Spiritual Data Book 2003 インタビュー

未来をデザインする

- interview with 川崎和男 -

自然は、もっとも創造性に満ちたデザイナーである。
宇宙を、地球を、膨大な数の生物たちを、創造し続けてきた。
人間が新しい何かを創造しようとする時、
自然を超える事ができるのだろうか?
形・色・動き・空間・時間・関係性… すべてはデザインである。
デザインディレクター川崎和男氏は、
目に見えないものまで、その対象としてとらえている。
未来のデザイナーが目指すもの、それは誰もまだ見たことのない世界だ。

川崎和男(かわさき かずお) プロフィール

1949年福井県生まれ。 金沢美術工芸大学産業美術科卒業 。
東芝にて、オーディオ機器の開発デザインから商品プロデュースに従事。
その後、川崎和男デザイン室を主催。28歳の時に交通被災により車椅子生活となる。
コンピュータを用いたプロダクトデザインの先駆者として著名。
伝統工芸品からコンピュータ開発、メガネや車椅子、
さらには人工心臓まで、幅広いデザインを手がけてきた。
かつて米アップル社より、次世代Macのデザインを依頼された事でも知られている。
現在は、名古屋市立大学大学院芸術工学研究科教授、
大阪大学大学院阪大フロンティア研究機構特任教授。
専門は、3D-CAD/CAMとラピッドプロトタイピングとして光造形システムでのトポロジー。
空間論からの形態造形デザイン手法の開発研究。
特にメディカルサイエンスによるプロダクトデザイン開発に携わっている。
1987年よりグッドデザイン選定審査委員を歴任し、
2001年からグッドデザイン賞審査委員長となる。

毎日デザイン賞、国井喜太郎産業工芸賞、日本デザイン大賞奨励賞、iF賞、
ドイツ国際デザイン賞、世界インダストリアルデザイン団体連盟協議会特別賞など、
国内外での受賞歴多数。
また、ニューヨーク近代美術館をはじめとする海外の美術館での永久収蔵展示品も多く持つ。
著書に『デジタルなパサージュ』『プラトンのオルゴール』『デザイナーは喧嘩師であれ』
(アスキー出版局)など。

B:川崎さんのデザインには、色や形だけでなく、
  イノベーションの発想が含まれているように感じます。
  何かご自分の中にデザインについての基準があるのでしょうか?


デザインは最終的にはモノの形であって、見えるという視覚的なものであり、
それから触りますから触覚的なものでもあるわけです。
ただ、その時にどうしても技術は大きく関係してきます。
包丁一本でも、器でも、コンピュータでも、技術が背景にあります。
それは技術屋が考えているのですけれど、
僕の場合は、「その技術でいいのか?」という事をまず疑います。
デザインというのは綺麗事だと僕は思っていて、
「それは人間にとって正しい技術なのか?」という事が一つ。
たとえば素材関係では非常に恐い事がある。かなり慎重にやっていたつもりでも、
新素材と言われている物には何年か経つと環境ホルモンの問題が出てきたりします。
その問いかけにはエンジニアとの人間関係、
あるいはそれを作ってくれる企業との信頼関係がまず必要となります。

それから、「その技術を自分は好きか?」というのが非常にあって、
「この技術は嫌だ。」と思ったらもうやらない。
そんなところが、自分のスターティングポイントにありますね。
そして、自分がアイデアを出し、技術にデザインを導入する事で、
階段をもう一歩、発明というところまで上がってしまいたいと思っています。
それはとてもささやかな事である場合が多いんです。
たとえば、スイッチ一つ押す事、ちょっと高さを調節する事に関しても、
今まで見た事もなかった、というようなものを形として出したい。
みんなが、記号として知ってしまっている形態をできるだけ排除して、
「あ、こういう事か!」という風にしたい。
まあ、そのためには能書きをいっぱい書かなくてはいけなかったり、
伝わるまで非常に時間がかかったりする事も多い。
僕には、商業主義的に「売れる、売れない」という話は一切関係無いんですね。
そんな事が目標ではない。クライアントの人にとってみれば、
「デザイン料を払ってるにもかかわらず、売れるモノを作ってくれないのか?」という話になるけれども、
そうではなくて、売れるモノなんてわからない。
技術にデザイン的なイノベーションもちゃんと加わっている、
それが形にまとまれば一番いい、売るモノを創る!というスタンスなんです。



B:たとえば、川崎さんがデザインされた眼鏡でも、
  しなやかな柔らかさが逆に強さになっていますね。
  今おっしゃった通りで、過去からずっと作られてきている物は、
  一番自然で効率のいい形になっていると私達は思いこんでいますが、
  実はそれをひっくり返すと、全然違う、もっといい物になる可能性がある。
  「ひっくり返す」という事は、ある意味で、「自然」を超えようとしている感じがするのです。
  その感覚というのは、子供の頃からあったのですか?


僕はもう54歳になるんです。
だから、もうこれは言ってもいいかなと思っているんですけれども、
それはやはり、ある種、天から与えられたものがあったんだと思うんですよ。
20代、30代の頃というのは、「自分には本当に才能があるんだろうか?」というところを常に問いかけていた。
ある時に気がついたのは、デザインの仕事というのは、自分で評価してもしょうがない。
では誰から評価されるのだろうという事を考えると、まわりが評価するんですね。
「川崎のデザインはこういうところがいいね。」と言ってくれる人が出てくる。
僕は、毎日デザイン賞というのをもらった時点で、ある意味、すごく肩の荷が降りたんです。
自分が天職だと思ってやってきた事を、まわりの人が認めてくれた。
だから今、学生達にも言うのですけれど、「自分に才能があるかないかという事は問いかけるな。
むしろそれはまわりが評価してくれる。周囲が評価してくれているということを聞いたら、
あ、自分は実力があるんだと思いなさい。」と。
野球の選手なんか見ても一目瞭然で、ホームランを打てば、
三振するやつよりは普通に実力があるなと思いますね。
土壇場のところで出てきて、ちゃんとヒットで返して、点数を入れる。
プロとして皆の期待をピチッと返すような事が、デザインの現場でもあるんです。

たとえば、1995年から僕がコンサルタントになっているナナオという会社があります。
『EIZO』というブランドで、コンピュータのモニターを作っています。
で、昨日その社長から電話があって、「先生、とうとう一部上場を果たしました。」と言うんです。
彼は普通の取締役で入社してから、全面的に僕のコンセプトを信頼してくれて、
一緒に『EIZO』というブランドを一つにまとめた人です。
IT産業が不況の中、そのプロジェクトを95年からやりだして、
ちょうど僕も大学人として名古屋に来る時でした。
考えてみると、そういう事を一緒にやりきるパートナーがいて、
その彼は僕の実力みたいなものを認めてくれた。
エンジニアに対しても、僕がもっと薄くとか、もっとこうだと言っているのであれば、
社長自らが、「じゃあ、どうしてそうやらないんだ。」と言ってくれていたと後から聞きました。
デザイナーというのは、大多数に対してのリーダーシップ性がとても必要なのです。
スタッフが僕の考えを理解していない時は、説明も一生懸命やりますが、皆の考えをくつがえすのは、
やっぱり自分であり、リーダーなんだと思います。それにはまず周りが信頼してくれるという事が必要です。


B:川崎さんも、よく喧嘩をされたそうですが、
  相手とぶつかった時、自分の考えが理解されない時に、
  なおかつ自分の信念やビジョンを信じられるというのは、
  才能がある若い人でもなかなか難しいかなという気がします。


生き方としては相当に損をしていると思うんですよ。
黙って「わかりました。」と引き下がって帰ってくればいいんだけれど、あえてそこで、
「あなたは、なに考えているんだ。その考え方は絶対間違えている。
それは10年先になったらわかる。」っていうぐらいの気持ちでやっているというか。
自分でも喧嘩師という言い方をしているから、初対面だと、
「川崎さんは恐い人なんで、会うまではビクビクして来ました。」なんて事を言われるんです。
頑固にプライドをもって発言するという事が、今の日本人には随分減ってきている。
それがいい加減な社会を作ってしまっていると思うんです。
やはり自分はデザイナーだし、そのデザインを通して発言していく限りは
絶対に譲れないところは譲らないという姿勢でいたい。
万が一、自分の考え方が間違えていたら、その時は素直に謝っちゃおうと。
途中で間違いに気づく時もある。
その時にはストレートに謝りに行くんです。
それは本当にごくわずかで、3年から5年に1回ぐらいしかないですけれど。
自分がこれはだめだと考えていたら、本当にだめになってしまった事は多いものです。

ユニクロの話にしてもそうで、講演会とかで「あれはデザイン的にどうなんでしょうか?」などと聞かれていたのですが、
僕は、「ああいうものがまかり通る事が嫌なんだ。あんなのすぐにだめになりますよ。」と言っていた。
でもその後も、まだグングン伸びているので、「全然だめにならないじゃないですか。」と言うから、
「そうではない。落っこちる時は一番高い所から落ちるものなんだ。落ちるにもエネルギーがいるんです。
だから落ち方は見物ですよ。」と言った2、3ヶ月後にドーンと落ちたわけです。
そうすると、「ああ、やっぱり自分の予知感覚は当たっていたんだな。」という感じです。


B:喧嘩して、もしだめならそれは全部自分に帰ってくるかもしれない。
  それは、ご自分の存在を賭けてきたという事だと思います。
  そのようなプロセスを続けてきたからこそ、本能的な感覚をお持ちなのかもしれませんね。


そういうものはありますね。その事を言われると、ある種、動物的な勘を持っている
日本のデザイナー、クリエイターで才能ある人は非常に少ないとしか僕は思えない。
それは、本当に感覚、それこそスピリチュアルな領域ということになってくる。
そういう意味でコミュニケーションができるのは、今はサイトウマコトしかいないんです。
彼は、ノーアカデミズムなんですが、もっと荒々しくて、それでいて非常に繊細で、
動物的に都市空間の世界で今の地位を築いてきたやつです。
だからその部分で、「どこをどうして、こうやったら美しいだろうなあ」という話を共有できるんです。
2年前、9月11日のワールド・トレード・センターがやられて、その中継を見ている時に、
東京と名古屋で一緒にその画面を見ながら、なんたる事だという会話をしていたんです。
「おい、今見たか?」という電話が入ってきて、同じチャンネルを見ながら、
二人でこれからの世界とデザインの話みたいなものをした。
彼と仕事をしていると、僕が怒り出す前に彼が怒ってしまう場合もあり、
せっかくのクライアントを二人して台無しにしてしまう事もある。
お互いにどっちかが止めないと、食べていけなくなるぞと言いながら、
「ああ、こんなわからない連中と仕事をするのはもうやめようぜ。」と、どっちかが発言してしまう。
逆に、全然お金にならないけれども、その担当者に二人して惚れこんだりして、
「デザイン料なんかいい。とにかくあいつを一人前にしたい。俺達のデザインで何かバックアップできないか?」
という事でやってしまう時がある。そういう潔さ、心意気、真直ぐさ、こういうものが社会的に、
特に今の日本の場合は、残念ながら欠落しているだろうという気がします。

B:デザインの世界でも、なんとなくおしゃれできれいな感じが   デザインだと思っている人は多いような気がしますが、   川崎さんはいつも、生きる事にダイレクトに繋がったデザインをされていると思います。   たとえば人工心臓のデザインなども手がけられていますね。その対峙する姿勢があまりにも違って、   同じデザイナーという肩書きでも、実際は全然違う存在なのではないかという感じがします。   一つお聞きしたいのは、比較的最近、医学博士になられていますね。年齢的な事もありますし、   普段のお仕事、コンディションの事もあり、ものすごく大変だったのではないかと思うのですが、   それでも挑戦されたのはどういうお考えからですか? 大学人でいるために基本的な資格が必要だろうというのがありました。 もちろん大学にもデザインという科目があるんだけれども、 正式に学者として評価されるかという話になった時に、実はされていない。 デザインをやっているのなら、工学博士や学術博士を取ってもいいのだろうし、 筑波大学だったらデザイン学博士というものもあります。 しかし、何か人間というものに関わって、 自分が今からやろうとしている研究を世界に持ち込んでいく時に、 「デザイナーが言う事だからね。」という取られ方をされる事が相当にある。 医学という職能は、200年かかってできています。 だからこそ、お医者さんは金持ちであったり、社会的地位が高かったりする。 それに対して機械工学が110年くらい、建築が100年くらい、 デザインというのは職能としてまだ50年ぐらいです。 デザインの世界から「これだ」と発言していくオピニオンリーダーでなくてはならないのに、 発言の順番もまわってこないし、情報も入ってこない。 たとえばイギリスに古くからある「ランセット」という医学雑誌すら購読できないし、 そのホームページにも入れない。 そこには、人間が200年くらい積み重ねてきた、 現代医学に至る膨大な知のデータベースがドーンとあるんですが、 それにすら学位がないとアプローチできない。 大学という世界の中で現実に発言していくためには、 やっぱり対等なところに入っていかなければと思った。 取得まで2年半くらいですか。これは非常にきつかったですね。 B:たとえば人工心臓など、医療に関わるデザインは、   これまでどんな人達が携わっていたのでしょうか? デザインという考え方が、基本的にまず無いんですね。 エンジニアの人が、技術開発の延長でデザインをしている。 人工心臓でいうと、東大の先端研が一番なんですが、 僕が「人工心臓やります。」みたいな事を言って、 はたして彼らは聞く耳を持ってくれるのだろうか?というのがあるわけです。 単なるポンプ機能の人工心臓というのではなくて、東北大の加齢研究所におられる先生の、 「喜怒哀楽みたいなものを、どのようにして交感神経と繋がりを持たすか」という論文を見た時に、 僕はすごく感動した。それでとりあえずメールを送って、 「こういうものに自分のデザインを取り込みたい。」と言ったら、すぐに返事がきて、 「実は私達も待っていたのはデザイナーの参加だった。」と言うんです。 一回も面識がないのに、日本人工臓器学会に入って欲しいと言われました。 それから人工心臓は「artificial organs」だから、これはアートなんだという話をしたら、 「デザインの専門家が、自分達のやっている仕事を芸術だと言ってくれた。 自分達も芸術だと思ってやっていたので、こんな嬉しい事はない。」と言って、 うちの学生と向こうの学生、お互いの交換が一気に起った。 山羊に人工心臓を入れる時には、うちの学生が出かけていって、 手術に立ち会ったりしながら、デザイナーの目で新しい学問の領域を探るんです。
デザインというのは、ありとあらゆるものに対しての接着剤みたいなところがある。 そこを広げて行けば、従来のデザイナーの変に細かいこだわりといったものより、 もっと幅広い所から、大きな段階で仕事ができる。 非常に潤沢な知識と人間関係を活用することで、 初めて職能としてデザインを社会的に回帰し、環流させる事ができるだろうと思います。 やはり自分がデザイン界でやっていく時に、リーダーシップを取るとしたら、 最先端のそういうところでやりたい。 現在、触覚やナノテクノロジー、医学の分野から、どんどん課題が持ち上がり、 それに対してのコメントを求められたり、学会で基調講演をやってほしいと言われます。 そういう所に出かけて行って、「この学会のマークはひどいですね。こんなのがシンボルですか?」 なんて事から始まるんです。 そうすると、「ああ、そうか、自分達も美しいものが欲しいのだ。」という話になって、 その事がその学会を突き動かすようになる。 そうなってくると、コンピュータ業界やロボット関連の団体などでも、 トータルなデザインのディレクションができる。 専門家達がやっているものを世の中の人へ分かりやすく伝えるというデザイナーの役割が果たせるのです。 学生がそれを見ていれば、こういった従来にはない世界に自分達も関れると思うようになる。 自分の役割は自分の活動の背中を見せることだと思ってます。 B:そのようなレベルの事をやりたい人には、とてもいい職業になるという事ですね。   最近、ユニバーサルデザインなどの新しい試みが行われていますが、   今後、未来に向けてデザインはどのようになっていくとお考えですか? 今、僕は、「グッドデザイン賞」の審査員長をやっています。 今年で任期が終わるんだけれども、ともかく領域を拡大するという事を主に掲げ、 「新領域部門」というのを設けました。 そしてモノだけでなく、ビジネスモデル、金融商品、社会システム、テレビ番組にも 「グッドデザイン賞」を授与してきました。 去年は皆から総スカンをくらいましたけど、「クレヨンしんちゃん」に賞を与えたいと言ったんです。 なぜかと言うと、あれ程子供達の本音を暴露し、 なおかつお母さん達が毛嫌いしているという番組はないからです。 しかしメディア規制法とかが出ると、一番最初にああいう番組がやられてしまう。それは困る。 やはりこういうものが無くなってしまう時代は恐いから、国の制度でこそ、 あの番組を守ってみたいという気持ちがあって発言したところ、皆から笑われた。 でも年が明けてみたら、文部省が「クレヨンしんちゃん」の映画に賞を出している。 だから審査員らに、「ほら見ろ、文部省に取られちゃったじゃないか。僕はデザインで取らせたかった。」と言ったんです。 子供達にとって、文部省推薦の映画というより、 むしろデザイン的におしゃれな映画だと言ってあげた方が、より良かったはずだと僕は思う。 それから「札幌モエレ沼公園」というのを、去年グランプリにしました。 それは新しい日本の公園で、それまでの公共事業、公共投資みたいなものを全く覆すやり方をしたんです。 一昨年は、仙台の「メディアテーク」という伊東豊雄さんの建築に授与しました。 いわゆる大きな公民館なんですけれども、 そういうものに賞を与える事によって、日本の行政すべてに注目してもらい、 自分達の街にも従来の箱物行政ではなく、ソフト面も充実させた施設を作る事を考えてもらいたい。 こういう事は、バブルの時代ならお金は潤沢にあってできたかもしれないけれど、 逆に言うと、今はお金がないから、なおさらそこにデザイナーや建築家、プロデューサーが介在して 知恵と美のあるチャンスを作る事が重要なのではないかと思っています。 将来においては、日本人にとって、ある種トラウマのようになっている原子力発電所。 僕は原子力推進派では決してないし、非常に恐いものだと認識してます。 自分の故郷には、あの「もんじゅ」もある。あんなものは本当は停止してほしい。 なぜなら、作り方も技術の扱い方も間違えている。 その部分にデザイナーが関われば、全然違うものにできると思います。 それからナノテクノロジーなどの領域。 今までデザインというのはビジュアルの世界だった。 しかし、ナノとなると見えない世界で、それをどうやってデザインするんだという事になる。 今、うちの院生たちには、ユークリッド幾何学を捨てさせて、 位相空間論、トポロジー幾何学をやらせています。 他の先生や学会から、訳がわからないといっていじめられるし、 論文を出しても、かなり戻ってきてしまう。 でも僕は彼らに、「今、迫害を受けるけれども、君たちは10年先の事をやっていいんだ。 僕も10年先の事をやっているんだから。」と言ってます。 Macが出てきた時、「マック・ザ・スケッチ展」という展覧会では、 「この展覧会、何?」と皆に言われたんですが、 僕は「10年後、ほとんどのデザイナーはこのMacの前に座っている。」と言ったんです。 そうしたら、案の定そうなった。 僕は10年先がなんとなく予感できて、それはユークリッド幾何学ではなく、 トポロジー空間論の「近さの概念」の中にある。 今まで数学の世界で想像していた形を、現実に光造型システムで造りあげて、手に持ってみる。 それで、「ああ、こういうものだったのか。」と実感できる。 今までデザイナーがやってきたのは、人体の外ばっかりだったのを、 僕は人体の中、人工臓器に入っていった。その先は多分、遺伝子操作の問題にも関わってくる。 遺伝子をどうやって組み合わせるか、というアレンジメントのデザインを行なう時に、 デザイナーが専門家と一緒に関わるという形が出てくると思う。 ヒューマノイドやメカノイドのロボットが、もっと生物に近いものになった時、 誰がデザインするのか。 大学や研究所などで、知識の集合体を作って蓄積し、 どうやって次の世代へ残していくのか、という作業になる。 名古屋市立大学は公立ですけれども、阪大の「フロンティア研究機構」という所では、 デザイン理工学と僕が呼んでいるセンターを現実に設立しようとしています。
この分野は、ある種日本人にしかできないだろうという民族観もあるんです。 今、日本が作れないものは山程ある。 ジャンボジェット機、ペースメーカー、コンピュータ、 それから電子顕微鏡にしても世界的なものは作れない。 そして、今までの日本の産業は、全部中国へ行ってしまった。 それはもうあげちゃえばいい。 そして日本人はもうちょっと違うところをやればいい。 下手に中国が競争相手だと言っているのではなく、 我々はもっと先へ、知と感性を持って世界へ出て行かなくてはならない。 将来のデザインというのは、多分ユークリッド幾何学ではなく、 トポロジー空間論が扱う四次元の世界になるでしょう。 ホーキングが言うように、11次元ぐらいまであるとすると、6次元の世界までのところは、 コンピュータというツールを使って、デザイナーがなんらかの形で介在できると思います。 夢としては、僕のまわりの若い人に、それでノーベル賞をとってもらう事なんです。 たぶん僕の時代では取れないから。必ずしもノーベル賞が最高とは思わないけれども、 「その人がやった事が人類のために本当に役立っているか?」というのは、 人類全体が評価する事ですから。 B:川崎さんの予想では、そのようなレベルが可能になって認められるのは、   何年後ぐらいだとお考えですか? 一説によると、2020年あたりに地球環境が非常に危なくなると言われています。 エルメスは、2050年をめどに、ほとんど皮革が取れなくなるという予測をしている。 皆にはそれ程の危機感はないんだろうけれども、そういう事から考えると、 それまでになんとかしなくてはならないという状況が現実に迫ってきている。 じゃあ、はたして、自分が2050年まで生きれるのだろうかと考えると、 ちょとそれは難しいかもしれない。そうすると書き残したり、講議の中でやっていって、 誰かの頭の中に、自分の考え方の遺伝子みたいなものを入れておく。 そして、その中の何人かが、その事に創造力を向けるようになればいい。 何年頃という明解な解答は出せないけれども、自分が今生きている現実の中で、 「2020年は来るのだろうか?2050年は来ないかもしれない。でも、ひょっとしたらその時に、 僕の考え方の遺伝子みたいなものや作ったモデルを見て、 ああ、この時代にこの人はこんな事を考えていた。これは役に立つ、と考える人がいるかもしれない。」 というような想いがあります。それが、今の自分の使命で役割だととらえています。 B:10年後を誰も予想できないほどのスピードで世界が動いていると思うんですけれども、   自分が存在していない状況を含めた未来のビジョンを持っていらっしゃるというのは、   本当にすごいですね。   最近の日本人には喧嘩ができないタイプが多いかもしれませんが、   若い世代は、ちょっと変わってきているような印象も受けるんです。   実際に若い方達と接してみていかがでしょうか? 僕は変わってきていると思いますよ。うちの生徒にしても、スタッフにしても、 そんな事には関わらないという子と、積極的に向かっていこうという子に二分されますね。 実は、女性のほうが喧嘩っ早くなっている。女性の喧嘩の仕方と男性の喧嘩の仕方は全然違うので、 女性がうまく喧嘩をしてくれるというのは、いい意味で活きるものがある。 男性社会に対して喧嘩を売るというのが非常に重要で、その事からスタートしていけば、きっと、 今までの喧嘩がなぜまずいのかという終着点が見えてくると思うんです。 今までの喧嘩は、常に戦争とか暴力とかに繋がる。そうではない方向に動かなくてはと思います。 もう21世紀に入っているけれども、 誰も21世紀に生きてると感じていないのではないか、という気がします。 20世紀のままなんです。 デザインの世界で言うと、バウハウスなどの動きが1912〜15年頃、 10年位経ってから20世紀というものに加速度がかかったので、 ひょっとすると2010年あたりに21世紀に生きているんだという考え方に変わるかもしれない。 今、小泉政権が何にもやっていないように見えながら、 実はどんどん表面化してきた、非常に厳しい問題に直面している。 大学なんかでも、独立行政法人に向っていて、 これは大学という組織そのものを根底から覆す事なんです。 そういう動きが今起っているのを見ても、3年目の今年あたりが非常に重要で、 ホップ・ステップの「ホップ」の段階なんですね。 2010年に「ジャンプ」の結果が本格的に来るだろうと思います。 その頃には自分はもう引退しているかもしれない。 それまで自分の蓄積しているものを使って若い人を応援して、 肩を貸してあげられるように、ある種のパワーやステータスを作っておきたい。 そのパワーやステータスを次の世代にうまく渡したいと考えてます。 僕らの世代はそれをやってもらえなかったので、僕はそうしたい。 「グッドデザイン賞」の審査委員長も、引き受ける時に、 「3年たったら必ず辞めるので、だから今はついてきてほしい。」と明言しました。 そして次の世代に預けちゃう。さっき言ったように、どこか潔く生きていきたいんです。 B:2010年の世界、2050年の世界がどうなっているのか、とても楽しみになってきました。   本日は、どうもありがとうございました。

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