meeting with remarkable people [015]
レイチェル・ルイス・カーソン
1870-1966

人間が築いてきたシステムが、変容を迎える時、
はじまりは、小さな波のように、静かに起こる。
物質文明と自然環境との危うい関係に、人々の目を向けたのは、
レイチェル・カーソンという、一人の女性の静かな決意だった。

1907年、アメリカのペンシルバニア州、スプリングデールで、
農場を営む父、教師の経験を持つ母の元に彼女は生まれた。
豊かな家庭ではなかったが、周りには森や野原が広がっていた。
彼女は、幼い頃から、自然界の神秘と美しさに魅せられた。
どちらかというと孤独な子供だった彼女は、
一日の大半を森や小川のほとりで過ごした。

読書が大好きだった彼女は、作家になることを夢見た。
10歳の時には、子供向け雑誌に物語を投稿し、銀賞に輝いた。
社会的な成功への願望よりも、知的な野心と
自身に対する価値観を大切にするようにと教えてくれたのは、
彼女の母だった。

ペンシルヴァニア女子大学に入学してからも、
彼女の執筆に対する情熱は衰えず、学生新聞の部員になった。
作家になるために、英文学を専攻するつもりだった彼女だが、
教養課程として学んだ生物学に、すっかり魅せられてしまう。
作家と科学者という二つの選択肢に迷いながら、
しかし最終的に、彼女は専攻を動物学に変えた。
そして、職業作家になる夢は途絶えたと信じ込んでいた。

1928年、21歳になった彼女は、動物学の修士課程をとるために、
ジョンズ・ホプキンス大学に進んだ。
その夏期研修中、ウッズホール海洋生物研究所で、
海と運命的な出会いを果たす。

やがて、父親の死という事態のなかで、
家族を養わなくてはならなくなった彼女は、
連邦漁業局の公務員として就職することにした。
政府広報物に自然保護地域のレポートを書く仕事をする中で、
ある時、海を題材にした放送番組の制作を命じられる。
彼女は仕事に取りかかったが、できあがった原稿は、
漁業局のための放送としては不向きなものだった。
しかし、上司はアトランティック誌に投稿することを
奨めてくれた。

アトランティック誌は、彼女の原稿を採用。
この出来事が、彼女の運命を大きく変えていく。
その文章の力に目を留めた編集者クインシイ・ホウから、
一通の手紙が届いたのだ。
それは、彼女に本を書く気があるかどうかを問うものだった。
一旦は、作家になる道を諦めた彼女にとって、
それは、科学者と作家という二つの夢が、出会う瞬間だった。

こうして1941年、34歳の時、『潮風の下に』が出版された。
役所の仕事をきちんとこなしながら、家族を養い、
それでも時間をみつけて執筆する、という彼女の努力は、
10年の後に報われた。
『われらをめぐる海』がベストセラーになったのだ。
「海の作家」として才能が認められた彼女は、
ようやく、文筆業に専念できるようになる。

メイン州のシープスコット湾を望む地の、こじんまりした平屋。
彼女は、甥のロジャーと共に、大好きな場所を歩きまわる。
その幸せな体験は、『センス・オブ・ワンダー』という、
瑞々しい本を生み出した。

しかし、最後に大きな転機がやってくる。
自然の美しさを学び、尊ぶ作家という豊かなポジションから、
彼女は降りる決意をした。
『沈黙の春』の執筆。
化学物質がもたらす環境破壊の脅威を告発するこの著書は、
世界に大きな論争を巻き起こした。
それは、これまでの価値観を根底から覆すものだった。
彼女の平穏な日々はくだけちる。

彼女の晩年は、厳しいものだった。
病魔と戦いつつ、自らの起こした論争を、
静かに、しかし、毅然と受け止めた。
1964年、カーソンは56歳の生涯を終えた。
静けさと勇気は、同時に存在することができる。
そんな生き方を、彼女は私達に教えてくれた。

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