おんなのからだ

- interview with 三砂ちづる -

おんなのからだは、本来、自然と連動しながら、
進化を生み出す、原初的な力を持っている。
その知恵が失われつつある日本で、
多くの女性が、トラブルを抱えながら生きている。
いったい、今、何が起こっているのか?
今回は、女性の体と性の関係について、
核心を突く身体論を展開する、三砂ちづる氏にお話を伺った。 

三砂ちづる (みさご ちづる)


1958年、山口県生まれ。
兵庫県西宮市で育つ。
1981年、京都薬科大学卒業。
1999年、ロンドン大学PhD(疫学)。
ロンドン大学衛生熱帯医学院研究員および
JICA(国際協力機構)疫学専門家として、
約15年ブラジル、イギリスなどで疫学研究、
国際協力活動に携わる。
2001年、国立公衆衛生院(現・国立保健医療科学院)疫学部に勤務。
2004年まで応用疫学室長を務める。
2004年より津田塾大学国際関係科教授。
著書に『昔の女性はできていた』『 オニババ化する女たち』、
訳書に『パワー・オブ・タッチ』など。 

B:三砂さんの『オニババ化する女たち』は、
日本人女性の現状を、
ずばり言い当ててくださったような気がしています。
もともとこの本を書こうとしたきっかけは,
どんな事だったのでしょうか?


私は、ヨーロッパとブラジルに15年ほどいたのですが、
日本へ帰ってきた時に、
おばあちゃんが恐いと思ったことが直接のきっかけになりました。
おばあちゃんが子供にひどい剣幕で叱っておられるところに、
何度も出くわしました。
ご本人はしつけだと思ってやっていらっしゃることだと思うんですけれど、
その言い方が、あまりにも子供にとって、
逃げ場のないようなものだったので驚いたのです。
かつて、おばあちゃんというのは、
いつもにこにこして、
何でも受け入れてくれるような存在、という記憶があります。
ところが、今の日本では、
おばあちゃんは枯れられない。
おばあちゃんだけではなくて、
女性のありよう全体が、
ずいぶんおかしくなってきてしまっているように感じました。
おそらく、世界の中でも、
日本の女性の状態はかなりおかしくなっているのではないでしょうか。
 現在30代、40代になっている女性達も大変です。
周りのがんばっている30代の話を聞くと、
みんなからだの問題を抱えています。
子宮筋腫や、子宮内膜症といった婦人科系のトラブルが本当に多い。
国際協力関係で親しくしている人に聞くと、
やはり、今、30代の女性に、
問題のある人がとても多いと言うんです。
最近は、国際協力という分野がひとつの憧れの職業になってきているようで、
非常に優秀な人がこの分野に参入してくるんですね。
けれどもこの人たちが現場では使い物にならないというのです。
とても勉強してきていて、留学経験もあり、
けっこう厳しいことも言うんだけれど、
動機とスキルに欠けるところがある。
結局、援助される側の女性の方が、
身体性においても生活感覚においても、
よほどたくましかったりしますので、
援助も空回りしてしまう。
そして、そのことに気づかないのだそうです。





B:その原因は、どんなところにあると思われますか? 原因はとても複雑で、 これ、とはいえません。 しかし、女性をめぐる多くの問題が、 他人との身体的な関わり、 具体的に言うと性的に満ち足りた関係を持ちにくい、 というところから起こっているのではないかと思うところがあります。 今、世代を問わずセックスをしていない人が多いようですね。 もともと人とあまり触れあわずに大人になって、 ある程度、性欲が出てきた時に、 そこだけ突出して経験をした後は、 また全然人と触れないで生きているような形になっている。 結婚相手がいて不妊治療をしているような人でも、 排卵日前後しかセックスをしていなかったりする。 日常の中で触れたり触れられたりすることが圧倒的に少なくて、 セックス以前に、そういうことを避けているんだろうなと思います。 こういう感覚は、母親との関係である程度決まってきてしまうと考えています。 おっぱいをもらって、抱きしめてもらって、おんぶしてもらって、 という濃密な母親との身体的かかわりが、 その後の人生を左右する要素としてとても大きいのではないでしょうか。 戦後に子育てをした70代以降の親から 出産や授乳のありようが大きくかわってきています。 その世代の子供が、今の30代〜40代になるわけですね。 小さい頃に人に触れられたり抱きしめられたりして、 気持ちよかったということを経験しないまま、 大人になってしまった。 時代の要請と、社会の雰囲気がそうだったのだと思いますが。 出産の現場もお産婆さんから病院に変わり、 粉ミルクで赤ちゃんを育てる人が多くなった。 そして近代化やフェミニズムなどによって、 女性の生き方が問われるような時代になります。 家や結婚に縛られない生き方を、 戦後の母親は、当然、子供に望んだでしょう。 そういうことの中に、いいことはたくさんあるわけですけれど、 マイナスの部分もあった。 それに駆り立てられてしまったのが30代の女性達です。 「今日は明日より必ずよくなる」とか、 「私は毎日成長していく存在だ」いう成長幻想を彼女たちは持っています。 そして、自分の体に触れたり、 自分の体を使って人と関わったりすることの大切さが、 おろそかにされてしまった。 それ以前の世代は、母から娘に伝えてゆく、 もっとダイレクトな身体や性の知恵があったのではないかと想像します。


B:関係性の中で作られた感覚というのは、 自分ひとりではどうにもできないことですが、 それをどうしたらよいと思いますか? いろいろなところから生まれた欠乏感がありますけれども、 そこが人間のすばらしいところで、 あるきっかけによって、 そういった不足感を満たしていって、 変わっていく可能性があると思うんですね。 関係性の問題を認識したとして、 その対象になる人を批判しても自分もつらくなるだけでしょう。 たとえば、母親との関係で満たされなかったということを自分で認識したとしても、 実は、母親の側から見れば、 あるいは客観的に見れば、 そういうこともあったかもしれないけれど、 実はそんなにひどいお母さんじゃなかったかもしれない。 時代が成果主義だから、 母親が娘に社会的評価を求めたかもしれないけれど、 母親としてはそれがそのときせいいっぱいのことだったかもしれない。 だとしたら、私たちは基本的には前の世代を許さなくてはいけない。 許さないと自分がつらいんですね。 それはとりかえしのつかないことだけれども、 自分で満たしていくという経験に向けて、 自分を開いていくことが必要だと思っています。  そのような欠乏感をうめるための、 非常によいきっかけになるのが、 異性との性的な関係であり、 自分が子供を産むという体験なのではないでしょうか。 それが実は、一番簡単に「満たされる」経験になるんだと思うんです。 本当に満たされる体験は、 何もずっと継続していなくてもいいんです。 一生に一回でも起こればいい。 そういう体験をして一瞬にして変わっていく人を私はたくさん見てきましたから。


B:赤松啓介さんの『夜這いの民俗学』を読むと、 かつて日本でも、おおらかで親密な性の関係が、 すべての世代を通じて大切にされていたことがわかりますね。 あれは、本当に、ついこの間の日本であったことなのですよね。 あっという間に、がらがらとくずれてしまった。 ある程度の年齢になったら、 人間には必ずセクシャルパートナーが必要だという知恵が、 以前はあったのではないでしょうか。 おそらくは、性欲が満たされない人には 反社会的な行動が出てくるということが学ばれていて、 人間が穏やかに生きていく上でも、 社会生活を営む上でも、 安定したセクシャルパートナーはいた方がいい、とわかっていた。 だから自分で相手をみつけられない人にも、 周りが一生懸命探して、 誰かと一緒に暮らせるようにというシステムを作っていた。 どんな人でもと言ったら失礼ですけれど、 学校の勉強なんかできなくても、 あるいはどこか障がいがあったとしても、 必ず誰かが相手を探してきて、 「この人と暮らしていくんだよ」というオプションを作ってくれたんです。 結婚してもつらいだろうと思うけど、 長い目で見れば、 セクシャルパートナーがいないことのつらさの方が大きいということを、 人間は学んできた。 それが他のことのつらさをあげつらっているうちに、 セクシャルパートナーをそれぞれにもたせることの大事さについて、 誰も何も言わなくなった、ということでしょうか。 「私は結婚はしない」とか、 「私は孤高の生き方をする」というのでも、 もちろんいいんですけれど、 その方がおそらくはずっとむずかしい。 パートナーとの間で満たされる経験と別のものを、 自分で見つけていかなかればいけないわけですし、 出産によって生まれうる体験をも、 別のところで積み上げていかなくてはいけない。 それはとてもたいへんなことで、 すべての女性にできることではないでしょう。 非常に才能のある人か、志を持っている人だけが、 そういう困難な道を選んでもよかった。 それがこの数十年の間に、 みんながそれをやったらいいんだということになって、 たいへん困難な道に追いやられているんだと思います。


B:独身の方が増えていますね。 本当は結婚したいという人はすごくたくさんいますよ。 相手が見つからないだけで。 そういう人には、やはり、上の世代が、 もっと懸命に相手を見つけてあげる、 ということも必要なのではないですか。 それから、本人も相手がほしいと思ったら、 それを周りの人に言った方がいいと思いますね。 それを言えるような自分になるということに、 また大きなステップが必要なんだとは思いますが・・・。


B:もっと若い世代の感覚はどうなのでしょうか? 私は、20代前後というのはそんなに悪くないと思っているんです。 やっぱり一番被害を受けているのは30代〜40代前後で、 もう本当に大変です。 20代は、よくも悪くも幻想がない。 この世界のありように対して、懐疑的です。 自分たちの生きていく未来が、 そんなによくはないんじゃないかと思っている。 世代として、総じて本を読んでいませんから、 いわゆる教養は無いんですけれど、 肩の力が抜けています。 新しい世代でしょうね。期待しています。 ただ、この世代に摂食障害がとにかく多い。 私たちの世代では、 摂食障害というのはかなり特殊だったと思うのですが、 今の20代では普通に生活している学生達でも、 かなりの割合でそういう問題を抱えています。 摂食障害のお子さんというのは、 両親の関係が悪いことが多いので、 それが関係しているんだろうなと思ってはいましたけれども、 今となっては、 そういうことも意識できないぐらい多い、と感じる。 この若い女性達がこの問題をどう認識して、 女性として生きるきっかけを作っていくかということを考えるのは、 私自身野のテーマでもあります。


B:摂食障害もそうですが、 嗜癖や依存症などの問題の根本には、 自分で世界をコントロールできるという、 幻想があるような気がします。 小さな依存とか嗜癖というのは、 誰でもあるのではないでしょうか。 このものすごく生きにくい社会を生き延びるためには、 何らかの小さい嗜癖でも持たないと、 とてもやっていけない。 だから、私は最近、摂食障害の人にも、 「普通に暮らせるんだったらもういいよ」といったりします。 がんばっているし、社会的にもやっていけるなら、 もうよしとしましょうよ、と。 小さな嗜癖によって、 大きな生きにくさみたいなものを何とか調整しながら、 今の社会にアジャストして生きていくところがあるのでしょう。 ただ薬物依存などになると反社会的なことになってしまうので、 それは対処するための自助グループをはじめとする、 さまざまな機関が必要だと思います。 なぜ、依存とか嗜癖が出てくるかというと、 それはやはり満たされていないからだろう、と思います。 そこでまた、育てられた時の環境に戻ってしまう・・・。 満たされていない自分を何かでうめる必要がある。 今はゲーム依存、インターネット依存も多くて、 その辺になると、もう私もわからなくなっってしまいますが・・・。


B:最近、マッサージやエステなどを受ける人が多いですが、 これも、「誰かに触ってもらいたい」という欲求を、 埋めるための代用かもしれませんね。 ああ、もうそれは絶対そうだと思いますよ。


B:本当の満足ではないとは思うんですけれど、 心も体もがちがちになってしまっているのなら、 それでも無いよりはあった方がいいかなと思います。 三砂さんからのアドバイスはありますか? 自分の子宮を意識したり、 嫌だと思っていた月経を愛おしむようになると、 女性の体は不思議と変わりますね。 月経血コントロールのための「ゆる体操」を始めると、 何らかの肯定的な経験をする人が多いですよ。 それから、一見関係ないようですが、 自分で弁当でも作ってみたらどうですか? 体もこわばって心もこわばっていると、 そういうことができないんですよ。 手をかけて食を整えるとか。 ひとりで住んでいてもいいから、 晩ご飯は、早く帰って自分で作って食べるとか、 今までどうでもいいと思ってきたことに、 手をかけてみるといいと思います。


B:最近、野口整体が再注目されていますが、 女性の心と体にとって、 役に立つ知恵があるのではないかと思っています。 野口晴哉という方は、本当に天才だと思います。 彼の書かれた本はどれもすごく好きです。 『女である時期』という本に書いてあることは、 女性にとって全部本当だと思います。 私の書いた『オニババ化する女たち』の本も、 彼のお書きになっているようなことを、 女性の目から書こうとした、とも言えます。


B:スピリチュアルなことについては、 どうお考えですか? 私は、スピリチュアルなことを知った方が、 今をよりよく生きるストーリー作りの役に立つなら、 それもいいと思います。 誰にとっても楽しいことだから。 ただ、人によっては、 そういうことを知ることによって、 今を生きることからよけい遊離してしまうことがあるように感じています。 霊的なことを学ぶというのは、 なぜ今、私が女性としての体をもって生まれてきているのかということに 向き合うことに他ならないと思います。 今ここに生きる体を大切にして、 今を生きるというオプションしかないわけです。 そういう生き方ができるのであれば、 前世がどうだったとか、 来世はどうだとかを知らなくても別にいいのです。 どのようなことでも、 今をよりよく生きることにつながっていないならば、 本末転倒になりますよね。 そうじゃないことは、 体が無い時にやればよかったわけで。 ブラジルのアマゾン森林のインディオの方たちの生活から学ぶことは、 霊的なものも、身体も、 すべてが一体になっていることですね。 でも今は、何でも分離していくというのがこの社会のしくみなので、 霊的なものについても、 やはり分断された形で立ち現れることが多くて、 スピリチュアルなものの中にも、 からだとかけ離れて分離していく危険性があるようにみえます。


B:さて、少し未来についてお聞きしたいのですが、 愛とセックスが分離して、 別のものとして認識されてゆくようなことがあるでしょうか? 私は、愛とセックスは一緒だなんて全然考えていません。 江戸時代なんか、愛情、などというより、 ただ楽しいおとなのしゃれごと、としてやっていたんじゃないか(笑)。 ロマンチックな愛なんて、 おそらくは北村透谷以降のことで、 そんな発想はもともと日本人にはなかったといわれていますよね。 私の長く暮らしたラテンアメリカでも、 セックスと愛は別でしたよ。 まずセックスありきです(笑)。 セックスして、 その結果、恋愛感情が生まれてくることもあると、 ブラジルの方は言っていました。 そこにあるものは、デザイア(欲望)です。 その人間とつながっていたいという欲望なんですね。 ブラジルでは、赤ちゃんを見ると、 かわいいと思ってなめ回すようにするんですけれど、 それも「赤ちゃんに対してデザイアを持つんだ」と彼らは言うんですね。 もう、このかわいい赤ちゃんに触れずにはいられない、 キスをせずにはいられない、と。 人間と人間が触れあっている時には、 恋愛感情なんかなくても、 この人を触りたい、 この人にしっかり抱きしめられてみたいというデザイアがあって、 そういう気持ちを大切にしていたと思う。 男と女の間でも、 「この人、すごい魅力的だ」と思った時というのは、 その人に対するデザイアがあって、 その根本はセックスに関わっていると思うんです。 だからと言って、すぐセックスをするかって言ったらそうじゃない。 ブラジルではあいさつで抱きしめたり、 キスしてみたりする。 だから私は、人間には愛情、 という以前に身体的なデザイアがあるという意味においては、 性と愛は全然別でいいと思っているんですね。 はっきり言って、不倫でも愛人でも、 自分が責任取れるんだったらかまわない、と思う。 責任取れない人が、 いいかげんな行動をとりすぎているんじゃないかとは思いますけどね。 ただ、それが商業化されるとなると話がちょっと違います。 商業化というのは、体をモノとしてパーツとして扱うわけですから。 セックスが商業化されたり、 インターネットが関わってくるようになると、 人間対人間のデザイアということではなくなってくる。 たいへんな時代だなと思っているんです。 それでもいいと人間が思うようになったら、 それはしょうがないのかもしれないですけれど。 悲しいことですね。


B:たとえば、ポリネシアや、インディオや、 かつての日本の様に、 おおらかで自然な形のセックスが営まれる社会があって、 人間としても集団としても平和で健康的であるという理想がある一方、 性的なエネルギーの歪みが社会を進化させてきたという面もありますね。 それは、その通りだと思います。 その点については、 私は、もうしかたないと思っているのです。 近代化とか、西洋化とか、開発とか、消費社会とか、 どういう言い方でもいいんですけれども、 これだけ緻密に発達した世の中になった。 たしかにそれはその通りで、 もうその前の時代に戻ることはできないわけですよね。 そういう意味で言ったら、 全体的な状況について、もう希望なんて全然ない。 人間の体に対しても、 管理という言葉では追いつかないほど、 医療が私たちの生活の隅々にまで入り込んでいる。 だから大状況は悲観的です。 でも、小さな状況では、 私たちがひとりひとりの生をまっとうしてゆく時に、 その限られた環境の中で、 できるだけ自分を満たしていきたいと思いながら生き延びるしかない。 そのために何をしたらいいのかという発想が必要でしょう。 私たちは、一見無力に見えます。 その中で、どうやったら自分たちがよりよく生き延びられるのか、 どうすれば少しましな世界を次の世代に残すことができるのか、 ということを考えると、本当に言われ尽くしてきたことですけれど、 小さなレベルでのよりよい経験を増やしていくしかない。 自分の親密な人との関係を大切にするとか、 あるいは自分の食を整えるとか。 私は衣食住に時間をかけるということが、 とても大事だと思うんですね。 昔に戻れというのか、といわれますが、ちがいます。 しょせん戻れないんですから。


B:2000年ぐらいのサイクルで見ると、 世界全体のベクトルは、 物事をコントロールするという、 西洋的・男性的な力の論理で行われてきたと思います。 それも少し苦しくなってきている現在、 未来に向けて、どのように転換していったらいいと思われますか? そのきっかけを、 みんないろいろな所に探していらっしゃるんじゃないかと思うんですね。 私は自分が男じゃないので、 「女のことしか考えない」と言っているんですけれど(笑)。 とにかく、女性が女性としての体をしっかりつかんだ生き方をすることが、 私は一番、大事だと思っています。 女性としての体を持って生まれてきて、 それを愛おしみながら生きていくということが一番の根本だと思います。 それがあれば、その女性が子供を育てるわけですし、 家の中で男性と関わっていくわけですから、 周囲も変わるんだと思っているのです。 どこかふっと満たされるような個別の体験を作っていくということしかない。 その一番ドラマティックな体験と言えるのが女性の出産なので、 せめてその出産の場がまともな形になってほしい。 それが私にとっての一番の望みで、 コミットメントを持っているところです。 後は、次の世代の母親作りですね。 仕事をしても、自分が子供を産んでも産まなくてもいいんですけれど、 次世代を作るということにあたって、 子供を愛せるような女性になってもらいたい。  そこから派生するものというのは、 おそらく私たちが想像する以上に大きくて、 社会全体の女性性の豊かさみたいなことが出てくるかもしれない。 少しでも今の若い世代がよくなれば、 次の世代はもっとよくなる。 そういう風にベクトルが少しずつ変わっていってほしいと思っています。


B:ありがとうございました。



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