meeting with remarkable people [014]
鈴木大拙
1870-1966

「世界に最も影響を与えた日本人は?」と聞かれたら、
誰を思い浮かべるだろうか。
分野によって様々だろうが、私達日本人の認識を遙かに超えて、
多大な影響を世界にもたらした人がいる。
それが、鈴木大拙だ。
かつて日本人と言えば、サムライとゲイシャ。
西洋から見れば、エキゾチシズムに溢れてはいても、
やはりそれは一風変わった後進の国にしかすぎなかった。
ところが、鈴木大拙は、禅や東洋思想という、
高度に結晶化された哲学を欧米の知識人達に知らしめた。
ユングやフロム、ハイデカーやヤスパースといった知識人達が、
驚きをもって彼の話に耳を傾けた。
アメリカの雑誌『ライフ』が1960年末に行った世論調査では、
「世界に現存する最大の哲学者は?」という問いに、
圧倒的多数でダイセツ・スズキが上がったという。
現代思想を形成した欧米の知識人達にとって、
最も注目すべき偉大な人物として、鈴木大拙は存在していたのだ。

1870年、明治3年という年に、金沢で彼は生まれた。本名、貞太郎。
22歳で上京し、東京専門学校(後の早稲田大学)から東京帝国大学選科に進んだ。
禅との出会いは、学生時代、鎌倉・円覚寺に参禅したことから始まる。
今北洪川老師との出会いは、彼に霊的体験をもたらした。
『その時の問答も又、まったく記憶せぬ。
ただただ老師の風貌の、如何にも飾り気なく、
如何にも誠実そのもののようなのが深く、
我が心に銘じたのである』
と後に彼は語っている。
哲学の徒であった青年は、「大拙」という居士号を得て、
学者としてでなく禅者として禅と向き合い続ける道を見いだした。
以降、「Living by Zen」という姿勢を生涯つらぬくことになる。

1897年、27歳の時、大拙はアメリカに渡る。
時は文明開化の時代。
漱石や鴎外などの知的エリートは世界を見る役目を果たすため、
こぞって海外に渡っている。
大学で仏教哲学を学び、一時は英語の教師も経験した彼にとって、
西洋と東洋を橋渡しする役割は当然の事であったのかもしれない。
この一度目の訪米は12年間に渡り、
彼はイリノイ州の出版社で、東洋学関係の出版に従事した。
同時に、『老子道徳経』『大乗起信論』を英訳し、
『大乗仏教概論』を英文で出版。
アメリカ人女性と結婚したこともあり、
彼の英語能力は群を抜いていた。
東洋の高度な思想を持ちながら、それを平易な英語で説明できるという才能が、
次第に欧米の知識人達に知られることとなる。

39歳で帰国。
東京帝国大学や学習院で教鞭をとったが、21年大谷大学教授として京都に移った。
やがて東方仏教徒協会を設立し、英文雑誌『イースタン・ブディスト』を創刊。
仏教や禅思想を広く世界に紹介する活動を地道に続けている。
2度目の渡米は1949年、79歳の時。
日本が敗戦のイメージに浸っていたこの時代、
大拙はアメリカという異国の地で、禅思想を通して、
東洋と日本の考え方や生きる姿勢を知らしめた。
それは間接的に、日本人の尊厳を取り戻すことにも繋がったのではないだろうか。

50年代から60年代は、カウンターカルチャーの時代。
『ニューヨーカー』や『ヴォーグ』でも禅特集が組まれた。
現代に生きる西洋人にとって、
東洋に対する憧れはZENと共に芽生えたといっていい。
今でこそ、侘び・寂び、歌舞伎や能、茶道や生け花などの日本文化や、
優れた工業製品、寿司を代表する和食ブームなどは、世界で広く受け入れられている。
しかしその先駆けとして、「ZEN」という偉大な思想を、
日本から世界に向けて発信したのが大拙だった。
1966年、96歳という天寿を全うして彼は逝った。
晩年の映像がビデオで残っている。
彼が語るのは100年先の未来だった。
西と東、民族、人種、宗教、様々な根深い問題が
地表に浮かび上がってきている現在、
彼なら、どんな事を私達に語ってくれるのだろうか?

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