individualな表現者たち

・白百合クラブ東京へ行く
・<東京の夏>音楽祭2003
・東京国際レズビアン&ゲイ映画祭

人は、何のために「表現」するのだろうか?
メジャーという最大公約数を対象に生きる人々とは別に、
独自の生き方を貫く、individualな表現者たちがいる。
民族・地域・文化・思想・ライフスタイル・アイデンティティ。
それは、静かだけれど豊かなエネルギーの波となり、
多様性に満ちた未来へと繋がってゆく。

■白百合クラブ東京へ行く


終戦の翌年。沖縄県の石垣島に住む若者達が、一つの楽団を結成した。
それが<白百合クラブ>だ。
戦争の傷跡が暗い影をもたらしていた時代に、人々の心を癒し、
自らも奮い立たせるために、白百合クラブは歌い踊った。
マンドリンは瓢箪で作り、バイオリンの弦は墜落した戦闘機のワイヤーを張った。
衣装はパラシュートの布で手作り。
すべてが手作りの白百合クラブは、明るく朗らかな歌声を島に響かせていった。
結成57年、南の島の長寿バンドは、
現在に至るまで、オリジナルのメンバーで活動を続けている。
映画監督の中江裕司氏は、そんな彼らの自然体な姿に出会い、
『白百合クラブ東京へ行く』をドキュメンタリー映画として作り上げた。
その中江氏に彼らの魅力とパワーについて伺った。


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B:中江監督から見た白百合クラブのメンバーはどんな方達ですか?


彼らは、すべてのものを受け入れて、ちゃんと生きてきた人達なんです。
人間として。
たとえば、ミュージシャンって肩書きがありますけど、
この方達は、特別でもなんでもない。
白百合クラブである前に、ひとりの人間だし、白保の人間なんです。
そこで生きる人間として、変な野心は持たず、人のことを裏切らず、
ちょっとぐらい人を妬んでしまっても、
そういうふうにしてはいけないっていうふうに自分を律して、
生きてこられた方々なんです。
そうじゃないと、ああいう笑顔とか、
このように年齢を取れないんだっていうのを見ちゃったんですよね。
まっとうに50年、生きるって大変なことですよ。
音楽を愛して、仲間を愛して。
ある意味、奇跡的だなって思いますね。
映画の中で、最後『ミルク節』というのが流れるんですけど、
あれは海の彼方から、豊饒、平和な世の中を持ってくる神様なんですよ。
ミルクの神様が持ってきた世の中のことを、
「弥勒世果報(みるくゆがふう)」というんです。
極楽って言うのは、特別なことじゃなくて、
非常に身近な何でもない場所なんですよね。
そんなふうになれたらいいな、と思って、
最後に『ミルク節』を流しているんです。


B:彼らの生き方が込められた音楽だから、私達を感動させるのでしょうね。


たとえば、映画を作る時、彼らの悲しみを描くつもりはなかったんです。
すべては、彼らの歌や踊りの中から感じてもらえればいいと思った。
いろんなことがあるけど、お客さんが感じてくれるはずだって。
それが豊かさだろうなって。
言ってしまったら嘘になるかなって。
映画の中で、白百合クラブ会長の西玉得浩さんが
『長崎のザボン売り』を歌われるんですが、
実を言うと彼は、長崎に強制労働させられて、肺病になって、
石垣島に送り返されたという体験があったんですよね。
本土での辛い労働の中にも、慰問劇団があって、
白百合クラブの原点には、そこで見た歌とか踊りを覚えてきて
持ち込んだっていう背景があったりする。
歌っている理由はわからなくてもいいんですよ。
横顔で歌っている『長崎のザボン売り』に感じるものがあれば。
それと白百合クラブの方達の偉大さは何も変わらないことですね。
演奏も巧くならないですし。
たとえば沖縄の三味線は絶対音階がないんです。
自分の声の調子がいいときはあげて、調子が悪いときはさげている。
白百合クラブの人達は、ちゃんとチューニングしないんですよ。
全員がメロディを弾いて合奏になっているくせに、
ずれているからねチューニングが(笑)。
音楽って不思議だなって思いますね。
きちんとやれば、人にとって楽しい音楽になるかっていうとそうじゃない。
やっぱり人って、どっかでいい加減なもんなんだよね。
細かく細かくやって完全なものを作っていくか、
最初からいい加減な人間として不完全にやるか、
そのふたつのアプローチがあるのかもしれませんね。


B:白百合クラブが東京へ行くということについて、
  中江監督はどう思われましたか?


実は、白百合クラブの人達から、「東京に行きたい」ってことを
最初に言われた時、やっぱりちょっと違和感を感じたんです。
なぜこの人達は、東京に行きたいのかなって。
だって、ずっと白保で自分達のために音楽をやってきた人達ですよ。
東京に行く必要なんかないんじゃないかと思ったし、
ここでずっと幸せにやれれば、いいんじゃないかと。
なんか不思議な感じがした。
だから、彼らの映画を撮り始めたんですよね、きっと。
彼らはよく、「ただ自分達のために音楽をやってきた」っておっしゃるんです。
でも、自分達のためだけに57年は、僕だったらできない。
本当にできるのかということに対しても、違和感があった。
そういうことが、撮り始めてから、
なんとなく自分の中で腑に落ちたんです。
白百合クラブの人達が、自分達とおっしゃる、
その「自分達」が違っているんです。
亡くなった人とか、その家族とか、あらゆるもの、
白保の他の人達も抱えて、「自分達」って言ってるんですよね。
ああそうなのか、亡くなった人達も、一緒に東京に連れてきたかったのかって、
そういうことがあるから、続けないとっていう使命感が
どこかにあるんだってわかったんですよ。


B:沖縄というもの自体が、スピリチュアルな場所という感じを受けるのですが、
  中江監督は沖縄に移住してそこを舞台とした映画を撮っていらっしゃいますね。
  その魅力というのは、どこにあるのでしょうか?


生々しいんですよね。
リアルなんです。
明るいし、音楽も芸能も盛んです。
スピリチュアルな部分もいっぱいある。
でもどうして明るいかというと、みんな抱えているんです。
明るくしなければ、生きていけない。
白百合クラブの人もそうです。
昭和21年から音楽をやってきて、その時代っていうのは、
毎日人がマラリアで死んでゆくんですよ、部落の中で。
今日はあの人が死んだというのがわかるんです。
そんな死んでゆく人々に、悲しい音楽を聴かせたくはないわけです。
沖縄の人は、ものすごい悲しみを抱えているから、
明るい音楽をやってるんだと思います。
沖縄には、「御嶽(うたき)」っていうのがあちこちにあるんです。
神様が降りてきて、その神様を村に連れて行くために
拝むというようなところです。
そういう場所に行くと、「適わないな」っていうのがあるんですよ。
でっかい木とかなんて特にそうですけど。
勝負にすらなってない。
そう思うと、すごく謙虚になれる。


B:沖縄という地に暮らして、どんな未来の理想像を描かれますか?


未来ですか、「弥勒世果報(みるくゆがふう)」になったらいいと思いますよ。
平和で、みんながみんなのことをきちんと思いやれて、
ひとりひとりの距離が近くなるといいですよね。
僕が東京とかに来て、交差点で人の波がばーっとくるのを見ていると、
それを人と思えなくなる瞬間があるんですよ。
単なる障害物だとか波だっていう。
それがとてもつらい。
あれを全員、人と思うと生きていけないわけですよ。
そうじゃなくて、もっとひとりひとりが近くなれるような
社会になればいいなと思います。
[プロフィール]
中江裕司 (なかえ ゆうじ)
1960年京都生まれ。
1980年に琉球大学入学と共に沖縄へ移住。
学生時代より8mm映画を制作し多数の作品を発表。
1992年の沖縄県産映画『春子とヒデヨシ』で日本映画監督協会新人賞。
主な作品に、『ナビィの恋』『ホテル・ハイビスカス』などがある。
他、NHK-BSでのドキュメンタリーや、
宮沢和史のミュージック・クリップなどを演出している。
『白百合クラブ東京へ行く』
7月19日(土)より、東京渋谷シネ・ラ・セット他、日本各地で上映中。
オフィシャルサイト
http://www.shirous.com/shirayuri/index.html


■<東京の夏>音楽祭2003


2003年の夏。
世界各地の儀礼音楽が、東京の地で奏でられた。
19年目を迎える<東京の夏>音楽祭の今年のテーマは、
「儀式・自然・音楽」。
儀式の場における叫びや歌、楽器を打ちならす音、
身振りや踊りは、生の根源から沸き上がる創造であり、
民族・地域・文化に密着したドメスティックなアートでもある。
音楽を商業主義において消費されるものとしてではなく、
文化のひとつのかたちとして捉える場が東京にあっても
よいのではないかと生まれたこの音楽祭。
主催者であるアリオン音楽財団理事長の江戸京子氏に、
音楽と人間との関わり方についてお話を伺った。


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B:今回の音楽祭のテーマについてお聞かせください。


テーマとしては、「音楽と儀式」だけでも十分成り立ったわけですが、
そこに「自然」を入れることによって幅が広がり、
形骸化した儀式を排除できたと思います。
儀式は、それぞれの土地の風土や暮らしに根ざしたものです。
世界の様々な地域に文化の伝統があり、
人々がそこでどのように生きているかということを、
実地に自分の目で見るチャンスは少なく、
今回のように音楽祭に来られた方々が、
こうした儀式が残されていることの大切さを受け止めてくだされば、と思います。
参加アーティストの一人、チャンドラレイカも、
昔、インドには、雨乞いをして雨を降らせることができる人がいた、
というんです。
でも今は人間も生物であり、
自然の一部であるということから遠ざかって、
そうした力を失ってしまった、と語っています。
こうしたことを思い起こすと、現代人にも多少活力が戻ってくるかもしれません。


B:参加アーティストは、非常に地域性の高い方達が多いですね。
  彼らは、民族や宗教観を、聴衆に向かってではなく、
  自分達や共同体のために表現しようとする人達だと思うのですが、
  そういう意味では一般的な音楽祭とは違うご苦労があったのではないでしょうか?


たしかに儀式は、辺境の地に残っているものが多く、しかも見せ物ではないんですね。
それを切り取って舞台で見せるということに、
私自身も最初はどうかと思ったんです。
本当はその土地で見るべきでしょうが、なかなか行けないし、
今回のような事をしないと触れるチャンスはまずない。
商行為が目的ではないから、「まあ、1回ぐらいは許されるか」なんて思いました。
今回のブラジルの「カンドンブレ」にしても、
「バラ族(マダガスカル)の治癒儀礼」にしても、
人に見せるという意図は当然ないんです。
特にバラ族の4人は、首都から3時間もかかる村から一歩も出た事がないし、
舞台に上がって照明を当てられるとびっくりして、
リハーサルの時は本当に困ったらしく、3分位で終わってしまった。
病人が起き上がるまで二日も続けるのに(笑)。
皆で一晩相談したそうで、公演は上手くいきました。
木の切れ端で作った手製のギターが奏でる音楽には、
日々生きていくなかでの音楽の喜びの原点があり、
会場すべての人がそれを共有できたと思います。
「カンドンブレ」も、舞台に引きこまれ、
観客も身体を揺すりながら儀式と一体化している様子が窺えました。
「物部村 いざなぎ流祭儀」にしても、
このように珍しい古来からの儀式が今の日本人に残っているというのは、
ちょっと奇跡的です。
トランス状態にもっていくための繰返しの所作が多く、
単調な部分もありますが、帰られるお客さまはいませんでしたね。


B:どのように音楽を演奏するかというスタンスは、
  アーティストによって様々だと思います。
  それぞれの音楽との関わり方について、どのようにお考えですか?


音楽は、それがどんなジャンルのものであれ、
命の根源から沸き上がるエネルギーの顕れですが、
表現のかたちは様々です。
西洋のクラシック音楽の場合ですと、作品があり、
それが演奏されて初めて音楽となって伝わります。
例えばショパンの作品に光をあて、
出来得るかぎり忠実にそれを伝えたいと思う演奏家もいれば、
むしろ自分自身を前面に押し出すタイプもいます。
またショパンが生きていた時代と異なり、ピアノという楽器も変化している。
そうした時代のなかで、ショパンをどのように表現するかを考える演奏家もいるし、
ただひたすら感性のみで弾く人もいて、本当にそれぞれです。
今回の新人紹介コンサートのロシアのピアニスト、
テベニキンが弾いたドビュッシイを聴いても、
私が感じている色合いとは全く異なるのですが、
彼ならではのドビュッシイで、実に素晴らしいものでした。
昔は「演奏とはこうあるべき」とかなり狭い考えをもっていましたが、
この音楽祭を19年やって、やはりそれぞれに良さがあると思うようになりました。
ただし、商業的に成功したいと、一般受けを狙った作為が感じられる音楽は嫌ですね。


B:個のスタンスを持ったアーティストは、
  何のために音楽を表現するのだと思われますか?


個のスタンスのないアーティストなどいるのでしょうか。
こうした考えはヨーロッパ的かもしれません。
音楽は言葉がもつ限界を取り払ったところで、
根源的、直接的に訴えかけるものがあります。
面白いことに、演奏中、自分自身を本当に超えてしまったような瞬間が訪れ、
凄い演奏になることがある。
それがあたかも天から降りてくるようにです。
そうした時は、不思議に会場の全員がそれを感じとり、共有できるんですね。
今回のテベニキンの時も、そういう瞬間がありました。
彼は物静かで思慮深く、
この地球上で人間がやってきたことをとても罪深く感じ、肉は食べません。
蚊も殺せないジャイナ教を信じています。
私達の財団で何度も招いてきたイタリアのチェロ奏者ブルネロも、
かつての競争心をむき出しにする西洋人とはまったく異なり、
都会を避け、2000人位しかいない村に住んで、
家族を大切にし、しかし演奏回数は少なく、家族が食べられるだけの収入があればよい。
それよりも一回一回のコンサートが自分にとっての歓びであることが大切と考えています。
彼の音楽は実に自然で、深く心に伝わってきます。
演奏を通じて聴衆とのコミュニケーションを重要視し、
その時その時、聴衆と共に創るもの、と考えています。
絵画は作品が固定されていて、そこから発する何かを受け取るわけですが、
音楽は、時を生きる芸術だと思います。
ですから即興性という要素も大切ですし、聴衆の質も影響します。
それぞれの演奏家の資質や個性はありますが、
先程お話した個を超えた至福の瞬間が訪れたからこそ、
どんなに苦しくても演奏を続けたいと思う気持ちもわかります。

アリオン音楽財団理事長
江戸京子氏

[写真撮影]竹原伸治、堀衛
アリオン音楽財団ホームページ
http://www.arion-edo.org/


■東京国際レズビアン&ゲイ映画祭


<東京国際レズビアン&ゲイ映画祭>は、
ゲイやレズビアンなどセクシュアル・マイノリティを題材にした
映像作品を一同に集めて上映する映画祭だ。 
短編、長篇、ドキュメンタリーから
劇映画にいたるまで、ジャンルや題材、国籍にとらわれずに、
芸術性・娯楽性あふれる作品を幅広く選び、毎年大きな注目を集めている。
今年のテーマは、「Happy Life」。
会場となった東京青山のスパイラルホールには、
海外から監督や俳優など様々なゲストも登場し、
明るい熱気に包まれていた。


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→多様性に満ちたゲイカルチャーの最先端

ゲイやレズビアンという、セクシュアル・マイノリティへの認識度は、
人によって大きな差がある。
それはゲイカルチャーに限らず、
全てのマイノリティに共通する環境と言えるかもしれない。
マジョリティ(多数派)に対するマイノリティ(少数派)。
その境界には、見えないけれど大きな壁が存在する。
しかし、だからこそ、マイノリティに属する人々の中には、
自らのアイデンティティや生き方を見極め、
理解しようとするエネルギーが生まれてくる。
差別や偏見を跳ね飛ばし、自分の本質を表現するというプロセスは、
その人がエッジにいる程、真剣な挑戦となってゆくだろう。
今年で12年目を迎える東京国際レズビアン&ゲイ映画祭は、
多様なレズビアンやゲイの姿、ライフスタイル、
家族や友達、社会との関係の様々なあり方を、
映像やトークイベントなどを通じて紹介するイベントだ。
その作品群は本当に多様性に満ちている。
ユニークなビジュアルと音楽、
シニカルなスタンスでゲイカルチャーを笑い飛ばすインテリジェンス、
微妙で切実な想いを伝えるストーリー、
セックスそのものに大胆に迫った生々しさ、などなど。
考えてみれば、現代でも歴史上でも、
文化の最先端には常に感受性豊かな彼らの存在があったのだ。
この映画祭が、ゲイやレズビアンに属する人達だけではなく、
それ以外の人々をもインスパイアするのは、当然のことなのかもしれない。


→娯楽として笑えて、人々の考えに変化をもたらすような映画

今回、会場となった東京青山のスパイラルホールには、
海外から監督や俳優など様々なゲストが登場して場を盛り上げた。
カナダから来たマーク・ケネス・ウッズとコットンは、
『国際クィア秘密情報部員ピンプ&ホー(3部作)』主演の二人組。
同性愛者の撲滅をもくろむ最右翼と戦う二人組<ピンプ&ホー>が活躍するシリーズだが、
ゆる〜いキャラクターと独特のテンポが後を引く、人気作品だ。
会場でも抱腹絶倒のパフォーマンスを繰り広げた二人だが、話を聞いてみると、
知的で、ウイットに富んだ温かさのある素顔がのぞく。
マークは映画の製作と監督を手がけ、
コットンはファッションショーやパーティを企画するなど、
カナダのバンクーバーを拠点に、
北米のゲイカルチャーシーンで積極的な活動を行っているそうだ。
彼らに映画を制作する目的を聞いてみた。
「今回映画祭で上映した3本の映画は、
信じられないだろうけど僕の修士論文の一部なんです。
思想や理論を盛り込んだすごく長い論文に、
このコメディをつけて、めでたく6月に卒業できたんですよ。
僕らが目指しているのは、娯楽として笑えて、
しかも人々の考えに変化をもたらすような映画です。
性を中心に人々に疑問を投げかけ、男女間、
ゲイとストレートの間のギャップを狭めていきたい。
“これかあれか”という二つしかないのではなくて、
何事にも中間というものがあることを知ってほしい。」
と語るマーク。

さらにコットンはアイデンティティについて、
「自分がゲイだということを早くから知っている人もいるけれど、
もしかしたら、と後で気づく人も多いんです。
そうやって自分を知るという意味では、
セクシュアリティだって他の様々なことと同じです。
私達は、みんなをあらゆるものから自由にしたい。
誰もが人種やジェンダーの枠から逃れ、互いに人生を楽しめれば、
いろんな問題がなくなるでしょう。」
と語ってくれた。


→人種やジェンダーの枠を超えて

今年5月、オランダとベルギーに続き、
カナダの2州でゲイカップルの結婚が合法化された。
施行以来、オンタリオ州ではすでに数百組が結婚しており、
これは結婚件数全体の10%以上に当たるそうだ。
欧米では、キリスト教思想が根底にあり、
ゲイカルチャーへの風当たりも強い。
エイズの流行など、いくつもの障壁を乗り越え、
それでも明るくたくましく、彼らは「表現」し続ける。
それは、自尊心と自由を求める戦いであるからだ。
東京国際レズビアン&ゲイ映画祭が、
多くのボランティアによって支えられ、
気持ちよく運営されているのを見ても、エッジにいる人々の心意気が伝わってくる。
未来は、自由で多様性に満ちた社会であってほしい。
そしてそうなるためのプロセスは、
世界のあちこちで、もう始まっているのだ。
東京国際レズビアン&ゲイ映画祭ホームページ
http://www.tokyo-lgff.org/


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