meeting with remarkable people [016]
ジャン・コクトー
1889−1963

アートが訴えるものは、<この世の神秘>に他ならない。
宇宙や自然に刺激され、神や人の影響を受けながら、
スピリチュアルな世界を体現する。
それを詩・小説・評論・演劇・バレエ・映画・デッサン、
さらには壁画装飾などの分野で探求した、多彩な男。
稀有な芸術家、コクトーの生涯に迫ってみたい。

1889年、フランスのパリ郊外にあるメゾン=ラフィット、
裕福なブルジョワの家庭という恵まれた環境に誕生する。
父は弁護士の職に就いていたが、既に年金生活に入っていた。
専制的な愛を注いだ母は、アマチュアのピアニストだった。
お天気屋で神経質、悪戯好きな少年だった末っ子の彼は、
兄弟や親戚の子供達との遊び中で、感受性を磨いた。
両親たちは、演奏会や演劇場によく足を運んだ。
彼の詩や文学への情熱は、劇場の扉を通ってもたらされた。

10歳の頃、父親の自殺による死を契機に、パリへ移住する。
この事件により、死の恐怖と魅力に同時に取り憑かれ、
深層意識に刻まれたことが伺われる。
彼の少年時代に起こった出来事で、とりわけ興味深いものは、
学友ダルジェロスへの憧憬によって、官能を味わったことだ。
彼の代表作『恐るべき子供たち』の中に、その友は登場する。
彼の表現エネルギーは、この男性同士のエロスに負っている。

青年コクトーは、大学入学資格試験に何度も失敗した。
結局、進学を諦めてパリの文壇や社交界に出入りし始める。
学業の挫折は彼にとって災難ではなく、転機であり運命だった。
まだ無名だったプルーストをはじめ、
様々な輝かしき才能とぶつかり、自分の才能を確認した。
フェミナ劇場にて、コクトーのために詩の会が開催される。
早熟な彼は天賦の才によって、18歳で詩人デビューを果たし、
一躍パリ社交界の寵児となった。

20歳になり、詩集『アラジンのランプ』を発表した。
その3年後には、ロシア・バレーの創立者ディアギレフや、
作曲家のストラヴィンスキーと知り合い、交流を始める。
彼が舞台の世界で羽ばたいてゆく、きっかけとなった。

1914年、25歳の頃、第一次世界大戦が勃発。
翌年、民間救護班の一員として戦場へ赴く。
潜りの海軍陸戦隊員となるが、補助兵としてパリに移された。

28歳の頃、エリック・サティの音楽、ピカソの舞台装置によって、
彼が脚本・演出を担当した『パラード』が開演された。
賛否両論を巻き起こす、大スキャンダルとなった。
以後彼は、精力的に創作を続けた。
作品はそのどれもが、周囲の注目を集め、物議を醸しだし、
そして、名声を高める結果となった。

最愛のレーモン・ラディゲが20歳の若さで逝去し、
阿片に手を染め、破滅の道に踏み入れたこともあった。
とにかく創作を続けることで、人生への失望を食い止めた。

彼の元には、舞踏家・音楽家・画家・詩人などが自然と集まり、
ダダイスト・シュルレアリストとも交流を持ったが、
彼自身は、常に単独者であり続けた。
映像表現においても、彼の実験的精神は健在で、
他に類を見ない、詩情あふれる成熟した作品を生んだ。
コクトーの創造力を刺激して止まなかった「美の化身」、
男優ジャン・マレーとのコラボレーションが、
『美女と野獣』『オルフェ』などの独創的な映像に結実する。

1963年、74歳のジャン・コクトーは永眠した。
彼の墓碑銘には、「僕は君達と一緒にいる」と刻まれている。
ジャンルを超えた芸術活動で、時代のエッジを駆け抜けた天才、
ジャン・コクトー。
彼の魂は、今も私達を鼓舞し続けている。

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