meeting with remarkable people [012]
アルバート・アインシュタイン
1879-1955

20世紀を代表する天才アインシュタインは、
「相対性理論」により、万人の宇宙観を変えた。
爆発したかのようなヘアスタイル、親しみやすい風貌。
有名な舌をペロっと出した写真からもわかるように、
彼には独特のユーモアのセンスがあった。
一方、皮肉屋で頑固、孤高癖もあった。
他に類を見ない、彼の人間像に迫ってみたい。

1879年、アインシュタインは、ドイツのウルムに生まれる。
少年期はもの静かな子供で、いつもひとりで遊んでいた。
バイオリンが大好きになった彼は、
生涯にわたって、音楽を愛し続けることになる。

よく数学の問題を出してくれた叔父達との交流で、
問題を解くことの深い幸福感を覚えてしまうと、
加速的に、哲学・数学・物理学に関心を示すようになった。
自分自身で数学の勉強を続け、独学で微分と積分を学んだ。
中学生の頃、厳格な規律に縛られた学校への嫌悪が頂点に達した。
彼は、医者に神経衰弱という診断書をもらって、学校を離れる。
17才になると、ドイツの軍国主義的精神構造を嫌って、市民権を放棄。
ユダヤ人共同組合からも脱退した。 
5年後、スイスの市民権を申請し、22歳で獲得。
あらゆる権威や組織を嫌う彼の人格が、ここに見られる。

一度は受験に失敗したものの、科学技術の教育において世界的な
名門校であるチューリッヒのスイス連邦工科大学に若くして入学。
しかし大学卒業後、20代前半の彼の人生は、あまり幸福とは言えない。
大学に残ることはできず、代用教員や家庭教師などを経て、
スイス連邦特許局で、臨時の仕事につくことになる。
専門との関係は薄かったが、自由な時間を自身の研究に当てた。
それでもやはり、彼にとっては「闇の時代」であったようだ。

1905年は「奇跡の年」と呼ばれている。
26才のアインシュタインは、それまで「波」だと考えられていた
光が、「粒子」であるという論文を発表。
その結果、彼は新進気鋭の物理学者として、一躍注目を集める。
物理学で有名な公式「E=mc2」を発表したのもこの時期である。
世界は初め、無名の若者が、宇宙全体に関する認識を完全に
変えてしまったということに気づかなかった。

彼には、まず、直感的な答が先にやってくる。
その「解」にたどり着くために、長い時間をかけて、
理論を組み立てていくのだ。
1916年、完成度を高めた「一般相対性理論」を完成。
1919年、彼の予測は、皆既日食の観測により見事に証明され、
ニュートンの誤りを正す彼の理論が讃えられた。
「天才」の称号が冠せられ、世界中のメディアで報道された。
アインシュタインが一夜にして伝説の人となった奇跡的な瞬間だ。

彼は、「量子力学」の考え方をひどく嫌った。
彼が求めているのは、宇宙のしくみを説明する完璧な美しい「解」。
偶然に左右される宇宙など、受け入れたくなかったのだ。
彼は、極小から極大まで、すべての物理現象を解き明かす、
「統一場理論」を求めて、孤独な長い道のりに踏み出した。

1933年、アメリカに永住することを決意。
彼の理論は、原爆という恐ろしい現実を生み出すことになる。
ユダヤ人でもある彼は、戦争を終わらせるという大義のために、
苦渋の選択をとったわけだが、
この事は、生涯、彼の心に悲しみの影を残した。

アインシュタインは、1955年にプリンストンの病院で逝去した。
親しい身内と友人だけで彼は火葬にされた。
彼の希望によって、遺灰は空中に撒かれ、河を流れていった。

類いまれな存在感によって、多くの人を惹きつけたアインシュタイン。
しかし彼の魂は、人間社会の矛盾に苦悩し、
彼にしか触れない、孤高のスピリチュアリティと共にあった。
アインシュタインが求めた、美しい「解」。
それは、どこに存在するのだろうか?

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