視る力

- interview with 荒木経惟 -

人間は、この世に生まれてから死ぬまで、
たくさんのものを見続ける。
網膜に映った映像は、
感覚のフィルターを通り抜ける過程で、
その人独自のイメージを持ち始める。
それは、あなたと世界をつなぐ、意味の創造だ。
40年間、常に動き続けながら、
「私との関係性」を撮り続けてきた、
天才アラーキーこと、
写真家荒木経惟さんにお話をうかがった。 

荒木経惟 (あらき のぶよし)


1940年東京都出身。
千葉大学工学部写真印刷工業科卒業。
1964年『さっちん』で第一回太陽賞を受賞。
1971年、新婚旅行を克明に写しとめた
実質的な処女写真集『センチメンタルな旅』を
自費出版し話題となる。
これまで200冊以上という膨大な数の作品集を発表。
「私写真」という独自の世界を確立した。
作品のテーマは現実と虚構、愛と性、生と死などで、
常に先進的な方法論で社会の注目を集めている。

B:いろいろな方の写真を撮ってこられていますが、
荒木さんご自身は、「人間」というものを
どのようにとらえているのでしょうか。


「人間」についてなんて、
何にも考えてないよ。
客観性っていうのがないんだね、あんまり。
観察とかなんとかってことを、
俺はしないんだよ。
日本に住んでるとか、韓国に住んでるとか、
男とか、女とか関係なくて、
全部、俺の「あなた」になっちゃう。
「私写真」って言っているのは、だからなんだけど、
全部自分との関係なんだよね。
たとえば変な言い方だけど、
どんな不美人でも美人に撮る。
どんな嫌いなやつでも、
なんとか好きな部分を見つけて、
好きになるような関係を作って撮るんだよ。
全部、すてきな笑顔にもってっちゃうんだ。
だから、何かあっても気づきたくないし、
そういうような感じで撮ってるから、
人間のことなんて考えてないんだよ。





B:時代の移り変わりによって、感じることはありますか? うーん、それはやっぱりあるのかなあ。 たとえば、20代の頃に撮った 『さっちん』ていう少年なんか今見ると、 違ってるよね。 昔と何が変わっているかというと、 今は動物じゃなくなっているんだよ。 人間っていうのは、動物的なのが一番の魅力なのに、 どんどんそれがなくなってきちゃってる。 いい笑顔なんてなかなかないし。 それはなぜかっていうと、 やっぱりインターネット、それから携帯だろうね。 姿勢っていうか、所作っていうか、そういうのが悪い。 みんなこうやって暗くうつむいてるんだもん。 あれは良くない。 ああいうのは、やっぱり顔に影響あるよ。 うーん、変わっているんだろうな、顔。 だんだん物化してる。ようするに、 動物って言うのは、「物が動くこと」なんだよ。 それなのに、物が動かない静物になってるんだよ。 人間にも、途中はもしかしたら、 動物じゃなく植物というか知的な時代があったのかもしれない。 でも今はもうまったく駄目だね。 ロボットになりかかってるから。


B:顔には、いろいろなことが表れますね。 ここのところ、日本人の顔を全部撮ってちゃおうと思って、 五年くらい前からシリーズをやっているんだ。 大阪、福岡、博多、鹿児島、石川県…、 それで今、青森に行ってきたばかりだけど、 やっぱり、地方行って思うことは、 日本人の顔がだんだん平均化してっているわけだよ。 東京というか、テレビの影響なんだろうね。 そういうのがみんなの顔を平均点にしちゃっている。 一番いけないよね。 でも青森なんか行くと、 りんごの栽培60年とかやってる おじいちゃんとかおばあちゃんもいるじゃない。 それがやっぱり、いい顔してるんだよ。 なんとなくこっちの方が、 動物性を失ってない顔だって感じるね。 そういうのを気づくからおもしろいね。 人間の顔って、やっぱり生まれ育ちだね。 日本人が大陸に行ってそのまま育つと 向こうの顔になっちゃうけど、 実は風土だけじゃなくて、 身近な人が顔を変えるんですよ。人の関係が。 一番身近な顔っていうのは、 お父さんお母さんだし、子どもだし、 恋人だし、夫婦関係だしね。 で、一番顔に作用するのは愛だね、 愛情ある人がそばにいたやつは、 やっぱり幸せな顔になるんだ。 そうなんだよ。写真っていうのは、 そういうことを感じたり確信できるからいいね。


B:荒木さんは、子どもの顔もよく撮られていますね。 うん。特に子どもね。 人間の初期は、どんなやつでも、 まだいいものをもってるんですよ。 だから、子どもの時にちゃんとよい関係があれば、 いい顔になるし、いい人間になるんだよ。 勝負は、年がぎりぎりひと桁の時だね。 二桁になったら、もうダメだね。 10代だともう遅い。 そういう頃にいい環境、いい環境って変だけどさ、 まあちょっと俗っぽくなるけど、 ぜったい母子家庭にならないようにとか、 親は死んじゃいけないとか。 一応ね、基本だから親が。 子どもがへんてこになるのは、 ほとんど親が悪いんだよ。 子どもはみんな善っていうか、 ちゃんとした要素をもってきてるのに、 それをつぶしちゃうんだよ。 今の子どもも本当はそうなんだよ。 親がそれをつぶしたり、 なくしちゃったり、育てなかったり。


B:でも、荒木さんの写真では、 どんな人にも、その人の「情」が色濃く出る気がします。 すごいよ。 青森行ってきたけど、 人気あるんだよ。おばちゃん達に。 不思議だよね。なんだろな。 10代過ぎたっていっても 全部失ったわけじゃないんだよ。 ひきずってるんだよな。 そこをひっぱりだすっていうか、 まだあるぞっていうか、 そういう写真の撮り方だからさ。 観察じゃないんだよね。 嫌なところは見たくないし、 観察なんてしたくないし、 出会ったからには、 より素敵に写真を撮ってあげるっていうぐらいの 気持ちだからね。 俺の写真、みんないいだろ? やっぱり愛情をもって撮らなくちゃね。 要するに、時代を表現しようとか、 この時代はこういう顔だとか そういうことじゃないんだよ。 たとえば従来の意味で、 写真なり映画でドキュメンタリーっていう言葉があるけど、 俺の写真はドキュメンタリーじゃないんだ。 うそつきなんだ。 みんな俺の撮った写真をお見合いで使って成功するけど、 あとで地が出てばれちゃって、 「うそつき、こんないい女じゃないのに」とか 「こんな性格のいい男じゃないのに」 なんて言われちゃうんだよ(笑)。 俺にとっては、みんないい。 そういう気分でやってるから。


B:運命というのものがあると思いますか? あるね。思っちゃうね。 なんかすごく不思議なことあるよね。 運命ってあるのかなって不思議でしょうがない。 次から次にいい女と出会うしさ(笑)。 とにかく、次から次にいろんな人に出会って、 いいやつと出会う率が多いんだよ。 だから不思議だよね。 人生って人と出会うってことだからね。 どれだけいい出会いがあるかっていうところで決まるんだから。 ひとりじゃ全然人生にならないんだよ。 特に、肉眼で、肉体で会わなければいけないんだよ。 そうじゃなきゃいけないのに、 こんなんでうつむいて。 Eメールじゃ、愛情も友情も芽生えない。 そんなことやってたら滅びますよ。


B:どこかに行くと向こうから 写真に撮られるべきものがやってくる、という感じですか? そうそう。 まあ、「神に撮らされてる」なんて言ってたんだけど、 今はもう俺が神になっちゃったからさ(笑)。 「写神」なんてことを言ってるんだよ。 たとえば、今やってるの例にあげると、 『週刊大衆』で人妻エロスだとか、 『SMスナイパー』やったりとか、 スター撮ったり、花撮ったりしているんだけど、 「神道の神を撮ってください」 なんて言ってきた人がいるんだよ。 おかしいだろ?  それで、電車に乗って、 電車の通路に外からの光がある。 それをポンと撮ると、 もう神道の奴らが興奮しちゃうの。 「あー神が写ってる」なんて言って。 変なやつらだね(笑)。 俺は、神とかなんとかっていうのは自分の問題で、 本当はどこにでも神がいると思うんだよね。 便所の神様だっているんだから。 要するに、俺がカメラを向けるところは、 どこか四隅でもいいし、真ん中でもいいし、 下の方でもいいんだけど、 必ずそこに神がいるわけだ。 女のヌードの中にも、 陰毛の中に隠れているんだよね(笑)。 俺の写真の中には、 どこにでも潜んでいるんだよ、神が。 なんというか、 一番いとおしいものなんだろうな。 言いかえれば愛の瞬間ですよ、俺の写真は。


B:シャッターを切る瞬間に、 これだって感じるものが何かありますか? シャッターチャンスって言ったら、 ずっとシャッターチャンスなんだよ。 いつでもいいんだ。 すべていいんだっていうくらいね。 そうなんだよ。やっぱりそれくらい思ってる。 そうかといってビデオを回すわけじゃないんだよ。 でも、なんとなく漠然っていうか、 いいかげんというか、無意識にというか、 なんとなく感じるわけですよ。 その時にそのこの空間を撮るってより、 時を止めるっていうか、 もしかしたら「永遠になれ」って、 思っているのかもしれない。 時を撮ってるね。 ブレッソンは、決定的瞬間なんて言うけど、 ずーっと決定的瞬間なんだよ。 だからもう楽で(笑)。 眼をつぶっててもいい。 いつでも素敵なんだという感じだから、 コマが多くなる。 でも、たくさんある中で、 これって選ぶわけじゃないんだ。 中年女のポートレートなんか、 みんな素敵だし、みんなこわいし、 みんないやらしいんだよ。 「じゃあ、どれ?」って言われたら、 「とにかく全部!」(笑)。 だから数が多くなっちゃう。 写真っていうのは、選びとるっていう感じがあるけど、 選ぶもんじゃないっていうのが俺の主義なんだよ。 選びようがないし、 みんな素敵なのよ。


B:カメラを向けている時の 荒木さんの感覚の状態は、 どんな感じなのでしょうか? なるべく「無」っていうか、 「真空」というか、 そんな感じの気分だね。 セックスを先にするかな、後にするかな、 なんていうぐらいの躊躇はあるけど(笑)。 今は、写真撮ること自体が性行為だから、 あとは、「もう疲れているからめんどくせー」 なんて感じになっているけどね。


B:荒木さんは、撮る人に必ず触れてみるそうですね。 撮るっていうのは、触れることだから。 もっと具体的に言うと、 顔とかは触れるぐらいの位置で撮らなきゃいけない。 手が届くところから離れると、 「見る」じゃなくて「眺める」になっちゃう。 「眺める」っていうのは人間を風景にしちゃうから。


B:相手の人に直接関わるという感じですか? そうそう。 だから客観じゃなくて、 主観の方だよね。 関わる。関係性を持つ。 関係性っていうのは、 セックスの事だけじゃないよ(笑)。 だって人と関わるっていうのは、 すごく大変なことなんだから。 まあ、あんまり重なっちゃうと写らないから、 距離は必要だけどね。 どれだけ相手との距離をもつかで決まるんだよ。 だいたい、誰かが撮った写真を見ると、 そいつが相手とどれだけ距離を取ってるかっていうのがわかるね。 もしかしたら、相手を撮るっていうのは、 実は相手との距離を取ってるのかもしれない。 それくらい関係性っていうか、 距離が大切なんだよ。


B:『写真ノ話』に掲載されている、 最後の杉浦日向子さんを撮影された時のやりとりは、 ものすごくしんみりきました。 もう、泣けるだろ?  日向子さんは元気ぶってるけど、 もう一回手術をやればなんとかうまくいくとか言ってるけど、 本当はもうわかっているわけですよ。 こっちもわかってるから、 お別れにワイン飲んでさ。 これは、編集者に絶対最後になるから、 内緒で録音しておいてって頼んだんだ。 それで明るい感じで、来年は桜の下で、 みたいなこと言って。 あのポートレート写真には、 死を覚悟したエロスが妙に出ているよね。 みんな、そんな日向子さんを知らなかっただろうけど。


B:荒木さんは、「死」についてどのようにお考えですか? 変な言い方だけど、 究極の美っていうのは、 死かもしれないね。 メメントモリじゃないけど、 死を想うと、死は背中合わせに誰もが持ってるものというかさ。 まあ、死ぬ直前ぐらいが、 人間としての円熟っていうか、 一番エロスが漂うと思ってる。 だから無意識に、 花でも枯れるちょっと前に撮ったりする。 今までの経験で、 やっぱり死の予感がある時の写真っていうのは、 なんか壮絶な、凄艶な感じがするよね。 なんか今までのエッチな感じじゃないなあって思うけど、 当たり前だよ。 死を覚悟した時には、なんか聖なるっていうかさ、 すごみがある。 だから素敵ですよ。


B:これまでにも、死の直前の写真を撮られることがありましたね。 ここのところ、 そういうことが多いんだよね。 最近、自分のことを「遺影写真家」なんて言っている。 この間も、久世光彦の写真を撮ったら、 一ヶ月後に死んじゃった。 それでね、本人は自分が死んだら これを葬式写真にしようと指定してたんだって。 あんなにころっと逝くとは 本人も思ってなかっと思うけどさ。 前にコラボレーションをやったことがあったから、 今度また一緒にやろうなんて言ってたんだよ。 元気いっぱいで。でも後づけみたいだけど、 今思うと、その時去っていった背中に俺は何か感じたね。 ちょうど亡くなった頃に、 その雑誌ができあがってきたんだけど、 その編集者が 「久世さんは、これを遺影にしてもらおうかって言ってました」って言ったら、 奥さんと息子がもう見た瞬間、 「これ!」って言って。 だから、俺が撮ると死がよってくるんだよ。


B:もしかしたら逆かもしれないですね。 人生の最後に、 その人の一生をぎゅっと凝縮したものを撮ってほしいから、 荒木さんと巡り会うというか。 かもしれないね。 やっぱり、ポートレートっていうのは、 その人の10年を1秒に縮めてみせるっていうようなところがあるから。 だから、わが愛、洋子についても、 俺の一番の名作をあげるっていったら、 彼女の葬式写真ですよ。うん。 一点だけの写真展なんて泣きだよ?


B:荒木さんは、 「完成させないことが大切」と言われていますけれど、 もしかしたら遺影写真だけは 「完成してしまう」のかもしれないですね。 うん。普段は完成させませんよ。 あまりにも天才で、 みんな決まっちゃうから、 はずさなくちゃ(笑)。 たとえば花の写真で、 メイプルソープなんていうのは、 花を鉱物にしちゃってる。 俺は植物じゃなくて、動物にするような気分。 要するに、額縁から出ていっちゃうような感じ。 フレームしていない感じ。 そういうふうにやりたいと思っているんだよ。 ともかく、完成っていうのは止めちゃうことだな。 静止しちゃうことは嫌なの。 でも、死によって静止画像にされるんだよ。 その静止画像は一点だけでいいんだよ。 自分の愛の結晶。


B:これから撮っていきたいテーマみたいなものはありますか? テーマなんて無いんだよ。 何を撮ろうじゃなくて、 生きていることが撮ることだから。 写真って人生を生きるっていうことだよ。 だから生きる。なるべく長生きして撮りたい。 今でも毎日撮るのは、 バルコニーと空とチロちゃんだね。 あのねえ、目標なんて、 つまらないことしか思いつかないんだから。 今のIT産業とか、あいつら案外目標っぽいだろ。 そんなのダメなんだよ。 そんな事より、漠然とした状態に自分をおいといて出会う! 出会うんだよ。出会ってくれるわけだよ。 無風状態にしておけば風が吹く。 こっちからも風吹いたりとかさ。 吹かせたりとかさ。 まあ、流れだね。 ふらーっと置いとけばいいんだよ。 流れに身をまかせる。 で、ふと出会った女性と腹を合わせる(笑)。 生きてれば、良いことあるんだよ。 な?テレビの人生相談よりいいだろ?


B:ありがとうございました。



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