「美」をもって「善」を為す

- interview with 川崎和男 -

時に、人には説明することができないほどの不思議な美がある。
それらの前では、どんな論理や責め苦もどこかへ消えてしまい、
多くの人がためらうことなく受容するように思われる。
不自由さを飛び越えてしまう美しさは、
世界を変える一番合理的なものと言えるのかもしれない。
美しさを創り出すデザイナーが眺める世界とは、
どのようなものだろうか。
今回は、デザインを通して世界と関わり、
デザインで未来をつくる川崎和男氏にお話を伺った。

 

川崎和男(かわさき かずお)


1949年福井県生まれ。金沢美術工芸大学産業美術学科卒業。
東芝にて伝説のオーディオAurexの開発デザイン、商品プロデュースに従事。
28歳の時に交通被災により車椅子生活となる。その後、川崎和男デザイン室を主催。
1981年地元である福井に拠点を移す。
以降、ナイフ、液晶テレビ、眼鏡、人工心臓など幅広い製品のデザインと研究を進める。
国内外でのインダストリアル・デザイン、プロダクト・デザイン受賞歴多数。
ニューヨーク近代美術館(MOMA)での CARNA(車椅子)をはじめ、
海外の美術館での永久収蔵展示品を多く持つ。
2001年から03年まで、グッドデザイン賞審査委員長。
現在、大阪大学大学院工学系研究科教授のほか、
同大学コミニュケーションデザイン・センター、
未来医療センター、フロンティア研究センターの教授も兼務する。

公式サイト:
http://www.kazuokawasaki.jp/
PKD公式サイト:
http://www.design.frc.eng.osaka-u.ac.jp/PKD/
ブログartgene(アートジェーン):
http://artgene.blog.ocn.ne.jp/kawasaki/





B:数学はデザインと同じような美しさがあると表現をする人がいますが 川崎さんはどうお考えですか? まったく同感です。 以前いた名古屋大学の工学部で非常勤講師(今も)のときに、 「美しいものを指定せよ」という課題をだすと、 学生の約三分の一くらいは数式という答えを書いてきました。 僕らが中学・高校で教わってきた数学は実は間違っているんですよ。 自分がいた高校の場合、物理の先生が数学を教え、 数学の先生が物理を教えていたちょっと変わった学校でした。 高校生の頃、「昨日俺、エレキギターのギターマイクを使って こんな新しい発想をしたんだ」と試験の朝ある級友が言うわけですよ。 試験勉強してないので彼はテストの問題が解けない。 かわりにテスト用紙の裏側にその新しい発想を書いて提出。 テストが戻ってきた時に100点を取った生徒がいるってことになって、 えっ?て思ったら彼なんですよね。そういうこと許してくれる先生でした。 だからその先生は 「受験の数学はクイズにすぎない、本当の数学はそういうものじゃない」 と教えてくれました。 例えば、X(エックス)とは何か。 ∫(インテグラル)のマークの意味は何なのか。 π(パイ)、√(ルート)は何だ。 そういうことを先生が生活と結びつけて教えてくれました。 ものを見た瞬間に、コップはコップとして認識するのではなく、 数式で認識するとしたら何になるのか考えるというような訓練をされました。 コーヒーカップの数式は何なんだとか。 ものを見たときに、砂糖なら砂糖をS(エス)と決める。 で、S = (エスイコール)何なのか。 紙袋があるからP(ペーパー)があると、PはS砂糖に覆いかぶさっている。 P in に対して、( )カッコを付けて、中にS砂糖が入っているから 小さいs(エス)を入れて、P ( s ) と書いてあれば、 これはそれなりに数式で表せられるんですよ。 後は、そこから更に細かいところに入っていくだけの話なんで、 コンセプトそのものは、日本語でいろいろ言うよりはアルファベットと、 いわゆるギリシャ文字の組み合わせで表したほうが全世界共通に使えるわけですね。 数学者だけの世界にこういう考えが狭まれているのでは 本当はだめだと僕は思い続けてきました。 世の中の事を数式で書いて表現したレオンハルト・オイラーという 数学者がいるんですね。この人は400ぐらい式を残してますが、 僕がある日突然何かを書いていたら、 オイラーの数式だって気が付いたことがあったんです。 例の高校の先生にその事を話したら 「だって、こうしか解けないんだよ」という答えが帰ってきた。 先生もオイラーの数式が好きで、ほとんどそこで考えていました。 こういう事がわかって、オイラーの数式のようなものを 徹底的にデザインに仕込んだら、幅が広くなり変わるってずーっと思っていました。 黄金比というのがありますよね。1.618...と繋がるんですけれど、 あれ、単純な二次方程式なんですよ。 阪大で、二次方程式を書いて「これを解け」と課題を出すと、 学生は全員1.618…と答え「解けたか」と聞くと「解けました」と答える。 そこで「1.618…は、何なのか」と聞くと、いやわからないって悩みますよね。 で、その時に改めてピラミッドや竜安寺の石庭の写真を見せて、 この割合が全部1.618…だって説明すると、「えっ?」てなるわけです。 これが人類が美しいと認めた単位なんだと理解すると、 彼らの頭の中は数式とイメージからそこから構成されていくんですね。 美術系の大学だと、なんとなくこれが綺麗なんだという話があって、 出来る限り自分がそう発想していったものが1.618…に 近づいていけば良いということになるんですね。


B:川崎さんは、新しい世代のあらゆる国の学生とかかわっていらっしゃいますが、 どうお感じですか。 僕は授業以外に思想、教育といった余計な話をたくさんするんです。 「日華事変と大東亜戦争の違いを言ってみろ」とかね。 それはデザイン史の中で、そういう話が出てくるからです。 日本の学生はいろいろな情報を持っていて、 知っていることもたくさんあるように思いがちですが、 実は本当に知らないです。 僕はこういう性格だから極端すぎるというのもありますけど、 みんなとてもいい子ですよ。喧嘩はしないし、摩擦も避ける。 だから今の子たちは、与えて何か「これをやれ」って言ったらめちゃくちゃ勉強します。 僕の大学時代に比べたら10倍近く勉強しているでしょうね。 でもそれが役に立つかどうか僕は、すごく怪しく見ているんですよ。 まず基本的に今の日本の学生はなんかアジア全体の勢いに 負けているような気がします。 韓国の留学生や、インドの女性の留学生も来ていたこともありますが、 彼らにやはり日本の学生は精神的に負けていますね。 韓国の留学生は徴兵に行っていますから全然違います。 大学の講義に行くとみんな元気がないというか、どんどんいい子になっている。 大学の先生もあまり叱らない。だから、 「デザイナーになりたかったらもっと前の席に座れ」とか、 「後ろで聴いているのは何なんだ。本当に知りたかったら前の方へ座れ」と言うんです。 机に自分の荷物を置いて聴いている学生もいますが、そんなの怒鳴るんですよ、 「テーブルの上のもの全部下ろせ!」 「残すのはノートだけにしろ!」 「その態度はなんだ!失敬だろう!」 「俺は学外から来てるんだぞ!」とかね。 そうすると終わったあとにそこの先生が、「よく言ってくれました」と言うから…。 僕は学生に、学外からみえる先生には、「絶対礼節を欠くな」ということを言うんです。 残念ながらそういう所は、日本のどこの大学の学生でもほとんど変わりません。 そういう意味では、半分諦めているところもあります(笑)。


B:学生が負けているということは、日本全体でも同じようなことが起きているのでしょうか。 デザイン界は、どうみられていますか。 やっぱりデザインも日本の状況を考えると、完全に負けています。 一体何やってんだと思います。僕はグッドデザインの審査員を17年勤め、 最後の3年間は審査委員長をやって辞めました。 その時もひどい状況で負けていました。 日本人はものづくりがうまいはずなのに、つくれなくなってしまっている。 こういったことについてちゃんと発言をしていかないといけない。 こういうことは、自分の中ではものすごく溜まってきています。 今、日本のデザインに関して言うと、例えば日本の中に覇気がない。 海外で僕は「日本はロボットはこういうことにまでなっている」とか、 「地雷除去でこういったシステムを作っている」というと、 みんな「デザインってそういうものですよね!」というような話になり、 「日本って凄いですね」と言われます。 「でも、それをやってる人、僕だけだよな」とか思っています(笑)。 だから底を広げたいと思い、大学人にならざるを得なかったということもあります。


B:日本のデザインが負けるということは、そもそもの意識の違いということなのでしょうか。 デザインをやっている人は、ヒット作にしたいという思いは あると思いますが、これで企業の業績を得ようと思って デザインをしている人はまったくいないと僕は思います。 ところが、自分の自己表現をしていく上で企業を媒体に出来る限り、 いいものを出したいという気持ちはみんなあると思う。 ここは絶対に認めてあげないといけないんですね。 問題はちゃんと「デザインが読める経営者」と「読めない経営者」がいて、 読める経営者が非常に少なくなっているということです。 だからデザイナーの使い捨ての職能になってしまうのです。 よくデザイナー1人を管理するためには、普通のビジネスマンを 10人管理するような能力が必要だっていわれますけれど、 確かにそういう面はあるかもしれません。 デザイナーは、大胆さも必要ですが、 ある種の繊細さを持ち合わせていないといけない。 それにしても日本はデザイナーの数が多すぎます。 海外では国家資格のところもあり、 限られた人しかデザインの立場をもらえません。 僕は、デザイン界でもう37年になります。 なぜデザイナーはこういう扱いを受けているのだろうかと ずっと考えた時に、やっぱり絵描き屋さんとかアーティスト扱いでは、 技術やサイエンスとは、対等に戦ってはいけないことに気が付いたんです。 だから最近、「デザイン数理学」というものを作り大学で問題を出しています。 幸い僕は今、学位が医学なので、デザインを医学の中に取込んでいるのではなく、 デザインの中に医学を取込んでいるんだと教えています。 ドクターに何がやりたいのかという質問をなげかけ、絵を描いて答えを見せれば勝つ、 というようにやっていかないといけないんです。 正当にみるとデザインの世界には、サイエンスがあり、 その上になおかつ美術的な数式もあります。 そうするとデザインをおろそかには出来ないということになってくるのです。


B:川崎さんは最近PKD(Peace-Keeping Design)ピース・キーピング・デザインという活動を立ち上げたそうですが、 詳しく教えていただけますか。  国連のPKF(世界平和維持軍)について随分考えていた時期があったのですが、 いくらやっても軍事活動では、どうしようもない部分があると思ったんですね。 それで、PKDということを思いつきました。 デザインの力をもって美しいものを見たりする事により、 みんながもっと平和に近づいていけるんじゃないかと。 それでまず、「低開発国向け子供用ワクチン」をきちんとしたいと思いました。 ワクチンのことを調べていくと、これがひどい状況なのです。 日本からワクチンを送っても、 ワクチンそのものは適切に運搬管理されないと腐ってしまいます。 腐っているから捨てる。そうすると注射器のシリンジが残る。 それで注射器の中身を出して、麻薬を詰める。 これでは、だめだと思いデザインで注射器の形を変え、 二度と使えないようにする管理システムのデザイン、パッケージ、 輸送方法のデザインを全部考えました。 空から物資を落とした場合6個積みで落とすとか、 保存方法などを含め一連のトータルデザインを PKDというコンセプトの元つくりました。 ただ、それを実現となると、どうしても企業の力を借りないといけません。 それで僕は、企業を試してやろうと思っているんですね。 本当にそれをOKしてくれるのかどうかパッケージを見せて、 「ここのところに実は企業名が入ります。」と説明する。 で実際はその企業名のところに協力してくれなかった企業名を入れて発表する(笑)。 冗談ですが。 日本は本気で周りのことを考えているのかと思うことがあります。 だれかがやらないといけないし、そこを通過していくために、 とてつもなく大きな壁があるんですね。


B:美とか、数学もそうですが、突き詰めていっても解けない、 わからないということを川崎さんは、どうとらえていらっしゃいますか。 今、解けない、わからない数学の難問は4つぐらいしか残っていません。 それから考えると「美しさ」というものは、 まだわからないところがたくさんあります。 これをわかり易く説明する1つの例として、 「義」と「善」の世界があると僕は思います。 人間が正義である、これをよしとする、こういう腹を決める、 といったことが「義」であり「義」という漢字の上の部分は 羊(ヒツジ)を表します。 羊の首を落とし、その落ちた羊の首を祭壇にのせた象形文字が「善」なんですね。 「美」・「義」・「善」・「美」無きものには「義」はありえず、 「義」あるものには「美」をもって「善」を為す。 「わからない」といえば、死の世界もそうですね。 わからないからこそ、それが不安感になったり、それがやる気にもなる。 明日、死がくるかもしれないから、今日一生懸命生きる。 そういう人は積極的に人生を生きますよね。 岡倉天心が、「美あるものに囲まれて生きれば、美しい死をむかえることができる」 と言っています。美をちゃんと理解していけば、 そういうところに行きつくのでしょう。 女性はよく、「きれいになる」と言う言葉を使います。 「きれい」は、形容動詞なんです。 形容動詞は、形容詞を使うためのものなので、 「美しさ」とか「可愛さ」は形容詞です。 「きれいになる」ということに対してみんな一生懸命に努力をするんですね。 街をきれいにするということも、美しい街にするために、 形容動詞としての動作をやらないことには美しくならないわけですよね。 これは美しいと判断ができる人間になれば身の回りもきれいになるだろうし、 生き方もきれいになる、ということだと思います。


B:タイムマシンをつくられているとうかがいましたがそれは、 どういう発想から生まれたものなのでしょうか。 僕が阪大の特任教授の時、ある助手が 「先生、位相空間のトポロジー、位相空間論、の漢字の「位(い)」取りませんか?」 と提案してきた。「位」がついている限り三次元から逃れられないが、 相空間論(そうくうかんろん)にすると四次元までいけるというのが彼の考えでした。 4D CADを見ると時間軸が使えることがわかり、 例えば2秒、2週間、2ヶ月、20年、かかることを一気に見る事ができる。 ワイヤーフレームで作られている立方体の中に焦点が上に4つ、下に4つ計8つある。 上の方はメインの4つの要素にして、下の方をサブの4つの要素にする。 そうすると「設計プランとしての遺伝子」という考え方が可能になってくる。 そして真ん中に入っている両辺は一挙に20年かかるということがわかる。 設計プランとしての遺伝子のデザインに使える、とその時思いました。 それで4D-CADを始めたんです。 本当に四次元から五次元に、六次元、七次元にあるのかということですが、 ホーキング博士は十一次元まであるとのことですが、 実際はわからないというような話の中でタイムマシンという話が出てきたんです。 多分タイムマシンというのは、一度、四次元の世界から出て、 もう1回入り直すということが出来れば五次元の世界に入れると思うんですよ。 実は、東大にドイツ生まれトルコ共和国国籍で11カ国語を話す アニリール・セルカンさんという人がいるんです。 彼は、この分野にとても詳しく月に1回くらい会ってお話ししています。 トルコ始まって以来の宇宙飛行士で、ジャンボジェットも操縦出来る面白い人です。 彼がタイムマシンという考え方がある事とか、 宇宙に行くのにロケットを飛ばす必要がなく、 宇宙までエレベーターを作ればいいんだという話をしてくれました。 そのような中で、僕がデザインしているモニターは、 一度も数式で考えたことがなかったので、 三次元の世界に時間軸である映画やDVDを置いて考えてみたんです。 でもそれをそのまま見るわけにはいかないから 二次元の世界で見るにはどうすれば良いのかを考え、 三次元の世界をそこから外していかないといけないということに気が付きました。 そこで、三次元の世界を外すためにはどういう計算方法があるのか、 ずっと計算している時期がありました。 今、五次元を研究しているリサ・ランドールさんの考え方が 正しいのかどうかというのを、デザイナーとして取り組んでみようと思っています。 そういった話が出来る相手がセルカンさんぐらいなんですよ。 阪大ではじめて黄金比を教える際、 「この二次方程式を解ける人は手をあげろ」と言ったら全員の手が上がりました。 みんな解ける事がわかったので、数式で説明をすると 彼らにわかりやすいということがわかりました。 例えば、今の学生はプレゼンテーションで研究を説明する際、 ほとんどの人間が数式を使います。 「こうゆう要素で、こうやったら、商品は必ず売れます」 といった方程式を作ってくる。 そんなのがあったら世の中だれも苦労しないと僕はすぐ思ってしまう。 物事はもっと複雑でその難問が解けたらすべて解決するだろうということですよ。 でもそんなふうにして彼らはサイエンスを考えてくる。 『ビューティフル・マインド』という映画の中で、 鳩を見ながら、鳩が動くのを一生懸命数式で書いていました。 そういう考え方はやはり正しい見方です。 今後のデザイン界は、いかに美術学校の時代に終わりを遂げられるか ということを考えないといけない。 アートの流れから美術学校があって、デザインという流れがあるんですね。 もう一方で、テクノロジーがありテクノロジーからデザインがあり、 真ん中にサイエンスがある。僕はデザインがその上に立つんだと言いたいのです。 サイエンスの世界がわかり、アートがわかり、そしてテクノロジーがわかる。 この流れの中で、ものづくりとしてはエンジニアリングをどうしていくのか、 デザインが今トップにあるということをとにかく認識して欲しい。 今の自分の研究室にいる学生たちには、 「俺にはもう時間がないが皆には時間がある。だから皆がこの考え方でつくればいい」 と教えています。 それこそが、タイムマシンを作ろうという考え方にもつながるんです。


B:ありがとうございました。



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