見えないものと見えるもの
-障害学の立地から、「共生」を模索する-

- interview with 石川 准 -

社会学者にしてプログラマ。
2つの顔を持つ石川准さんは、「障害学」という場所から
人と人との新しい関係性、新しい価値観の発見をめざしている。
私たちが常にとらわれている「アイデンティティ」や、
次第に大きなテーマになりつつある「感情労働」の問題、
そして障害者支援ツールの開発など、そのフィールドは実に幅広い。
16歳で全盲となった社会学者が、いま、私たちの社会で
「見えないもの」と「見えるもの」について語る。

 

石川 准  Jun Ishikawa


1956年富山県生まれ。
16歳の時、網膜剥離により失明、全盲に。
全盲の受験者として史上初めて、東大に合格した高校生として一時有名になる。
東京大学文学部社会学科卒業。
同大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。
現在は静岡県立大学国際関係学部教授。
2003年設立の障害学会では、初代会長を務めた。
社会学における専門分野は、アインデンティティ・ポリティクス論、感情社会学、障害学。
プログラマとして、自動点字ソフト、スクリーンリーダー、エディタなどのソフトウェア開発を手がける。
主な著者に『アインデンティティ・ゲーム』『人はなぜ認められたいのか』
『障害学への招待』(編著)『見えないものと見えるもの』など。

公式サイト:
http://fuji.u-shizuoka-ken.ac.jp/~ishikawa/







B:石川さんの著書では、感情社会学という学問について述べられています。 学問のジャンルとしては、どのくらいの歴史を持つものなのでしょうか? 感情社会学は、70年代後半に生まれたもので、最初にこの学問をメジャーなものにしたのは、 アーリー・ホックシールドという人です。近年、次第にこの分野を研究する人が増えてきました。 対人サービスであるとか、さまざまなケアの仕事だとか、世の中の仕事全体の中で、 人と係わりながらサービスする職種が増えてきたことと平行しています。 感情社会学のキーワードは「感情労働」ですね。 「感情労働」とは、強い言い方をすれば、「感情を売る」仕事です。 対人サービスにおいて、単に自分の持っている技能をサービスするだけでなく、 「あなたにサービスすることが喜びである」という印象を与えなければいけないのです。 それは必ずしも本音ではなく演出されたものでいいわけで、 サービスを受ける側もそのことを承知していますが、天然自然のそっけない振る舞いより、 演出された優しさ、感じの良さをとるわけです。 フライトアテンダントや看護師などは、典型的な感情労働者ですね。 いま、労働というものを考える時に、「肉体を酷使する労働」「頭脳を酷使する労働」から、 次第に「気持ちを酷使する労働」にウェイトが変化している。 感情社会学はそう考えるわけです。


B:自身が感情社会学に関心を持たれた経緯は? 私はもともと、「存在証明」や「アイデンティティ」をテーマに研究してきました。 人は自分自身の価値を証明することに躍起にならざるを得ない、 なぜなら社会の側がそれを要請するから、といったようなことです。 その中で「感情労働」というのは、簡単に説明すると 「私は常に適切な感受性を持っており、適切な感情を表出することができる人間である」 ということを証明し続けているようなものなんですね。 ですからこれは私のフィールドなんです。と、いうのが一通りの説明ですが(笑)、別の理由付けもできます。


B:別のほうもお願いします(笑) 私は全盲なので、扱うことのできる社会学の分野には、ある傾向があります。 制度やシステム、政策など、かなり広範なデータを持っていないと仕事にならない分野より、 自分自身をフィールドもしくはデータとして扱えるもののほうがやりやすいんです。 微視的というか、微分的に掘り下げていくというか。 人が普段、体験しているのに言葉にしていないことや、アイデンティティのこととか、存在証明とか。 まあ、「繊細系」なわけです(笑)。


B:著作の中でも、『見えないものと見えるもの』はとりわけユニークで刺激的な本だと思います。 この本の中には、「見えないものと見えるもの」という項目も章もないのですが、 なぜこのようなタイトルになったのでしょう? 明確には言えないんですが、私たちが普段見ているもの、 見えているものも角度や距離を変えてみると違うものが見えてくる。 あるいは実は見えていないものがある。 逆に可能性としては見えてもおかしくないのに、現状ではあまり見えていないものがある。 そんな思いが込められていると思います。 フランスの哲学者、現象学者のメルロ=ポンティに 『見えるものと見えないもの』という著作がありますが、 私の本もよく『見えるものと見えないもの』と、間違って紹介されます。


B:「見えないもの」が先に来ているのは意図的にですよね? そうです。人は普通、先入観としてポジティブなものを先にします。 善悪。白黒。高低とか。 そこでぼくは、一般的にネガティブと考えられているほうを先にしました。 これはまあ……、趣味ですかね(笑)。


B:この本の中で、ちょっと驚いたことがあります。 例えばピューリッツァー賞を受賞したケビン・カーターの写真「ハゲワシと少女」とか、 スピルバーグの映画『A.I』とか、ビジュアルなものを題材に書いてらっしゃる部分が少なからずあります。 他にも、中国の纏足や、チャップリンの『街の灯』についても書いていますね。 私は普段、自分としては勝手に映像を構築して生活しているんです。 歩いている時はその街並みをなんとなくイメージするし、 例えばこうしてインタビューを受けている状況もそう。 あのへんとあのへんに人が座っている、インタビュアーの声から、 だいたい顔立ちはこんなじゃないか、と、非常に漠然とではありますが、イメージしています。 もともと子供の頃から音楽よりも絵が好きでしたし、いまもスポーツ中継は大好きです。 それに16歳までは弱視とはいえ見えていましたから、 『街の灯』なんかはかすかな記憶が残っています。 ですから映像に関するテーマを語るのは私にとって自然なことで、萎縮することもないし、 またあえてビジュアルなものを無理に語るようなこともありません。


B:スポーツ中継と言われましたが、どんなスポーツですか? NBAやアメリカン・フットボール。ガツガツぶつかりあうものですね。 戦略とスピード感、この2つの要素があるものが特に好きです。 あと、状況で楽しめるものがいい。 野球なら、「9回ツーアウト満塁」という状況でワクワクできますし、 アメリカン・フットボールならゴールまであと何ヤードとかね。 サッカーやラグビーはわかりにくいかな。 一瞬の視覚で出来事を捉えないと面白くないスポーツは、あまり楽しめません。


B:社会学者であり、同時にソフトウェアの開発者でもある石川さんは、 やはり一日の大半をパソコンの前で過ごすということになるのでしょうか? ずっとそうだったのですが、今年は読書の年にしようと思って、 実は1月からずっと読書に入れ込んでいるんです。 学生時代以来、ほぼ30年ぶりの読書熱ですね。 いま、読書がマイブームなんです(笑)。


B:なぜそんなに「読書熱」が? いろいろ理由は複合的だと思います。 まずは、「面白い!」となったら、しばらくは集中してしまうという自分の性癖があります。 あとは、そうですね……やっぱり環境の変化や技術の進化は大きいと思います。 いままで私は、視覚に障害を持つ人間として、 できるだけ多くの情報に自由にアクセスできるようになりたいという欲求を抱いてきました。 そのために、コンピュータのさまざまなソフトを開発したり、 紙の本を音声や点字情報に変換する装置を作ったりしてきたわけです。 ところがいざ開発を始めたら、道具づくりがあまりに面白くて、 そちらにばかりのめりこんでしまって、その道具を使って読めるものを読んでなかった(笑)。 これはもったいない、そろそろ読書でもするか、という軽い気持ちで始めたら、 今度は「あれっ? 読書ってこんなに面白かったっけ」と。 昔は視覚障害者が本を読もうと思ったら、何ヶ月も待たされたり、 ボランティアに読んでもらったり、なかなか困難でした。 それが今では、ネットで検索して、録音図書が見つかりさえすれば、 ストリーミングですぐに読むことができます。 「読みたい」と思う本が見つかったら、深夜だろうがすぐに読める。 ある意味、健常者の方より有利で、逆転現象が起きているかもしれないですね。 だって皆さん、読みたい本は、本屋さんか図書館に行って探してこなきゃならないでしょう? 近い将来、高齢者の方など「録音で読みたい」という欲求を 広く満たせるように働きかけていきたいと思っています。 いまは著作権の問題があってダメですが、音声化された相当数の図書のリソースがありますし、 ニーズもあるし、あとは仕組みだけですね。


B:どのような本を読まれているんですか? 最近だと、サスペンスや推理小説系。ジェフリー・ディーバーとか。 日本の作家では海堂尊さんが好きです。 『チーム・バチスタの栄光』『ナイチンゲールの沈黙』、とてもいいですね。 それから将棋雑誌の編集者から作家になった大崎善生さんの『将棋の子』は、なんとも切なくていいです。 あと、橘玲さんのマネーロンダリングの本も面白いです。 今年読んだ本で良かったのはそのあたりでしょうか。


B:社会学の本が出てきませんが(笑)。それと、30年前は何を? 社会学の本も読みますよ、仕事ですから(笑)。 最近では少し範囲を広げて、経済学や、移民問題、貧困問題の本もよく読みます。 で、30年前は……うーん、ディック・フランシスとかかなあ。 競馬のミステリーで有名な。あまり変っていませんね(笑)。


B:さて次に、プログラマとしての側面についてうかがいたいと思います。 著書には、がんばったらがんばっただけの結果がすぐに返ってくる、 自分の労働が正しく報われる、それがなんといってもソフトづくりの大きな喜びだと書かれていますね。 はい、ずっとそうしてやってきたんですが、実はここ最近は、少々事情が変ってきているのも事実です。 もともと障害者支援ツールのようなものは、まずマーケット自体が非常に小さいので、生き残りが大変なんです。 アメリカやヨーロッパの水準に拮抗する道具をつくろうとすると、 どうしてもハイエンドなもの、価格も高価なものになります。 結果、視覚障害者のユーザの中で、ものすごくハイエンドな機種を使える人とそうでない人、 格差が広がってしまう方向に働いてしまっているというジレンマがあるんです。 補助金が出ればいいんですが、日本では、日常生活にどうしても不可欠なツールについては援助がなされても、 あまり高機能すぎたり、多機能すぎるとだめなんです。


B:いま取り組んでいる開発で、製品化のメドが立っているものについてなにか教えてください。 GPSを使った、視覚障害者用の歩行ナビゲーションシステムがあります。 画像の代わりに点字や音声を使います。 1、2年くらいで製品化するつもりなんですが、なかなか難しいんです。 まず衛星からの電波というのは、マルチパスといって、 これはさながらビリヤードの玉のように、建物のあちこちにぶつかってやってくるのです。 海の上とか、田舎のほうの、周りに何もない平地なら、 廉価版のGPSレシーバでもせいぜい数メートルの誤差でいまいる場所の緯度と経度を測位してくれます。 ところが中層程度のビルが両側にあってもけっこうな誤差が出るんですね。 これには、加速度センサーとか、方位センサーなどと組み合わせて 誤差補正ができるのではないかと思っていま取り組んでいるところです。


B:さて、2003年に設立され、石川さんが初代の会長を務められた「障害学会」についてうかがえますか。 あまり先々のことをキチンと考えず、なんとなくつくってしまった(笑) まず第一に、日本にはまだ障害学会がなかった、という事情もあります。 障害に係わるものって、いろいろあるんですね。福祉の方向もあれば教育もある。 それと、障害者に対しては、やはり世間的な固定観念が大きいんです。 障害者というのは健常者からなにかを「してあげる」存在だという一方的な理解ですね。 それを、障害者の側からみたらこうなんですよ、 ということを提示してみせるだけでも意味がある。  障害者にしかわからないこともあるし、逆に障害者自身が気付きにくいこともある。 ですから、玉石混交かもしれないけど、とにかく障害についてさまざまな意見を交換できる、 化学反応が起こる場所をつくろうと思ったのは間違いないですね。 また将来的には、福祉やバリアフリーなどの分野で具体的で緻密な政策提言ができるように もっと力をつけていきたいと思っています。 一昨年、国連で「障害者の権利条約」が採択されましたが、 そこに組み込まれている考え方は、障害学的観点が随所に見られて、 非常に新しい視点が盛り込まれています。 そうした世界的な潮流もあるので、われわれも積極的に活動を続けていきたいですね。


B:今年も10月に熊本で大会が予定されているようですが、 これは会員の方のみの参加ですか? 会員、非会員、どちらでも参加できます。 いちおう、研究発表の場なんですが、アカデミズムの世界以外でも、 例えばNGOの方や福祉関係者、障害者運動をやっている人、 とにかく障害というものについて真面目に考えている方たちが、 公の場でなにか言いたい、ということであれば、 「研究発表」と称してしゃべってもらって結構です(笑) 大会では「情報保障」ということをとても大切にしていまして、 ろう者に向けて手話通訳を準備したり、聴覚障害者にパソコン要約筆記を提供します。 そういう専門技術を持った方に来てもらうので、コストがなかなか大変なんです。 精神障害の方など、ずっと椅子に座って聞いていられないとなれば、 別室を用意して、例えばそこで横になりながら映像を見られるとか、そういう配慮も必要ですね。 とにかくあらゆるニーズが飛び出します。


B:お話をうかがっていると、そうした個々のニーズは極力引き受ける、 「それはできません」と言わない、という意志を感じるのですが。 私自身は新しいニーズが出てくる度に、 そこまでやらなきゃいけないのだろうかと思ったりもしますが、 議論していくと多くの場合、納得せざるを得ません。 筋が通っていることなら、なんらかの方法を取れるうちは、対処します。 障害学って、そういうことだと思うんですね。 もちろん、どうにもやりようがなくて諦めるケースも出てきますが……。


B:ブッククラブ回には、人生の問題に直面して、その解決の糸口を探して書店まで足を運ぶという方もいらっしゃいます。 冒頭の感情社会学ともつながりますが、なにか壁に突き当たったとき、 私たちは自分の感情をどんなふうに発露させていくべきでしょうか? また難しいことを聞きますね。えっと、そうですね、 「危機」はピンチでもありチャンスでもあるとよく言うじゃないですか。 問題に直面していなければ、なにも変える必要がないわけですから、 そこからはなかなかクリエイティビティは生まれません。 問題は、方法を生み出す、あるいは価値観を変える、 チャンスでもあると思うようにしてはどうでしょうか。 私は社会学者だからなのか、リスクテイクするしかないという状況では、 まあ失敗しても最低限フィールドワークにはなるかなあ、 と思って概してやってみることにしています。 つまらないけど安全な選択より、面白いけどリスクのある選択のほうを選ぶ傾向があります。 しかし、これはほどほどにしないと危険です。 もっとも、そういうエネルギーもない、もう寝込んでしまうとか、 引きこもってしまうという人は、自分一人ではどうにもならないこともあるので、 早目に周囲にSOSを出したほうがいいと思います。 しかし、最後はなんか無難なアドバイスですね。 おざなりに付け足したことがバレバレです(笑)


B:著作のタイトルは『見えないものと見えるもの』ですし、 活躍の分野は社会学とプログラミング、そして感情的で同時に合理的で……と、 これは本の帯の惹句でもありますが、こうして「2つのもの」の緊張関係の中にご自身を常に置かれています。 「2つのもの」は、石川さんの思考の起点だとおもわれますか? なにか一つの立場を鮮明に打ち出す時、言葉はとても威勢が良くなります。 でも私は、そういう切れ味のいい意見は、たいていロクなことにならないと思っています。 妥協や調整なしに社会はうまくいきませんよね。 だって人生なんて妥協の連続じゃないですか(笑) 両立できない2つのものを常に抱えていて、矛盾もあるけれど、 それでも考えることを止めない、なんとか落としどころをさぐっていく、 そういうことのほうが、なにかを声高に主張することよりも、 はるかにリアルだし、大切だと思います。 そういう感覚の中でこそ、より多くの人が希望を持って、 元気に、おだやかに過ごせる社会を築けるのだと、私はそう思っています。


B:最後の質問になりますが、「気持ちを酷使する労働」としての感情労働の後に、 未来にはどんな形の労働がやってくるのでしょうか? 私たちは感情労働と本物の感情のブレンドを望むようになるかもしれません。 適切に振舞おうと努力することに込められた他者への敬意と、 自分の気持ちを伝えようとすることで伝わる他者への信頼の身振りのブレンドです。 人により好みの調合は異なるでしょう。 甘党、辛党、人それぞれですから。 多様な人々が暮らす社会では、寛容という感情管理が要請されます。 それは必要なことだし、重要です。でもそれはしばしば抑圧とか解離でもあるわけで、 ボディーブローのように効いてきます。 他者という、自分とは決定的に異なり、でも圧倒的によく似ている存在に関心を抱き、 好奇心を持ち、働きかけていく人懐っこさってうらやましいじゃないですか。


B:ありがとうございました。



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