引き合う反作用

- interview with アーノルド・ミンデル -

争いや対立は人間の性(さが)なのか。
この先も世界は血を流し続けるのか。
内外で起こる様々な出来事。
これを覆う目には見えない嗜癖プログラム。
明るく輝く月をみても、それは月の一部であり、暗く欠けている部分を見ることはない。
「ドリーミング(夢見)」を心理学にとりいれたミンデル氏は、
現在起こっている出来事の背後にあるマトリクスに注目し、
量子物理学やシャーマニズム、身体症状、関係性の問題についてある答えを出しつつある。
現在も自己生成をつづけるミンデル氏のプロセス・ワークを通して、
世界が捕まえてはなさないジレンマについてお話をうかがった。

アーノルド・ミンデル プロフィール

1940年生まれ。
マサチューセッツ工科大学大学院修士課程修了(論理物理学)
ユニオン大学院Ph.D.(臨床心理学)。
ユング派分析家でもあり、
スイスとアメリカにプロセス指向心理学研究所を創設。
現在、アメリカのポートランドにあるプロセスワークセンター所長。
著作多数。



B:平和的または調和的な生き方というものを自分は望んでいると、
  多くの人が意識している中で、ミンデルさんは、争いを恐れないで、
  その中に入ってゆくことの重要性を言及されています。
  社会的、精神的に、ランクの高い立場にいて、
  そのような可能性に気がついている人の割合は、どれくらいいると思われますか?


精神的に高いランクを持ち合わせている人というのは、
スピリチュアルであるとか、メインストリームの流れにも適応し、
その能力によって、社会的なランクも得ている指導者やファシリテーターということですね。
もし、彼らが、対立的な紛争の現場において、情熱と共に平静さを発揮し、
自身がいつも動じずに、内的なセンターの中にいられるなら、
そういう人が必要です。
もちろんそれと同じぐらい、ランクの有無に関わらず、
いわゆる「普通の人々」も必要だと、私は思います。

動きの中にありながらも静止することができ、毎日の現実的な事に対処しながらも、
自分の深い内面にふれることができる。
そのような力は、やはり特別な能力だと言った方がいいかもしれません。
ですので、ランクが高いからといって、
必ずしもそのギャップに気がついているとは限らないのです。

本当は、私達すべてがそういう能力を持っているのだと思いますが、
どうしたらそこへ到達できるか、ということが難しい。
たまたま、そういう能力に目覚めることができた、という人もいるかもしれませんが、
たいていは努力しない限り、そのような状態に自分を持っていくことはできません。
何らかのトレーニングなしに、初めから、そういった紛争の現場に入っていって
流れをサポートする役割を担える人というのは、かなり少ないと思います。
そのことがひとつの大きな原因で、現在、世界で起こっているような、
様々な紛争が存在するのだというのが、私の見解です。


B:テロリストの性質というのは、誰でも持っているものだと理解していますが、
  個人の中で良いバランスをとるためにはどうしたらよいのでしょうか?<


これは非常によい質問です。
「テロリスト」という性質は、誰の中にもある一つの側面です。
まわりから耳を傾けられなかったり、存在を無視されたという感覚が、
そういう状態を引き起こすのだと思います。
置き去りにされてしまった子供のように、周囲から自分の存在を無視されると、
その人の気持ちや体は、そのことに対する恐れから、死や破戒といったものに向かいます。
あるいはそこまで行かなくても、自己嫌悪感や嗜癖問題を引き起こすこともあります。
否定的な緊張感から逃れたいがために、嗜癖の中に入っていってしまう、
ということを回避するには、自分の中にある静けさに耳を傾ける必要があります。
それができれば、バランスを保つことも可能だと思います。
これは、すべて内面的なワークと気づきのトレーニングになると思います。


B:日本人は、今回のテロ事件について、どのように関わってゆけばいいのかわからない
  というジレンマを抱えている人も多いようです。
  一方的にテロリストを糾弾するのも、単純に反戦運動をするのも、
  どこか本質的に違う、と感じてはいるけれど、明確な方向性を見いだせないでいます。
  加害者でも被害者でもない、紛争の直接的な当事者でない人は、
  どのような態度でプロセスに関わればいいと思われますか?
  またどんな役割を担ってゆくべきだと思いますか?


今、世界中の人々が、現在の状況の中で、
自分の感情をどう扱えばよいのかという疑問を持っていると思います。
今、この瞬間、テロリズムの本質について考えることは、
人類にとって、共通の問題として浮かび上がってきています。

しかし、この問題は常に存在してきたもので、
ただ、今まで語り合われなかっただけのことなのです。
どの学校の教室でも、どの職場でも、どこの道ばたでも、
より権力を持っている人は、社会的に力が無い人の声に、ほとんど耳を傾けない、
ということが起こっていたのです。
その結果、不幸や悲しみ、怒りや復讐という感情が生まれ、
それが最終的にテロリズムという形になって現れているのです。

このような無視、抑圧、疎外といったプロセスは、社会の中で常に起こってきました。
現代において、裕福な国のメインストリームにいる人々は、
この問題について、より強く意識していく必要があるでしょう。
なぜならば、この問題は世界全体が考えているからです。

私達ひとりひとりが、まず自分の内側にある問題を解決していく方向性がとても重要です。
そして、また、組織、学校、職場、コミュニティーなどの中でも、
より開かれた対話の機会を作り、特に立場的に弱い人の言葉には耳を傾ける、
という意識が必要だと思います。
 現在の世界的な問題も、私達の日常の中にある同じ問題と、
 本質的には同じものから生まれています。
もし、目の前に存在する身近な問題に取り組み、
これをなんとか解消できるという感触をつかめれば、
私達の恐れは減少し、人間としての強さを実感できるようになるかもしれません。
そのような日々のプロセスが、
結果的に、世界の問題を解いてゆく力になってゆくのではないでしょうか。


B:世界全体が嗜癖プログラムの中にあるような気がします。
  その先頭を走るアメリカと、置き去りにされた子供である第三世界の人々との関係は、
  ひとつの問題の裏表なのかもしれません。
  ミンデルさんは、嗜癖プログラムからの回復について、
  世界全体のレベルでみて、どのような可能性を考えていますか?


ここで言う嗜癖とは、私達が無意識的な行動を繰り返してしまうこと、
それが中毒症状のように、自分の意志では止められないこと、
という意味であるなら、
アメリカのように強大な権力を持っている国々は、立場的に弱い他の国に対して、
ランクの力=特権意識を、意識せずに使ってしまうという
嗜癖を起こしていると言えるでしょう。

たしか、第二次世界大戦中、ある日本人が、アメリカを
「眠っている巨人なので起こしたらとても危険だ」
というように表現したと聞きました。
たしかに、アメリカを始め沢山の国々は、「眠っている巨人」であり、
私たちは自らの力や状況が、他に対してどれほどの影響力を持っているか、
ということについて気がついていない部分があります。
力への嗜癖から目覚めるには、やはり外部からの刺激が必要なのです。
最近起こった事件は、まさにそのプロセスです。
ただし、巨人がただ気づいていないだけだとしたら、
もしかしたら、彼等が本当に目覚めることによって、
よい意味で世界のためにその力を行使する、という可能性もあり、
民主主義の国々は、本来、そのような力を秘めているはずです。

しかし、問題は現在の民主主義の在り方です。
より深い内面的な民主主義というものが働かない限り、事態は動きません。
だから私は、リーダーという立場にいる人が、どんな状況にあっても、
自分の内的なセンターを保つという感覚を、もっと学ぶべきだと思います。
また市民は、自分たちの選んだリーダーが、
人間性の問題、紛争や対立的な問題について、深く学び、
トレーニングを受けることを、要求すればよいと思います。

私達もリーダーも、より多くの気づきと能力を求められているので、
リーダーを選ぶ時、対立的な問題について、どのように理解し、
解決の方向へ持っていけるか、という能力の見極めが必要です。
公的な状況のみならず、個人生活においても、そのような資質が見られないかぎり、
リーダーとして選ばれるべきではないでしょう。
私達すべてが、様々なトレーニングを受けていくことで、
私達は回復する…と、私は信じたい。
なぜならば、それ以外に世界を変えていく方法というものを思いつけないからです。


B:今回の事件に限らず、世界には個人的には変えようのない、
  大きなギャップが存在しています。
  ミンデルさんは、近頃、アウシュビッツで非常に印象的なワールドワークを
  行ったと伺っています。
  そのプロセスでは、どんなことが起こったのでしょうか?<


世界には大きなギャップがあり、そこから私達の多くの悲劇が生じています。
その一つに対する試みとして、オーストリアの右翼保守派の人々と、
生き残ったユダヤ人達に働きかけて、関係の再構築を望んだのが、そのワークです。

まず、私達は、強制収容所の中で、死者と対話するというワークを行いました。
その後、大規模なグループプロセスをウィーンで行いました。
このグループプロセスには、多くのドイツ人、オーストリア人、ユダヤ人、
そして日本人を含む世界各国から参加者が集まりました。
とても痛みを伴うプロセスだったのは言うまでもありません。
かつて誰かに与えてしまった苦痛を、お互いに再認識するというのは、
もちろん、とてもとても辛い作業です。
戦争の後、過去の流血の歴史を覆い隠そうと、
セメントで道路を敷設したり、新しい建物を建築したりするという、
何が起こったかを忘れ去りたいという気持ちも、
私は理解できないわけではありません。
しかし、再び同じ惨事を起こさないためには、
過去を思い起こすという難しい作業が必要なのです。

私達は、「加害者」と「被害者」という役割を、
何度も考え、繰り返しロールプレイしました。
まあ、ここでそのワークの詳細のすべてを語ることはできませんが
『Sitting in the Fire』の中で、そのいくつかのプロセスについて触れました。
また、来年、Hampton Roads から出版される
『Beyond War, Creating Deep Democracy』でも取り上げています。


B:人間の遺伝子的な生命プログラムがあると仮定した場合、
  今、起こっている現象というのは、本来の調和的なプログラムが、
  進化のプロセスによって失敗して誤動作をおこしてしまったのか、
  あるいは自然界の暴風雨のように、
  進化のプロセスのために必然のプログラムとしてそこにあったのでしょうか?


私達は、生物学的な遺伝子プログラムを持っています。
また、家族のありかたというものにも、強く影響されています。
それに加えて、私たちは、社会から与えられる習慣や文化からも、
多くの価値基準を植え込まれており、これも意味としては、
「遺伝子」に近いものかもしれません。
そのような固定観念はある集団意識のようなものを形作っていて、
私達は、そこに所属しているという感覚を持っています。
その結果、家族、グループ、宗教、国籍、人種など、自分たちと違うものに対しては、
好きか嫌いかのどちらかでないといけないような気がしてしまうという反応が起こります。
しかし、その一方、私達は意識という才能も持ち合わせています。
それは、このような「遺伝子」的な反応の行動特性に、気づくことを助けてくれます。
気づくことによって、家族の歴史の中にいる自分というものを、
客観的に見ることもできます。
そして、必要であれば、自発的にその歴史に変更を加えていくことも可能です。
歴史とか将来は、決して固定化されているものではありません。
気づきがあれば、私達はそこに関わりながら、変容させていくこともできるのです。

個人としてもコミュニティーとしても、抑圧や疎外といったものに対して、
私達の気づきのレベルを上げていくことは可能だと思います。
そして、お互いに対して、その力を、抑圧や疎外という方向ではなく、
むしろその問題の本質を理解したり、学んだりする勇気として使っていくことが
できるでしょう。
私は、このような変容のプロセスが起こる可能性を知っています。
今まで、何千人もの人々とワークを行い、その中にはテロリストも含まれていますが、
確かに何かが起こったことを、何度となく体験してきたのです。


B:自然界は、一見調和的に見えますが、その中には、生存のための自然淘汰や
  サヴァイバルがおそろしい力で存在しています。
  人間の世界では、文明の発達によって、その働きを排除するようなあり方を
  必死に作り上げてきたように見えます。
  その副作用によって、嗜癖問題や戦争などが起こっているのでしょうか?


自然界が壮大であり、力強いことに、疑問の余地はありません。
私達の中には、サヴァイバルの法則のような何かが、たしかにありますね。
これは、心理的にも遺伝的にもそうですが、
またさらに、重力、電磁気、原子力などのような物理的なものによる反応もあるでしょう。
これは、宇宙を創造し、同時に破戒していく大きな力なのだと思います。
しかし、どこかに自然界の法則に対し、
何かを反映させてゆくキャパシティーのようなものがあると思います。
量子物理学の分野では、数値としてその反映の表れ方を見ることも可能です。
意識が物体に影響を与えていくという、この認知科学的な影響力は、
自然界の法則的な力に対して、何らかの距離を保つことができる可能性を秘めています。
まあ、ほとんど場合、そういう場面に出会うのは、
死ぬ時まで待たなくてはいけないという人が多いのですけれど。

私は、進化というものについて、いまだ予測不可能であると認識しています。
それは、今まで触れることのできなかった、反応や感情的な気づき、
そしてどのようなプロセスを経験するか、ということにかかっているのだと考えています。


B:ギリシャ時代の幼い民主主義によってソクラテスは殺されたけれども、
  結果的に約2400年後の今、民主主義は花開いています。
  我々が抱えている同じような幼い文化が花開くために、
  現在テロリズムが存在し大きく世界をゆるがしているのでしょうか?


民主主義は、まだ若いステージにいるのでしょう。
私達は形式的な民主主義しか知らないですが、
全ての人に、権利や平等を与えようとしているのは確かです。
しかし、私が言う、ディープな民主主義というのは、
現在の制度よりさらに先のステージにあるものです。
それは、より深い感情、夢、スピリチュアルな経験が、
他の要素と同じぐらい重要なものとして扱われる民主主義になるでしょう。
人選だけではく、人々の感情、夢や無意識をもとらえた民主主義ということです。
これは、政治的においても、スピリチュアルな観点からも、
次のステップに進むことによって生まれるものだと思います。
テロリズムは、今、存在する民主主義が、現実の心理的な問題、
社会的な問題を対処するのに不十分であるということの現れです。
私達は、よりディープな民主主義を必要としています。
また、それを作ることこそ、私達の責任ではないでしょうか?


B:本日はどうもありがとうございました。

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