meeting with remarkable people [019]
ジョージ・アダムスキー
1891−1965

空を見上げる人類。
世界を見渡すもう一つの視点が、人々の意識を大きく広げる。
未確認飛行物体(UFO)の存在を世界に知らしめた、
ジョージ・アダムスキー。
変革の時代の幕開けに、多くの議論を巻き起こした、
彼の生涯を追ってみたいと思う。

1891年、ポーランドに生まれる。
その翌年、一家は、ニューヨークへ移住。
母は、神秘的な思想を持った女性であったらしい。
後年、記された記録によると、
彼は8歳から12歳まで、チベットのラサに留学。
ポタラの宮殿で、チベットの秘教や東洋哲学を学んだという。
帰国後は、カトリック神秘派協会に入り、
僧侶として司祭の助手をつとめている。
しかし、アダムスキー一家の米国での暮らしは厳しく、
義務教育過程を終えたあと、1913年から1919年までの6年間、
彼は陸軍で軍務に服した。

人生の目的を探し求めていた彼は、
除隊後、しばらく放浪の旅を続け、
あらゆる職業で生計を立てながら、
構神科学と哲学を教え始める。
1930年、40歳になった彼はカリフォルニア州に居を定め、
生涯この地で過ごすこととなる。

「ローヤル・オーダー・オブ・チベット」のリーダーとして、
チベットの秘教を教えるために精力的に活動。
彼を慕った弟子は数百人を数え、
その講話はラジオを通して流されるようになった。
この頃に初めて彼は、天体観測の魅力と出会い、
宇宙船らしきものも撮影したが、
当時、この正体を確認できる者はいなかった。

アダムスキーと彼の弟子達は、
生活の糧として、小さなカフェを作り、
弟子の一人であるアリス・K・ウェルズがこれを運営した。
近くに本格的な天体望遠鏡を設計し、
さらに天体観測を続ける内に、決定的な出来事が起こった。
1946年の流星雨の時に、宇宙船の大規模な編隊を発見。
この現象は別の地域でも複数確認され、
彼の元へ多くの問い合わせが寄せられたのだった。

1952年頃、宇宙船が着陸したという情報を入手し、
その場所へ数人の専門家と共におもむく。
金星から来訪した使者と最初のコンタクト。
その数年後、金星人の宇宙船に招かれたと公言。

彼が経験した出来事は大きな波紋を生み、
終わりの無い議論を繰り返すこととなる。
催眠術や米軍の軍事兵器説などが、
アダムスキーを攻撃する主な矢となったが、
頻繁に発見される宇宙船の報告も後を絶たなかった。
その後も彼は、様々な星から来訪した使者と会見を続ける。

彼によれば、スペースブラザーズと言われる使者が、
大昔から地球に訪れていたらしい。
彼らから伝授された普遍的な宇宙哲学を、彼は科学的に捉え、
オカルトの類い、特に占星術やチャネリング系、
心霊などの情報と、混同されぬよう警戒をしていた。
また、彼の活動からは金銭的な物の発生は一切なく、
宗教的な事からも距離を置くようにしていた。
しかし、ベッドに電線を這わせて、
スペースブラザーズからの電波を体に取り入れるなど、
少々奇妙ともとれる行動も多かった。
眠らず、食べず、一日中喋り続けることもあったらしい。

オランダ王女、ローマ法皇、ケネディ大統領らと会見、
膨大な数の講演を行い、一躍、注目の人となったアダムスキー。
しかし、彼の説に異論を唱える者も多く、
真偽は謎のままである。
1965年、75歳の時、肺炎と心臓病のため死亡。
ワシントン市アーリントン墓地に葬られる。
彼の活動は、最後まで精力的に続けられた。

月へロケットが飛び、人間の意識が、
地球上から宇宙へと解き放たれたこの時代。
アダムスキーの登場は、宇宙時代の幕開けと重なっている。
人間以外の生命体の存在という、未知の可能性への扉は、
私達にどんな影響をもたらしたのだろうか?

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