来ますかって聞かれるんだけど、 私は、そこかしこにありますって言うのね。 もう、こことかあそことかじゃないですよね。ある状態になったら、どっかからひゅ〜んと来る。 だからといってあれはトランス状態ではないんですよ、全然。だから双子なんだよ。 じゃあ、クスリをやって幻覚症状に入ったら絵が描けるかっていったら、絶対違うし。


B:一回それをやってしまうと、もう戻れないというか。   何かが壊れてしまうというのはありますよね。  戻れないですね。それはやっぱり、マリアの像を踏んだようなもんでしょうね。 一回踏んじゃったら、もうそれは…。ただ踏むだけじゃんって思ってやっても、 もう二度と戻れないでしょ。何かが。うん、あれと一緒だと思います。


B:MAYA MAXXさんが絵を描く時は、どういう状態でいるんですか?  あのね、9才くらいの感じがするんですよ。 今の子どもたちはおませだからもっと年齢層が下だと思うけど、 自分にとっては9歳ぐらいがちょうど自意識があるかないか。 世界と自分とがぎりぎりの所だったですね。 今でも、どんな仕事の絵を描いていても、やっぱりそうなんですよ。 画面を前にして、一所懸命、その9歳で格闘してできるんですよね。 ささっと描いた時の最初の自分の絵って、すごいがっかりするの、自分でも。 ヘタクソやなと思ってね。根本的な上手さみたいなものがないんですよ。 だけどそこで諦めないで、消したり描いたり、消したり描いたり、 いろいろいろいろしているうちに、ひゅ〜っと良くなっていくの。 面白いっちゃ面白いけど、一回一回絶対大丈夫っていうのがないでしょ。 不安じゃないんだけどドキドキする。 たとえば頼まれた仕事で絵を描く場合ってだんだん今増えてきて多いでしょ。 もう犬なんて何回も描いているわけ。 だいたい自分の中でこういうのがかわいいっていうのがあるわけですよ。 それがいざ描いてみると全然ちがう犬だったりするの。ああいう恐さね。 たぶん自分だけが恐いんだと思うんだけど。びっくりしますよ。


B:なんかぞくっとしますね。でも、全部計算通りになるなら、   MAYA MAXXさんは絵を描きたくなくなってしまうかもしれませんね。  それが全てなんだと思います。そういう絵の描き方なんだな、 自分のどういう部分を守っていくか、 無くさないようにするかっていうのがだんだんわかってきました。


B:ひとつお聞きしたかったことがあるのです。 MAYA MAXXさんご自身は人間的にとても温かい人だと思うのですが、 神様の絵を描かれた時に、冷たいというのではないけれど、 どこか厳しいというか表情のない絵を描かれていますね。それがとても印象的だったんです。 あのね、あったかい感じって、煩悩だと思います。 あったかい感じ、やさしい感じっていうのはいいことですよね。 でもいい事も煩悩なんですよね。だからそういう意味で、神様っていうのは、 あったかくもないし、冷たくもないし、やさしくもないし、やさしくなくもないし、 煩悩みたいなものは、いい意味でも何にもないし、悪い意味でも何にもないし。 そういう感じじゃないかな。人間としてどんなに良くなって成長していったとしても、 人間ですから、神様にはなれない。絶対に。 人間としては、あたたかいとか、優しいとかいうのを、 もっと良くしていくしかないじゃないですか。 温かくもなく冷たくもないなんていうのって、人間の領域じゃないと思う。 神様っていうのは、どっちでもないし、いつでも何でもないし、 かといって、なんていうのかな、ちゃんと「いる」し。うん。 感覚的に言うと、たとえば空気がないみたいな感じだと思う。 空気がないというのを経験したことないけど、 でも、空気が無いっていう感じが一番近いような気がする。 わかんないけど、な〜んにも無い感じ。  最近自分の絵の特徴として思うのは、 私の絵には、向こうとこっちとか、上と下とか、なんていうの、 そういう立体感みたいなものが、まるで無いんですよ。 自分ではあると思って、一所懸命やっているんだけど、 陰影をつけたりとか、色を変えたりとか、 でも私の絵は、一般的にいう遠近感とか、 そういうことではないみたいな感じも薄々わかってきて。 でね、自分が表現したいのは、「真空」な感じなんですよ。 それが、神様のなんにもない感じにたぶんすごく近いんだと思うんですよね。 それは習ってそういう風にしていったわけでもなんでもなくて、 一番最初に絵を描きはじめた頃からずっとそうで、今でもずっとそうで。 で、変えようにも変えられない、のですよ。 だから言葉にして伝えるには、そこには上も下もない。奥も何もない。時間もない。何にも無い。 何にも無いんだけど、空間はある。だから「真空」って自分で思うんですよ。 そうじゃなかったら「無」って言うと思うんですよ。「無」じゃないんですよね。 そこんとこは最近ちょっとわかりかけてきて。  神様という存在がもしいなかったとしたら、 人間は人間だけではやっていけないんだと思うんですよ。 だからそれは単なる概念かもしれない。本当にいるかいないかなんていう事は、 どっちでもいいんですよね。たぶん、「ゼロ」と「神様」っていう概念が、 人間の一番大きな発明だと思いますよ。  最近、猿の絵をずっと描いてたことがあって、 最初はちゃんと猿っていうものを描いてたんですけど、 だんだん、その時のエネルギーの流れみたいなものが 絵の上に定着すればいいと思うようになってきて、 こうやってパシッっと筆をやった時に、ピッって散りますよね。 ああいうのをそのまま絵にするなんて、最初はなんてシロウトくさいって思ってたんですよ。 だって、誰でもできるし、誰でもすることですよ。 どうしたらいいんだろうって思って、迷ったんです。 でもやっている自分がすごく楽しくってね。 で、でき上がったものがなんかイイ、良かったんですよ。 だからそのまま作品として表に出しちゃいましたけど。 だからそこなんですよね、ただ自分が走り回っても、絵にならない。 だけど、「なる」時があるんですよ。 それが何なのかっていう、その紙一重の自分っていうものの在り方の問題だけですよね。 それがちょっとわかりかけてきたんだけど…。まだまだね。 でも、「真空」っていう空間が、 自分にとっての空間であるってことがわかった事はすごくよかったです。


B:そのような「真空」の質感を、最初から知って生まれてこられたのかもしれませんね。   後はそこにどうやってアクセスするか、ということなのでしょうか。  そうなんでしょうね。 もう、知ってしまっているからどうしようもない。止めることできないし。 ひとつ言えるのは、 みんな、「いいなあ、MAYA MAXX。そんなの、私もできるようになりたいな」とか言うけど、 ちょっとできるようになったら、逆に止めたらいけないんだよ、絶対に。 調子が悪い時もありますよ。人間ですから生きてる間のいろんな波っていうのもあるし、 それも含めた上で止めちゃいけないっていうのは辛いことなんだよって、言いたいですけどね。 たぶんこういうスピリチュアルな事を体得した人とか、みんなそうだと思うんだけど。 私のやっていることは、そんな大それた事じゃなくて、 ちょこっと行って、ちょこっと帰ってくるみたいなささいな事ですけどね。 でもやっぱり、やっぱりその門を入った以上はみんな共通したものがあって、 自分の意志で簡単に止められないんですよ。 だから、やっぱり最後の最後までやらざるをえないんですよね。


B:今、MAYA MAXXさんと話したいという若い人が、ものすごくたくさんいるように感じます。   「対話」という形のアートをやってこられていますけれど、そのことについてお聞かせください。  あれこそほんとに一期一会ですよね。 あの場では、相手の名前も知らないし、何をしているのかも知らない。 来たら来たでいいし。来なかったら来なかったでいいし。 見てるだけがいい人もいるし。話したい人もいるし。とにかく自分は何でもいい。 自分の場がここにあって、大きく開くでもなく小さく開くでもなく、 程よく開いておけばいいんじゃないかなって思ってやっているんですけど。 対話ってことになると、相手の方が難しいみたい。 言いたいことはあるんだろうけど、それをうまく言葉にして表現できない。 そうすると対話にならないんですよね。 そういう感じがなんとなくわかるから、ちょっとずつ探っていくんですけど、 彼らはまず、自分に対しても、人に対しても、世界に対しても、あまりにも漠然としすぎている。 だからいざここに来た時に、具体的に何も無い、そういう子が多いですね。 それもいいんだろうなって思うし。 でも、何回かやっていくうちに変わっていく子がいて、それは面白い。 頭が良くて、自意識過剰で、何にも不足はないのね。 でもどこか硬い感じがあって、それがその子を苦しめているっているんだっていうのがわかった。 体自体がもうすでに硬いし、中にいる自分も硬いし、 人があまりにもバカに見えてうちとけられないし。 それが、会うたびにだんだんだんだん柔らかくなってきた。そういうのはおもしろいよね。  自意識っていうのは、ものすごく強い人と、 わりとそうでもなくて上手にやっていける人と、やっぱりあるんですよね。 それは自分で意識してやっているんじゃなくて、持って生まれたものだと思うんですよ。 だから、若くて自意識の強い奴っていうのは、辛いんだろうなとは思う。 うまくやりようがないんだろうなと思う。 でも何でもそうだけど、極端に強いほうが、 それを裏返した時に、また極端に遠くに行けるんですよね。 だからあれをなんとか踏み止まって持ちこたえていったらいいんだろうなとは思う。 けどそれが難しいんですよね。それはおのおの自分の問題であって、私もそうでしたけど。 ものすごい弱さが強いっていうの?弱さがちょっと弱いんじゃなくて、いっぱい弱い感じ。 だからそれを今ぱたーんってこっちに裏返している感じが自分でもあるんですけど。


B:その弱さは、今でもどこかにあるんですか?  ありますよ。あるけど、深く関わらないようにしていますね。そういう感じの自分と。 でも絵を描いているっていう仕事の上では、その弱さが無かったらやっぱり難しいと思うんですよ。 人の絵を見るのも好きなんですけど、どういう人の絵が好きかなっていう時に、 やっぱり描かずには解消できないようなさみしさみたいなものがあるやつ。 ほかのたとえば文筆業の人だったら文筆する時に、 自分の持っている表現をしないではいられないさみしさっていうのを 持っている人の作品がだいたい好きなんですよ。


B:欠けてる部分があるからこそ、何かが生まれてくるのかもしれませんね。  その一点だと思います。だからやっぱり絵を描く仕事をやれるんですよ。 自分で、絵がせつない感じがあるうちは大丈夫だな、と。 あのさ、若い奴って漠然としてるじゃないですか?はっきり言って。(笑) でもね、「MAYA MAXXの絵はかわいいけどせつない」とか言うんですよね。 意外と本質をとらえているんだよね。 もし自分にどこか強いところがあるとしたら、それはやっぱり、 強さも弱さも全部、もともとあったんだと思うんです。 新しく創り出されるっていうのはもうほとんどないと思う。 脳と一緒でね、使ってないだけで全部あって、いろんな人との出会いとか、 いろんな仕事をするとかでクロスする中で、ひとつづつピックアップしていくっていうか、 明らかな形にしていく。それだけの事だと思うんですよ。 もし自分に強さがあるとしたら、それはやっぱりだんだんわかってきた強さで、 最初からわかってた強さじゃなかった。  もともとあった、自分でもわかってた強さっていうのは、 物事に対してあんまり斜めに見ない感じかな。 それはやっぱり親の影響だったんだと思うんですけど、 素直っていったらあまりにもよく言い過ぎって感じですけど、 世間知らずで、物事の捉え方が真っ直ぐで、ちょっとぼーっとしているというか、 おバカというかね。そういうふうに育てられて、それは今思えばすごくいいところですよね。 物事には、表があって、裏がある。だけど、なるべく表を見ようという気持ちがある。 大人になって、裏があるということを ちゃんと見なきゃいけないこともだんだんわかってきたし、見ます。見ますし、考えます。 でも、できたらなるべく表の方を見た方がいいんじゃないかな。とやっぱり思います。


B:若い人達がMAYA MAXXさんに惹きつけられるのは、どこかに物事に対する「覚悟」   みたいなものを本能的に感じているのかな、という気がします。  そう、覚悟! 実感と覚悟、その二つね。だって、覚悟してますよ。 ものすごく現実的でわかりやすいことを言えばね、 ある時に、自分がした行動について、絶対に後悔しないという練習したんですよ。 たとえば、薬局でラップを買ったら148円で、 でも、こっちに少し歩いていって次のナントカスーパーに行ったら138円だった。「あ〜」って(笑)。 そういうレベルのことも、絶対後悔しない練習を、本当に真面目にしたことあるんですよ。 だいたいそんなバカな事を大真面目にできなかったら、大きなことをできるわけがないんですよね。 「あの時ああしておけばよかった」とかね、「あの人の事が羨ましい」とかね、 「あんな事自分にも起こったらいいのに」とかね。 そういう気持ちを自分が一切持たないって、練習したんですよ。 その一番最初の練習は、自分がした事を絶対に振り返らないってことです。 だいぶできるようになったような気がするけど、難しいよね。 ちっちゃい事を自分が決めて、それがちゃんとできないようであったら、 大きなことなんか絶対できないですよね。  自分がまさか絵を描くようになるとは、本当に思ってなかったんですよ。 だけど他のことじゃなくて、たまたま絵を描くということに自分が才能があったんですよ。 そのことを、ちゃんとわかって、出会えて、気づけて、 今こうして絵を描くということで生きてる。 今でも才能があるかどうかは本当にわからない。 ただ、絵を描くということができる。そこに出会えなかったら大変なことになってますよね、 たぶん今頃、ろくでもない人になっていたと思う。 自分に才能があるとかね、才能までいかなくてもいいんですよ、 この世界の中で自分を人のために活かす道っていうのを 見つけることができるかどうかっていうのが全てだと思う。 その実感がなかったら、どこまでいって、何やったって、落ち着いて暮らせやしないと思うし。  人間って難しいですよね。 本当はものすごくいろんなものをいっぱい持って生まれているのに、 自分はこうじゃないって、いつまでも思っていたりしますよね。 あなたの一番欲しいものは本当は必要ないのかもしれないよって思うんだけど、 それはわからなかったりしますよね。 人より遅れをとったら、人より長生きすればいいんだよ。 5年遅かったら、5年長生きすりゃいいんだよって思ってるんですけどね。


B:ありがとうございました。これからも、「実感」と「覚悟」のアートを楽しみにしています。

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