新時代の宗教を求めて

- interview with 山折哲雄 -

東北地方を中心に広く東日本を襲った巨大地震の爪あと、
そして福島第一原発の事故は終息の着地点も見出せないまま、
2011年も暮れようとしている。
あらゆる意味で国家的な危機に見舞われている現在、
こうした事態の背景には、私たちが伝統文化の継承を怠り、
利便性や安全・健康ばかりを享受してきた事実があるのではないだろうか。
メディアで喧伝される「復興」ではなく、もっと抜本的に国の行く末、
自分自身の生き方を深く見つめるためのヒントは、いったいどこにあるのか。
宗教学者の山折哲雄さんにお話をうかがった。 

山折哲雄 Tetsuo Yamaori

宗教学者。1931年、サンフランシスコ生まれ。岩手県花巻市で育つ。
東北大学文学部印度哲学科卒業後、国立歴史民俗博物館教授、
国際日本文化研究所センター教授、同所長などを歴任。
著書に、『わたしが死について語るなら』『絆いま、生きるあなたへ』
『「始末」ということ』『往生の極意』『悪と日本人』『愛欲の精神史』など多数。

			

日本の伝統を無視した戦後六十年


B:三月十一日、東北地方を大きな地震が襲い、 その直後に今度は原発事故という悲劇が連続して起こりました。 岩手県は先生の故郷でもあるわけですが、 この度の災害について、どのように受け止めておられますか? 今度の地震は、私のふるさとでもある三陸の地を中心に起きた災害です。 現地に行ってみますと、とにかく、突然襲ってきた死に対して 茫然と立ちすくんでいる人が圧倒的に多い。 そこであらためて思ったことは、 自分は生き残って、妻や夫や子供や両親を亡くしてしまう、 そうした、とうてい受け入れがたい不条理の前に、 人は急に立たされてしまう存在なのだ、ということでした。 不条理とは一種の偶然性ですね。 人間はいつ事故で亡くなるかもわからない、 そのことを理屈ではわかっていても、 実際、ああいう大災害で不条理の前に立たされると、 その時はじめて死が他人事でなく、自分の問題になります。 これはどんな論理的な説明をしても説明しつくせるものではない。 人類発生と同時に生まれてきた古くて新しい問いで、 だからこそ宗教や哲学が生まれ、人はずっと考え続けてきました。 受け入れる以外にどうしようもない 客観的な事実というものが厳然とあること。 そのことを思い知らされました。


B:直接被災された方々でなくても、多くの日本人が、 いわゆる「復興」に半ば期待しつつも、 もう今までのようなわけにはいかないのだということを、 感じ始めていると思います。 いかに生きるべきかという、生きる力ばかりを重視してきた 戦後教育が一気に崩壊したわけです。 ところが思い返してみると、この国にはつい三十年ほど前までは、 「死生観」というものがごく一般的にありました。 ここでは「死」という言葉が「生」に先立っている。 平均的な日本人の身体に自然になじんだ言葉です。 死と生が同じ比重で捉えられていて、 死を覚悟することが生きることであるという、 そういう人生観が広く共有されていました。 それが一気に人生八十年時代になり、 生と死のあいだに「老」と「病」が割り込んできた。 そこで死が遠くに追いやられ、漠然としたものになってしまいました。 いまや九十歳どころか、百歳を超える人もめずらしくありませんね。 しかしその実態たるや、惨憺たるものではないでしょうか。 多くの人が認知症や植物人間状態、 体じゅうに管を巻きつけた状態で生きながらえている。 そこには当然、膨大な治療費、介護費がかかり、 財政破綻をきたしはじめています。 そのことを解決できる政治家はいない。 世間の側もそうさせない。 依然として、私たちは死という問題を隠し続けています。


B:それは日本が、ずっと西洋化、 あるいはグローバル・スタンダードの中で 成功することを求めてきた結果なのでしょうか? 国の垣根を越えて世界の国々と一緒に 生きていかなければならないことは確かで、 その意味で普遍的なグローバリゼーションの波は 受け入れざるを得ません。 ただそのためには、世界には多元的な価値観がある、 という認識が前提にならないといけなくて、 特定の国や民族の価値観が常に主導的な役割を果たすことは、 世界の和のために障害になります。 土俵は一つでいいが、多元的な価値観のもとで優劣をあらそう、 議論をすることが大事です。 ではわれわれの価値尺度は何かというと、 今はそれがない。 いや、本当は日本人の自然観や倫理観など、ないわけじゃないが、 知識人がそれを説得的に語る言葉を持っていないですね。 アングロサクソンの普遍主義に対抗する日本の、 あるいはアジアの価値尺度を認めさせるには、 五十年、百年という長い時間がかかるかもしれません。 だから今すぐ、やらなければいけない。


B:知識人ばかりではなく、 私たちが今すぐやらなければならないことは、 具体的にはどんなことでしょうか? 日本とは何か、何が日本の価値観として大切か、 ということをよくよく考えることです。 例えば福島原発の事故が発生して私がわかったことは何か。 世界の原発先進国の一つであるフランスは、 原発を五十七基持っていますね。 アメリカに次ぐ多さです。 フランスは自然が非常に安定していて地震がない、 そういう国で五十七基なのに、 これだけ日常的に地震が頻発している日本列島に五十四基あるという、 こんな政策選択をすることは 非常に非合理的だということはすぐわかったわけです。 そもそも寺田寅彦はじめ戦前の科学者は そのくらいのことにはとうに気がついていました。 西ヨーロッパの科学者たちは、安定した自然を客観的に観察し、 データを取り、活用することができた。 だから自然に対して攻撃的にもなるし、 管理、コントロールしようとします。 そのためでしょう。自然科学が西ヨーロッパに誕生したのは。 ところが日本列島は台風、地震、津波の連続です。 必然的に、自然にたいして受容的になっていき、 自然のあらあらしさに対して自分たちの生活をどう守るか、 そのための知恵と工夫を積み重ねてきたわけです。 それが日本の知的世界における学問や科学の特色になっていた。 それなのに戦後の日本の知識人は、 「自然とは何か?」ということを 十分に考えなくなってしまっていたわけです。
「始末」ということ

B:先ほど死生観という言葉も出ましたが、 先生の近年の著作には「死」をめぐる本が多く見られます。 「始末」という言葉で書いておられ、はっとしました。 私はひねくれていますから、 八十になったら死ぬ準備を始めようじゃないかと。 しかしそれだと言葉が強すぎるということで、 「始末」といういい日本語があることに思い至りました。 「もったいない」という日本語が世界で認知されるようになりましたが、 「もったいない」と「始末」は対応しているんですよ。 「始末」には「ムダにしない」という意味も含まれている。 ムダなものをどんどん始末していく、 つつましい生き方をしようということです。 「始末」は、日本人の倫理感覚の根底にあるものですね。 心の始末、物の始末、そして自分の体の始末。 いま、「後期高齢者」なんて言われて大騒ぎしていますが、 本当はもっと細かく、次にやってくるのが、「末期高齢者」、 さらに「臨終期高齢者」と、 三ステージを考えることがこれから必要になると思います。 人生八十年時代を生きるための三ステージを含め、 さてこれをどう人生モデル化するかが問題ですね。 しかしまあ、残念ながら(?) そういうことをずっと考えていると、 なかなか死なないような感じになってきます(笑)。 生命の逆説というヤツですか。


B:先生は何度か大病をなさったご経験から、 ご自身の体に対するいたわりとともに、 始末ということをずっと考えて来られたのですか? 体が弱かったことは関係あると思いますね。 様々な病気をして、長生きはできないと思っていました。 入退院をしょっちゅう繰り返すうちに、 無意識に自分のからだをコントロールしていたのかもしれません。 そのうちある種の抵抗力、免疫力が逆にできあがっていったのかな。 病気知らずの健康体がほんとは危ないんだと思います。 そもそもベストコンディションというのは、 すべての条件がベストに整っているからベストコンディションなのではない、 どこかが欠けている時にベストコンディションになる、 という信念を私は持っているんです。 国際女子マラソンの第1回目と2回目の優勝者、 イギリス人のママさんランナー、ジョイス・スミスさんが 優勝した時の談話がとても良いんですね。 「自分は体調が悪かった。 前の晩、ほとんど眠ることができなかった。 それでも優勝できました」 と言ったんですね。 なるほどと思いました。 これはこの人にとってのベストコンディションだったのだと。 すべての状況が揃っていると油断があり、失敗があります。 安心していたり、不用意だったりしてしまう。 どこか欠けているからベストコンディションというのが生きてくる。 それが本来の生命のメカニズムというものであり、 人間関係のメカニズムもこれではないか。 「一病息災」という言葉ともつながりますね。


B:先ほどからのお話の流れで行きますと、 その「一病」を駆逐して、単に万全をめざしているのが 今の私たちの文化だと言えるでしょうか? まさにその通り。 いまはサプリメントやら健康法やら、 すべて「一病」を追放しようと躍起になっています。 外見的には良くなっても、 心が病み始める、ということがあります。 そして、生き残りたい、生き残りたいと思っていると、 不安と危険は必ずついてまわりますね。 文明を享受しようとする限り、 絶対に安心・安全な社会はわれわれのところにやってこないし、 そもそも原発を作って安心・安全な社会を手に入れようという発想が 根本的に倒錯しているということを、認めなければなりません。
カンガルースタイルをいますぐ止めよ

B:先生は京都にお住まいで、 きょうはこうして東京でお目にかかっていますが、 東京ではしばしば皇居の周辺を散歩されるそうですね。 皇居の近くに定宿があるんです。 時間があると内堀通りを一周しますが、 私の足でだいたい五十分くらいでしょうか。楽しい時間です。 内堀通りを西のほうへ、右回りに歩くと、 正面に東京タワーが見えてきますね。 夕方に歩く時は、 「ああ、太陽が東京タワーに串刺しにならないかな」 といつも思います。 残念ながらそういうチャンスは今までありませんでした。 位置的に、必ずそういう瞬間が一日の中にあるはずです。 タクシーの運転手さんに聞いてみても 誰も「見たことない」と言いますね。 あるいは見ても気がついてないのでしょう。 もし見ることができたら、 それはきっとすばらしい光景だろうなと思っています。


B:先生の本にはしばしば、「自然」「風土」、 そして「自然宗教」も登場しますが、 東京の風景についてその太陽と東京タワー、 意識したことがありませんでした。 さきほど京都住まいということを言われました。 けれども、京都というとなにか東京よりゆったりしているイメージがあると 思われているのかもしれませんが、とんでもありません。 最近は自転車のマナーが劣悪になってきました。 ものすごいスピードで走っていて、おちおち散歩などしていられない。 特に子どもを一緒に乗せたママさんたちがひどいです。


B:若いお母さんたちが。どうしてなのでしょうね。 最近の若いママさんたちは、子どもさんを一緒に連れて歩くときは、 ハンモックみたいに胸の前にブラ下げているでしょう? カンガルーのようなスタイル。 あれが問題の根本だと思っています。 われわれの時は、おんぶスタイルですよ。 変わったのはおそらく戦後でしょう。 なぜカンガルースタイルがいけないかというと、 子どもが見上げると、そこには母親の顔しかありません。 母親にとっても前には子どもの顔だけ。 つまり、母子関係が非常に閉ざされたものになります。 核家族化の中で母親と子どもがいつも向き合っているという、 息苦しい状況と同じですね。 自転車に乗る時も、その関係性が継続しているわけです。 だからママさんたちは、自分の子どもは見ているけれど、 他人は見ていない。 こういうことが、今日の人間関係の根本を崩し始めていると思います。 しかし、こういうことを母親たちの会合で言うと実にシラけますね。


B:対して、おんぶスタイルには利点があるということでしょうか? おんぶがなぜ良いか。 あのスタイルだと、子どもは母親の首筋を見ていますね。 歩いたり、洗濯をしたり食事をしたり、 汗をかいている、髪が乱れて働いている母親の姿を見ているんです。 外に買い物に出れば、母親の頭越しに、空が見える。 そこには自然があります。 樹木があれば樹木を見、 商店街を歩けばそれぞれの店を見ている。 そこに群がる人々を見ている。 つまり世間を見ている。 だから背中におぶうことは、それだけ子どもを育てる上で 重要な機能を果たしていたんです。 それを戦後のママさんたちは捨てた。 これが戦後の母子関係の不安定さをつくりあげているのではないか、 というのが私の仮説。 どうです? 鋭いでしょ(笑)。


B:なるほど。 おんぶしている母親を、確かにほとんど見なくなりました。 この話にはまだ続きがあります(笑)。 そのカンガルースタイルが現れた頃、 おそらく昭和三十年代の高度成長期だと思いますが、 ほぼその時期に、「米づくり」という言葉が使われだしました。 それまでの時代には「稲作」と言っていましたね。 稲作には必ず稲の祭りがあり、 そこにはちゃんと伝統的な価値観が継承されていました。 ところが「米づくり」という言葉が意味しているのはつまり、 クルマを作るようにコメを作る、ということなんです。 「稲作」という文化のレベルから、 「コメ」というモノのレベルに落ちてしまった。 この転換が、今のTPPの問題にまで尾をひいており、 農業の衰退とも大いに関係があるとにらんでいます。
ヒントの一つは宮沢賢治

B:とてもユニークな「カンガルースタイル撲滅論」とともに(笑) 農業の問題が出ましたが、 先生の故郷である岩手県花巻市から、 「農民芸術概論綱要」を書いた宮沢賢治が出ています。 先生はやはり子供の頃から、 賢治の作品には親しんでこられたのでしょうか? ご近所さんですからね。 確かに非常に近しい存在でしたし、 宗教学なんてものをかじるようになってからも、 五十年以上、賢治を読んできました。 宮沢賢治という人は、 明治の三陸津波の年(明治二十九年)に生まれ、 昭和の三陸津波の年(昭和八年)に亡くなっているんですね。 まずそういう不思議な符合がある。 それからこの度の災害に対して、 ワシントンDCのワシントン国立大聖堂で 「"A Player for Japan(日本のための祈り)"」 が行われました(四月)が、 その場で「雨ニモマケズ」が日本語と英語で朗読されています。 またロンドンのウェストミンスター寺院での 日本人のための祈りの集会(六月)でも、 やはり「雨ニモマケズ」が朗読されています。 賢治という人は、これからますます重要なキーパースンになると思います。


B:賢治の中のいったい何が、今必要とされ、 呼び出されようとしているのでしょう? 「世界全体が幸福にならなければ、個人の幸福はありえない」。 このメッセージがまず、そうだと思います。 それから童話『グスコーブドリの伝記』に、 人々と社会の幸福のためには、 ブドリが犠牲にならなければならない、 という箇所がありますが、その「犠牲」という問題。 近代文明には必然的に「犠牲」が伴いますね。 弱肉強食の世界ではどうしたって弱者が犠牲になる、 そういう現代文明そのものの業のようなものを 考えなければいけないところまで私たちは来ていると思います。 その矛盾にいちはやく気がついていた文学者・思想家が宮沢賢治だと思います。 そしてその作品が、英語以外にも世界中の様々な言語に翻訳され、 日本人が思っているよりも はるかに世界の多くの人々に読まれているという、 客観的な事実があります。 その意味するところを日本人がよくよく考え、 この状況を活用していくことが大切だと思います。
天地万物教と新たな知の創造

B:様々なことをお聞きしてきましたが、 やはり先生には、最後に宗教についてうかがいたいと思います。 先生はずばり、 「既成の世界宗教は、すでにその役目を終えている」 と書かれています。 キリスト教、イスラム教、仏教、これらの世界宗教が、 大気汚染や温暖化現象、砂漠化といった 世界大の危機に対して処方箋を書けるかといったら、 私はもう不可能だろうと思っています。 しかし宗教なしで人類が生き延びることができるかといったら、 そんなことはありえない。 つまり、新しい宗教が必要とされているんです。 それは、「天地万物に命が宿っている」という宗教だと、私は考えます。 天地万物教と私は呼んでいますが、 いまから五千年、一万年前の地球では、 どの地域でも人間たちは天地万物教で生きていたと思います。 いま人類は、そこまでイマジネーションを拡げて 考えてみることが必要なのではないか。


B:その「天地万物に命が宿っている」という宗教は、 いわゆる「アニミズム」とは違うものなのですか? アニミズムは、十七、十八世紀の、 西洋の進化論的な考え方の中で生まれたものです。 ですから、そこには未開の、 最も原始的な宗教の段階だというニュアンスが含まれている。 そんな言葉を私たちがわざわざ使うことはありません。 しかし天地万物教を広く発信するためには英語にすることが不可欠で、 それで現状ではanimismで済まされてしまい、 そこは確かにツラいところです。 新しい英語をつくる必要がありますね。


B:アングロサクソン的な価値観や世界宗教がまだまだ根強い地域以外の、 もっとマージナルな場所、例えば内モンゴルなどでは、 かつてシャーマンたちが中国から弾圧されていたのが、 今また再活性化し始めているような現状もありますね。 恐山のイタコもそうでしょう。 今度の災害に関して現地に行って感じたことの一つに、 人と人の縁、絆ということをよく言うけれども、 死んだ人と生き残った人のタテの絆はどう考えるんだということがありました。 これはまさにシャーマニスティックな絆ですね。 恐山では、医療支援体制の進歩とともに、 イタコによる仏降ろしがだんだん減ってきていたのですが、 今回のような災害で亡くなった方、 交通事故や自殺などで肉親を奪われた遺族の方による 依頼が多くなっているというんです。 いま、仏降ろしがふたたび再活性化しはじめているんですね。 私は今日流行しているうつ病だって シャーマンが治すことはできると思いますよ。 精神科医の対面カウンセラーでは限界があります。 目に見えないものとのつながりをどうするか、という問題が、 そこには決定的に欠けていますからね。


B:では最後に、我々の世代が これからやらなければいけない宿題をお願いします。 まずは、カンガルースタイルを止めること。 これは、いますぐにできることだね(笑)。 いや、冗談ではなく、私は本気で親子関係から個人の自立についても、 それで変わると思っています。 それからもう一つ、学問をやってきた人間として言いたいのは、 既成の学問の枠を飛び越えて、 新しい学問をぜひ創造してもらいたい。 私は、大学の学長さん方が集まるある会合でこう言ったんです。 「学問には、予想することができる学問とできない学問がある」。 私が片足を突っ込んでいる宗教学は 予測することができない学問です。 事実、私自身、地下鉄サリン事件の半年前に 麻原彰晃と対談していますが、 オウム真理教事件を予想できませんでした。 経済学もそう。 オイルショックもリーマンショックも 予測できたエコノミストはいません。 天文学や物理学は予測可能な学問かもしれないが、 予測できない事柄があまりに多いのだから、 それぞれの学問の垣根を取り払って、 手を結んだらいいと思うんです。 そして新しい学問をつくる。 それがこれからの大学に要請されることだと思います。 二十一世紀は間違いなく大災害の世紀になるはずで、 それにどう対処していったらいいのか、 世界規模の大問題です。 その問題に対して、ぜひわが日本から、 伝統を継承しつつ新しい価値観を、 世界に向けて発信してほしいと心から願っています。


B:ありがとうございました。



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