空中から見た中国

- interview with 中野 美代子 -

近くて遠い国、中国。
思えば中国は、常に世界の大国として大きな影響力を持ってきた。
キリスト教圏、イスラム教圏と拮抗する異種文化。
グローバリズムが進む中、世界の未来を考えるためにも、
中国という不思議な国に光を当ててみたい。
今回は、独自の視点で中国を見つめる、中野美代子氏にお話を伺った。 

中野 美代子(なかの みよこ)プロフィール


1933年、北海道生まれ。
北海道大学中国文学科卒。
オーストラリア国立大学助手・講師を経て、北海道大学教授を務める。1996年退官。
『西遊記』の研究・翻訳の他に博物学的エッセイや小説も多数手がける。
翻訳に『西遊記』(岩波書店)、『屏風のなかの壺中天』(青土社)、
評論に『仙界とポルノグラフィー』(河出書房新社)、『天竺までは何マイル?』(青土社)、
『奇景の図像学』(角川春樹事務所)、『西遊記―トリック・ワールド探訪』、
『あたまの漂流』(岩波書店)、『肉麻図譜』(作品社)、
小説に『眠る石』(日本文芸社、角川春樹事務所)、
『カスティリオーネの庭』(文藝春秋)などがある。

B:ここ最近、中国と日本の関係が注目を集めています。
  日本人は、どうしても二者間の立場から中国を眺めてしまいがちですが、
  中野さんは、どこの国からでもなく、
  空中から中国を眺めているような独自の視点を持っていらっしゃる気がします。


 私は、どちらかというと空間志向というところがあるんです。
もちろんお互いに歴史があるというのは当然ですし、
まあ、日本からも現に見ているのですが、
日中友好とかそういうものをお題目に掲げるのは、
元々嫌いだったと思いますね。歴史の尺度も空間に還元して、
おもしろいものは見るし、おもしろくないものは見ない。
それは中国に限らないことですけれど。







B:中国は古代文明の時代から大国であり、常に他の列国と競ってきた歴史があります。   現代では後進国のように扱われていますが、   かつてはまったく別の世界観があったのではないでしょうか?  昔はそんなこと全然なかったでしょうね。 中国が世界史に登場してきたのは、元(モンゴル)の時代からだと言われており、 実際そうだとは思いますけれども、古代から非常に国際的でした。 たとえば中央アジアに、もう滅びてしまったけれども、ソグドという民族がいたんです。 今のサマルカンドあたりにいたらしいんですけれど、イラン系の民族です。 ソグド文字の資料がかなり発掘されております。 このソグド人がものすごく商売が上手でね。 漢から唐にかけて中国にもけっこうやってきて、漢民族と同化したりもした。 唐の時代も、いろいろな民族が都の長安に入っているでしょう。 何万人という単位の外国人が来ていた。 私は、福建省の泉州(注:中国福建省南東部の港湾都市。 唐代から元代まで南海貿易の中心として栄え、華僑の出身地としても知られる)に 何回も行っているんですが、泉州は、宋・元の時、ものすごい国際都市だったんです。 だから中国人の服装をしているんだけれど、 顔を見たらアラブ系だという人が今でもたくさんいますね。 中国には、現在でもイスラム教徒が山ほどいますし。


B:かつてヨーロッパ人は、中国をどのように見ていたのでしょうか?  得体の知れない、なにやら変な連中が東のはずれにある、 というのが、まず昔にあったんでしょう。 古いヨーロッパの地図によると、マルコポーロの時から、 中国のことを蛮子(マンジ)、バーバリアンだと思っていたのがわかります。 でも、中国人も向こうを野蛮人だと思っていたんですね。 お互いに相手を野蛮人だと思っていた。 やっぱり元の時代というのが、中国の長い歴史の中で 大きな役割を果たしたのではないかと思います。 純粋に漢民族オンリーではなく、他民族と混じり合い、 他民族に支配されてきた、というのが中国の実態ですね。 ヨーロッパ人から見ると、モンゴルも中国もなくて、 ぜんぶ韃靼(タタール)となるわけですけれど。


B:元の時代には、捕虜にした外国人を部下にし、   なおかつ優秀な人は重要な位置に着けて登用したと言いますね。   宗教も自由だったとか。非常に柔軟でしたたかな考え方ですね。  いわゆる色目人というやつね。 モンゴルは宗教に寛大だったんですけれど、それだけではないんです。 ローマ法王から使者が来るでしょ。ローマ法王はキリスト教を普及したいに決まっている。 そうすると、宗教は自由ということにしているけど押しつけられるのはごめんですから、 「とんでもない」という威圧的な返事を向こうに出しています。 その手紙が、今もバチカンにあるんですよ。それは、ペルシア語で書かれています。 ペルシア語が当時の国際語だったわけですね。 二千年ぐらい前は、ソグド語が国際語だったし、アラビア語が、 西洋と東洋をつなぐ国際語的な時代もあり、そしてペルシア語がそれに続いたんですね。


B:中国人の一見曖昧なんだけど、絶対ゆずらない。   そういうところが非常に上手だなあと思います。  そうそう。中国にはキリスト教の宣教師もたくさん来ていますけれども、 かれらを弾圧しながらも、拘束して好きなように絵を描けだの、 噴水を作れだのやっているわけでしょ。ああいうのはすごいと思いますね。


B:中野さんは、清の皇室に宮廷画師として仕えた、   イタリア人の宣教師ジュゼッペ・カスティリオーネ(中国名=郎世寧)の小説を書かれています。   非常に興味深い人物ですが、彼に興味を持たれたのは、どんなきっかけからですか?  第一に、絵が好きだということがありますね。 中国の絵も好きだけど、どちらかというとヨーロッパの絵の方が好きなんです。 だからヨーロッパ人が中国に来て中国風の絵を描くという、 そういう存在自体がおもしろかったんじゃないかな。 それと、ヨーロッパのほうから中国を見るという試みもしてみたかった。


B:カスティリオーネは、20代で中国に来て以来、生涯を中国で過ごしたそうですが、   東洋と西洋の混じった、なんともいえない画風を残しています。   当時、中国では珍しかっただろう外国の動物の絵もたくさん描いていますね。  当時の皇帝だった乾隆帝(1736〜1795在位)は、 ものすごい権力を持っていましたから、あちこちから珍しい動物も献呈されたのでしょう。 乾隆帝の時代の清朝の範囲は、非常に広かったんです。 今のモンゴルはそっくり入るし、ウイグル地区もロシアの一部もそうだった。 中国の歴史のなかでもひとつのピークだったんですね。


B:乾隆帝は、世界全体で見ても、もしかしたら当時一番、   富を握っていた権力者だったかもしれないですね。  あの時代は、イギリスなどヨーロッパ列強は 世界中に植民地などを作っていたから、 計算するとそっちの方が多いかもしれないけれども、 それと比較してもおかしくないほどの大国だったのは確かです。 だから西洋人も乾隆帝のところにやってきて、さかんに国交を結ぼう、 貿易を始めようとしたけれど、彼はそういう所もすごく上手だった。 曖昧なんだけど、ゆずらない。 彼の息子の嘉慶帝の時代から、ガタガタとだめになりましたけど。


B:きっと膨大な宝物があったんでしょうね。  それはすごいと思いますよ。 その後の戦乱や革命で、流出して行方不明になったものも多いですが。 数年前に香港のオークションで、牛・虎・サルの首のブロンズ像が出されたんです。 これは乾隆帝の命令で、カスティリオーネ達が作った庭にあったものです。 池のまわりに十二支の動物を配置して、噴水が出るという仕掛けなんですけれども、 英仏連合軍が19世紀にやってきて、ぐちゃぐちゃに壊してしまった。 それがどこからか出てきてオークションに出されたんですね。 これを何億も出して匿名で競り落とした人物が、 実は解放軍をバックにした北京の国有企業、保利集団公司の幹部でした。 今ではそこの博物館に陳列されていると聞いています。 流出した国宝を取り戻そうとする、これも愛国主義教育の一環というわけですね。 私は、サルの首は偽物じゃないかと思っているんだけど(笑)。


B:その他の行方不明になった美術品は、   どこに行ってしまったんでしょうか?  ヨーロッパ人のコレクターが、 おもしろがって持っていたものが多いんだろうと思いますね。台湾にもかなりありますが。 カスティリオーネの絵も、現在、一般の人が見られるのは非常に少ないと思いますよ。 私は、北京と台北の故宮博物院にあらかじめ手紙を出して、特別に見せてもらいました。


B:やはりそういう歴史を経てきたわけですから、   中国は世界の中心であるという自負が、今でも中国人の中にはあるのかもしれませんね。  それは、すごいと思いますよ。 アヘン戦争以後、欧米の国にさんざんやられてきましたけれど、 香港やマカオも取り戻したし、だからまたそういう気持ちも出てきたんじゃないですか。 今の中国人は乾隆帝が大好きなんですよ。 10年ぐらい前まではとんでもない話だったわけですけれど。 清朝の隆盛を極めたというのが、やっぱりかっこいいと思うんじゃないですかね。 満州族ではあるけれども、中華帝国の一番近いシンボルとして、 憧れの存在になっているようです。 私は、前から乾隆帝についての本を書く約束をしているので、 いずれ書かなくちゃいけないんだけれど。 文化についての彼の思想にはすごいものがあります。帝王ならではの思想ですね。


B:中国では、革命が起こるとそれまでの王朝の一族を殺して、   民族ががらっと変わってしまうような流れがありました。   文化の継承はどうなってきたのでしょうか。  向こうの王朝の交替というのは、 易姓(えきせい)革命と言って、姓が易(か)わることなんです。 そういうのをずっと体験してきたわけですね。 だから、中国の今の政府は王朝では勿論ないけれども、 「あれもいずれは終わるのである」という考えは、 みんな黙っていてもあるんだろうと思います。 民族もいろいろありますけれど、実際は混じり合ってしまってわからない。 純粋の漢民族なんていうのは、あれだけの人口ですから勿論いると思いますけれど、 もう自分たちでもわからないんじゃないですか。 中国の歴史では10世紀から13世紀にかけての宋代がおもしろいと思うんです。 北から異民族がわあっとやってきた、たいへんな混乱時期です。 でも文化がものすごく洗練されるんですね。絵画も言語芸術も。それが不思議というか。 それから宋よりもはるか前の、いわゆる六朝時代というのがあるでしょ。 3世紀から6世紀ぐらいまで。その時も王朝がたくさんあるわけですよ。 滅んだり、また興ったり。その時代に暮らしていたら、人民なんてめちゃくちゃのはずでしょ。 これがまたものすごく洗練された言語芸術を作り上げてしまうわけですね。 太平の時にもそれぞれの洗練の仕方があるのでしょうけれども、 私にはそういう大混乱の時代がおもしろいですね。 宗教も、時の権力者によって考え方は違いましたけど、 やはりいろいろなものが混じり合っています。 キリスト教、イスラム教なんかも入っている。 一時期、文化大革命の頃は、道教も仏教もだめでしたけど、 今また、ものすごく盛んになってきています。 坊さんなんていっぱいいますよ。道教の寺院を道観というんですけれども、 そこに行くと、道士たちがまた商売がうまくてね。


B:現代にたまたま生まれた日本人は、   世界の主要国の中に入っているのが当たり前のような気がしていますが、   世界史から見るとそれは例外中の例外なんですね。   中国の人たちは、本当のところは言わないけれど、   現実的な事はきっちり押さえている、というしたたかさがあります。  そうそう、それはすごいですね。こりゃ勝てないなと、いつも私は思います。 それは今までの歴史の中で培われてきた遺伝子というのがあるのでしょう。 日本は島国だから国境線を引かなくていいでしょ。 国際的に日本人が駆け引き下手というのは、当然そこからも来ています。 中国みたいな国では、万里の長城をはじめとして、 どうしても国境はここだという線を引かなくてはならない。 必ず相手がいて戦ったり折衝したりしている。 今の中国人も、そういう遺伝子は持っているんじゃないですか。 これ、日本人にはない遺伝子ですよね。


B:さて、『西遊記』の全巻翻訳という大仕事を終えられました。   途中から翻訳を引き継がれたご苦労もあったと思いますが、   どんなことをお感じになりましたか?  史実の玄奘から千年近くたって小説『西遊記』が最終的に成立します。 成立までに長い時間をかけて少しずつ成長してきて、 最終的な段階には、ものすごい頭脳集団がいたのだと思いますね。 非常に数にこだわって構成されているんです。 ボスがすっかり細かいところまで計算して、手下に分散して書かせたようで、 そのための矛盾がちょこちょことあったりします。


B:その頭脳集団というのは?  たぶん道教の煉丹術のグループじゃないかなと私は思います。 だけどそれを表に出さない。表面は仏教の話でしょ。 実は全然仏教的ではないわけなんです。 裏に道教的なものをちりばめて目くらましをやっている。 オカルティズムというか、ほとんど記号論、記号の遊びですね。 『西遊記』は荒唐無稽な小説の代表みたいに思われていますが、 これほど論理的な小説も珍しいのではないかな。


B:中国四大奇書のひとつと言われていますが、   どんな目的で書かれたのでしょうか?  大衆に向けたメッセージは、おもしろいから読めということ。 おもしろい物語を作るためには、構成も綿密に計算するのだけれども、 それを読む人にわからないようにしている。


B:それをわかってくれる人がいると想定していたのでしょうか?  想定しているんだろうか…。 自己満足というか、「これは俺たちの秘密の世界だぞ。誰にもわからないだろう。」 というのが目的と言えば目的だったのかもしれない。 そういうことを知らなくても、表面をたどっていくだけでおもしろい。 だから残ったんでしょう。言葉遊びが大好きな連中で、何気ない言葉の中に、 まったく別の意味が隠れていたりする。 本当はそういう研究を中国人がやってくれてればいいのに、 誰もしていないから、苦心惨憺して訳しました。 中国人の友達に、ここはちょっと違う意味がありそうだから考えろと言ってもわからないし。 もちろんこの部分がわからないというのは、まだたくさんあるんですけれども、 それはまた次の人たちが見つけていくんだろうなと思います。


B:『西遊記』の中には、神様とか仏様とか妖怪とかが、いろいろ出てきますね。  西の天には釈迦如来がいて、こちらの天界には道教的な神々がいる。 でも両方とも官僚制度みたいな感じですよね。 その間に妖怪がたくさんいて、天の神が飼っている動物が降りてきたり。 『西遊記』の挿絵における妖怪のイメージというのは 頭の両側にモヒカン刈りみたいな髪の毛をぴょっと立てた感じです。 この間の中国の反日デモで、小泉首相の写真に手を加えて そういう風にしているのがたくさんあった(笑)。 妖怪に見立ててくれた我らが首相は光栄ですね。 ぜんぜん妖怪ではない俗物なのに。


B:中野さんは、『西遊記』もそうですし、カスティリオーネもそうですが、   何か境界を超えてゆく存在に惹かれているように感じます。   どんな魅力を感じるのでしょうか?  境界を超えるというのは、他者を知るということじゃないですか。 境界の中にいたら他者がわからない。それだろうと思うんです。


B:ご自身もいろいろなところに旅をされています。   若い頃、オーストラリアの大学で教鞭をとられたこともありますね。  そうですね。もう30何年前ですけれども、そういう話があったから飛びついて、 ぴゅっと行っちゃっただけですよ。 直行便が無かったから、香港経由でシドニーに行きました。 あの頃は、赤道を通過する時に「赤道通過証明書」というのをくれたんです。


B:1ドル=360円という時代ですね。   渡航するだけでもたいへんだったと思いますが、   そういう時代に外国で生活するというのは、どんな感じだったのでしょう。  どんなという程でもなかったですよ。 独り身だから、すぐ向こうの友達ができたし、かえって清々したという気持ちもあった。 南半球から見た北の日本というのもおもしろかった。北海道に似ていると思いましたね。 本州との関係もそうだし、元々囚人を送り込んでいた国だし、先住民族がいたりして。


B:その他にも、敦煌に行かれたりとか、   国交回復前のカンボジアに行かれたりしていますね。  年を取ってからちゃんとお膳立てしてくださる方がいたので、まあ殿様旅行ですよ。 アンコールワットに初めて行った時には、現地に着くまで6日ぐらいかかった。 2度目に行ったときは、翌日にはもう着いていましたが。 中央アジアの旅を体験すると、それこそ三蔵法師の旅なんて、 すごいものだったなと思いますね。


B:中国に初めて行かれたのは?  実は、3つか4つの時に一度行っているんです。 父の仕事の関係で向こうに行って、ほとんど記憶は無いですね。 それを除くと、中国に初めて行ったのが1979年になりますか。 台湾は、オーストラリアの帰りに寄りましたから68年です。 私達は、若い時に中国に行けなかった世代なんですね。 その頃、中国に行って勉強することは不可能だった。 私の先生方というのはみなさん中国に行って暮らしている。 で、こちらが教師になってからは、教え子達がじゃんじゃん留学している。 日本人の学生が中国に留学できるようになったのは、ちょうど1980年からだと思いますけれど、 みんな向こうに行って2〜3年経って帰ってくると、もう中国語べらべらです。 私は中国には何度も行きましたけれど、べったり暮らしてはいませんから、 しゃべるのは全然だめなんです。 ちょうどそういう狭間の世代ですね。


B:世界を大きく分けると、キリスト教圏、イスラム教圏、アジア圏   という風に見ることができると思います。   これから世界は大きく変わっていくと思いますが、   アジア圏の中にいる私達は、どうなっていくと思われますか?  たぶん模範解答は、アジアの中で日本はしかるべき自覚を持ち、 中国とも仲良くやって、中心指導的な位置になるべき、 ということになるんでしょうけれど、そうはなれないでしょ(笑)。 日本は、口では国際、国際と言ってますけど、 絶海の孤島にいると、私は今でも思っています。 日本はいつも孤立して、さびしくやっていくのだ という腹を決めればいいかもしれないけれど、孤立する勇気もないし。


B:いったん豊かになってしまったので、尚更そうかもしれません。   必ずしも日本人という視点ではなく、個人としてだったらどうでしょう。  私は酒飲みですから、どこへ行っても知らない飲み屋に行くのが好きなんです。 また割にそういう勘が働く方なんですね。 4、5年前にロンドンに行った時、小さくピアノバーと書いてあるお店を見つけました。 ちょっとおもしろそうだから教え子の女の子と一緒に入ってみたんですね。 たしかにピアノを弾いている人がいて、 みんな静かにワインなんか飲んでいて、私もすっかりご機嫌になった。 そしたらピアノ弾きが、「そこの日本人、何か弾いてほしい曲はないか」と聞いてきた。 なぜか思わず「私は日本人ではありません、ロシア人です」と答えちゃった(笑)。 みんなどっと笑いましたね。どう見てもロシア人らしくないチビですから。 それで、「私はタシケントで生まれました」と続けたんです。 タシケントに行ったことはあるんですが、 なぜこんな地名が出てきたのか、いまもってわからない。 教え子は、「ええっ?」とびっくりしましたけど、 イギリス人はタシケントがどこにあるかなんてわからなくてポカンとしていた(笑)。


B:それは傑作ですね。   何人だかわからない、どこにも属さないというのが、中野さんはお好きなのでしょうね。   今後は、境界を超えて、どこに属しているか不明の人がどんどん出てくるのかもしれません。   中野さんはこれから先、どんなことをしたいと考えていらっしゃいますか?  西遊記入門みたいな本を書けと言われていますけれど、その後はどうなりますか。 そろそろ中国はもういいやと思っているのです。 前からマニ教(注:ペルシアのゾロアスター教を基本とし、 キリスト教と仏教の要素をも加味した宗教。3世紀中頃のペルシア人マニが教祖で、 サマルカンドから唐に入り、12世紀頃まで信仰されていた。)をめぐる 時空を超えた話を書こうと思って、資料だけは集めているんだけれども、 はたして書けるかどうか。


B:それはまた、ものすごくおもしろそうな物語になりそうですね。ぜひ読んでみたいものです。   本日は、どうもありがとうございまいした。



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