手から 手へ

- interview with 上神田梅雄 -

日本の豊かな自然風土は、
四季折々のすばらしい食文化を培ってきた。
ひとり飯や便所飯、加工食品の氾濫、偽装表示、
環境汚染による食の安全問題など、
食をとりまく人間の営みも大きく様変わりした今、
私たちは食にどう向き合っていけば良いのだろうか。
いのちの原点である、“食べる”とは何か、
“食を仕事にする”とはどのようなことか、
長年に渡り、現場で包丁を握りつづけてきた
和食の専門家、上神田梅雄氏にお話をうかがった。


上神田梅雄 Umeo Kamikanda


1953年、上神田家10人兄弟の7番目として、岩手県普代村に生まれる。
1971年、岩手県立久慈高等学校卒業、
実家の家計を助けるため、製綿業・雑穀業に従事。
1973年、上京し、新宿調理師専門学校・夜間部に入学。
1975年、卒業と同時に和の料理人、西宮利晃氏に師事し、
12年間修業を積む。
1987年、銀座「会席料理・阿伽免」にて料理長となり、
その後24年間・5企業で総料理長を務める。
1989年全国料理コンクール優勝。
2011年、母校である(学)新宿学園 新宿調理師専門学校・校長に就任、現在に至る。
宮内庁御用 調理師松和会相談役、希望郷いわて文化大使など、幅広い活躍をしている。
著作『四季のおもてなし料理』『調理師という人生を目指す君に』。

新宿学園 新宿調理師専門学校 公式ホームページ
http://www.shincho.ac.jp/







B:校長になる前は、調理師として38年間現場に身を置かれたそうですが、 その修行の厳しさをご著書で拝読し、とても驚かされました。 蓮や蓮華は泥沼から美しい花を咲かせます。 なぜ、蓮や蓮華を仏教の花にするのかというと、 泥沼は欲望や権力、策謀に満ちた人間の欲望の世界なわけです。 そこから穢れなき一本の筋を伸ばして、花がパッと咲く。 仏様はそこに座っている。 少し気持ちが歪めば、たちまち娑婆の泥にまみれてしまう。 でも、仏様はそんな心配や憂いもなく、穏やかな顔で座ってる。 きれいな所からきれいな花を咲かすのではなくて、 泥の中からというのが大切な教えなんだろうと思います。 泥にまみれたくないからといって、 山で仙人のように暮らしてたってダメですから。


B:先生にとって花を咲かすとは、何を意味しますか? 地位、名誉、お金ということではないです。 花は、人としての美しさのようなものだろうと思っています。 私が見てきた範囲では、調理師の世界というのは、中々そうはいかない。 我々のようにたずさわってる人間に一番問題があり、 次にそれを見て、評価するお客様にも審美眼がない。 西洋ではコックの評価は高いですが、 日本では、調理師免許は唯一、身分保証のない国家免許です。 私は民間で板前を30年以上やってきたから言えるのですが、 実は、大してありがたいものではない。 他の国家免許はすべて身分保証といって、 その免許を持っていない人は仕事にたずさわってはいけないんです。 我々の専門学校も、便宜上、学校と呼んでもらっているけど、 私に言わせれば職業訓練所。 私を含め教員たちも、この学校の卒業生なので、 小・中・高校までの学校と一緒だと考えたら大きな間違い。 そこを勘違いしたら、本当に社会から望まれるような教育はできないです。 2年前に校長として着任した時、 玄関で生徒たちに「おはよう」と声をかけると返事ができない。 もちろん挨拶もできない。8割以上の者がそうでした。 そして教職員の姿を見ていると、 生徒から「おはようございます」と言うと、 「ああ、おはよう」って顎をつき出してる。 だから職員会議の時に、 「先輩として言わせてもらうけど、皆いつ先生になったの?  俺たちは調理師、ここは職業訓練校だよ」と。 生徒たちを飲食サービスの世界に送り出すために、 職業意識を持たせなきゃならないのに、先生たちが職業意識を持っていない。 先生がふんぞり返って、生徒たちが挨拶したら 「おおっ」と返すのが先生の権威だというくらいに思って、勘違いするなと。 自分たちが何者であるかをきちっと自覚することが大切です。 もしここがホテルなら、あの玄関から入ってくる人はお客様。 たまたま学校だから生徒と先生と呼ぶけど、 実はレストランなら一年間のご予約を入れてくれている大切なお客様じゃないか。 親御さんからお預かりした大切なお子さんだというおもてなしの気持ちを持ったら、 私たちの方から挨拶をするでしょう。 まだまだですが、この2年間で6割の生徒は挨拶ができるようになりました。 立ち止まり、かかとを揃えて、キチッと礼をして挨拶できる子は2割。 目標は8割。もっと磨きをかけようと話しています。 調理理論などの座学も大切ですが、 朝寝坊しないで、呼ばれたら気持ちよい返事をして、 「はい、わかりました」とやれる子は、 社会に出た時に、元気で挨拶が良いな、偉いなと喜ばれます。 本当の勉強は、社会に出てから、現場の人たちに仕込んでもらえば良いので、 この学校から、元気な挨拶ができる子を世の中に送り出したい。 どんな組織でも同じでしょうけど、まずスタッフを育てなければいけません。 良い生徒を欲しいと思ったら、我々が良い先生にならなきゃダメです。 本当に先生と呼ばれるのにふさわしい自分になる努力をしつづけようと話しています。


B:ご著書には、作り手の魂の品性が料理の味に出ると書かれています。 先日、生徒たちに掃除をしようと呼びかけました。 すぐ来てくれた子たちは感度が良いですよね。 遊びに行こうとかじゃなく、 掃除をしに行こうという呼びかけに応える子たちは、 何か自分のプラスになるんじゃないかという勘が働くわけです。


B:その感度は、今後の料理の道に影響すると? ぴったりです。 感度のない作り手は、 相手の心に響くようなものを作れるわけがないです。 絶対に。


B:それが魂の品性というものですか? そうですね。 魂の読み方としては「こころ」と読んでもらいたい。 上っ面ではなくて、「たましい」と呼べるぐらいの心の品性。 調理師の世界は、やはり厳しいし、手加減がない。 そして、社会の表も裏ものぞける際どいところにいます。 だって食べない人間はいないですよね? お客様はどんな人でも来ます。 趣味の世界であれば、興味のない人は来ないけど、食べるのは生きるため。 美味しいものとなれば、誰でも来るんです。それが自然の欲望ですから。 そういう意味でいえば、カウンター越しに世の中を感じられる職業です。 そして、やっぱり刃物を使うので、気持ちがテレっとしていたら勤まらない。 刃物の切れ味と、生きる切れ味は似たようなものです。 だから腕の良い料理人が、白衣を着て、包丁をスッと持った時、 感度の高い人が見れば、違う世界に入ったなと感じるはずです。 そういうオーラを感じる職業だと思いますよ。


B:その切れ味、感度を保つために何か心がけていますか? そういう感覚を保つためには、 やはり人間学を勉強しなければいけないと思います。 調理師は技術だけ高めれば良いという風に思いがちです。 私は師匠についた16年間に、調理技術や知識などはいろんな親方から、 そして本からも学びましたし、先輩たちに追いついていく方法もなんとなくわかった。 芸術でも、料理でも、最後は独学です。 しかし、人としてどう生きていくかということに関しては、 どこを目指して、誰を見ていけば良いのだろうかと、 すごい不安に陥ったことがあります。 人は、何のために生まれてきたのかということを自分流に言えば、 全員幸せになるために生まれてきた。 “something great”という表現もありますが、 もしかしたら、自分には自覚がなくても、生んでくれた親、 生み出してくれた目に見えない力は、天の力かもしれませんね。 だって、この娑婆の世界は、人間が価値を決めたり、 人間に都合の良いことをやってる。 原子力を持つにしても、自分たちのことしか考えていない。 自然を相手にしている人は、そこに目覚めて、 覗いてるんじゃないかなと思います。 人も、木も、虫も、微生物も、神の前では皆平等だと。 でも、大概の者は、人より美味しいものを食べたい、 良い地位について、良い格好をしたいだとかで終わってしまい、 醜い心で、人に嫌な思いをさせたりして、生きているんです。


B:ご自身の稼業として謳われている 「物言わぬ天の意志を この一皿に現す仕事」という言葉には、 そういう思いを込められたのでしょうか? はい、そこにも通じます。 天地の恵みを調理して、一皿に盛ってお届けする。 ここに、魂と神の与えてくれた意志を、 祖末にしないように最大限にメッセージを添えてお届けしなかったら、 本当の仕事にならないだろうと思います。 だから調理師だけではなく、音楽家は神の意志を楽譜に乗せ、 絵を描く人は筆に天の意志を乗せる。 「天に仕える事」、それでこそ仕事であって、 それ以外は食べていくための職業だと思います。


B:「職業」ではなく、「仕事」を伝えたいということですね。 はい。1、2年と限られた時間ですけども、 子どもたちにそこを青筋立てて伝えたいし、 私じゃないと伝えられないと思っています。 できれば、この真っ白な時に、そういう意識をどこかに持たないと、 現場では日常に追われて、 低賃金・過重労働の分の悪い仕事だという思いになってしまいます。 料理長になった人でも、そんなことを考えているものです。 飲食の世界は、生産性が低い。生産性というのは一人当たりの売り上げ。 生産性が低ければ、給料は沢山出ないということです。 儲けるという字は「信」に「者」、 つまりファンを作るということですよね。信者をつくる。 儲けが目的なのではなくて、ファンをつくることに徹すれば、 結果的に儲かるということです。 私だって、これに置き換えれば、 生徒たちにこの学校に来て良かったと思われる学校にしつづければ、 結果的に学校に利益が出て、働く先生たちにもボーナスが出せて、 次に入学する生徒たちのために、より良いハード面の改善も進めていける、 良い方の循環に入っていく。それにはまず、ファンをつくること。 同じお金を払ってこんな良い思いをした、 そう思わせることの継続が仕事ですし、 そうすれば自然とファンがついて、お礼を言われて、 お礼を言われた自分もあったかい気持ちになる。 もちろんお金も入ってくる。 そうしたら、もっと腕を上げて、勉強して、 もっと喜んでもらおうという循環が生まれます。 それを、自分だけが幸せになろうという思いに偏ると、 誤った方法をとるわけです。 まず、相手に喜ばれよう、相手を幸せにしようと思えなければ、 良い循環には入れません。 一対一の人間でそういう関係をつくれれば、 街全体、国、そして国と国とがそういう関係になる。 原理原則って理はひとつなわけですから、 そこを感度の良い子たちが10人に1人でもいいから、 うちの学校に来たことで感じてくれたら嬉しいですね。 たかが調理師、されど調理師って、 誇りをもってやれる子たちが増えて欲しいですよね。 そうじゃないと本当に泥にまみれてしまう。 人に喜んでもらえる研鑽を積んで、貯金をしていけば、 どんな人、どんな場面でも喜ばせることができるかもしれない。 生徒たちには、「調理師として必ず必要になることしか用意してないからな」と話しています。 習うか、習わないか、最後に決めるのは君ら自身だと。 我々にできることは、学びの泉のそばに連れていってあげること、水を飲むのは自分だと。 首を抑えて飲めといってもダメで、喜んで、自ら進んで水を飲まなければいけないのだと言っています。そんな小言を卒業まで飽きずに言い続けるわけです。 親父の仕事ですよ。親の小言と冷や酒は後から効いてきますからね。(笑) 生徒が卒業までになった姿は、 我々の働きかけがそのまま現れているようなもの、我々の映し鏡です。 その真剣さを持たなかったら、良い生徒となんて出逢えません。 私は調理師の職業についたおかげで、 カウンター越しに、人間の下品さも見るわけです。 お酒を飲めば正体が出ますし、その人の品性が見えます。 ある意味、日本という組織をピラミッドに見れば、 我々は底辺に近いところから上を見ているようなものです。 スッポンのように泥の中から、世の中の組織を見られる職業。 月とスッポンですから。(笑) 人間学を見ます。 しかもネクタイをゆるめて、お酒が入れば、 過ぎる下品な人も沢山いるわけですし、食べ方の汚い人もいますね。


B:やはりテンションは少し落ちますか? そりゃあ、そうですよ。 作り手を良い気持ちにさせなかったら、美味しいものにありつけないですよ。 家庭だって奥さんを良い気持ちにさせないのに、 美味しい料理が出てくるわけがないじゃないですか。 作り手の感性と召し上がる方の感性が、ちゃんと土俵に登らないと、 一方通行になってしまいますよね。 料理の見えない部分の、料理人の手間を思いやり、 そのねぎらいを楽しめる人じゃないとね。


B:なるほど。 もてなす側のマナーもあるし、 もてなされる側のマナーもあるということですね。 そう、「やまびこ」と同じです。 「ヤッホー」と言ったら、「ヤッホー」と返るし、 「このヤロー!」と言えば、「バカヤロー!」と返ってくる。(一同笑)  こんなわかりきった理はないわけですから。


B:食のあり方は、日本の社会にどんな影響を与えていると思われますか? 食は、「人」に「良」と書きます。 食を皆で真剣に考えたら、日本の国は良くなるでしょう。 国は、教育の3本柱について国家憲法に“知育・体育・徳育”と書いてある。 知識、運動、道徳ですよね。 そして、今の学校教育はこれまでの3つの育に さらに食育を加えて4本柱だと言っているわけです。 でも、食育は、知育や体育や徳育と並べるような話じゃない。 その3つの上に位するのが食育。 食育がないのに知識をつけてどうするんですか?  好き嫌いをして、感謝する気持ち、物を大切にする気持ちもないのに。 そして食べられなかったら体育をやるどころの体力じゃないでしょ、と思いますね。 文化はあった方が豊かな暮らし、情緒豊かな人間らしさは味わえるけど、 ないからといって、死ぬわけじゃない。 でも人間は心で食べることもしないと、心身が健全にいかない。 動物は餌だけで生きるけど、人間だけはやっかいで、心にも胃袋がある。 そっちに食べさせるのが、音楽だったり、お花だったり。 だから料理は、芸術性を兼ね備えてないと皆満足してくれないですよね。 食品で終わるわけにはいかない。 食品に、研鑽をつんだ先人たちから伝わってきた技をほどこして、 さらに芸術的なものにして提供する。 それに食べ物ってね、お膳に乗っているものだけではないんですよ。 サービスをする人たちの細やかな気遣いだったり、 入口に水が打ってあるとか、床の間に生けてある花とか、 全部トータルで安心・安全な環境を作って、 そういうものを含めて料理というのはあります。 でも、震災の時には、そんなのは全部とっぱらわれます。 私の田舎は三陸なので、村長をしている高校の後輩から、 被災した当時の話を聞きました。 村長は役場に20日間も泊まり込みで、その間、家に帰れなかった。 20数日目にやっと「村長、一回家に帰ってください」と皆に言われて家に帰った。 そうしたら、役場ではおむすびと沢庵だったのに、 家では父ちゃんが帰ってくるというので、 白いご飯、牛蒡や大根などの保存のきく野菜がいっぱい入った汁物、 そして漬物があった。 それを見て、「すげーな! すげーごちそうだこと!」と思わず言ったと。 普段だったら「おかずがないのかい?」と不満に思っていたかもしれないけど、 それだけでごちそうなんですよ。 焼き物に刺身がと講釈たれるのではなくて、原点を忘れてはいけません。 先ほどの「物言わぬ天の意志を この一皿に現す仕事」には、 その自分への戒めの思いが含まれています。 それを料理人たちで共有したいですよね。 そういうことを思える人たちが是非業界のリーダーの位置にいてほしい。 やはり強い国、しっかりした国というのは、 相手を攻撃する強さではなくて、 しっかり自分の国民や家族を守っていける国だと思います。 よく人生は神の演劇だと表現する人がいます。 神の演劇ということは、脚本家は神様、我々はそのエキストラなわけです。 大根役者が殿様の役だったり、 いぶし銀の渋い役者が乞食のキャストになることだってあるかもしれないけど、 役をいただいたら不平不満を言わずに、ありがたくその役を引き受けて、 神様の意志をくみ、一生懸命にその役を演じる。 そういう覚悟を皆がもつということじゃないですかね。 こんなことを言ってる私も、25、6歳の頃に1年ぐらいスランプがありました。 まわりは真面目で良く働く子だと褒めてくれる。 しかし心の中では、「社長の息子に生まれてたら、こんな苦労しないで済んだのに……、 手はこんなにひび割れて、あいつら飲み食いして良い思いしやがって!」 と思っているドロドロの醜い心をした自分がいるわけです。 何万回唱えてもどうにもならないことを 堂々巡りに考えている自分自身に、嫌になってしまうんです。 本当に人間を辞めたくなるぐらいのスランプに陥りましたね。


B:どう抜け出されたのでしょう? それはもう、あがきましたよ。 朝出かける時、「今日こそは、料理長に辞めさせて欲しいと頼もう」と思っているんです。 いざ仕事に入ると、忙しくてそんな時間はない。 そして夜帰ってきて「明日こそ絶対言おう」と、 毎日そんな通勤をしている。 そうこうしているうちに先輩が先に辞めて、 ますます辞められなくなってしまった。 それまで以上に朝早くいかなきゃならないし、 夜もクタクタになって、風呂に入ってグテン!と寝る状態。 そして3ケ月くらい経って、 ふと、「あれっ?! 最近、あの堂々巡りしないな」と。 忘れていたんです。 人間暇だとダメですよ、考える暇がないくらいじゃないと。(笑)  そりゃあ、調理師だって12時間も14時間もやっているんだから忙しいです。 そういうことではなくて、やはり夢中になってやらないと、 誰でもそんなスランプに陥ります。 それからは曇り空から日が射したようでしたね。 迷いがなく、燃えて、初心にかえってやれました。 社長の息子に生まれれば良かっただとかの考えはなくなり、 反対に、俺にはそういう応援団なしでもやっていけるようなエネルギーを 神様は授けてくれているはずだと。 しかも両手があり、頭は弱いけど五体満足。 給料は安いと言っても、自分の体は、黄金のなる木。 お金ではとても計算できないぐらいの宝物をもらって 生れてきているのかもしれないと思えるようになりました。 これは強いですよね。 それまでは足りないことばかりを数えてましたけど、 そこに気がついたら、もう怖いものなしです。 子どもたちも、覚悟を決めて向かわないと、 低賃金・過重労働のやらされているだけのつまらない仕事になる。 お客様に言われたら、何でも作らないといけない。 心を込めて作った料理を喰い散らかされて、 ひどいと灰皿にされて返ってくる。 「お金を払ってるんだから、俺の自由だろ!」 みたいな下品な人に奴隷のように使われる。 そうなってしまったら、つまらない仕事です。 そんな瀬戸際にいる仕事場だから、 心の覚悟だけはつけさせて送り出したいなと。 本当に願い、祈りですよね。 この学校では、私が着任した時に、 「手から 手へ」というキャッチコピーを掲げさせてもらったんです。 大切なお子さんを親御さんの手から、私たちの手にお預かりします。 そして心構えと覚悟を学ばせて、送り出す時には、 親御さんと我々の思いを引き継いでくれる料理長さんの手に渡したい。 一人前に育ててくださいよという意味の「手から 手へ」。 これは調理師学校だけじゃなくて、人間の営みだと思いますね。


B:良い循環のひとつですね。 そうですね。一人ではできません。 いかに賛同してくれる人たちを巻き込めるか、協力をもらえるか。 その人たちの心の琴線にふれなければ、協力を仰げないわけですから。 お料理だって、料理を作る人、運ぶ人、 皿を洗う人、皆の協力を得なきゃいけない。 給料出してくれたらやりますよという人はいるかもしれませんけど、 この人と働けて良かったと思ってもらいたいなと、 現場の時からずっと変わらずにあります。 今は、何割かの人たちは感じて、動いて、反応してくれているので、 少し微風が吹き始めているのかな。 なんとか泥の中から花を咲かせたいですね。 私は今、学校運営ではなくて、 学校レストランを経営していると思っています。 レストランを経営したらどうします?  お店をきれいにして、お客様が来る前に水をまいて、 玄関の先には季節の花を植えたりしてって思いませんか?  私は、別に偉そうに教育をやっているのではなくて、 調理師としてできるおもてなしを考えているだけなんです。 我々の職業ならではの小さい発見だとか、 喜び、これに気づければ楽しいものです。 ただ単に賃金を得るための労働で終わらないで、仕事にすれば、 誇りに思えるだろうし、楽しい世界が見えてきます。 そういう人が増えて欲しいですね。 もっとも品性のある素晴らしい料理だと私が讃えたいのは、 見返りを期待しない母親が作る「おふくろの味」。 皆で途絶えないように継承していかなきゃならない人類共通の財産は 「おふくろの味」なんだと思います。 旦那の限られた収入の中から、家庭経済を考えるけれども、 健康はないがしろにできない、そしてハレの日や子どもの誕生日には、 祝うような料理だと感じてもらうようにするため、 大根一本だって、切れ端をしなびかせて捨てるような無駄はしない。 国は、女性にかかっているから母国と言うのだし、 女性が賢くなければ国の将来も危ういです。 女性たちが美味しい店を知っていることを自慢しあうよりは、 家でお米をちゃんと炊けて、沸かさずに香りの飛ばない味噌汁が作れて、 どんな野菜でも受け入れて無駄にしない米糠のぬか床をこねられること。 しなびた野菜だって、水につけてシャキとさせてからぬか床につければ、 皆食べられるものです。 こういう先人たちの食の知恵を伝えていかなければならないですよね。 私は、好き嫌いをしないで、 すべてに感謝をしていただく日本人のマナーに誇りをもっていますし、 人として最高のマナーだと思います。 今は、好きなものだけ食べなさいと躾けます。 だからすべてに好き嫌いで判断して、仲間外れも出る、イジメも出る。 食べ物がその人をつくっているんです。 食べ物の成分というよりも、食べ物の食べ方が その人をつくっていると言った方が良いかもしれません。 このことを本気で皆で考える。 その原点になるのが我々の仕事だと思います。


B:未来をどういう風に捉えていますか? 先日、外務省の外郭団体「国際交流基金」の “日本の食文化の紹介”という文化交流事業で、 日本料理の専門家として派遣講師のご縁をいただきました。 訪問先は、南米のパラグアイ・アルゼンチン・ウルグアイの3カ国。 私は包丁一本だけ持っていきました。 家庭の祝い事で素人でも作れるようなものがやりたいと、 日本料理らしく手まり寿司を提案しました。 料理の原点は土産土法。 その土地の産物をその土地に伝わる作り方でつくるのが一番良いので、 材料を探すために日系の人たちの市場に行くと、 驚くほど良い野菜が揃ってる。 80歳ぐらいの日系の男性が座って見ていたのですが、 本当にこの人たちのような先人のおかげで良い思いをさせてもらい、 それなりに役目を果たせてきているんです。 今回のユネスコの無形文化遺産に 和食がノミネートされたということをきっかけに、 日本ですでになくなっている家庭の味、 親から娘に引き継いでいくべき「おふくろの味」を、なんとしても復興したい。 そうしたら日本は、世界の人たちから褒められる国に戻れると思うんです。 かつてノーベル賞科学者のアインシュタインは、 「日本という国を神様がつくってくれたことに、 世界の民族は感謝しなければいけない」 「人類は覇権を争って、戦いに明け暮れる。 その結果、戦いでは平和は訪れないということを、 人類は疲れ果ててやっと知ることになる。 その時に地球のリーダーとなるのは、この国の民族だ」 と言ったそうです。 そして国民の健康保険で国家財政が破綻しかかっていたアメリカで、 病の原因となる食生活を見直そうと1977年にマクガバン報告書が出されます。 それによると、人類の歴史の中で、病気をしない一番健康的で理想的な食事は、 日本の江戸時代の元禄期以前の一汁一菜、あるいは一汁三菜の食事だそうです。 そこにヒントがある。 豊かになった元禄期には、贅をつくすようになります。 その前だから質素なんです。 それを世界共通の食の知恵として世界の人たちと共有していきたいですよね。 今、フランスでは、ミシュランの星をとるような先進的なシェフたちが、 柚子、湯葉、醤油はもちろん日本のテイストを どう上手に取り入れるか日本食ブームが起こっています。 でも、それがきっかけになるのはありがたいことだけど、 目指すべきはそこではなくて、 家庭の中に入っていかないと食文化の共有にはならない。 私は今、この学校の校長を誰かに引き継いでいただいて、 学校直営のおもてなしレストランをやりたいと考えているんです。 女性だけを使いたい、つまり「おふくろ」の予備軍たちを仕込みたいんです。 それを家庭に持ち帰ってほしい。 その種を蒔きたいと思っています。 女性を育て、女性たちが賢くならないと、国の未来はない。 賢くなるには、料理をやらないとダメ。 料理は人の心を養い、大切なことをすべて教えてくれます。 「おふくろの味」を伝えていくこと、それが目標ですね。 私が生きている間にできそうなことはそこかなと思っています。 その時は、ぜひ食べにきてください。


B:はい、ぜひ伺わせていただきます!  本日は、ありがとうございました。



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