meeting with remarkable people [013]
バックミンスター・フラー
1895-1983


発明家にして建築家、数学者そして哲学者。
独創的な業績を残した20世紀の偉人、バックミンスター・フラー。 
その多才ぶりは、「現代のレオナルド・ダビンチ」と称された。
独特のエコロジー的視点からの発想は、未来的でスピリチュアル。
そんな彼の生涯に迫ってみたい。

1895年、アメリカ、マッサチューセッツ州ミルトンに生まれる。
商人、牧師、作家など、地位のある親族に囲まれて暮らした。
ありきたりな四角形よりも円形や三角形に魅せられる少年だった。
この図形へのこだわりが、様々な個性的発明へと繋がってゆく。

18歳、ハーバード大学に入学、二度に渡って、放校処分となる。
自由奔放な思想と行動は、この頃から確立されてゆく。
カナダの紡績工場の見習い、肉の梱包業の会社などに勤めた。
1917年、21歳。有名建築家の娘、アン・ヒューレットと結婚。 
戦時中のため徴兵を受け 海軍に入隊。副官を経て、大尉へ。
退役後、梱包業の輸送副支配人、運送会社の販売支配人を経験。
海に落ちた飛行機を救出するための装置を考案する。
その功績が認められ、海軍兵学校の特別教育が受講できた。
地球規模のロジスティックスに基づいて思考することを学び、
ここでの経験が、将来の仕事の要となっていった。

27歳の時、義父の仕事を手伝い、建築関係の会社を設立。
同じ年、長女アレクサンドラが病死して、精神的打撃を受ける。 
4年後、事業は失敗に終わり、社長を辞任させられた。
人生の中で最も過酷な瞬間を味わい、自殺まで考えたという。
この孤独な時期は「沈黙の年」と呼ばれた。

1927年、32歳。新たな人生の始まりの年、次女アレグラ誕生。
社交的な外交員だった彼が、精力的な理論家へと変貌を遂げた。
劇的な精神的再生の後、「シナジー幾何学」を発見する。
飛行船グラフ・ツェッペリン号などに衝撃を受け、
自身のアイディアを綴った限定本『4ーD(四次元思考)』を執筆。
この時期から「最少の材料で最大の効果をあげる」を信念に、
「ダイマキシオン・ハウス」の研究開発に乗り出してゆく。

「ダイマキシオン」は造語で、彼が頻繁に使用する3つの言葉、
「ダイナミック」「マキシマム」「イオン」の組み合わせ。
この概念は、彼の人生そのものを象徴するものとなった。

1929年、世界大恐慌の年、ニューヨークへ移住。
1933年に「ダイマキシオン・カー」を製作、発表。
翌年のシカゴ万博「世紀の進歩」に出品され、話題を集める。
この頃から、「ダイマキシオン・ハウス」の試作が繰り返され、
1948年に「ジオデシック・ドーム(フラードーム)」を発明。
構造、材質、耐久性、生産性、そのすべてに優れていた。
1953年、「フラードーム」の建設が完成し、巷で発表されると、
「天才的な技術者フラー」の名が広く知れ渡るようになった。

富士山頂の気象観測所、南極の米観測基地、
モントリオール万国博の米パビリオンなど、
フラー発明のドーム型構造物は、世界で20万棟を越す。
その特性から、軍用シェルターなどにも採用された。

1958年から、世界各地の大学で講議を行ない、多忙な日々へ。
「シナジー幾何学」が物理学者や生物学者から注目を集める。
南イリノイ大学の教授に就任し、様々なワークショップを展開。
晩年は、国境を超えて、世界平和と環境保護を訴え続けた。
世界中の大学がフラーに合計43個の名誉博士号を贈った。 
1983年、87歳、心不全のためロサンゼルスの病院で死去。

夢見る力を持つ人、フラー。
彼はまた、その夢を現実に具現化する適正技術を生み出した。
宇宙船地球号が航海に乗り出す時、
未来の人類は、彼の指さす方向を見据えようとするだろう。

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