Spiritual Data Book 2005 インタビュー

すべてを合わせ持つ「私」

- interview with 成瀬悟策一 -

私達は時折、
暗在系の存在を感じることがある。
それは混沌とした世界。
様々なものを結びつけ、
つなげてゆく力を持っている。
複雑な関係性の中で、
めまぐるしく変化する
自己の役割と他者との繋がりを考える時、
頭だけでなく、
身体を通した全体的な理解が求められている。
心理療法、潜在意識、ボディワークなど、
様々な身体と心についてのメソッドが開発されてきたが、
そもそものしくみに気づき、
日本における新しい分野を開拓してきたのが
成瀬悟策氏だ。
その研究は、現代が抱える何重にも絡みあった問題を考える上で、
かけがえのない指針を日本にもたらした。
80歳を過ぎた今も元気に活躍されている氏に、
潜在意識と身体の繋がりについてお話を伺った。

成瀬悟策(なるせ ごさく)

1924年、岐阜県に生まれる。
1950年、東京文理科大学心理学科卒業。
2001年、勲二等 瑞宝賞受勲。
九州大学名誉教授。医学博士。
日本催眠医学心理学会理事長、
日本心理臨床学会理事長歴任。
日本リハビリテイション心理学会理事長。
日本臨床動作学会理事長。

主要著書
「催眠」「教育催眠学」「自己催眠」(シュルツ共著)
「催眠面接法」「心理リハビリテイション」「動作訓練の理論」
「自己コントロール法」「イメージの時代」「障害児のための動作法」
「臨床動作学基礎」「姿勢のふしぎ」「リラクセーション」「動作療法」など多数。 

B:私達は潜在意識というものに対して、
何となく知っていても、
まだまだ理解が足りないのではないかと思います。
一般的には、意識している世界が9で、
潜在意識的なものは1ほどという感覚ですが、
潜在意識を研究している人は、
その反対ぐらいに感じているのではないでしょうか。
成瀬先生の本は、残念ながら今は入手不可能なものも多いのですが、
その根本にかかわる重要なことが書かれていると思いました。
先生の若い頃は、潜在意識や催眠、
身体と心のつながりなどの研究分野が、
日本ではまだ確立されていなかったと思います。
そもそも、こういった事に関心をもたれたきっかけを教えていただけますか?


催眠術というのは、
明治の中頃に世界中で流行ったんです。
日本人でも『催眠心理学』という本を書いた
福来友吉という人がいました。
福来さんが東大の助教授をやっていた頃は、
変態心理学というのを
哲学者やなにやらみんなが喜んでやっていたんです。
だめになったのは、透視や念写実験に対して、
そういう肯定的な発言をするのは
いかにも不謹慎だと物理の教授からクレームがついたからです。
それで福来さんは東大にいられなくなって、
高野山大学に移られました。
余談ですが、その念写実験の時に、
カメラを担いでたのが寺田寅彦だったそうですよ。
僕が大学一年生か二年生の時、
日本応用心理学会というのができたんです。
それで特別講義で催眠術をやってみせるというので、
まん中のかぶりつきで観ました。
それまではどうせインチキだろうと思っていましたけど、
実際に見てみると、
やっぱりこれは本物だという気がして、それで夢中になった。
回りの先生には、
そんなことやっていると
まともな心理学者になれないと言われましたけど、
こんなおもしろいものが実際にあるのに
なんでやらないんだろうか、と。
それでも表向きは正統派の知覚実験の卒業論文でした。
その後にやった「イメージ」という研究で学会賞をもらいました。
「直観像」って聞いた事ありますか?
複雑なシルエットの絵をパッと見せた後に隠して、
どんな絵があったか聞く。
瞬間的に出したものをイメージで見やすい人を
直観像素質者と言いまして、
東北大学ではかつてそれを盛んにやっていたけれど、
まあやっぱり正統派の心理学とは言えなかった。





B:学派のメインストリームではなかったんですね。 僕はいつも外れてる(笑)。 1950〜60年頃、 アメリカで催眠の研究が非常に盛んになりました。 第二次大戦が終わって、今だとPTSDと言いますが、 戦争神経症になった人がいっぱい帰ってきたんです。 精神分析じゃ役に立たんということで、 そのころ催眠がわりと注目されてきた。 またその頃、心理学では行動主義が盛んになりまして、 イメージなんかを研究している人は誰もいなかった。 こんなことやってたらものにならんなあと、 僕はだんだん不安になってきた。 マズローなんかは私が悩んでいた頃、 一生懸命読んでいた人です。 言葉としての説明はあの人が一番上手ですが、 やっぱり言葉が中心なのです。 それで催眠ならもう向こうの国でもやっていて みんな仲間になってしまってたから、 僕も催眠の本を日本で出してみた。 まだ28〜29歳ぐらいじゃないですか。 僕が最初に書いた本は『催眠』(みすず書房)という本ですけど、 その前の年に出した『催眠面接の技術』(誠信書房)がよく売れまして、 45版程出ました。 その頃は、心理学の人や医者だけではなく、 一般の人がかなり読んでいたようです。 僕はこの頃、精神分析に凝っていたものですから、 今から考えてみると恥ずかしいくらい精神分析的ですけどね。


B:その頃の催眠の分野で印象に残っている人はいらっしゃいますか? ミルトン・エリクソンは催眠術をずっとやっていた人で、 戦後僕の所にいろいろ論文を送ってくれたんです。 この人は、16歳の時にポリオにかかりまして、 足と手が動かなくなってしまった。 それを頑張って動くようになって、医者になったんですが、 すごく個性の強いキツイ人だった。 ところが、55、6歳の時にもういっぺんポリオにかかった。 それから60歳を過ぎたころに3回目。 珍しいですよね。 まだ1回目の時はステッキをついて歩けました。 2回目の時はほとんどだめで車イス、 3回目の時は紫色しか見えないと言う。 でも、この人は本当に催眠がうまいんです。 心理療法では有名な、 ウォルバーグ(L・R・ウォルバーグ)という人がいるんですが、 自分でどうしても催眠術をかけられなかった患者を エリクソンの所に送ったら、 かかるようになったそうです。 あれは確かに名人だと言っていました。


B:先生ご自身は催眠療法をどのように始められたのですか? 生まれて初めて他人様を治したのは、 大学を卒業した年です。 当時、立教の中学生で、毎晩おねしょする子がいた。 畳の上に寝かせると畳が腐っちゃうので板の間で寝かされている。 お兄ちゃんは日比谷高校、 お父さんは東大を出て三菱のどこかの銀行の支店長、 奥さんは東京女子大かどこか出た人でね、そういう家庭なんですよ。 だからこの子は家の中で本当に劣等生だったんでしょうね。 それで僕の友達が、「催眠術やるやつがいて治してやるから」 と言ってきたというんです。 僕は全然自信ないし、どうしていいかわからない。 しょうがないから色々話しているうちに、軽い催眠をかけて、 「お前寝てる時に、おしっこをする時の感じわかる?」 と聞いたら「わかります」と言うんです。 じゃあ、それをやろうと。 暗示で「今、ねむっているところですね、だんだんおしっこがしたくなったよ」と言うと、 もぞもぞしている。 それで、「どうしても我慢できなくなったらぱっと目が覚めるよ」とやってみた。 そしたらぱっと目が覚めたんです。 3回くらい、おしっこをしたくなったらぱっと目が覚めるというのをやってみた。 そしたら次の日の朝、奥さんから電話がかかってきて、 夕べは自分で起きてトイレに行きましたと言う。 僕はびっくり仰天しちゃった。 どうせ思いつきでやったことでしょ。 向こうも本気じゃないけど、ひょっとしたら、 なんて思って私のところへやって来たのかもしれませんね。 そのうちに朝まで目が覚めないで、 ちゃんと熟睡できるようになりましたと言う。 おそらく我が国の心理学関係のケース報告の第1号でしょうが、 これを発表しました。 そしたら私の前任者で、一緒に精神分析を勉強していた人が、 「成瀬君、この人はどういう洞察があったんですか?」と聞く。 「洞察らしいものは無いけど」と言ったら、 「それじゃ本当に治ったとは言えませんね」と言う。 しょうがないから、 「そうだね、じゃあ治ってないんだけど良くなったんですね」 と答えましたよ(笑)。


B:催眠の作用というのは、本当に不思議ですね。 こういう話もあります。 ある新婚の奥さんで、じんましんが出るという人が来た。 催眠をかけて、夜、旦那と寝ている所から始めると、 旦那が体を触ってくる場面になる。 するとぼりぼり掻きはじめるんです。 もう痒くて真っ赤になっている。 結局旦那が嫌なんですね。 それで嫌と言えないからぼりぼりやっている。 それでは旦那の方も白けちゃうでしょ。 それで色々話しているうちに、 「旦那のいいところを少し考えようよ」ということで、 だんだん受け入れられるようになって治りましたけど。 そういうことあるんですね。


B:少し、催眠状態についてお聞きしたいのですが、 催眠をかけた時に完全なトランス状態に入ってしまう人と、 自分が催眠かかっていることを どこかで理解しながら受けている人がいると聞きました。 この被暗示性という考え方は、非常におもしろいと感じたのですが。 ふつう催眠状態になっているときは、 自分がそうなっているということには気づいていないものです。 そこから覚醒したとき、「あっ!」と、 それまで特異な体験をしていたんだということに気づくものです。 しかし、何度も体験した人は 自分が催眠中だと分かるようになってきます。 催眠にかかりやすい、かかりにくいというのは、 生まれつきなんだという考え方があるんです。 そこが難しくて、私はエリクソンと一緒なんですが、 素質ではなくて、やっぱりかけ方だと思うんです。 たとえば、すごくよくかかっていた人が、 「今日は全然かかりませんよ」と言う。 そうするといくらやってもかからない。 ところが、色々話しているうちに、 「あの時はどうだったかな」なんて言うと、 「ちょっと待ってください、やってみます」とひゅっと入って、 「ああ、あの時はこうでした」とやれる人がいます。 人がイマジナルな世界にどのくらい入って行かれるか、 それは素質じゃなくて、「心の構え」による。 だからその人が構えを上手に使う事ができれば 深い催眠に入って行ける、 僕はそういう風に思っているんですが、 それは今の催眠関係の論争の種になっているところです。 私は「非現実に入っていく」と言うんですけれども、 その時どうしても抵抗がある。 自分でこれは危ないというのがあって、 これ以上は譲れないぞというのがあって、 そこから先へすうっと入っていくのはなかなか難しい。 それに慣れてくれば自分でも入って行ける。 自律訓練法なんていうのは、 自分でイメージに慣れていけば実感が出てくる。 でも、それだけでは分別がまだあります。 分別が無くなるような場面を作れるかどうかというのが もう一つあるんです。 ある意味では催眠術をかける人に魂を預けるわけです。 だからどのくらい相手を信用できるか、 という程度によるんじゃないかと僕は思っているんです。


B:フロイドが催眠療法について否定的だったのは、 彼自身が権威主義で、 患者と一方的な関係だったからではないかという事が 先生の本に書かれていて、 なるほどと思いました。 彼は催眠が下手だったようですね。 今のイメージ療法は催眠術無しでもやるし、 やっているうちに普通の状態でやっていても 半分催眠みたいになる。 それは、フロイドがやっていた 自由連想法とほぼ同じなんですが、 ああゆう自己主張する人は 自分の特徴をギュッと出すわけでしょ。 だから、ま、極端にみんな誇張しますよ。


B:人間の中には気味が悪いとして、 暗示を拒否したいという心もありますが、 逆にかかりたいというかなり強い欲求もあるようです。 たとえばシャーマニズムみたいなものは、 催眠作用をもともと使っていると思うのですが、 昔は上手に別の世界を行き来して、 意識できないものを調整するようなことが行われていたような気がします。 たとえば、座禅をやっていると初めのうちは どうしてもイメージがいっぱい出てきます。 これは禅としては悪いわけですが、 出ない方が本当はおかしいと思うんですよ。 まあ、最初はイメージがいっぱい出てきて、 それも本能や欲望に色づけられたものが出て来やすい。 そのうちに、だんだん出なくなる。 そういうものに頼らないでも、 ある種の非現実の世界に ずっと留まっていられるような心のもち方になる。 禅の坊さんが本気でやれば そういう状態になるんではないでしょうか。 自律訓練を一生懸命やっていた頃、 座禅と比較しながら脳波をだいぶ計りました。 たとえば座禅をする時、α波がどういう風に出るかというと、 はじめ30サイクルからずっと下がっていき、 8サイクルぐらいのところで止まってそのまま水平になっていく。 ところが、この低下過程から水平過程へ移行することがとても難しい。 覚醒の状態から、ちょっと半睡眠みたいになっていく、 そこで止まらなくちゃいけない。 やっとこさ入りかけたような禅の坊さんは、 途中で止まれなくて、眠りこんでしまう(笑)。 おもしろかったのは、座禅のプロのお坊さんよりも、 アマチュアで何十年もやっている人の方が、 割合早くすっと入ってくるんです。 坊さんの中にはなまぐさが居るからあてになりませんね(笑)。 「軟酥の法」(なんそのほう)というの御存じですか? 白隠禅師が奥山の仙人さんに教わった法というのがあります。 「軟」は柔らかい、「酥」はチーズ、 その軟酥を頭に乗せておくと、体温で溶けて流れる。 これが温かくていい香りがして、 皮膚全面覆ってずっと下まで流れていく。 白隠が自分でやったら、 病弱だったのが良くなって健康になったということが 『夜船閑話』に書いてあります。 ある人が「先生これを今の時代に用いたらどうでしょう?」と聞くから、 「絶対効くからやってごらん」と答えました。 これなんかイメージを上手に使った方法だと思うんです。 イメージで身体全体を覆って、 気持ち良くなっていくというのはとてもいい。 白隠禅師は、身体の実感が出る事を非常に大事にしていますね。


B:先生が、催眠から自律訓練法へ、 そして動作療法へと移られていったのは、 心を分析することよりも、 実感の仕方、体験の様式そのものが変わることを中心に 考えてこられたからだと思います。 動作というのは、ほとんど無意識的な動きです。 意識にのぼらないけど自分が「する」こと、 できるということが、たいへん大事だと僕は思っています。 では、身体を動かしている感じは全く無意識かというと 当人にはそれがわかっている。 わかっているけど意識的にはわからない。 自分がやっているんですから、 当人にとっての感じはあると思うんです。 ヨーロッパやアメリカで発展した精神分析や心理療法は、 結局意識的にわかること、知る事、 理解することが大事だと思っている。 それは伝統的に、考えたり、知ったりすることが 人間として生きている証だと考えていたからじゃないですか。 だから、心理療法というと、心の問題ばかりやっている。 フロイド以下、今の心理療法というのは、 カウンセリングまで心理的に何かがわかるとよくなると 信じているところがあるんですよ。 そうやって解釈し過ぎてきたので、 世界の心理療法がだいぶ遅れたんじゃないかと思います。 本当の心の活動をしっかり捉えようとしてこなかったからです。 それを言うと、今までの精神分析からカウンセリングから、 みんな壊れてしまいますから、みんなは大きな声で賛成しませんけれどね。 でも、そういうことと全く関係なしに、 身体のバランスを変えるだけで心の病が取れてしまうことがある。 神戸の震災があった時、私はボランティアに行きました。 ところが避難所に「心理の先生お断り」という看板が出ているんです(笑)。 「なんで?」と聞いたら、 せっかく夜寝られるようになったのに、 心理の先生が面接にくると、 眠れなくなってしまうと言う。 震災の話ばかり根掘り葉掘り聞くから嫌だというわけです。 先生方が子どもに絵を描かせると、 みんな魚とか花の絵ばかり描くという。 震災の時の絵を描けとやると、 やっぱり寝られなくなってしまう。 しょうがないから「心理按摩」ということにしたら、 だいぶ来ました(笑)。 診るともう、身体がこけし人形みたいに硬いんですよ。 カチンカチンなんです。 その中で、割合早く身体が柔らかになったお嬢さんがいて、 今まで何もやる気がしなかった人なんですけれど、 翌日になったら「職場に行ってみます」と言い出した。 子ども達も、だいぶ経ってからは震災の事も描けるようになるんです。 あまりいじってもしようがない。 知りたくなった時には知ること、 想い出すことも必要かもしれませんが、 それ以外は放っといた方がいい。


B:心理的な傷も肉体と同じように、 時間と共にだんだん治るような作用があるんでしょうね。 ある時、「あっ!」と特異な体験をする時があるんです。 その後良くなる人が多い。 何か心の傷が治るような事が起こった時の、 緊張感とかそういうものはなかなか言葉では言えない。 理論的に説明できることじゃなくて、 「ある実感」というのがあるわけですね。 こういうことがありました。 ある娘さんが電車に乗った時に人の肩が触れた。 そしたらレイプされたことがくわっと出てきたという。 フラッシュバックが出てきたから大変だとみんな思っていますが、 本当は出てきたからいいんです。 ある程度出せるようになったから、 出してきたのであって。 必ず出なくてはだめという事ではないんですが、 出てくるようになったら、 もうそれだけその人が強くなったということです。 そして、フラッシュバックの時というのは、 細々としたその場面が出てくるよりも、 全体的な印象、「ある雰囲気」がぱっと出てくると言う。 そして身体がくっと緊張する。 本当はその時に力を抜いて、 「こんな事あったな」という身体の実感を持つともっと楽になる。 どうもその方法が大事らしいと思うようになりました。 言語化することを通して 洞察や理解が進んでよくなるというのが 現代心理療法の原則とされているんですが、 私の経験からすれば、 それは必ずしも当たっていないと思います。 欧米人の信仰のようなもので、 東洋とは違うし、私の経験とも違う。 私によれば、だから喋ることが大事なのではなくて、 その人の体験の仕方、 心の構え方の変わる事が大事なんだと思います。 ノイローゼが治ってから、よく喋る人がいる。 でも僕は、もう喋れる程に この人は変わったから喋っていると思っている。 「昔こんなことがあったんですよ」 という話が後でゆっくり出てくる。 それをじっくり聞かなくても本当はかまわないんです。 それはまあ、全然人の話を聞かないんでは悪いから 聞いてもいいけれども、 それは本番じゃないよと言っている。 よくなった当人は、 自分のこれまでの経験を整理しているんですね、 そのこと自体は結構なことですが、 必須条件ではない。 どうしてもそこを根掘り葉掘り聞きたい人がいるんですね。 臨床心理というのは、 そういうおせっかい屋が多いんですよ。 聞かんでもいいことを根掘り葉掘り聞きたいんです。 そんなことやっていてもだめだと思うんですよ。 そういうことも、以前はなかなか言えませんでした。 70歳を越えた頃になって 「オレも言いたいことも言わないで死んじゃったんじゃつまらない。 もうこの歳になったら 恥も外聞も無いから言いたいこと言おう」ということにしたんです。 そしたら、その通りだという人が結構出てきて(笑)。


B:「あっ!」という体験は、 ひとつの理由からではなく、 心や体や外界など複雑にからみあった中から 出てくるような気がします。 文脈と関係なく変わるんですもの。 何かのきっかけで「あっ!」となる。 そうすると、今までもっともらしく理解していたのが、 理解不能になってしまう。 たとえば、ある人を憎んでいたはずなのに、 何かのきっかけで「本当はこの人を好きだった」に変わる。 今までその人には、 ある事件に対しての構えがあって、 どうしても構えがくずせない。 それが変わってくるということがどうもあるようですね。 人に会う時、肩に力を入れて頑張っていたのが抜けた、 そうすると世界を見る目ががらっと変わるということ多いんです。 身体の使い方が変わると、 もうそれだけで、地球に対面する事も、 外界への社会的な対応の仕方も変わるらしいんです。 フロイドが言ったような外傷体験なんてものが、 生まれてから一つもなかったなんて気色の悪い人はいないでしょ。 誰だって、必死になって生きてきているんですから。


B:心の病に対しては、 身体的なアプローチが効果的なのかもしれませんね。 ノイローゼの治療の場合、 肩を弛めて動かせるようになることからやると 「スッキリしました」と言う人が多いんです。 それで喜んでいたわけなんですが、 本当に必要なのは、立ってバランスをちゃんと取れる事。 意外と立てない人、踏ん張れない人が多いんですよ。 たとえば片足を上げましょうというと、 片足が離れない人がいる。 そんな人を見ていると、 首だけがくにゃんと曲がっている。 その人の身体の力の入れ方を変えたら、 足の踏み方とからだの軸のバランスのとり方も変わります。 それだけでノイローゼが取れてしまったということも多いんです。 鬱に対しても、それはもう効きます。 鬱は、身体もカチンカチンですから。 それから自閉症なんかもびっくりするほど変わります。 分裂病(統合失調症)も変わるんです。 陳旧分裂病で、もう10年も15年も入院していて、 じっと一日中座っているような人が、 身体をちょっと捻るような、 ごく簡単なことをやってごらんと言ったら、 朝みんなの前で挨拶をするようになった、 散歩に自分で出るようになった、 姿勢がこんなだったのが真直ぐになりましたというんです。 それから、これは正常な人のことですが、 ある時突然歩けなくなったなんて人がいる。 変な人ばっかり僕の所へ来るんです(笑)。 それは身体のどこかが悪いわけではないですからね。 だからちゃんと立って、 重心を移して踏ん張り方さえ思い出せば治ってしまう。 帰りにはてくてく歩いて帰りましたけれどもね。


B:その方が歩けなくなった時というのは、 やはり何かがあって、 身体がメッセージを出したとも言えますよね。 それを治した時に元の原因はどうなってしまうのでしょうか。 問題に対する見え方が変わります。 全体に嫌な事に対する心構えというのは、 身体の構えですから、それを変えることができた。 ぐっと踏んばっていたのを、 ふっと力を抜いてみたら 楽になっちゃったというような事だと思います。 心の構えを変えようとするよりも、 変えようとする主体を活かしてあげれば、 肉体を利用して身体が変わる。 それが力となって心の活動も変わりやすい。 その時、心だけでそれを変えよう、変えようとすると難しい。 我々は日常生活の中で、 何で今まで動作という事を考えなかったんだろうと思います。


B:実際には、 自分のからだがカチンカチンになっていることすら 感じられない人が多いように思えます。 また、感じられたとしてもそれを弛めようとする時に、 必ず邪魔するような抵抗が出て、痛みなどが起こります。 それをどうすればよいのでしょうか? それは、その人の生き甲斐がそこにあるわけです。 過去の嫌な思いと結びついている。 だからそれを取るという事自体が、 過去をある程度清算することになるのですが、 それがとても難しい。 そこを超える度に嫌な思い出が 出てくるという人もいるわけです。 ノイローゼの場合は、 力を十分抜いてしまえばいいんですけれども、 それが普通はなかなかできない。 力を抜くというのは、とても難しいんです。 「力を抜け」と言っても、 どうやったらいいのかわからない。 僕は、随伴緊張と言っているんですが、 何かをしようと思うと、 恐さに対応するような動きが出てしまう。 別の所に力を入れてしまったり、 首を曲げたりなんかしてしまう。 たとえば、四十肩、五十肩でも、 「上げてごらんなさい」と言うと、 「痛たたた」とやっている。 僕が手伝いながら手を上げて、 「力抜いてなさいよ」と言っていても、 手を放すと上がったままです。 まだ自分で力を入れているんですね。 それでなお「我」を張っているんですね。 それが自分ではわからない。 それで、力をよく抜く練習をした後で、 「手を放すけれど、今度は自分で上げているんですよ」 というとその時はじめて、 素直に力を入れたり抜いたりできるようになる。 そのまま上げる力が入れば、まず大丈夫。 楽なのは1セッションで上がるようになります。 「我」を張っていれば 従来通りの偏った緊張や動きになってしまう。 肩の場合は、肩胛骨が動くようになってくると 結果として柔らかくなります。 動く感じが出ればだいぶ楽、もう弛んできたんです。


B:たとえば、ストレッチも無理に伸ばそうとしすぎると、 抵抗が起こりますね。 ストレッチって、筋肉を引っ張れと言うでしょ。 引っ張ってはだめなんです。 本当は力を抜いて、筋肉を自分で弛めることができたので、 その結果、弛んだ分だけ筋群を伸ばす格好ができたのであって、 重要なことはその部位が自分で弛められるようになることなのです。 そうすると楽になる。 それを頑張れ頑張れというんですからね。 ローマから東京オリンピックまでの間、 日本体育協会で、心理が5人、生理が5人とか集まって スポーツ科学研究委員会というのをやったことがあるんです。 わが国のアスリートたちは技術的には一流なんだけれども あがってしまって困る選手が多かったので、何か工夫しろと言う。 その時にリラックスすることを練習しましょうと、 プログレッシブ・リラクセーション(漸進弛緩法)と 自律訓練法をやりました。 ある時ピストルの選手が、 「今日はピストルがとても重い」と言う。 その人は自律訓練法をやって、 とてもいい塩梅にリラックスできるようになっていた。 で、「あなた今リラックスしてるでしょ」と聞いたら「はい」と言う。 「競技の最中にリラックスしたらだめでしょう」と(笑)。 彼は力を抜きっぱなしだったんですね。


B:現代社会では、 日常の中で緊張する場面が数多くあります。 だからつい、体に力が入ったままになってしまうのだと思います。 緊張とか動作というのは、 ストレスに対処しているんです。 不自由ながら緊張して、一応耐えている。 たとえば、今日はインタビューだというので、 僕はもう朝からある緊張感をもっているわけです。 力の入れ方がちょっと弱いと相手の顔を見られなくなってしまう。 あんまり頑張ると今度はあがってしまってだめになる。 日常生活のほとんどに、そういう「心の構え」があるわけですね。 それで話をしているうちに、 だんだんこの位の緊張感がいるというのがわかってきて、 ちょうどよい塩梅に力を入れることができればそれでいいんです。


B:きっと「達人」と呼ばれる人は、 自由自在にちょうどいい緊張とリラックスができるのですね。 そうなんです。それが難しい。 ひとつ終われば、やれやれと力を抜いていいのに、 身体ですから、しみったれてて その度に残ってしまうやつがいるわけです。 残ってしまうとこれはどんどん積み重なっていく。 もうひとつは、体を使い切らない事が多いということもあります。 日常生活で関節を可動域いっぱいまで使うなんてほとんど無い。 使わない部分はそこへ心がゆき渡らないから そのまま滞って活性を失い硬くなってしまう。 そうすると緊張が習慣化する。 一度、緩めてもなかなか終わらない人がいる。 緊張して楽になって、 緊張してリラックスしてというのが、 習慣化しないとだめです。 フロイドは、意識化するっていいましたけど、 本当は無意識化しないと駄目なんです。 それで、「一週間は毎日ちょこっとでもいいから動かしなさい」 と言ってやると、 身体というのは癖が付いて、 それで楽になるんです。


B:身体がそのパターンを理解するのに 少し時間がかかるんですね。 こういうのをやりだしたのは、 脳性麻痺の子ども達の訓練をするようになってからです。 一週間泊まり込みでやるんですが、 母親は暇でしょうがない。 そこで親の会というのをやるようになりました。 そうすると肩が凝るとか、 子どもが重くなって腰が痛くなったとかいっぱい出てくる。 そういう人の首を左右へ押さえてみると、 片方には抵抗があって、反対側はくにゃんと曲がったりしている。 傾いているということは、力を入れているんですね。 坊やも全く同じように捻っているので、 最初は遺伝ではないかと思ったんですよ。 ところが、大学院生の連中も同じになってるやつが多い。 大学学部の一年生、二年生ぐらいだとあんまりいない。 つまり、まともなのは教養ぐらいまでで、 あとはだんだんだめになるということです(笑)。


B:今、自分のことを言われているような気がしました(笑)。 みんなそうです。 そういう人は、足の踏み方が悪いんです。 それから腰が反る人もたくさんいる。 肩こりと腰痛は、必ずしも一致してないんですね。 子どもを持ち上げる時はどうしても腰を反らしますが、 そうでなくても何か一生懸命やっている時というのは、 背中は丸めて、腰は反らせて、首は縮めているという人が多い。 この頃、学生の腰を見ると反っているのがたくさんいる。 で、「痛くない?」と聞くと、「痛い」と言う。 そうですね、三分の一ぐらいの学生が腰痛です。 整形の医者の連中は、あれは骨のせいだと言う。 それから椎間板がへっちゃけて、 神経をなでると言うんですが、 本当はそんな人はたくさんいない。 その証拠に具合の悪い時だけ痛くなる(笑)。 結局どういうことかというと、骨の問題ではない。 脊椎を支えている筋肉というのは、 全身にわたる筋群が統合的に働いて、 全体でぎゅっと縦に力を入れている。 それを僕は「軸」と言っています。 腰の痛い人は、その軸が腰のところで折れている。 ちゃんと縦の力になってない。 筋肉に力がうまく入らないので、 きゅっと反っくり返って無理をしているわけです。 こういう人は、だんだんひどくなっていきますね。 それで、軸を重力に合わせて力を入れる事を教えると、 背中や腰の痛みは取れてしまう人が多い。 腰痛の人というのは、腰骨だけではなくて、 足の踏んばり方もおかしいんです。 立つ事、重力に合わせて自分がバランスをとりながら生きるという、 それと関係がある。腰を反らせている人は、 自分では全然気がついていない。 だから今度は、「自分で反らせてごらん」と言っても、 全然反らないんです。 「でもあんた得意技でしょう」なんて言うんですけれども(笑)。 だんだんできるようになると、 次に「腰だけじゃないんだよ、足を踏まなくちゃだめなんだよ、 膝も真直ぐ伸しましょう」とやる。 「具合がいいなぁ」と思うようになれば、 たいてい大丈夫。


B:身体のバランスが、全体に大きな影響を与えるのですね。 もう三年くらい前に脳卒中で、 片麻痺になった人がいたんです。 ぼつぼつ回復してきて、やっとこさ歩けるようになった。 ところが、その人は左側がうまく見えない。 家の絵を模写しなさいというと、右側だけ描く。 左側は描かないんですよ。 紙のまん中に半分だけ描いて、反対側は白いまま。 これは世界にも珍しい奇病で、 半分側を無視するという「半側無視」だと専門家が診断した。 「あなたの病いはもう治らないから、あなたは家にいて家事をしなさい。 奥さんに外へ出て働かせなさい」といわれて、 「もう俺は廃人になってしまった」とガクゼンとしながら 家へ帰ってその人は顔を洗って、 ふと鏡を見たら自分の顔が半分しか見えない。 エレベーターの数字が二列に並んでいると、 片方の半分の数字が見えなくなってしまうと言うんですよ。 何でも二つあるやつは、片っぽが消えてしまう。 僕が少し話をしてみると、 もともと几帳面過ぎて 自分でも自分の性格が嫌になるということが出てきた。 「細かいことを気にし過ぎる、自分が変わらなくちゃだめだ」と言う。 立たせてみると、右足の方は踏んばれるんです。 ところが左足の方は棒が倒れるように倒れてしまう。 ぜんぜん踏んばりが利かないわけですね。 たった1セッションの訓練でしたが、そ の場で足に踏ん張りの力が入るようになりました。 一週間ぐらい経った時に、お母さんから電話がかかってきて、 この頃元気になって町中を一人で歩けるようになりましたという。 「目の方はどうなった?」と聞いたら、 もうちゃんと見えるようになった。 きっと、少し自分の几帳面さを 反省できるようになったんじゃないですか。 それで、何かの時に挨拶に来て、 「今ちゃんと見えますか」と聞くと、 「もうちゃんと見えます」と言う。 ですが、表情がまるっきり堅いんですよ。 奥さんもそこに居たから、 「あんた、カウンセリングでもなんでもいいから、 もうちょっと専門の人に見てもらいなさい」と言ったんですが、 やはり顔つきはそう簡単に変わらない(笑)。 脳性麻痺の子は小さいですから、 わかるかどうか関係なしにどんどん動いて訓練します。 だから一応できるようになるんです。 ところが大人は、なかなか自分でやり続けられない。 以前、気功と催眠の関係を喋れというので 北京に行ったことがあるんですが、 催眠とは直接関係がないけれども、 気功のいいところは、立つ事が中心で、 身体を動かしながら軸を柔軟にしているんです。 それを何時間もやっているんだから、 ノイローゼも少ないでしょう。


B:あのゆっくりした動作とか、 無意識の運動系の筋肉というのは、 意識して何かやるより、 ものすごく心身にいいのかもしれませんね。 さて、体を動かすことで、 問題のある人が治るという事もありますが、 自分をもっと違うレベルに高めたい時にも、 身体へのアプローチを積極的にやると 変わりやすくなるのでしょうか? そうだと思います。 動作というのをやっていると、 やっぱり物の考え方が 非常に柔らかくなって変わりますから。


B:脳性麻痺の子ども達についてお聞かせください。 私たちが取組みを始めたあの頃は、 脳性麻痺の治療でちゃんとしたものは無かったんです。 脳の細胞が死んでいるから、 手の動かない者はもう治らないと言われていました。 たとえば片麻痺で手が動かない子は、 その手を無いものだと思いなさい、 しまっておきなさいと言う。 だから手が痩せ衰えて、 触るとロウみたいに冷たくなってしまってね。 そういう子がたくさんいました。 脳性麻痺の子は、体を突っ張るんですよ。 それならその筋を切れという治療です。 切り過ぎて駄目になった子もいる。 では、切れば治るかといったら治らないんですよ。


B:先生は、どのようなアプローチをされたのですか? 脳性麻痺には、手を曲げるとぴょんと曲がってしまうタイプと、 じわじわとしか伸びていかないタイプと両方ある。 今どう考えているかわかりませんが、 その頃は、脳の病変の位置が違うということだったんです。 ところが、じわじわをだんだん緩めていくと、 ぴょん型に変わる。 それで、そのぴょん型をもっと緩めていくと、 だんだん小さくなって、 遂には全く振れなくなっていく。 この時にはもう動くようになっているんです。 ということは、もしも病変の位置が違っていても、 やり方としてはリラックスさえすればいいということがわかりました。 脳の細胞の部位が違っていたらそれは治しようがないはずなのに、 子ども達は変わって、立てなかった子が歩けるようになったりするわけです。 それは何だろうかと、脳生理の偉い先生の所に相談に行ったら、 「それが本当なら、交感神経と副交感神経の活動の比率を変えるように、 ボタンの押し方を変えたんですね」と言う。 それで、ボタンを押したのは誰かという話になって、 これから先は僕が言っていることなんですが、 それが「オレ」というやつなんです。 「オレ」がボタンを押して、 この身体の動かし方を変えた。


B:「オレ」というのは、 その人の「自我」のことでしょうか? 僕は「自我」という言葉は使いません。 フロイド以来、 力動心理学の人達によって特殊な意味づけをされ、 汚されてきたので。 「自己」というと、 自分と他者とを区別する社会的な現象と言われているので それも高次すぎて使いにくい。 僕はしょうがないから「主体」と言っているんです。


B:主体!そこのところをぜひお聞きしたいです。 「自己」というのは、 物心ついて社会的な生活を ある程度できるようになってから始まります。 「自己」というのは社会化された人間です。 「自我」はもう少し偉いわけですね。 フロイドの「自我」は、ものすごく偉い(笑)。 でも、もっと次元の低い、 生まれた時から身体だけを動かすような自分、 という場面適応活動があるべきだと僕は思うんです。 空腹のとき「おぎゃーっ」というやつ。 「わぁっ」と泣いておしっこをする。 そういう風に、赤ちゃんの時から主体活動はあって、 身体を動かすようになっている。 胎内のことは僕にはわかりませんから、 生まれた時からのことを言えば、 まだ意識活動とか知的活動などと いわれるようなものではないけれども、 それなりに当人にとっての場面、 状況へ適応しようという主体的な活動がある。 そのいわば原始的な活動が生涯を通じて人の活動の初期から 意識・無意識を含んだ重要な役割りを演じている。 それが「主体」です。 いまだに英文で書く時には「主体」と書けないので、 大文字で「ザ・サブジェクト(THE SUBJECT)」と書きますけれども、 なかなかみんな納得できないようです。 最近やっと、お医者さん、 心理の連中で使うようになりましたけれど。


B:「主体」というのは、 今までにない発想ですね。 だって、ヨーロッパでは 「我思う、故に我あり」と言うんでしょ。 思わなかったらオレはおらんのかということになって、 「それならオレはどこに行っちゃったの?」というわけです。 それから医学の全てにもそういうことが言えるんですが、 「オレ」がいない。 医学は死体から出発したからという言い方もあるんですが、 主体の人間が全然いないんですね。 しょうがないからみんな脳だと言っている。 でも、脳が勝手に動いたら困ってしまうじゃないですか。 コンピューターと一緒ですから。 キーを誰も押さないのに ドンドコドンドコ動いたら困るわけです。 キーの押し手が一番大事なんです。 最近は医学も発展して、 心理学が発展したかどうかわかりませんが、 心療内科なんかができて、 心身一元論だという。 一元論だと言いながら、扱っているものは、 相変わらず「身体と心の相関」なんて二元論時代のままです。 僕は、心身一元現象というのをちゃんとやらないと駄目と思っています。 その代表が「動作」だというわけです。


B:脳性麻痺の子どもたちは、 たとえば意図としては手を伸したいのに、 過剰に緊張が起こって、逆に突っ張ってしまうとお聞きしました。 また同じ事を聞くようですが、誰にもそういう事がありますね。 何か努力しようとすると、かえってできなくなってしまうとか。 まるで別な自分が自分を邪魔しているような感じがするのですが。 フロイドも無意識という擬人的なものがあると考えた。 そういう風に考えた方が、楽なことは楽なわけです。 でもそうやってしまうと治りにくい。 そうではなくて、すべてひとりの人なんです。 ただ意識にのぼっていないだけで。 意識と無意識を区別しているとわからなくなってしまう。 だから何もかもいっしょくたなんだと(笑)。 それが「主体」だというわけです。 先ほどの話に戻ると、「主体」がボタンの押し方を変える。 もともと動く身体があって、 それを主体が動かしているものを「動作」と言っているんです。 身体というのは動くようにできているものなんです。 どうして動くようにできているかというと、 どんな発達レベルの人でも、 生活場面に置かれて状況に対応しなければ生きてゆけない。 必死に場面へ適応しようとする。 その活動を起こし、進める根元のものを主体と呼べば、 それは出生直後から活動せざるを得ない。 その最初から主体は動作による活動から始まるわけです。 これは仮説ですけれども、 生得的に動きを起こすようなパターンが 体内に組み込まれていると思うのです。 でも、それは脳・神経系だけでなく、 筋・骨格系を含むからだ全体なんですね。 たとえば、関節を曲げたり伸したり、 それから捻ったりするというのは、 それは生得的にできているわけですね。 それからいわゆる原始反射運動。 赤ちゃんの手のひらにぎゅっと指を入れると 手を握ったりするやつはどうも生得的らしい。 そういう原始反射みたいなものは組み込まれている。 後になって意識といわれるようなものはないけれども、 それなりに状況を判断し、 適応的決断、対応を適切にやっているのが主体の活動なんですね。 生まれた時にはそれしか使っていないはずですが、 おしっこが上手にできるようになったら、 それはもうパターンとして新らたに組み込まれる。 そうやって獲得されたパターンというのは、 全て身体に組み込まれていくわけですね、 もともと動くようにできている。 こうして経験を重ねるうちに意識活動がはじまり、 知的活動が優位となるにしても、 相変わらず、新生児以来の意識的ではないが、 場面適応的な原初的活動は絶えることなく持続し、 意識では処理し切れない危機的場面では活動が優位となって、 当人の心や生体を守っていくことになる。 だから、たとえば、足の踏み方を忘れちゃった人は、 体に軸ができると、「おっ!こんな感じなんだな」とわかってくる。そ れで「ああ、オレ踏めたんだ」と思うわけです。 わかった時ってね、いい顔するんですよ(笑)。 脳卒中の後遺症はもっと楽です。 脳性麻痺は生まれた時から動かし方をやったことない。 ところが脳卒中はいっぺん動くようになって、 卒中で忘れたのを思い出すだけですから。 催眠の暗示位でびっくりするぐらい変わる人もいます。


B:なるほど。 その「主体」というとらえ方が、 何か大きな鍵になるような気がします。 先生の動作と心理が一体化するというお考えは、 最近になって強調しているように見えるけれども、 実際には最初のおねしょの時から感触はあったのではないですか? きっとあったんですね。 おかしいのは、僕は教育大にいましたでしょ。 その頃の学生と未だにつきあっているんですが、 僕が「とてもいい事を思いついたよ」という話をすると、 そいつらが「成瀬さんは変わらないね。昔もそれ聞いたよ」と言うんです(笑)。 今、僕は坊さんの学校の先生もやっているんです。 もう二十五年くらいつきあっているんですが、 坊さん、おもしろいですよ。 坊さんのいい所は、後ろに仏様がござるですよ。 何でも仏様で南無阿弥陀仏ってやればいいわけですから、 あれは楽ですよね。 こっちは、仏様の代わりになるようなものなんで、 なかなか大変なんです(笑)。


B:ありがとうございました。 これからのますますのご活躍をお祈りしております。

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