meeting with remarkable people [008]
C・G・ユング
1875-1961

20世紀に大きな発展をとげた「ユング心理学」は、
時代や国を超えて、魂を喪失した人々に希望を与え続けている。
研究は、心理学に留まらず、民俗学、宗教、神話、
錬金術、占星術、 文学と多岐に渡っている。
この様々な事象は、彼にとって、
幾重にも交じり合った、「心の象徴」であったのだろう。
その類い希な思想の源泉、ユングの生涯に迫ってみよう。

1875年、スイスに牧師の息子として生まれる。 
親戚のほとんどが、牧師や神学者という、
聖家族であったことが、人格形成に大きな影響を与えた。

母の霊的な感性、医師として有名な祖父の威厳。
その両方を継いだ彼は、時に内向的で、時に大胆不敵だった。
学校という集団生活の中では、居場所が作れなかったが、
自分が興味を示したもの、とりわけ、神や信仰について。
自然との対話においては、毅然たる態度を崩さなかった。

彼自身による『ユング自伝』には、
その後の探求の核となる幼少期の内面世界が描き出され、
非常に興味深いものとなっている。

20歳、ギムナジウム卒業後、 バーゼル大学に進学。 
理科と文科の両方が学べるという理由から医学部へ。 
入学した翌年に、父が他界。財産は皆無に等しかったため、 
彼は、母と妹の生活費、大学の費用などを稼ぐ必要があった。 

そんな逆境を乗り越え、精力的に研究活動は続けられた。 
青年時代、降霊会などに熱中する時期があった彼は、
この時期、心霊現象や超心理学現象に強い関心を示した。

医学部で専門に分かれる際、彼はまた、選択に迷った。
彼の背中を押したのは、精神の病を「人間の病」と表現した、
クラフト・エビングの言葉だった。
大きな分岐点である。

25歳、大学卒業後、チューリヒ大学の精神科で、
精神分裂病研究で著名な、ブロイラーの助手となる。
分裂病をベースに理論を組み立てていった原点がここに。
また、ヒステリーの研究で有名な、ジャネのもとでも学んだ。
実験者が刺激語を言い、被験者が反応語を言う知能検査の一種、
「言語連想法」の実験を成功させると、彼の名声は高まった。 
 
フロイトの『夢判断」』との出会いは衝撃的だった。 
興奮が覚めやらぬまま、1907年に彼はフロイトを訪ねた。
第一印象から、彼らは、互いを父と息子のように感じた。
両者は協調して、精神分析学を広める誓いを交わすことに…。
フロイトのもとで頭角を表した彼は、
国際精神分析学会の会長へ。
「精神分析会のプリンス」とも呼ばれた。

しかし彼は、独自の路線を歩むことを運命として選択する。
37歳に発表した『リビドーの変容と象徴』のなかで、
フロイトがリビドーを性的なものとみなしたのに対し、 
ユングはもっと一般的な心的エネルギーであると主張した。
これにより、両者の考えの相違が判明し、
論争を重ねた末に訣別。
調和が乱れた彼は、その後の16年間、方向喪失感に襲われた。
彼の机の引き出しには、拳銃が用意されていたと言う。

44歳、彼は精神病者の幻覚や妄想が、神話や伝説などと、
共通のパターンで成り立っていることを認識。
心の世界には、「個人的無意識」と「普遍的無意識」という
2つの層があり、 人類共通の「元型(アーキタイプ)」が
存在するという考えを提唱。

1920年代に入ると、キリスト教と自然科学を相対化する研究し、 
1933年には、各界の学者たちと共に「エラノス会議」を設立。 
ヨーロッパ史の表面には現れなかった、秘教的伝統を研究した。 
彼は「タオ」の思想にも影響され、
易経や禅、密教のマンダラなどの紹介にも努めた。 
 
彼が創始した学説は、「分析心理学」と呼ばれ、
多方面の人文科学に多大な影響を及ぼしている。
様々な研究者が、彼の理論をベースに取り入れ、
それぞれの発展を遂げている。

心と世界の関係性を、柔らかい感性と鋭利な視点で、
光のもとに導き出した彼の仕事は、
未来に向けて、いつまでも輝き続けるだろう。

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