ダンス - 生命の芸術

- interview with 首藤 康之 -

なぜ人は踊るのか? 
肉体という楽器を、最も美しい形で奏でるダンサー。 
天から与えられた肉体と、その中に宿る魂が、 
宇宙のリズムと共鳴した時、人間はアートとなる。 
ある意味では、「生」そのものが宇宙のダンスだと言えるだろう。 
今回は、世界の第一線で踊り続ける、首藤康之氏にお話を伺った。 

首藤 康之 プロフィール


1971年、大分生まれ。9歳からバレエを始め、15歳で東京バレエ団に入団。
1990年、若干19歳で『眠れる森の美女』に主演。 
1993年、ベジャール新作世界初演『M』の聖セバスチャン役で強烈な存在感を持って踊り高い評価を受ける。
2000年、演劇『ニジンスキー』に若き日のニジンスキーとして出演。 
2002年、マシュー・ボーンの指名により、『白鳥の湖』のスワン役に抜擢。
2004年4月、最後の『ボレロ』を踊り、17年間在籍した東京バレエ団を退団し特別団員になる。 
浅野忠信監督の映画『トーリ』、05年2月には『SHAKESPEARE'S R&J』でストレートプレイに挑戦と、
新たなる活躍の場を広げている。
また『白鳥の湖』10年の歴史の中で、 “ザ・スワン”と“王子”両方の役を演じるダンサーは、初めてである。 
オフィシャルサイト:http://www.sayatei.com/

B:昨年、東京バレエ団をおやめになる時、惜しむ声は非常に大きかったと思うのですけれど、
  ピークの状態で、なぜ新しい道を選ばれたのでしょうか?


 東京バレエ団には17年間いましたので、家族のような存在で、
もちろん離れることに少し寂しい気持ちはありましたけれども、
それよりも希望のほうが大きかったのです。
自分の中では変わったという意識は全くないし、実際もあまり変わっていないですね。
むしろ離れることによってたくさんのことに気づかせてもらいました。
僕は少し自由が欲しくてカンパニーを離れたのですけれども、
その自由とは何かということをまず考えました。
カンパニー、組織は規則があって、その規則を守りながら表現をしていくのですが、
辞めてからその規則の重要性をすごく感じたんです。
規則があったからこそ、それを乗り越えた時、そこに素晴らしい自由があるということに気がつきました。
あとはいい意味ですごく守られていたということ。余計な闘いをせずにすんでいた。
今、表現以外の事でいろいろな人と共存し、闘わなければいけない部分も出てきたので、
辞めてから逆に本当の感謝の気持ちがふくれあがりました。
 ただ、もっと大きな変化という感じが生まれるかなと思ったんですけれども、
それほどではなくて、やはり居た頃も辞めた時も、
やはり求めているもの、到達したいもの、自分が目指しているものが変わらなければ、
周りの状況が変わっても変わらないんだなという事がわかりました。







B:日本の能では、世阿弥が「若い時も、老いても、それぞれの花がある」と言っていますが、   バレエの場合はどうなのでしょうか?  そうですね、バレエダンサーというのは、芸術家の中でも一番寿命が短い職業だと思います。 年齢の壁というのはとてもあって、もちろんずっと踊る事はできますが、 僕は東京バレエ団を辞める時に、今まで踊った役はもう踊らない事に決めたんです。 なぜなら、それぞれの観客、表現者がこの作品はこういう作品であってほしいという想いがやはりあると思うんですね。 こうあるべきだ、というのはないんですけれども、こうあって欲しいというのは、僕自身の中にもあります。 僕がこれまで踊ってきたレパートリーというのは、やはり、どちらかと言うと、 若さのエナジーを発するような作品だったと思うのです。 今でも踊れないことはないんですけれど、僕自身がその踊っている姿を見たくないということなんですね。 やる気の起こらないことを舞台で表現するのはすごく危険なことです。 また、たくさんのレパートリーを持っているとあまりの荷物の重さに前に進んで行けないような気がするんです。 一回その荷物を置いて、また新たに歩き出せば、もっとたくさんのものを自分の鞄の中に取り入れていけるような気がして。


B:『トーリ』という映画にお出になったり、今年は『R&J』など、バレエとは違う表現に挑戦されています。  僕の中にはそういうカテゴリー分けは全く無くて、常に表現者でいたい、 表現したいものが映画だった、表現したいものがストレートプレイだった、という事なんです。 今まではやりたかったもの、そしてやったものがダンスだっただけで、 他の表現に出会ってなかったのだと思います。


B:首藤さんご自身が表現する上で、抽象的なものなのかもしれませんが、   目指している理想のクオリティのようなものがあるのでしょうか?  もちろん作品によってクオリティのことは考えますし、 たとえばストーリーがあって、キャラクターのことを理解して演じるというのは、 舞台に立つ上でプロとして当たり前のことですね。 それ以上のことはどうかわかりませんが、いつも常にダンス、プレイ、その表現を通して 僕自身を少し差し出しているという感じです。 僕の持っているものなんていうのは、ほんとにすごく小さくて、わずかなものです。 でも、たとえば僕が規則を乗り越えたり、いろいろな壁をぶち破りながらダンスに注いでいる愛情とか、 生活の中にある喜びや悲しみとか、そういう経験の中から生まれた情熱を、 少しでも僕のダンスや表現を通してお客様に差し出せたらいいなと思います。


B:首藤さんは以前『ニジンスキー』を演じられました。   実際にニジンスキーを演じるにあたって、どんなことをお考えになったのでしょうか。  やはり男性ダンサーなら、ニジンスキーを演じるというのは、ひとつの夢ですね。 彼の衣装、装いをして、彼による振り付けのダンス、 バレエリストの時代のダンスを踊る事だけでもとてもダンサーとしては大きな喜びです。 僕は若いニジンスキーを演じることで、もちろん手記も読みましたし、 それによって僕自身、ダンサーとして、ひとりの人間としてもニジンスキーとの共通項を見つけるんですね。 もちろんニジンスキーを演じているんですけれども、その中に自分という人間を少しでも見つけたかった。 やはり、何が一番の共通項といえば、それはもう、間違いなくダンスに対する情熱ですね。 彼も僕も、そうやってこの仕事を選んできましたし、周りもその仕事を与えてくれた。 唯一のその共通項を、彼の作品を通して少しずつ広げていったという感じです。


B:『ニジンスキーの手記』を読むと、彼が狂気の中に入っていく様子が描かれています。   もともとぎりぎりのところにいて、だからこそ彼のすごい表現が生まれたのだと思うのですけれども、   踊ることができなくなった途端、精神がバランスを崩してしまった、やはり、そのようにお考えになりますか?。  まだ、自分自身の身体が動きますのでそこまではわかりません。 僕にとって、舞台はダンスだけとは考えていませんが、 それが何であれ表現できなくなる、舞台に立つ事ができなくなったら、やはり、 僕自身とてもおかしな状態になってしまうというか、 何をやっていいかわからなくなるような気がします。


B:首藤さんは若い頃からバレエをやられていて、肉体を特別なトレーニングによって発達させてこられました。   そういう意味では、肉体と精神との関係が、一般の人よりもかなり強いのではないかと思うのですけれども。  そうですね。肉体と精神のバランスについては、本当にいつも考えさせられます。 精神と肉体の関係というのは、すごく微妙なんです。 僕は15歳の時に東京バレエ団に入って、どんな時でも身体を酷使して踊っていたという感じです。 たとえば、怪我をしていて歩けなくても、普段の生活がままならなくても、 舞台に一歩足を踏み出すと、精神が肉体を支配して、何でも可能にしてくれると思っていたんです。 あまり身体の声を聞かなかった。まあ、それは若さもあったのですけれども。 ところが2002年に、本番中、舞台上でじん帯を切ってしまった。 それでも僕は舞台上にいるので動く事は可能だと思ったんですね。 精神が肉体を支配して全てを為してくれると。 でもその時は、仁王立ちになったまま、何もできなくなってしまった。 その時にはじめて精神と肉体のバランスが崩れてしまったのに気づきました。 それから、肉体の声を聞くようになったんです。 それまではずっと、黙って踊れという感じで、僕自身が肉体、身体を尊重しようとしなかったんです。 僕と僕の身体というのは、男女のカップルみたいなもので、 カップルに訪れるいろいろな危機とかそういうものが、僕と僕の身体にも訪れるわけです。 もちろん厳しくしてあげないと鈍ってしまうし、でも厳しすぎて使い過ぎると逆に怒ってしまう。 その怪我で肉体の声を聞くようになって、それからは僕自身が僕の身体の事を一番に考えるようになりました。 だから、その怪我も必然だったのか、神様が与えてくれたものなのか分かりませんけれども、 今となってはすごくいい経験でした。


B:人間には、自分の意志で動く筋肉と、もっと潜在意識的なものとか動物的、反射的に動く筋肉などがあります。   ダンサーとして表現をされる時にはその両方がうまく動かなければいけないような気がします。  もちろんです。でもそれはとても難しいことです。 僕は去年、子ども達を教えたのですが、自分自身すごくよい勉強になったんです。 子どもというのは、もう、無条件に純粋に身体を動かす快楽というものを潜在的に知っているんですね。 僕もそれが好きでバレエを始めたのですけれども、 やはりプロになって、作品のこと、観客のこと、振付家のこと、周りの人間のことを意識しはじめると、 純粋な快楽が消えてしまって、意識的な動きばかりになってしまう。 かといってダンスというのはやはり視覚的な部分もとても重要なんですね。 やはり見た目が美しくなければ、僕自身は観たいとは思いませんから。 だからまず、視覚的な部分をリハーサルの時に完全にクリア、身体の中に埋め込ませて、 本番は雑念を捨てて、自らの細胞が自然に動き始めるようにしたいと思っています。


B:舞台に立っている時は、状態が変容するような感じがあるのでしょうか?  舞台というのは本当にその瞬間瞬間のものなので、その時によっていろいろな状態があるんです。 いつも同じようにはいかないですね。 本番は、なるべく雑念を捨てて、本能に従って身体を動かすというか、 無になって舞台上に足を踏み出すようにはしているんですけれども。 やはり普段の生活でいろいろな人と共存していたり、 リハーサル中に壁があって雑念が無くなるということが難しい状態、 そんな時にも本番を踏まないといけない時もあります。 またそれが舞台の面白さ、一期一会ですから。  雑念を捨てるという事は、もう本当に捨てようと思うと余計に他の雑念が思い浮かび上がってくるようで、 すごく難しいことなんです。自分自身との戦いですね。 常に問いかけて、それに返していくという。本当にダンス、舞台表現者というのは孤独な作業だと思います。 もちろん雑念を捨てた事によって僕が消えるのではなくて、 逆に、素直に、純粋、誠実な僕自身が、表現を通して出てきていると思うんです。 それは何かわかりませんが、必ず僕自身というものがそこに加わって出て行くと思います。 また観ているほうの人の精神状態によってもその舞台の印象も違いますし、僕自身も違う。 やはり、人間が表現しているものを人間が観るわけですから、何かを感じるんですよね。 その空気を読み取るとか、その空気を感じるのが、僕はすごく楽しいですね。


B:これまで表現者として、壁というか、ご自分の中で思うように動けなかったり、   もっと違うレベルに行きたいと思ったりすることがあったと思うのですが、   どうやってその壁を乗り越えられてきたのでしょうか?  本当にもう、壁は毎日のことですね。一つの壁を打ち破るとすぐ次の壁が待っている。 何がその壁を打ち破ってきたかというのは、やはりバレエに対する情熱です。 ただ情熱だけでは乗り越えられない壁、破れない壁というのも現実問題あるんですね。 人間と共存して生きているといろいろなことがありますから。 そういう時こそ、気持ちを外に向けずに、また自分に問いただすことです。 自分に疑問を投げかけるんです。今は情報社会で、自分の情報でさえも外から入ってくる。 そういうものにちょっとでも耳を傾けはじめると、とてもおかしくなってしまいます。 もちろん周りの人の意見を聞いたりする事はとても大切ですけれども、 それだけをしていると知らないうちにくだらない問題に巻き込まれていたり、 しかたのない事にどんどん力を注いでいたりする。 「自分は何をやっているのか」、「自分はなぜここに立っているのか」、 「自分はなぜここで表現をしているのか」という事をまず自分の心に投げかけてみる、 そうすると壁というのは打ち破れるような気がしますね。


B:日々の訓練というのもとても大切だと思うのですが、特に意識してやられていることとかありますか?  ダンスというのは明日踊ればできるというものではなくて、本当に毎日の訓練が必要です。 今はもうそれが癖というか、生活の一部になっていて、 朝起きたらレッスンせずにはいられないような身体になっているんです。 一日休んだだけでも大きな罪悪感に囚われてしまう。 たまたまなにか仕事が入ってレッスンができなかった日の夜というのは、 ああ、なんで今朝レッスンをしなかったんだろうっていう罪悪感で眠れなくなってしまうんです。 レッスンというのは朝するものだと思っているので、夜は絶対できない。 だから毎日のレッスンを尊重する心を養うまでがとても時間がかかりましたけれど、 その精神ができたからやっとひとりになって、組織を離れられたのかもしれません。 やはり自分の中で確固たる規則ができたからこそ、組織を離れられたという、感じはします。


B:お話を伺っていると、修行僧のような感じがします。  まさにそうですね。ストイックに見えるかもしれませんが、 僕にとってはほんとに普通の事で、生活の一部です。 身体を尊重するようになって、自分の身体の事をすごく考えるようになってからは、 人それぞれ身体の条件が違って、一ヶ月休んでもすぐ踊れる人もいれば、 僕のように毎日毎日やってないと駄目という人もいて、 まあ、今は週一回休ませるようにはしていますけれども。 それはずっと長くやってきて見つけた僕の方法で、それもまた変わっていくかもしれません。


B:日本から世界の舞台に出ていかれた時、世界のレベルというものをお感じになりましたか?  常に感じています。特に僕がいるダンスの世界というのは輸入芸術で西欧のものですから、 身体の条件的にもコンプレックスを感じます。 でも、コンプレックスというのはいい意味も悪い意味もあって、 裏返せばすごくいいパワー、エナジーになるということですね。 だから常に自分に向かって、少しでもその条件をよく見せるためにはどうすればよいかを考えています。 精神的な部分で言えば、僕は日本人ですから、 特に今の時代になってしまうと日本人らしさというのはどういうものかはわかりませんけれども、 たとえば敬う心ですとか、いわゆる見かけだけではない謙虚さ、 そういうものを大事にしようとはいつも思っています。


B:首藤さんはたいへん謙虚でいらっしゃいますが、欧米で表現をされる方というのは、   自分からどんどんアピールしていくような方が多いような気がします。   バレエにしてもダンスにしても競争社会というところがあると思いますから、   キャストに選んでもらうためにはある種の運も必要でしょうし、どこかでアピールが必要かなと思うんですけれども。  そうですね。それで僕はいろいろな経験をしました。 僕はどちらかというと自分から質問したり、投げかけたりはせず、いつも待っているタイプで、 それが僕の長所であり短所であるという事なんでしょう。 最近はロンドンで仕事をしていて、ロンドンの人っていうのはみんな個人主義で、 自分から話しかけるまでは、絶対話し掛けてこないという人種なんですね。 それに気づいた時には結構遅くてですね(笑)、 今までなんでこうしなかったんだろうという事はありました。 向こうに行くと鏡のように自分の姿が見えますね。  いろいろなアプローチの仕方があるんでしょうけれども、 僕は僕のダンスを通して何かを感じてくれればいい。 それ以外のアプローチは僕にとっては意味のない事、ナンセンスなことです。 いろいろなアプローチをしてチャンスを得て、成長する人もいるし、いろいろな方法があっていいと思います。 ただ僕は常に表現を通して僕自身というものを差し出しますし、 そこを見て選んでくれているんだと思います。僕はそんなつもりないんですけれども、 「もの静かで、ストイックな感じだけどそこからなにかが見えるよ」と言ってくれる人もいれば、 何を表現しているのか全くわからないと言う人もいるんですね。 僕の演技スタイルというのはどちらかというと、おおげさなものを全て排除して、 なるべくシンプルに持っていこうとしているので、何も表現しようとしないと言う人もいれば、 無表情に見えるけれどすごく心の内側が見えると言ってくれる人もいる。 まあ、人ぞれぞれですね。だからどう思われたいと思って表現するのではなくて、 自分の正しいと思うもの、自分がもう絶対だって思うことを自信をもってやることです。 僕自身を差し出した舞台を見て、それで判断してくれればいいと思うんです。


B:DVDの『ニューヨーク・シティ・バレエ・ワークアウト』ではナレーションと監修をされていますが、   バレエ経験の全く無い一般の方が、ボティワークのひとつとしてバレエをやることについてどのようにお考えになりますか?  すごく素敵なことだと思います。僕にとっても嬉しいことですね。 僕たちが普段の生活でいつもやっていることなんですけれども、 身体にいいからという感覚でやってくださる方がひとりでも多くいれば、それは僕にとって大きな喜びです。 エクササイズという捉え方もあるかもしれませんが、 音楽が鳴ると身体を動かしたくなったりするのは、人間の本能的な行為だと思うんですね。 僕にとっては、歩いている人、電車で座っている人、全ての人がダンスをやっているように見えるんです。 手の動かし方からなにから。人はそれぞれの表現方法でダンスをしているという捉え方なんですね。 だから街を歩いている人を見るのがすごく楽しいんです。


B:2月には『R&J』、3月からは『スワンレイク』と公演が続きます。そのことについてお聞かせください。   『スワンレイク』では、今回王子役を踊られるということで、前回の白鳥と対極の役になりますね。  『スワンレイク』というのは男性が白鳥を演じるというので注目されがちですけれども、 前回踊りながら『スワンレイク』は王子の物語だという事をすごく感じました。 母親の愛に満たされない王子が白鳥に出会って、愛の強さゆえに死を招いてしまうという、 大きく言えば愛と死の物語です。もうこれは、全ての人の永遠のテーマだと思うんですね。 僕が組織を退団してひとりになった時、「スワンを踊らないか」とオファーが来たのですけれども、 「僕は王子を踊りたい」という言葉が、何の考えもなしにぽっと出たんです。 それはなぜかはわかりませんが、何か今、王子を演じるべきだというものが、 きっと僕の身体の中から出たんでしょう。すごく楽しみです。  「R&J』の方は、二年前にロンドンで観て、ずっと演れたら素敵だなって思っていたのですが、 いろいろな出会いがあって、実現しました。 もちろんストレートプレイということで、表現法が全く違うので、 学ばなければならないことはたくさんあるんですけれども、 それ以前に僕は表現者ですから、僕にとっても新しい挑戦ですね。


B:首藤さんは、これからもどんどん変わられていくのだと思いますが、   ご自身はどこへ向かって進んでいると思ってらっしゃいますか?  どこに向かっているんでしょう…見つからないと思いますね、この先も。 ただ、表現者として、ひとりの人間として幸せでいたいです。 僕の何が幸せかっていったら、やはり表現すること、舞台に立つことなんですね。 あとは時間の許すかぎり、なるべく最大限に旅はしたいなとは思っています。


B:ありがとうございました。今後のますますのご活躍をお祈りしております。

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