"核"と"輪郭"をつくる

- interview with 坂本清治 -

琉球の創世神・アマミキヨがその地に降り立ち、
国づくりを始めたことから、神の島と呼ばれる久高島。
12年に一度行われる儀式・イザイホー(※1)こそ1978年以来行われていないものの、
今も高い気がめぐるこの島に、久高島留学センターという小さな共同体がある。
離島型山村留学という形式を取りながら、そこで行われている営みは、
子ども達の教育の枠をはるかに超えた問いかけに満ちている。
地域との共生や再生を模索し、さらには今日の行き詰った高度資本主義社会に対する
オルタナティヴな生活の実践の場でもある、そんなコミュニティ。
「使命感というより、呼ばれてきました」という代表の坂本清治さんにお話をうかがう。

 

坂本清治  Seiji Sakamoto


1960年、横浜生まれ。
琉球大学農学部卒業後、全国の農山村を調査に回り、
同時に有機農業やユニークな教育機関への居候経験などを経て、
思想や社会活動の実践などを学ぶ。
沖縄での山村留学を思い立って後も、
「賢治の学校」の活動への取り組み、学習塾経営などの日々を経て、
2001年、「久高島留学センター」を設立、代表に就任する。
NPO「久高島振興会」の副理事長も務め、地域の再生にも力を注いでいる。



久高島留学センター


2001年にスタートした離島型の山村留学機関。
主に中学生を対象に、久高島の自然に接しながら、
漁やカヌー、シュノーケリングなどの海の活動、
畑での野菜作り、三線や太鼓、笛、歌など沖縄の伝統芸能の習得、
さらには清掃や祭りなど地域の活動に参加しつつ、中学に通って部活動もこなす。
規律正しい共同生活を営みながら、かつては人生の節目ごとに
誰もが体験してきた通過儀礼(イニシエーション)なども経験しつつ、
子ども達、個々人が抱える様々な困難を克服したり、さらには地域や国家、地球規模で
取り組まなければならない課題に立ち向かえる人材の育成をめざしている。
詳細はホームページで。


公式サイト:
http://www5d.biglobe.ne.jp/~kudaka/







B:いま、久高島留学センターには何名のお子さんがいらっしゃるのですか? 現在は中学生が11名です。これから少し増える予定です。 ベッドは職員の分を含め男の子が10名分、女子が8名分ありますが、 どうしても建物が手狭で、タコ部屋状態といいますか......。 建物は沖縄県の「宝くじ助成」で建てていただいたものなんですが、 正直、もう少しスペース的に余裕があるといいと考え、 すぐ隣に今年5月、新たにプレハブの建物を作りました。 そちらでは楽器を弾いたり、卓球をやったり、 もう少しにぎやかなことができますし、 地域の大人が宴会をやる場所としても貴重です(笑)。


B:ホームページでも詳しく紹介されていますが、 留学センターでの活動内容を、あらためて教えてください。 朝は6時に起こして、まず海岸まで散歩に行きます。 帰ってきたら10分間の掃除。それから朝食を食べて、学校に行きます。 学校では授業のほか、部活動もやります。 海でカヌーをやったり飛び込んだり潜ったりビーチバレーをやったり、 それから農作業も行います。


B:ここに来る留学生は、通常の都市生活では得られないものを求めて来るか、 あるいは都会で様々に行き詰ったり、問題を抱えた形でやってくるか、 勝手にそんなふうに推測してしまうのですが。 久高島留学センターは2001年にオープンしましたが、 当初はここに来る子の85%〜90%が不登校の経験者でした。 いまは3割くらいに減っています。 おっしゃるようにこの島ならではの素晴らしい環境を求めてくる子もいますが、 そんな子も不登校の経験のある子も、それぞれが課題を持っていて、 不登校そのものは全く問題ではないと思っています。 ここに来るきっかけは様々ですが、たとえ親御さんが熱心に勧めても、 最終的には本人が「ここでがんばります」と言わない限り、受け入れはしません。 しかし、今まで不登校で悩んでいた子ども達のほとんどが、 ここへ来ると見違えるように生き生きしたり、 農作業をがんばって地域のおばあちゃんたちからも可愛がられるようになります。 その意味では、引きこもりタイプの子は結構大丈夫ですし、面白いですね。 むしろ難しいのは、非常に粗暴な振る舞いをする子や、 常に友達と群れたり、みんなの注目を浴びていないと気が済まない、 つまり一人でいることができないような子です。


B:ホームページに掲げておられる「具体的な生活の指標」の項目の中に、 「一人でいられること」が先にあり、 すぐ後に「他の人達といられること」とあるのはとても印象的です。 お父さんが無理やり連れてきた子がいましてね。 一週間体験入学した後に面談したんですが、 どうしても「がんばります」の一言が言えない。 「お父さん、これではやはり受け入れは無理です。 どうぞ今晩はこのまま、ご家族一緒に休んでください」と。 ところが翌朝、お父さんがまたやって来まして、 「もう一回、この子の話を聞いて下さい」と。 そこで彼は「がんばります」と言ったんですね。 で、留学が決まり一緒に生活を始めたらよくがんばるんです。 「なんだ、できるじゃないか」と思ったんですが、もう少し様子を見ていると、 「これからオセロ大会やります!」とか、 常に人を巻き込んで何かやったり、注目を浴びてないと気が済まないんです。 一人で内省するような時間がまったくない。 「これは持たないな」と思ったら、案の定、夏休みで帰省して、 2学期からはもう来ないわけです。 彼、実は確信犯だったんですね。 つまり、できるだけいい子でいて、1学期だけがんばって、それでトンズラしてしまおうと。 まぁそのあと、ご両親が大変でしてね。 なんとか沖縄まで連れて来ようとしても地元の空港で車から降りなかったり、 もめた拍子に、お父さん、骨折してしばらく仕事を休んだこともあったようで。 ある時そのお父さんが9月の運動会に、当の本人は置いて、 奥様とお姉ちゃんと、3人でやってきたことがあるんです。 このお父さん、走ることがとってもお好きで、3千メートル走で優勝しちゃったりして(笑)。 その日の夜、島の人や先生方や関係者との懇親会で、 一人ひとり話をするんですが、このお父さんが話す順番がやってきました。 小さな声で訥々と話す方なんですが、 水を打ったようにみんな、シーンと聞いていましてね。 「私はきょう、肝心の息子を置いてきました。残りの家族を連れてここにやってきました。 おまけに3千メートルで優勝しちゃったりして(笑)。 まったく、何をやっているんでしょうかね。 私はもう、どうしたらいいかわからないんですよ......」と言ってポロポロ涙をこぼしている。 聞きながら、みんな泣いちゃいましてね...... しかしその後、問題の彼の所に、遙々各地から同級生が3人集まって説得に行って、 彼はなんとかカムバックしました。戻ってきた彼に私は言いました。 「1日20分でいい。一人でいる練習をしなさい」。 彼ももちろん、すごくつらかったわけですね。 やがて彼、突然ギターに目覚めるんです。 ギターが話し相手になっていく。 そして徐々に自分の核が形成されていく。 今は彼、地元に帰らず沖縄県の高校に進学しボート部に所属して、今度、国体に出るそうです。 ここの卒業生の中でも、とても高い意識を獲得して巣立って行った子の一人だと思います。


B:人口がおよそ300人という久高島では、 留学センターの存在はとても大きいのではないかと推測します。 地域の方々との関係や係わり、受け入れられ方などについてお聞かせください。 沖縄での山村留学については、20数年前から、 こんなものがあったらいいなぁと思い立ち、 いろいろと調査や行政への働きかけをしましたが、 でも結局は自分がやるしかないのかと言うことになり、始めたような次第です。 久高島はたまたまご縁があってキャンプなどをさせて頂くようになったのですが、 その当時はまだここで山村留学ができるとは思いませんでした。 それはやはりここは特別な島で、難しいだろうという状況がいくつかあったからです。 ところがある日、親しくなった島の方に山村留学の話をすると、 実は島の中学校が廃校寸前なのだという話を返され、機が熟したことを感じました。 そこから多少の紆余曲折を経て、約半年後、 在校生2名の久高中学校に14名の留学生を連れてきて久高島留学センターをスタートさせました。 最近、南城市が、地域振興プランに補助金を出すということで、 それにエントリーしまして資金を獲得しました。 何をするかというと、おばあちゃんたちの畑、今は極端に言うと、 乳母車にペットボトルの水を乗せて運び、それで農業をやっているような状態なんです。 過疎化と高齢化のため農地がどんどん遊休化しています。 そこで、とても大きなバケツをたくさん買って必要な所に置いて、給水して回り、 要望があれば草を刈り、耕耘し、堆肥を運びます。 それらに必要なものをその資金で購入して、 子ども達と一緒に高齢者の農家を支援しようと考えています。


B:お話をうかがっていると、人口が少ないということが大きいと思いますが、 地域の方々と、お互いに助け、助けられる関係を 築いていらっしゃるということだと思います。 全国に山村留学はいくつかありますが、 なかなかここまで地域密着のスタイルも珍しいのではないかと思います。 まさに教育再生の一つの形だと思いますが、 例えば都市部で少しでも留学センターに近づけるような、 新しい教育の形は可能だと思われますか? それはたいへんな難問ですね......。 私が答える立場でもないかもしれない。 よく取材や見学に来られる方が、 「この島だからこそ、できるんですよね」と、おっしゃる。 その通りかも知れないが、それでは絶対に駄目で、 本当はこういう場所が日本中に何百とできなきゃいけない。 そこで何万もの子ども達が体験し、学び、成長する。 そうでなければこの国に将来はあるのかと考えています。 確かに久高島は神の島と呼ばれるとおり、特別な場所だと思います。 イザイホーという儀式は、人に神を降ろす、まさにイニシエーションの儀式ですが、 私はこのイニシエーションということが、とても大切だと思っています。 私たちはよく週末の夜に、灯りをまったく持たずに、海岸まで散歩に出かけます。 防風林の中は本当に真っ暗闇で、その中を恐る恐る歩いていきます。 鼻をつままれてもわからないくらいの暗さです。 ところが、防風林を抜けた時、星空がダーッと見えてくる。 その暗闇から、その星空から、子ども達一人ひとりが 何かメッセージを受け取っていることを願っています。 一番よくやる遊びが飛び込みです。 小さい子どもを対象としたキャンプでも同様です。 なぜあんなことが好きなんでしょうね。 何時間もずーっとやっています。 「恐い」「危ない」。 でもその先に何かがあることを感じているのでしょうね。 飛び込むことができずに、何十分も逡巡し葛藤する子もいます。 何でそんなことに、と思いますが、彼等の魂が必要とする何かがそこにあるのでしょう。 コンクリートと電磁波に囲まれた不夜城では、なかなか難しいのかもしれません。 それでも、それぞれの場所で、それぞれの方法で、 その何かを子ども達に指し示していくことが大人の責務だと思っています。


B:坂本さんは横浜のご出身ですが、琉球大学に進まれている。 沖縄に対する志向性があったということですか? 沖縄というより、当初は食糧問題にとても関心があったんです。 中学2年生の時に西丸震哉の本を読んで、 「ああ、日本ではもう生きられないんだな」と思い、 琉球大学の農学部に進学し、南米移民することを決めました。 大学3年の頃は、移民の相談窓口でアルゼンチンに移住する 段取りなどを聞いていたような状況でした。 ところが鳥取大学の津野幸人さんという方が授業に来られて、 過疎地を再生すれば日本の食糧問題が解決できるというデータを呈示されたんです。 それを見て、「このまま南米に行ったら自分に嘘をついたことになる」と思い、 それで大学を1年休学し、 過疎白書の地図を見ながら1年間かけて日本全国の過疎地を訪ねて歩きました。 それこそ鹿児島県の佐多岬のほうから山形県まで、 えんえんと各地の研究者や行政の担当者に話をうかがい、 農家に住み込みながらの旅でした。 宮崎県児湯郡木城町には、武者小路実篤が開いた「新しき村」があり、 そこにもしばらくお世話になりました。 そこでの体験は私の原体験の一つとなるのですが、 そこを立ち去る時、「新しき村」(※2 )を見下ろす丘の上の 「この道より我を生かす道なし。この道を行く」という碑を見て、 いまから自分が進んで行くのはこの道でよいのだ、と思ったことを覚えています。 有機農業の先駆者の方々、 当時の社会に疑問を投げかけそれを実践している方々に接しているうちに、 自分の考えが間違っていたことに気付きました。 食糧の不足とか、人口や経済のアンバランスとかを問題にしていたわけですが、 それらは結果であって、 問題とすべきはその様な危機を必然的に生み出す社会構造そのものなのだと。 そのことを自分の言葉でまとめ、世に問う必要があると考え、 戻らないだろうと考えていた大学に戻って論文にすることにしました、 「帰農論ーー疎外の克服のために」というタイトルでした。 「疎外」というのは皆さんご存じのように、 人間が自ら生み出した物によって逆に支配されてしまう過程を言いますが、 卒論に取り掛かった当時、私はその概念を未だ知らず暗中模索していました。 私が見てきたもの、つまり人が良かれと思って創り出してきた物が、 結果的に人から自由や幸福や命さえも奪うというこの社会のメカニズムを、 誰かが言葉にしているはずだと思いたくさんの本を相手にもがいていました。 そんなある日、また古本屋で物色していると、 棚のたくさんの本の中からエーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』が、私を呼んでいました。 手に取るとまさにそれは私が求めていたものでした。 そこから他のフロムの著書、マルクスの疎外論、などに一挙に読書が広がり、 論文をまとめる大きな力となりました。 また当時、東京から沖縄国際大学に移られて「地域主義」を提唱されていた 玉野井芳郎さんらのグループの活動にも関り、 今思えば、とても恵まれた学生時代を過ごしたと思っています。


B:いま本のお話が少し出ましたが、 坂本さんのバックグラウンドになっている読書体験をお聞かせください。 遡って言いますと、小学生の頃は海野十三の冒険小説が好きでした。 海野十三を読んでいた時の胸の高鳴りとか夕暮れの図書館の様子まで、 ありありと記憶しているくらいです。 18歳で読んだ半村良の『妖星伝』は、私の核心に触れた本でしたね。 当時は「どうして人間は他の生命を奪ってまで生きなければいけないのか。 こんなプログラムはそもそもおかしいのではないか」と思っていましたから。 今でもこれは思っていますけどね。 大人になってからだとレイ・ブラッドベリの『火星年代記』、 あんなすごい本、なんで書けたんだろうと思います。 地球の進む道、魂の進む道を本当に見てきたかのように描いています。 ブラッドベリにその様な魂が憑依したのでしょうか。 憑依したといえば、ロブサン・ランパの『第三の眼ーー秘境チベットに生まれて』。 チベットのラマ僧が生い立ちを語る本として世界中でベストセラーになった本ですが、 実はこれはシリル・ヘンリー・ホプキンズという名前のイギリス人が書いた本で、 「私が書きました」とカミングアウトしたんですね。 ところが、このイギリス人が国外に一歩も出たことがない人なのに、 あまりに詳細に、細部に至るまで宮殿や街の様子が描かれていて、 みんなびっくりしちゃったわけです。 完全に、ランパの魂がウォーク・インして書かれた本だと思います。 それから、サンカの話が好きですね。いわゆる超古代史などと言われる分野。 本当の歴史とはどんなものなのか、 この国の本当の姿とはそもそもどんなものなのか、とても興味があります。 しかし、最近は趣味の本を読む時間が取れず、触っていません。 反対に、経済書、例えば副島隆彦さん、広瀬隆さん、船井幸雄さんの新刊は読むようにしています。 あとはそうですね、今いちばん読んでしっくり来るのは、ヘミシンクに関する本でしょうか。 ロバート・モンロー、ブルース・モーエン、坂本政道さんなどの著作を読むと、 単なる死生観を超えて全ての存在の意味や仕組みがわかる気がします。 久高島は、とてもあちら側(あの世)に近い世界ですから、 そういう環境に身を置いているということも、 こうした読書と関係しているかも知れませんね。 また同様の意味で、オリバー・サックスの著書や 一昨年出されたダニエル・タメットの本などもとても啓発されます。 病気とはそもそも何なのか、人間とは何なのか、を教えられる気がします。


B:子ども達にも読書は推奨されていますか? そうですね。 強制はしませんが、本と向き合う時間は持ってほしいと思っています。 因みにテレビは見せていません。 この建物に書斎というか、私の蔵書の棚がありますが、 どうやらカルロス・カスタネダの「ドン・ファン」シリーズなんか読み漁っているヤツがいるらしい。 中学生でカスタネダなんて生意気でしょう?  そういうのはせいぜい読書を邪魔してやろうかと思いましてね(笑)。 いや、邪魔されたって読みたいものは読むというのが本当の読書でしょうから。


B:さて久高島ですが、不登校などで悩んでいた子供たちが新たな共同生活を通して社会生活を営み、 人と人との交わりを回復していくにはまさに最高の環境と言えると同時に、 現在のこの世の中にもどうしたって位置しなければならない、 そういう意味では過疎のこともそうですが、厳しいこともたくさんあるのだと思います。 久高島の将来を坂本さんはどう思われますか? 余所からやってきた私がそのことについてお答えするのはたいへん僭越なのですが、 確かに農業を営むにもオバア達は高齢化しているし、若い人は少ないし、 実際、中学校は廃校の瀬戸際まで行ったのですから、状況は厳しいですね。 ずっと述べてきたように、 私も世界とか社会とかとても大きなものを相手に思い描いてこの活動をやって来ました。 だから「今後この活動はこうして行こう」とか 「こうあるべきだ」とかが頭の大部分を占めているのですが、 例えば、こんな活動を沖縄のたくさんの島につくるんだ、とかですね。 でも、本当はそうではないかも知れない、と最近は思うようになって来ています。 自分というちっぽけな存在によって、もし一人の子が少しでもより良い方向に 成長していくきっかけが与えられるなら、それだけでも充分ではないかと。 久高島に来た当初、農作業帰りのおばあちゃんに声をかけられ、立ち話になりました。 「この島では自分の土地というのは無いさね。(※3) 神様からの預かりものと考えているの」と言われました。 「はい、そう、うかがっています」とお答えしたら、 「子どももそうさね。子どもも神様からの預かりものなの。 だから、あなたが連れてきた子も島の子も同じなの。応援するから、がんばりなさいよ」。 その言葉は、野良仕事帰りの老婆の言葉としてはあまりにも高邁だと思いませんか。 この島の女性は代々厳しいカミンチュの系譜を守ってきました。 その精神性の表れだと思いました。 この島には、来るべくして来たのだな、ともそのとき強く思いました。


B:いろいろお話をうかがってきましたが、 坂本さんはいわゆる教育者という範疇に収まるわけでもなく、 実業家でもなく、広い意味での社会活動家、実践者なのだと思います。 また少し話が大きくなりますが、 この世界の未来、子ども達の未来を、どのように予測されますか? 客観的に、第三者的に見れば、社会はもっと悪くなると思います。 人間の疎外、高度資本主義の断末魔、もっとひどくなるでしょう。 ですけど、そういうことに無関係や無関心ではないのですが、 そのことと私達の本当の幸せは別のところのもので、 ここでの日々の生活、例えば掃除をきれいにするとか、履物を片付けるとか、 自分のやるべきことをしっかりやる、協力し合って生活する、 といった事の積み重ねに充足感を得ることが理想ですね。 この島のオジイやオバア達のように。 自分自身でもそれは難しいのに、子ども達にそれを伝えるのは至難の業です。 子ども達はこの島にいながらもいろんな物を身の回りに置いています。 漫画や雑誌や携帯電話は禁止していますが、 CDプレイヤーやiPodなどの音楽機器、デジカメなどは、 ほぼ全員が競い合うようにして持っています。 その姿は楽しんでいるというより、やはり支配されているように見えます。 そして、トイレ掃除や畑仕事などをしっかりした意識でできる子は少ないです。 道の遠さを痛感しています。 私は自分が預かっているその子ども達に、 「そんなことで大丈夫なのか?この先困ったとしても他人のせいにするなよ。 国や社会が悪いなんて言ったって、誰も相手にしやしない。 自分と自分の大事な人を守れるくらいの力と認識を身に着ける努力をしなさい」と言い聞かせています。 「一人でいられること」「他の人達といられること」は自分の核と輪郭がないとできないことです。 自分の核となるものを育てることとは、 肩書きとか売り上げ実績とか乗っている車の大きさとかの偽の自我ではなく、 「これが私です」といえる真の自我を形成することです。 そのことがとても難しい社会です。 そして核となるものがないため、結果として自分と他者との境界がはっきりせず、 つまり輪郭も曖昧になってしまい、 とても多くの子ども達、あるいは大人たちも、 真の人間関係をつくり得ず、苦しんでいます。 例えば、他者の問題を自分の問題と勘違いしたり、 無意識に他者を支配しようとしたり、逆に隷属しようとしたり。 自我の輪郭がはっきりした人格だからこそ、 本当に他人を理解し、助け合ったり、協力し合ったり、 困っている人には最善の方法で対処したり、 そういうことができるようになるのだということをわかってもらいたい。 他者や物や環境に影響されない、つまり疎外を克服した人になってもらいたいと願っています。 そんな子ども達がたくさん、この社会に溢れるようになったら、すてきでしょうね。


B:ありがとうございました。 今後のますますのご活躍をお祈りしております。


※1 イザイホー 30歳以上の既婚女性が神女(神職者)になるための就任儀式。 久高島で12年に一度行われてきた重要な伝統行事である。 島の過疎化に伴い、1978年以来、行われていない。 ※2 新しき村 1918年、人類の理想郷をめざし、作家の武者小路実篤とその同志によって 宮崎県児湯郡木城町に開村された共同体。 現在は埼玉県入間郡毛呂山町にある。 ※3 久高島の土地制度 久高島には土地を「所有する」という概念が無い。 土地は神からの授かりものであり、島民は字から土地を借りて、家を建て、畑を耕す。 いわば原始共産制の名残である。 この独特の制度を残すため、久高島土地憲章を定めている。



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