凡の中の非凡

- interview with 鍵山秀三郎 -

何でもスピードと結果が必要とされる傾向にある、この不透明な時代。
日常の中にある「掃除」は、一見すると経済性のない平凡な行為だ。
この「掃除」が、私たちに与えてくれるものとは、
いったい何なのだろうか。
今回は、誰に頼まれたわけでもなく、自ら願い出て、
様々な場所を掃除し続けてきた鍵山秀三郎氏にお話を伺った。

 

鍵山秀三郎 Hidesaburo Kagiyama


1933年、東京生まれ。
疎開先の岐阜県立東濃高校を卒業し、昭和28年デトロイト商会に入社。
36年ローヤルを創業、平成9年に社名をイエローハットに変更する。
創業以来、一貫して掃除を継続し、近年その運動は海外にも広がっている。
現在、「日本を美しくする会」相談役。
著書は『凡事徹底』『鍵山秀三郎語録』『日々これ掃除』
『頭のそうじ 心のそうじ』など多数。

NPO法人日本を美しくする会 HP:
http://www.souji.jp







B:鍵山さんは、「掃除道」と言われているように、 掃除の実践が生き方そのものと密接に関係しているように感じます。 現在のように掃除を始められた経緯をお聞かせください。 私は昭和36年、現在のイエローハットの前身であるローヤルという会社を興しました。 自動車用品を取り扱う会社です。 当時は東京オリンピックを控えた高度成長期で、急速に人手不足の状態になっていました。 大企業がこぞって人材を押さえてしまい、私が興したような小さな会社に来るのは、 あっちに半年、こっちに3ヶ月と、渡り歩いた人ばかり。 そういう人は皆、心が荒みきっていました。 そこで、とにかくこの人たちの心をどうやって穏やかにするか、 特別な人じゃなくていい、どうやって普通になってもらうかを一生懸命に考えました。 そこで、「とにかく職場環境を良くするしかない」と思い、 会社をきれいにすることを考えたのです。 うす汚れた路上で唾を吐く人も、ピカピカのホテルのロビーでやろうとは思わないでしょう? まずは環境を作ることだと考えました。


B:「掃除をする」という発想には、ストレートに行き着いたのですか? おそらく、子ども時代の記憶が大きいと思います。 当時この国は戦争をしていましたから、11歳で岐阜の山奥に疎開し、 そこで牛小屋みたいなところに住んでおりました。 強い風が吹けば倒れそうなあばら家でしたけれど、 私の両親は、いつも非常に清潔に住まう人たちでした。 だから貧しくても、心がみじめな気持ちにはならなかった。 その時の記憶から、なんでも環境をきちんと揃えることは、 みんなの気持ちを穏やかにすると信じるようになったんだと思います。 それと、今でこそあちこちでお話などをさせていただく機会も多くなり、 本も書いておりますが、その頃は、人に話して聞かせたり、 文章を書くような能力はありませんでした。 ですから自分の体を使って環境をきれいにして、そこにみんなが身を置いて、 心が穏やかになってもらうしかないと考えました。


B:まわりの反応はいかがでしたか。 およそ10年は、完全に無視されていたと思います。 「私もやりましょう」という社員はまったくいない。 たとえ「やれ」と言って少しやらせても、 朝はいた社員が午後にはいないという状態でした。 当然、自分のやっていることがむなしくなり、はかない気持ちにもなり、 こんなことはもう止めようと、何度思ったかしれません。 しかし、代わりにどんな良い案があるかというと、 まったく思い浮かばないのです。続けるしかありません。 特に商売道具の車はよく洗っていました。 汚い車に乗っていると運転も乱暴になり、 事故にも遭いやすく、機械も壊れやすいのです。 一晩中みんなの車を洗ったこともあります。 そして昭和47年ごろから、ポツポツと一緒に洗い始める社員が出てきました。 やはり、車洗いは定着するのが早かったですね。 そしてみんなが自分の車を洗い、大切にするようになって、 事故率も目に見えて減りました。


B:環境が人を変える、ということでしょうか? そういうことだと思います。 会社によっては、しばしば社訓や職務規程を掲げているところがありますが、 私はあれは何の足しにもならないと思っています。 家風が乱れた家庭で、子どもに向かって、 お客さんが来る日だけ静かにしろと言ってもできない相談ですよね。 それと同じです。 社員は目に見えない社風にしたがって仕事をしているのであって、 職務規定に従っているわけではありません。 問題は、自然に規範意識をどう高めるかなんです。 私の行動の意味がみんなに伝わるのに時間がかかったのは、 口や文章ではなく、自分の行動、 さらには生き方までわかってもらおうと思ったからかもしれません。 行動は「見てもらう」もので、ここまではいいとしても、 生き方は「感じてもらう」ものです。これはすぐには理解されません。 それに、掃除というのは、それをやったからといって、 商売繁盛や利益に直接結びつくものではありませんから、なおさらです。


B:「掃除をするならまずトイレ掃除を」と、おっしゃっていますが、 なぜトイレなのでしょうか? 人がいちばん嫌う場所だからです。 できればやりたくない。 しかしそこをやってしまえば、あとは楽なんです。 汚いトイレ掃除を日頃からやっていると、 路上のゴミ拾いなんて、なんでもなくなってしまいます。


B:トイレ掃除を素手でやられていますが、 あえて素手ですることの意味を教えてください。 手は第二の脳と言います。感じやすいんです。 これを柄のついたものでやれば、せっかくの脳が使えません。 7-8年前、ニューヨークでジャッキー・ロビンソンという 野球選手の名前が付いたスポーツ施設のトイレ掃除をしたことがありました。 黒人街なのですが、「どんな病気や菌があるかわからないから、絶対に素手や裸足にはならないでくれ」と、 管理人から厳重に言われたんです。 それで最初はゴム手袋などをしていたのですが、 やはり途中からいつものように素手でやることにしました。 すると彼は、びっくりして私に抱きついてきましたね。 「こんな人は初めて見た」と。 もちろん、けっして気持ちのいいものではありませんよね、最初は。 しかし、しっかり取り組むという意志を持ってやると、 だんだん気持ちが変わってくのです。自分の中の躊躇が消えていきます。 および腰でやっていると、最後まで「汚い」という気持ちが消えません。 ですからまず、素手でしっかり便器につかまり、床に手をついてしまう。 すると「汚い」という気持ちが「より良くしよう」という気持ちに変わっていくんです。 しかし、皆さんに同じようにやってくれとは申しません。 もちろんゴム手袋をしたままでけっこうです。


B:学校や公共の建物、施設などを大人数で掃除するにあたって、 ご苦労やトラブルもおありかと推測します。 学校などでは、掃除をさせてもらうことが決まって、いざ当日になり、 「やっぱり止めます」と一方的に通告してくることがあります。これは日常茶飯事。 学校が良くなれば先生も楽になるはずなんですが、理解しようとしません。 また千葉県習志野市で谷津干潟の清掃を行った時は、 森田三郎さんという方が中心に行われたのですが、 この時は多くの人から猛反対に遭いました。 その干潟が埋め立て予定地だったこともあって、 「余計なことをせずに、ゴミを放置したほうが早く埋立地になる」と言われたり、 せっかく森田さんが拾ったゴミを、 わざわざまたトラックで持ってきて投げ入れるという嫌がらせを受けたりしました。 それでも森田さんは活動を続け、その情熱が人を動かし、 その後森田さんは習志野の市会議員になり、千葉県議会議員になりました。


B:今では、鍵山さんの活動は、日本国内ばかりでなく、 ブラジルや台湾、中国など、世界に広がっていますね。 国内では少なくても150人、大規模清掃の場合は1000人以上集まる会もあります。 掃除をする時はあらかじめ参加申し込みをしていただき、参加費千円を頂戴します。 中には、働いた報酬に千円くれるのものと勘違いする人もいて、 「え? こっちが払うの?」なんて問答もあります(笑)。 今年の台湾でやる会は相当な人数になると思います。 台湾の皆さんは非常に熱心で、さる有名な大学の学長なども、 「掃除こそ台湾を良くしてくれるものだ」と言ってくださいました。 私は掃除というものは、日本独特の文化だと思っています。 文化は文明とは違い、地域に根ざしたもので、 どこに持っていっても通じるものではありません。 文明なら、砂漠の流浪の民でも発電機を使ってテレビを観ていますし、 瞬く間に世界を席巻します。 ところが文化はそうはいかない。 掃除そのものは世界中にありますが、 日本以外の場所では、掃除は職務として行われます。 使命感もなにもない。仕事ではない。 例えば警察官というのは職務ですね。 国民の命を守るということが仕事です。 「私は学校の教師です」という人に、 「それは職務でしょう? 仕事は?」と聞くと答えられない人が多いのです。 全人格を持って子どもと対峙し、導いていくことが仕事ですよね。 「それをやったらどうなりますか?」と、 外国の方は、すぐに結果を求めますから、 自分の手で掃除をする日本独特の文化は、なかなか理解されません。 しかし私は、そういう日本文化としての深遠な行為である掃除を、 なんとか世界に広めたいのです。 掃除という文化に触れた人が煙草のポイ捨てをやらなくなり、 逆に他人が捨てたものを拾うようになる。 そうやって人の心が美しくなり、環境がきれいになり、 社会がより良い方向に向かうと信じています。


B:つまり、掃除というものを、心がないものから、 心を入れたものへ変えていきたいということですね? はい。そういうことだと思います。


B:昔は修行僧が家々をまわり、 厠の掃除を願い出ていたと聞いたことがあります。 その伝統は今も生きていますよ。 京都の山科に一燈園という奉仕活動をする団体がありますが、 ここの教えは、私財を持たないということです。 そして家々を一軒ずつ訪ねて、トイレ掃除を願い出るんです。 「この家はやらせてくれそうだ」「ここは無理かな」と判断することを禁じられていますから、 すべての家にあたらなければならない。 100軒断られたら101軒目に行くのです。 「トイレはダメだが、庭掃除をお願いする」というケースもあります。 以前私が、山口県のある高校の教頭先生に 草取りの仕方を教えておいたことがあったのですが、 この先生が一燈園に行って草取りの作業をしていたら、 道路の反対側から見ていたおばあさんが、 「あなたのような草取りの仕方をする人は初めて見た。 ぜひうちへ来てご飯を食べて行ってくれ」と言ったそうです。 どういうことかというと、取った草を普通は放り投げてしまいますね。 私は、根元を揃えて置いておくんです。 そうすると作業が終わって取った草を持ち去る時に、 一本も落とさないで持つことができるんですね。


B:最近、増えてきたといわれる「片づけられない症候群」の人たちは、 どこから手をつけたらいいでしょう。 まず、いるものといらないものを分ける、分別することですね。 「整理整頓しろ」とよくいいますが、この二つの言葉は全然意味が違う。 整理は、いるものといらないものを分ける、分別をするということです。 整頓は、必要なものをひと目で「誰でもわかる」ように明示することです。 整理をすると仕事の能率が上がり、 整頓をすると仕事の質が上がります。 これが整理整頓をするということですね。


B:ご著書やDVDを拝見していると、ゴミと言われるものを分別することで、 再び資源にしたり、集めた枯葉を堆肥にしたり、 地球に優しい行為をされていることがわかります。 木の葉っぱ一枚でも、何億年の歴史があるものです。 地面に戻していけば、これから先も続くはずのものを、 石油をかけて燃やせば、何億年の歴史がそこで断ち切られてしまう。 この怖さというものを、私は強く感じます。 循環という観点からすると、とんでもないことです。 ですから掃除をする際、落ち葉とタバコの吸殻を一緒に掃いてしまうと、 堆肥の中にタバコが入ってしまうので、丹念に分別しなければなりません。 落ち葉はまた、木の養分になりますから。


B:少しお話の方向を変えさせていただきますが、 鍵山さんは、雀士であり雀鬼会会長でもある桜井章一さんと 非常に懇意にされているとお聞きしました。 桜井会長と私を引き合わせてくれたのは林田明大さんという方です。 私は林田さんの『真説「陽明学」入門』という本にたいへん感銘を受けまして、 最初に200冊、さらに100冊買っていろいろな人に配っていたんです。 それを知った林田さんが、桜井会長と私を会わせたいと考えた。 ところが私は麻雀をやったことがないし、桜井会長は経済人が大嫌いだといいます。 「お話なんか無理ですよ」と申し上げたところ、 「会うだけ会って、無理だと思ったら1分でやめましょう」というので、お会いしました。 するとどうでしょう、まるで昔から親しくしていた人のように心が通い合うのです。 桜井会長は特別な言葉は使われないんですね。 ごく普通の言葉なんですが、それが桜井会長を通して出てくると、特別な意味を帯びる。 対談を本にする時も、私の言葉は直すところだらけですが、 桜井会長は、ほとんど手を加える必要がなく、そのままでいい。 これは普通の人ではないなと思いました。


B:掃除の世界と麻雀の世界に、何か相通じるものがあるのでしょうか? 桜井会長には、物事を感じ取る強力な受信機があります。 天性の才ですね。私はそれとはまったく違う質の人間で、努力でなんでも補います。 異質というか、真逆の人間同士です。 でも異質だから良いのでしょう。 人間はね、同質の人間はあまり相容れないものです。


B:しかしこれまでのお話をうかがっていると、 桜井さんは立ち位置が天才でありながら、人間的に平凡な部分もあるのに対して、 鍵山さんは普通の人の位置に立っておられますが、 その「普通」も、他の人から見たら、 「天才的普通」というか、「天才的平凡」という特別な天才性があるように感じます。 恐縮です(笑)。 謙遜ではなく、確かに私は桜井会長とはまったく異質の人間ですが、 一つだけ自信を持って言えるのは、物事に耐える能力があるということです。 「こんなこと、ほんとうは無いほうがいいけれど、これも自分にとって良いのかもしれない」 と考えることができます。逃げないでいることができます。 それと以前、大峰山の大阿闍梨と対談させていただいたことがあります。 大阿闍梨というのは、1300年の歴史でたった2人しかいないという途方もない存在です。 その大阿闍梨に、「どうやって苦しみに耐えてこられたのですか?」とうかがうと、 「人が受けるべき苦しみを代わって受ける<代受苦>。これが私の使命である」とおっしゃった。 まさに掃除に通じるわけです。 誰も見たくないゴミを進んで拾う、それでいいのだと、改めて意を強くしました。


B:さて、鍵山さんは、経営者としてお金というものについて、 どのように考えていらっしゃるのでしょうか。 もちろん個人としても企業としてもお金が大切なのはいうまでもありません。 これがなければ血液がないようなものです。 だからといって血液だけあったらいいのか、儲けてさえいればいいのか、 それも相手を踏みにじって、業績だけ上げればいいのかということになります。 日本は悪い国ではないと思いますが、それでも今、不幸せ感が蔓延しています。 個人にも企業にも、「自分さえ良ければ」という考えがはびこっているから、 表側からみるとすごい業績を上げているように見えても、 自殺者が出たり、うつ病になる人が増えています。 国家や人類という単位で見た場合に、それは果たして「善」なのか。 たぶん「善」ではないと私は思うんですね。 私のやってる掃除の活動は、大半は経済的な意義はないわけです。 にもかかわらず、賛同してくださる方が段々増えてきているということは、 世の中の今の生き方がおかしいと思い始めている人が増えてきているのではないでしょうか。


B:そのような状況の中で、日本の未来はどのようになっていくと予測されますか? どうなっていくか、未来予測をするよりも、 どういう国にしたいのかを考えたほうが良いと思います。 私は、日本は経済で世界を牛耳る国になってはいけないと思います。 「日本人を見ろ、あの崇高な生き方を」。 そう言われるようにならなければいけない。 今のままでいいと思っていれば、日本は経済面もそうですが、 まずは精神面から崩壊するでしょう。 しかし、多くの人が真剣に「変えなきゃいけない」と思えばやれると思います。 明治維新だって幕藩体制でダメだと思う人が増えたから、無血革命ができたんです。 新しい制度を作ろうと思っても普通はあんなにうまく行きません。 それができたのは、江戸時代から読み書きを教え、 国民のレベルが非常に高かったからです。 人の話を聞いても理解できるし、一人ひとりの規範意識が高かったんです。 この国には鉱物資源や地下資源はないが、 今ならまだ、世界に誇れるものがある。 それは誠実な人が多いということです。 明治時代に海外から日本に来た人は、いずれも日本人の誠実さを激賞しました。 手ぬぐい一本にいたるまで、これほど心をこめて作っている国はない。 煙草入れ一つとっても芸術品です。 その誠実な人を、悲しいことに認めない世の中になりつつあります。 うまく立ち回っている人も、誠実さに支えられているはずなのに、 誠実な人たちはいま、すりつぶされようとしています。 それを私は危惧しています。 結果ばかり追い求めて、プロセスを誰も省みない。 巨大企業が、赤字を出したと思ったら、あっという間に利益を出しています。 普通、そんな簡単にプラスに転じますか?  企業の内部で相当メチャクチャな無理をしているはずです。 負担は誠実な人たちにかかっています。


B:確かに昔は、誠実さといった高い精神性がまずあり、 結果として経済性が上がったように思います。 今は、経済性を重視するあまり、精神性までも薄れてきているように思います。 経済評論家は、「こうすれば景気が良くなる」などと言いますが、 それをやった場合の副作用に言及しません。 家族手当ばかり言って、財政赤字に触れないようなものです。 しかし、私たちの先祖が育てた日本人独特の文化を もう一度取り戻すことには何の副作用もありません。 これからの時代は、あらゆる制約が課されていくことは間違いないわけです。 そういう制約の中で生きていこうとすると、 本来の日本人の生き方、世界各国から称賛されたその生き方取り戻すしかありません。


B:今日は、掃除が日本独特の文化であり、人と社会、 そして地球にまでつながった崇高な仕事であるということを学びました。 そして私たち日本人の未来に向かっての態度について、ヒントをいただきました。 とにかく謙虚に学ぶことだと思います。 人は学ぶことと考えることがとても大切だと思いますが、 「学ぶ」というのは過去から学ぶということですね。 そして未来のことを考える。 過去を断ち切って、未来のことだけ考えるなんて身勝手な発想なんです。 私たちは先祖が残してくれた叡智に学び、 未来を自分たちの力で変えていく義務があります。 そのための実践の方法が、私の場合は掃除だということです。


B:どうもありがとうございました。



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