感受性とのつきあい方

- interview with よしもとばなな -

空気の気配、匂い、光、音、ことば。
感受性は、人間を取り巻くあらゆる情報を受信して、
私たちの気持ちや記憶に作用する。
人生や世界を美しくし、時に、生きにくさを生じさせる、
感受性の強さと、どうつきあっていけばよいのか。
今回は、独自の感性で世界中の読者から共感を集める、
作家、よしもとばななさんにお話をうかがった。

 

よしもと ばなな


1964年、東京都生まれ。
日本大学芸術学部文藝学科卒業。 
1987年、小説『キッチン』で第6回海燕新人文学賞受賞。
1988年、『キッチン』で泉鏡花文学賞、
『うたかた/サンクチュアリ』で第39回芸術選奨文部大臣新人賞受賞。
1989年、『TUGUMI』で第2回山本周五郎賞受賞。
1993年、イタリアのスカンノ賞受賞。
1995年、『アムリタ』で第5回紫式部賞受賞。
1996年、イタリアのフェンディッシメ文学賞『Under35』受賞。
1999年、イタリアのマスケラダルジェント賞文学部門受賞。
2000年、『不倫と南米』で第10回ドゥマゴ文学賞受賞。
『キッチン』をはじめ、諸作品は海外30数カ国で翻訳、出版されている。

公式サイト
http://www.yoshimotobanana.com/index.html






B:よしもとさんの作品には、 読者が心の中に持っている感覚や記憶にシンクロし、 それを増幅した上で再体験させてくれるような力があるような気がします。 そのような作用について、 ご自身はどのように受け止めていますか? 自分ではあまり意識したことはないですね。 ただ、外国でも読まれていることを考えると、 ある種の繊細な人の感覚というのは共通なんだなということは気づきます。 感受性が強くて、ちょっと自分の中のことをうまく消化しきれない人というのはどこの国にもいて、 その人たちが私の小説を読むことによって、 何かが一回転して違う感じに出てくる、 書いている時には、そういうふうになってくれるといいな、と思っています。


B:よしもとさんの作品を読んで、 「これは、自分のことだ!」と感じる読者も 多いのではないかという気がします。 それは、やっぱり、ある程度、 感受性が共通してないとむずかしいんじゃないかな。 私の本を読んでも、全然自分のことじゃないって思う人も、 もちろんいますから。 本というのは、やっぱり慰安というか、 そういうものだと思うんです。 自分の思っていることが書いてあるからこそ、 人間は本を読むのであって、 自分以外のところでその感覚に出会うと、 やっぱり心が慰められると思う。 共通するものを土台に持っていた場合、 私の作品を読んで自分のことのように思うんだと思いますね。 一人称の小説の強みですよね。 内面の言葉が多いから、 入っていきやすいというか。 私が書くことにぴたっとはまる人もいるだろうし、 そこまで感受性が鋭くなくても、 たとえば晴れていると気持ちがいいとか、 じめじめしているとちょっと嫌だとか、 人類に共通している感覚がありますよね。 気圧が下がってくるとそれをからだが感じたり、 雪が降っている時に家の中にいると静かな感じがする、とか。 そういう感覚というのは、どんな人にも通じるものだから、 その人の持っている状況と、 気候と生理的な変化の組み合わせのようなものにはすごく興味があるし、 これからもずっと書いていきたいです。


B:世界中にたくさんの読者がいらっしゃいますが、 国境や文化を超えた、 同時代的な共通感覚のようなものを感じますか? 世代的なものというよりは、年齢が大きいと思うんです。 たとえば、16歳ぐらいから30歳ぐらいまでは、 もっとも感受性に振り回されやすいし、 いろいろな為す術を知らない時期です。 とりあえず生活も送れるし、 特に病気ではないし、 まわりの人からうとまれているわけでもないんだけれど、 自分の中に、なにかちょっと人と溶け合わないところがあると感じている人たちには、 ある種の独特の感覚があると思うんです。 世界中のどこに行っても、 私の本が、そういう人たちからものすごく親近感を持たれる内容だというのはなんとなくわかるんですね。 ある程度、感受性が強くて、読書のプロじゃない人たちにとって、 私の本は、入りやすい、読みやすいものなのだと思います。


B:『チエちゃんと私』は、 久しぶりによしもとさんと同年代の女性が主人公でしたが、 これまではずっと若い年齢の主人公を書かれていましたね。 いつもだいたい10年ぐらいたってから、 その年齢のことがわかるような気がするんです。 『チエちゃんと私』は若いと同居が終わるのが前提になっちゃうので、 どうしてもこのぐらいの年齢じゃないとだめだというところがあって、 ちょっと苦しかったです。 一人称で書くから誤解されやすいんですけれど、 小説の主人公というのは、私にとって常に他人なんですね。 違う職業だったり、自分はしない行動をとったり、 考え方も全部違う人なんです。 もちろん、どこかに自分と共通の感覚は何か持ってるんですけれど。 それで、どうやって作品を作るかというと、 まず頭の中で、その人に綿密なインタビューをするんです。 すごく細かく質問して、 その人になりきるという感じです。


B:インタビューというのは…。 まあ、チャネリングのようなものですね、きっと(笑)。


B:最近、「スピリチュアル」という言葉がブームになっていますが、 よしもとさんにとって、 スピリチュアルなものというのは、 どんなポジションにあるのでしょうか? 「骨の髄まで」というか、 3歳ぐらいから基本的にそういうラインの中で生きているから、 今頃言われても…という感じです(笑)。 『アムリタ』を書いた時には、もう、みんなにすごい文句を言われました。 オカルトすぎるとか、ニューエイジすぎるとか。 それが今では、もっとすごいのいっぱい出てきたじゃん、 もうみんないいかげんにしなよって感じです(笑)。


B:「スピリチュアル」という言葉から受けるイメージはどんなものですか? 一般的には、ちょっと前にニューエイジと言っていたことをスピリチュアルと言っていますよね。 でも、私はそういう風にはとらえてなくて、 もうちょっとヒッピー的なものかな。 70年代に自分が欲しいと思っていた考え方だけど、 その時には日本に無かったとか、 あってもおおやけにはなりにくかったものとか、 肉体と精神の関係とか。 ようするに、人生というものを型どおりにはとらえられないけれども、 自分はどうして生きていったらいいかわからない人たちの考え方というか、 そういうイメージがあります。 こういうことに興味があるコアな人は、 どの時代にも一定の比率でいると思います。 今は、一般に染み出してきたおかげで、 みんなに通じないよりは、 通じた方が楽かなと思います。


B:スピリチュアルな本を読む時の判断基準のようなものはありますか? 資料として必要な本の場合もありますけど、 基本的には、文体から受ける感じで選びます。 厚みというか、深みというか。 私は、カスタネダが本当に基本の中にあるんです。 あと、日本人では野口晴哉先生が一番好きです。 だから、似て非なるものは、 もういいやと思って読みません。 書いている人の経験が活かされていると感じない場合や、 ノウハウ本みたいのは、あんまり興味がないです。 そう言いながらも、 『ガラクタ捨てれば自分が見える』を読んだ後は、 ものすごい掃除とかしましたけどね(笑)。


B:スピリチュアルなワークやセッションに行かれたことも、 率直に書かれています。 ああいうのはけっこう費用が高いから、 ちゃんとした情報を書かないと。 100万円払ってこれはないだろう、 みたいなことってよくあるので、 そういう憤った時のことは、 よく書いてしまいますね。 よかった時も、 もちろん書きますけれど。 本を読んだ時には、 理にかなったことだと思ったんだけど、 行ってみたらやっぱり違った、 ということもあります。 あるヒーリングのセミナーに行ったら、 やっている人がみんな具合悪そうなんですよ。 舞台に立っている人たちがみんな土気色で、 これはおかしい、こんな風になりたくない、と思いました。 だって、ヒーリングを習いに行くのに、 その人たちが死にそうだったら、もう…(笑)。 それは、デパートの化粧品売り場の人の顔がぶつぶつで目の下クマだったら、 そこの化粧品を買わないのとまったく同じ判断基準ですよね。


B:よしもとさんがこういうものに参加したことを公表すると、 いろいろな思惑の人たちがわっと集まってきてしまいそうな気がするのですが…。 そういうのは、もう、全然気にしないことにしています。 「一緒に地震を止めましょう」なんて言われたりするんだけど、 「作家なんで、できません」とお断りします(笑)。


B:よしもとさんご自身にとってのスピリチュアルな存在との関わりは、 どのようなものですか? 私は、普通に信仰があります。 大神神社に行くと、 「好かれている」という感じがするのはわかるんですね。 誰から、どこから、いつから始まったのかわからないんだけど、 私の本名は真秀子(まほこ)と言って、 親が「大和は国のまほろば」から取ったんです。 母が国文学をやっていたので、 小さい頃から奈良などにもよく連れていかれました。 それで、なぜか記憶に残っているのが、 三歳ぐらいの時に、神社の参道で蛇みたいのを売っていて、 それを買ってもらってものすごく大事に持っていたことです。 あれはいったいどこだったんだろうと、 ずっと思っていたんですけれど、 大きくなってから大神神社に行った時、 「ここだ、ここだ」と思いました。 きっと、なにか縁があるんだなと。 あと、時々、夢に金髪の美しーい人が出てくるんです。 自分の上にいるのはあの人か、 と勝手に思っている程度ですけれど。 たまに幽体離脱とかすると会えたりします。


B:よしもとさんの考え方や体験に対する表現には、 一般の人にとって、 とても学びやすいヒントがあるような気がします。 日記やエッセイでかなり率直に書かれていて、 とてもオープンな感じを受けますが、 このような形をとられることに何か趣旨はありますか? はい、あります。 まず、最初に言っておくと、 自分では1日の内の、 ほんの一部を書いている感じなんです。 実際にやっていることの3分の1以下ですね。 こういう形をとっているのは、 子どもが大きくなった時に、 親がいつも家にいなかったとか、 仕事が忙しかったという印象以外のものも持ってもらいたくて、 ある意味、記録というか、 そういう趣旨があります。 それと、一時期、あまり表に出ないようにしていたら、 誤解ばかりがすごく走ってしまったんです。 あそこで見かけただとか、何をしてただとか、 勝手な解釈というのかな、それがすごく多くなってしまった。 雑誌にとんでもないことを書かれたり、 ファンのサイトなんか見てても、 もちろんいいサイトもありますけど、 ぞっとしちゃうことがあって。 それで、これなら自分の思っていることを自分で言う方が、 まだましだなと思ったんです。 自分の発言の場があれば、 いくらでも本当のことを知ってもらえるので。


B:中には、よしもとさんを個人的に知っているような気になって、 ちょっと違う方向に反応してしまう人もいるのではないかなと思いました。 慣れましたね、さすがに。 とんでもない人っていっぱいいるから。 ほとんどの読者はそんなことはないと思いますよ。 ただ、どうしても会う人たちが一般の人じゃないことが多いから、 なんかちょっとうらやましいと思われるというか、 そういうのは、逆効果だったかなと感じるところもあります。 でも、おもしろい人のおもしろい言動を記録するのは意義がありますからね。


B:たくさんの人が作品を読まれているので、 「想い」のエネルギーがよしもとさんに集まって、 たいへんなこともあるのではないかと想像します。 新刊が出て二日間ぐらいは、 なんかぎゅっと押されている感じがします。 なんとなく空気で、 「あ、今日は満月だ」とわかるのと同じ感じで、 たとえば発売日の2日ぐらい前なのに、 「あ、もう、本が出てる」ってわかります。 人の念というのは、 すごいなと思ってます。


B:若い時に有名になられて、 これまでずっと継続してやってきたというのは、 ものすごくたいへんなことだと思います。 それが可能だったのは、 よしもとさんが、体当たりですべてを出すというか、 絶対に嘘を吐かないようにやってこられたからかなと思いました。 嘘というのは、 書いたらすぐわかっちゃいますからね。 読者を甘くみるというか、 バカにするようなことはしたくないと思ってきました。 作家になった初めの頃は、私の本を本当には必要としない人たち、 たぶん読んでもまったく慰安されない人たちが読者に多かった気がして、 その頃の方が今よりきつかったです。 デビューして本が売れた後は、 お金の話ばかりしてくる人が本当に多かったんです。 そして、信じられないような、 暴力としか思えないひどいことも言われて。 日本人特有の、嫉妬というか、 ダメージを与えたいみたいな感情なんですかね。 その過程で、大人の人たちに「ふざけるのはいいかげんに止めなさい」とか、 「もっと真剣に考えなさい」とか、 ものすごく言われたんですけど、 いや、それは違うだろう、と思っていました。 私は、根っからおもしろいことしか好きじゃないんだから。


B:お金に対しては、 どのように考えていらっしゃるのでしょうか? いろいろな問題を含んでいるし、 お金は必要なものだから一概に言えないけど、 お金を神様だと思っていると、 何にもおもしろいことなくなっちゃうよ、 それはあまりにも狭すぎる、と思ってます。 お金のある人、ない人と思うのもおかしいし、 それぞれの家庭環境が違うように、 お金の環境も違うのであって、 人と自分は関係ないわけじゃないですか。 今、マンションの物件なんかを見ていると、 有名な高級マンションブランドのミニチュア版とか廉価版みたいなものばかりで、 結局みんなそういうものを欲しがっているんだな、と感じます。 日本の多様性の無さを感じるんですね。 他の国だと、格差はあっても、 その中でそれぞれが楽しむことを知っているような気がするんです。 高層ビルの隣にバラックがあって、 屋台で楽しそうに食べている人たちがいる。 日本だと、新大久保の夕方の方が、 なぜか、世田谷区の路上よりも安全に感じます。 世田谷の誰もいない真昼を歩いていて、 ここにおかしい人がいたら死ぬなと思う率の方が、 本当はもっとすごいことが起きているはずの新大久保より高いと感じるんですよね。 私は下町に育ったので、ぼろぼろの長屋に住んでいる人から、 高台に住んでいるお坊ちゃま、お嬢様まで、本 当に多様な人が学校にいたので、 すごく自然だったんです。 子どもに対しても、 お金の話よりは、ものを大事に使うとか、 そういう方向から行けばいいのかなと思います。 今時の子どもだから、「また買えばいいじゃん」とか言うんですよね。 君の育ちだとそうだろうな、と。 昔の人だと卒倒しちゃうようなことを平気で言うから、 そういうことは有無を言わさないで教えていくようにしています。 人にごちそうできるのは楽しいし、 それが自分にもまた帰ってきて、 次の小説にもつなげられるし、 そういう健全さというのは、 失いたくないと思います。 好きな人たちと会ったり、 おいしいものを食べたりすることが、 人生の大きな喜びのひとつです。 それは100倍になって帰ってきますから。


B:今の日本について思うのは、どんなことでしょうか。 日本の人は、 もっと本当に楽しいと思うことをいっぱいした方がいいんじゃないですか。 そういうことを削りすぎていると思うんです。 本当に楽しいと思うことをすれば、 案外、人の決めた楽しさというのが、 気にならなくなるから。 マッサージなどを受けても、 日本の人だと、真面目すぎて疲れちゃうことがよくあります。 「そちらにまず横になられてから、 タオルを一枚かけて、靴下を一枚だけ脱いでください」なんて…(笑)。 外国だともっと気楽に受けられるんです。 ツボから微妙に3ミリずれているところを押すような、 やばい感じは日本人だけですね。 勉強したんだろうけど、 そこじゃないんだ、みたいな。 やっぱり、肉体をおろそかにしているんじゃないかな。 日本は、均質じゃない人に対しての意識が、 すごく強いでしょう。 その人の生活とか人生の型に関係ないものは、 気にしなくていいと思うんです。 自分の職業と、生活時間帯と、 たとえば子どもがいる、いないとか、 何を食べる、食べないとかっていうのは、 自分だけの問題だから、 自分に合わせて選べばいいわけで、 そこらへん、みんな壊れているなと感じることはあります。 結局、私は外れ者なんだな、と思います。 経済を回している人たちの方が、 大きな社会に接しているという意味ではまともだと思うので、 そういう人たちと自分は違って、 すごく狭い感覚の中で生きている。 だから、自分の考えを押しつける気持ちはないんですけど、 感受性の強い人たちがこの社会で生きていくのは、 本当にたいへんだろうなと思います。 もしも、つぶれそうになったら、 私の本を読んで、ちょっとほっとしてくれるなら嬉しいです。


B:よしもとさんは、 これからの未来がどんな風になったらよいと思いますか? 自然へ戻る方向に行かなくていいんじゃないかな、 ということを、意外に私ははっきりと思っています。 人間が地球を存続させるためにテクノロジーを発展させる、 そこにしか方向性がないんじゃないかな。 みんなが大地に帰ったり、 畑を耕したりはしないだろうという予測があります。 ハッカーみたいな人たちが初めに出てきた時の考え方って、 基本的にはヒッピーと同じですよね。 要するに、「地球はひとつだ」的なことなんですけど、 それに行動がともなっているでしょ。 リーナスさんのような人たちが、 多少腰がふらつきながらも、 たとえば「リナックスはみんなで書き上げたものだから、 自分のものじゃない」と言い張っているのは、すばらしいです。 いろいろな失敗ももちろんあるんだろうけれど、 お金がすべてじゃない、 というところが、すごくいいなと思っています。 ピーター・ゲイブリエルも、 「witness」(ビデオドキュメンタリー作家を育成して、 世界各地の人権侵害の状況を映像で公表するサイト) というプロジェクトを始めましたけど、 そういうことがもっとすごくうまくいくといいなと思います。


B:強大な力でコントロールしようするものがあっても、 どこかで別の動きが生まれて表に出てくるという状況は、 インターネットがあるからこそですね。 自分のブログに関しても、 そういう風に思っていて、 みんなが勝手に推測していた時よりも、 こちらにパワーがあるんですよね。 自分が思っている範囲での正しい情報を、 無料でみんなに知らせることができる。 こういうことが、もっともっと発展したらどうなるかを見ていきたいし、 自然は減るかもしれないけど、 テクノロジーで自給自足にかなり近いような菜園を作ったりできればいいな、 と思っています。


B:ご自身の未来についてはいかがですか? 個人的には、自分が思ってもみなかった反応をするのを自分で見たいです。 自分の体験を通した発見をしていきたいですね。 子どもが産まれる前は、 動物が6匹もいて、子どもなんてありえないと思っていたのに、 だから自分では子どもがいない人生設計をたてていたぐらいなのに、 今、全部、すがすがしいぐらいに壊れちゃって、 そういう変化がおもしろいです。 書くものもそうだし、 何かが壊れるところも見たいし、 もっと強くなりたいし、 自分がどこまで変わっていくのか見ていきたい。 そういう前向きの気持ちはいつも持っていたいです。


B:本日は、お忙しい中、本当にありがとうございました。 これからも、作品を楽しみにしています。



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