かしこい脳の使い方

- interview with 池谷裕二 -

記憶は、いくつもの要素を連合させたネットワークで成り立っている。
そのしくみを理解すると、私たちのものの見方、
生き方が変わってくるはずだ。
新しいことに挑戦する時、古いパターンを捨て去りたい時、
もっと自由に、楽々と、境界を超えていくことができる。
曖昧性とゆらぎを最大限に発揮する脳の使い方こそ、
人間の未来を築く。
今回は、若き脳科学者の池谷裕二氏にお話をうかがった。
 

池谷裕二 (いけがや ゆうじ)


1970年、 静岡県生まれ。
1998年、東京大学大学院薬学系研究科にて薬学博士号取得。
2002年〜05年に、米国ニューヨーク・コロンビア大学生物科学講座客員研究員となる。
2006年より、東京大学大学院薬学系研究科講師。
日本薬学会薬学研究ビジョン部会賞、日本薬理学会学術奨励賞、
日本神経科学学会奨励賞などを受賞。
主な著書に、『海馬』(新潮文庫)、『進化しすぎた脳』(朝日出版社)、
『脳はなにかと言い訳する』(祥伝社)などがある。

公式ホームページ http://gaya.jp/





B:池谷さんの著書からは、 記憶や認識についての 新しい視点を得ることができますね。 記憶は何のためにあるかと言われたら、 未来の自分のためにあるんです。 その未来は30秒後かもしれないし、 1ヶ月後かもしれない。 それはわかりませんけれど、 いずれにしろ記憶というのは間違いなく未来の自分のためにある。 記憶の本質というものをずっと見極めていくと、 最もシンプルな記憶の形態でさえ、 その構造を解体してみると 連合性から成り立っているというのがわかるんですね。 言葉と、感触と、使い方と、見た目、 そういう複数のモラリティが組み合わさって初めて記憶となる。 要素の連合というところに記憶の本質がある。 最もシンンプルな記憶でさえそうなので、 ふだん経験していることを覚えたりとか、 なにか方法とか本質とかそういったものを覚えたりする時というのは、 相当な綿密かつフレキシブルな組み合わせで 成り立っていると言っていいんじゃないかと思います。


B:新しい要素が加われば、 また別の組み合わせが生まれて、 同じものを見ていても違った認識の仕方になるということですか? そういうことです。 私たちが物事を認識できるのは、 過去にその記憶があるからです。 つまり、認識する、理解するというのはすべて記憶に 基づいているんです。 「思い出す」とはどういうことかをひも解いてみると、 これもやっぱり連合性が関係しているんですね。 思い出すという行為は、 連合された知識の架け橋を ぴょんぴょん飛んで目的の知識に行き着くようなものです。 山の頂上を目指すにしても、 道はひとつではなくて、 いろいろな方向から登れる。 ひとつ新しい道ができただけで、 あみだクジみたいなもので、 そこに行き着く方法パターンが何倍にも増えるわけです。 そうすると認識力がすごく高まる。 「ネットワーク」でとらえていただくと、 記憶というものに対しての見通しが良くなるんじゃないかと思っています。


B:ネットワークの有り様が変わるだけで、 物事の認識の仕方ががらっと変わってしまうとしたら、 そもそも「私だ」と感じている意識自体も、 確定したものではないということですね。 そもそも、「私」という存在にどれほど恒常性があるのか。 逆に言うと、「私」は、 ものすごく変わりうるポテンシャルを本当は持っている。 でも、自分がどうなるかわからないと不安だから、 「変わらない」って思ったほうが安心ですよね。 だから根本的には恒常性をベースに置きたがる性質が 人間の心理にあるようです。 でも脳の本質は、やっぱり可塑性というか、 変わろうと思えば変わりうるというところです。 しかも年齢を問わず。


B:「経験記憶」は、むしろ30代以降に能力が高まるとおっしゃっていますね。 少し話がそれますけれど、 『百舌の早贄(もずのはやにえ)』ってご存知ですか? モズは、バッタやカエルを捕まえて木に刺しておくんです。 もちろん、その場で食べることもあるんですが、 木に刺して食料の貯蔵として取っておくんですね。 ところが、おもしろいことにそれを忘れちゃうんですよ。 だから、せっかくのエサを他の鳥や動物にとられてしまう。 古来から、鳥は記憶力が悪いと考えられてきましたけれども、 よくよく調べてみると、 逆にものすごく記憶力がいいことがわかった。 鳥は、まるで写真を撮ったかのように覚えられるんです。 たとえば人間は、 テーブルの上にコップとか灰皿とか雑然と並んでいるのを覚えて、 1ヶ月後にもう一回並べろって言われても無理ですよね。 でも鳥は覚えていられるんです。 そんなに記憶力はいいのに、 エサの場所を忘れてしまうのはなぜか。 それは、葉っぱが枯れて落ちてしまったり、 枝が折れてしまったりしたら、 もう別の風景になってしまうからです。 そうすると、自分の隠した場所を認識できなくなる。 こういうのをみると、記憶が正確であるというのは、 応用性が極めて低く、まったく役に立たないことだとわかってくる。 だから、記憶にとって本当に大切なことは、 柔軟性、曖昧性、いい加減さなんです。 下等な動物ほど記憶が正確なんですよ。 ほ乳類でも、ウサギやネズミとかになってくると、 記憶が正確であまり融通が効かないんです。 ほ乳類の進化の過程で、 脳がどう進化したかというと、 記憶をいかに曖昧にするかという事に 労力を割いてきたというふうに僕は見ます。 記憶に曖昧性をもたせるのは、 人間の子供にとっても難しいんですよ。 子供は丸暗記が得意です。 つまり、子供の頃は下等なほ乳類のような記憶がよく発達している。 その暗記力を見て、 大人は「すごいな」と思うかもしれないけれども、 子供はそれしかできないだけであって、 「しょうがねえな、子供の記憶は正確で」 と思っていただくのが本当は正しいんですね(笑)。 曖昧な記憶の仕方ができるようになってくるのは、 中学、高校に入ってきてからです。 その能力を専門用語では『結晶性能力』というのですが、 これは60歳くらいまで、 場合によっては70歳くらいまでと言う人もいるんですけれども、 どんどん伸びていってそんなに衰えないと言われています。 たぶん、30歳越えてくらいから、 だんだん物事がわかるようになってくる。 40歳になったらもっとわかる。 50歳になったらもっともっとわかる。 そういう事なんだろうというのが、私の持論です。


B:ただ、人間が年を経ていくと、 考え方が固定化してくるというか、 思考の癖みたいなものができあがってしまうことも多いですよね。 そうですね。 私は、脳の回路をミクロのレベルで かなり研究しているのですけれども、 これだけは「間違いないな」と思うことがあります。 それは、ある神経の繋がりの場所だけを使っていると、 そこだけがすごく通りが良くなって、 他のところが退化していくということです。 その現象が、ミクロの世界ではっきり見えるんです。 つまり、いつも同じようなパターンの事ばかりしていると、 確かにその限りにおいては すばらしく能力は上がるんですけれども、 それ以外のところは劣ってしまう。 だんだん固定された物の見方しかできなくなってしまう。 この傾向は、時間が経てば経つほど強くなるので、 思い立ったらすぐにでも、 新しい回路を使う努力をした方がよいと思いますよ。


B:新しいものに挑戦していくためのアドバイスは何かありますか? 腹側被蓋野(ふくそくひがいや)という場所が脳の真ん中にあります。 これは、ドーパミンという物質を生み出す場所なんですね。 ここが活動すると、「好き」とか「気持ちいい」という感情を生み出します。 たとえば、恋愛をしている人の脳を見てみると、 腹側被蓋野が活動していることがわかる。 恋愛じゃなくても、 「ヨン様かっこいい〜」とか思っているオバさまの脳とかを調べてみると、 左右の違いはあるんですが 同じ場所が活動しているんですね。 つまり、恋愛もファンの心理もドーパミンが活動しているんです。 たぶん私たちのモチベーションというのは、 すべてドーパミンが作っている。 「ああ、これってこういうことだったのか!」 とわかった時って気持ちいいですよね。 知的好奇心を満たす時の快感も、人間の脳にはある。 好きな音楽を聴くとか、 絵をみて感動するとか、 子供をみて可愛いと思うとかというのも全部ドーパミンです。 それだけだったいいんですけれども、 ドーパミンが活動していると、何が正しいのか、 どの価値が本当は重要なのかわからなくなってしまって、 自分の快楽のために行動しちゃうんですね。 生命に必要なことすらも投げうつぐらい価値の基準を変えてしまう。 すると、盲目性になる。 別の表現で言えば馬鹿になれるんです。 でもそれでいいんです。 僕は、何かに一歩踏み出すためには、 馬鹿にならないといけないと思っています。 「馬鹿になっていいや」「人からどう見られても構わないや」と思うと、 思い切って何かに打ち込める。 それを利用しない手はないです。


B:人間の脳には、曖昧性や快感物質があるおかげで、 ハッピーになったり創造性を生むこともあるけれど、 逆に、逃げたり言い訳をするためのトリックが働くこともあります。 すべて本当のことを知ったらとても耐えられないから、 それを回避させるためにそういうトリックがあるのだとも考えられますが、 良い意味の曖昧さと、悪い意味のトリックの差は、 どのように判断したらよいでしょうか? たしかに曖昧性だけにいくと、 悪い方向、楽な方向に流れてしまいがちです。 そこで僕の考えるひとつのポイントが、 「保留」ということなんです。 「こうだ!」と今思っているけれども、 そうじゃないかもしれない、 将来ひっくり返るかもしれないという「保留」を必ず置いておく。 判断はしないで、 とにかく前に進んでみようというのは大事だし、 でも「保留」にしておけば、 またいつでも同じ地点にまで戻ってくることができる。 他の人から意見を聞いたり、 何か別のきっかけをつかんだりした時に、 気づくことができる。 だんだん固まってくると、 自分の価値観に合わないものを拒否したり、 排除するじゃないですか。そうじゃなくて、 別の答えを取り入れられるだけの柔軟性を保持しておくことが、 「保留」の形態だと思うんです。


B:人と人とのコミュニケーションは、 お互いに違う記憶の作り方同士のぶつかり合いですね。 コミュニケーションというものに対して、 池谷さんはどのようにとらえていますか? コミュニケーションとはそもそもうまく通じないもの、 ということを前提として、 むしろ通じたらそれを喜ぶ、 という姿勢が正しいと僕は思っているんです。 通じることを前提にコミュニケーションするから、 がっかりしたりするんですよね。 脳が何をやっているのかを一言で言ってしまうと 「予測」とか「推測」です。 脳の外からやってくる情報は、 たとえば1%くらいしか上がってこないかもしれませんが、 脳の中で残りの99%を埋めることができる。 このパターン・コンプリーションという作用が、 脳の本質です。 見えているものはすべて不完全なので、 脳の中で情報を補完して埋めるという作業ですね。 言葉に自分の思いのすべてを託せないのに、 それでもある程度の会話ができるというのは、 相手がパターン・コンプリーションしてくれるからなんです。 こういう言葉だったら相手はこういうふうに言いたいんだろう、と。 当然、そこは推測で行なわれているから、 曖昧であって、間違うことも当然あります。


B:最近、EQと言う言葉が使われたりしますが、 相手の気持ちを理解できたり、 フィードバックできる共感能力が高い人もいます。 相手の立場に立てるかどうかというのは、 どうも頭頂葉の右側で行なわれているらしいんです。 ここには相手の仕草をモニターする神経細胞があります。 これは猿にもあるんですね。 文化は真似から生まれます。 母猿がこういう道具を使って虫を取っていたから子猿も真似する、みたいな。 そういう他者がやっていることを真似することから、 文化が生まれるんです。 この能力は生まれた時から本能に備わっていると思うんですけれども、 ヒトでは、この他者モニターシステムがさらに発達して、 他人の心を理解することができるわけです。


B:良い人間関係を作る池谷流のポイントみたいなものがあれば、 教えていただけますか? 良い人間関係を作るだけだったら、 「モニターシステムをどんどん使え」 ということになるのですけれども、 同情しているだけだと自分が行動できないんですよ。 同情だけの社会は、止まってしまう。 だから、社会全体の進歩のためには、 エゴイズムも当然必要ですよね。 バランスなのかな、結局。 もともと、脳の中に、他人をモニターするシステムと、 同情するシステムと、 エゴイズムというシステムがある。 1個1個の要素が自然に組織されて、 全体が特定の方向に動いて、 自己組織化されます。 悪い方向に行ったら、 自己修正する能力が社会にはあるんですよね。 だから僕はあんまり未来についても憂いていないんですよ。 そうそう、この他者モニターシステムである 頭頂葉の右側というのはおもしろくて、 ここを電気的に刺激すると何が起こると思います? 自分も他人になっちゃうんです。 まるで、天井の上から自分を他人みたいに 見下ろしてモニターしているような感じ。 いわば幽体離脱が起こるんです。 幽体離脱とか臨死経験というのは、 たぶん発作か何かでこの部分が活性化して、 自分を外からモニターするようなシステムが働いてしまうことから起こる感覚じゃないかと思います。 もちろん、その人の脳の中でだけの話で、 霊がどうのこうのというのは僕には正確にはわかりませんが。


B:たとえば心理学用語に「至高体験」というものがありますが、 脳の中ではどんな事が起こっていると思われますか? 宗教的な体験をする脳回路というのが、やっぱりあるんです。 それは、左側の言語野のすぐ横です。 そこを刺激すると神様が見えるんです。 キリスト教の人だったら、キリストやマリアが見えたり、 仏教徒だったら仏さんが見えたり。 宗教を持っていない人でも、 敬虔でおごそかな気持ちになる。 そういう回路を人間の脳は用意しているので、 宗教がどこにでもあるということを僕はなんとなく納得できます。 それと同時におもしろいことが見えてくるんです。 てんかんという病気は側頭葉部分に起こるのですが、 これがちょうど神の領域も含んでいることがあるんですね。 だから、発作が起こった後、 「神様が見えた」と言う患者がけっこういる。 歴史を振り返ると、神様の代弁者という人はてんかん持ちが多いんです。 しかも、てんかんでは突然に全身痙攣が起こるのですから、 まわりの人はびっくりするわけですね。 どう見ても神様か悪魔が乗り移っているとしか見えない。 そして目が覚めたら「神様が見えた」 「神様がこんなこと言っていた」と言う。 そういうところから宗教とかシャーマニズムが始まったのかなと思います。


B:直感とか超能力と呼ばれるものは、どうでしょう? ポイントは夢だと思います。 人間は夢の中で、自分の持っている知識を、 ああだこうだと組み合わせて、 いろいろなストーリーを作り上げています。 意識上ではほとんど覚えていないんですけれども、 あそこまでたくさん組み合わせをやっていれば、 ストーリーとしては何が起こってもおかしくないんですよ。 たとえばデジャブ(既視感)ってありますよね。 現実に起こるシチュエーションをすでに夢で見ているから、 「あ、見たような気がする」と思うわけで、 これを拡張すれば「こうなると思ったよ」という 予知能力もだいたい同じことが起こっているのではないかと考えています。 ただ、当然ですが、 こういうものは科学の俎上には乗らないんです。 科学の限界はけっこうありまして、 科学にとって必要な事は「再現性」なんです。 僕は幽霊にもけっこう興味があって、 科学的に調べてみたいんですけれども、 科学の土台が再現性である以上、 幽霊はむずかしい。 それに個人的経験、 たとえば「私、こんな思いがしたんだけれども、これって科学的にどうかしら?」 という質問も、 「それは科学の守備範囲じゃないんですよ」 となってしまう。 科学者がこんなこと言っていいのかわからないのですけれども、 科学ってあまり万能じゃないと、僕は思います。


B:脳の研究をしていると、池谷さんが主観として感じている意識と、 科学的な視点との間で混乱してしまうことはありませんか? 「今、脳が脳のことを考えている」ということに気づくと、 ぐるぐる思考が回ってしまうような気がするのですけれども。 人間以外の動物、 たとえば猿が、「人とは何ぞや」とか、 「俺は何のために生きているのか」とか、 「自分の存在意義とは何か」とか、考えていると思いますか? たぶん僕は考えていないと思うんですよ。 それにはふたつの根拠があるんです。 ひとつは言葉が無いからですね。 言葉が無いと思考の能力は衰えて、 抽象思考ができなくなってしまうので、 人間以外の動物は抽象的な思考ができていない、 というのがひとつです。 もうひとつは、やっぱり頭頂葉の右側ですね。 他の動物は、 自己モニター、他人のモニターのシステムが 人間ほど発達していないんです。 人間はすごく発達しているので内省ができる。 「自分ってなんだろう」と自分を他人から眺めることができる。 逆にそれは、人間の変な性癖を生んでしまうというか、 他人として自分をモニターできてしまうので、 そういう思考ループに走っちゃうんですね。 それはけっこう悪い風習なんです。 はっきり言って、 どうでもいいことなんです。 だって、猿はそんなことなくても平然と生きているわけですから。


B:人間の脳が、自己をモニターできる能力や、 曖昧性の能力を高めていったのは、 どうしてだと思われますか? たまたまだと思います。 進化って準備しないんですよね。 脳がこんなに大きくなっちゃったのも、 本当にたまたま遺伝子の変異が起こっただけの話だと思います。 ただ、もう人間には、 自然淘汰のシステムが働いていないですよね。 遺伝子は、基本的にはランダムに決まるものですから、 優劣さまざまな子孫が生まれるわけです。 ところが今、人間は、生きていくには弱い個体も保護します。 私は近視です。 当たり前ですけれど、 もし私が野生動物だったら、 近視では獲物を捕まえられませんから、 私は死ぬべきなんです。 でも、幸い人間社会に生まれたから、 私みたいな劣等個体でも生きていけるんですね。 運が良ければ子孫さえ残せる。 そうである以上、 今まで野生動物が行ってきた進化というか、 淘汰による変化というものを、 もう人間は遂げないんじゃないかなと私は思っています。 そのかわり、不妊が増えたりということはあるようですが。


B:コンピュータの発明によって、 人間の頭の使い方がだいぶ変わってくる可能性があるのではないかと思います。 その通りだと思います。 コンピュータは人間を補助する役目をしています。 ところが、人間のヘルパーであったはずのコンピュータが、 自分の脳よりもはるかにすごい記憶能力を持っているし、 計算能力は何億倍もある。 チェスなんかやったら、人間は勝てないわけですよ。 そういうことに対して、 なんだか人間がいわれの無い劣等感を感じているように僕には思えるんです。 たとえば記憶力コンテストみたいに、 円周率を十万桁覚えるとかって、 脳の本質に反していると思いませんか? それは下等な脳がやることで、 お前モズに戻りたいのかと(笑)。 そういうのはコンピュータがやればいいんですよ。 これからの最も賢い脳の使い方は、 曖昧性とゆらぎを最大限に発揮することでしょうね。 記憶や計算の正確性はコンピュータに任せて、 曖昧な記憶を使った、本当に人間らしい脳の使い方が、 ようやくできるようになった。そういう時代に突入して、 幸せなんだとあらためて思い直してもらいたい。 僕は「コンピュータと人間のつき合い方」を考え直して、 社会の構造自体を変えていってもいいんじゃないかと思っています。


B:ありがとうございました。



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