meeting with remarkable people [025]
ソクラテス
B.C.470頃-B.C.399

西洋哲学史において、欠くことのできない人物、ソクラテス。
「真理」の探究にすべてを捧げた、真のソフィスト。 
ソクラテスの生涯には、確固たるメッセージがある。
現代人は、そのエッセンスに今こそ触れるべきかもしれない。

ソクラテスの出世の正確な記録は存在しない。 
ペルシア戦争の終末期に生まれたことは確かで、 
研究家の間で一致している見解は、紀元前470年。 
彫刻家であったと伝えられる父と産婆の母のもと、
アテナイのアロペケ区に誕生したと言われる。 

激動の時代の中で少年期を過ごした彼には、
ある種の使命感、不屈な信念が芽生えていった。
青年期のソクラテスは、エピソードを数多く残している。
父親の仕事を受け継いでいたという説があり、
恋愛の問題については、同性愛という噂まで存在する。
しかし、事実に基づく記述は少なく、真実は闇の中だ。

20歳になった彼は、自然科学の研究に関心を持った。
しかし、その学問体系の細部に満足がいかず、
森羅万象の生成や消滅について、独自の思索を開始する。
その途中で、「精神が万物の原因である」という、
アナクサゴラスのヌース(精神)説に感化されたが、
最終的には、安易な言論であるという結論に達し、
ますます独自の方法論に傾き始めていった。
それは、ロゴス(言論)による、「弁証法」に結実する。

戦争は少しの平和を挟み絶えず続いていた。
彼は、祖国のために三度ほど従軍している。
ソクラテスが結婚したのは、中年になってからだ。
妻クサンティッペは、悪妻として有名。 
3人の子供があったという。 

ソクラテスは、自らをフィロソフォス(愛知者)と呼び、
自身の活動をフィロソフィア(愛知活動)と呼んだ。
時には、母の職業をもじって「産婆術」とも称した。

街頭や公園などで対話・問答は繰り返された。 
友人カイレポンがもたらしたアポロンの神託により、
ソクラテスは、「無知の知」「無知の自覚」を獲得する。
「何も知らないということを知っている」という智恵。
シンプルに見えるが、誰もが到達できるものではない。

ソクラテスは、当時賢人と呼ばれていた人々を次々に訪ねた。
しかし、彼のこの行動は、結局相手が
「知っていると言っていることを、実は知らないのだ」、
ということを暴くことになった。
相手は論破され、恥をかかされたとして、
ソクラテスを憎むことも多かった。

60代に突入して、 ソクラテスは多くの老若男女を集め、
個性的なサークルを形成した。
この時期に、青年プラトンとの邂逅を果たす。
世に著作を残していない彼の業績を知るには、
プラトンやクセノフォンが綴った文献に頼るしかない。
喜劇『雲』で揶揄された彼の姿は、一般像となった。

ペロポネソス戦争終結から間もない、紀元前339年。
70歳の彼は、メレトスという青年に告訴される。 
青年の背後には、黒幕の政治家とソフィスト達がいた。 
「国家の認める神々を否定し、青年に害を与える」。
その罪状の裏に隠されたものは、知恵なき者の嫉妬だ。

アテナイから離れ、刑を逃れることもできたが、
彼は自説を曲げたり、反省したりすることを決してせず、
真っ向から自身の弁明を行った。
その結果、死刑の宣告を受ける。
彼は自ら、毒ニンジンの杯をあおり、刑死する事を選んだ。  

弁証法の確立、無知の知という姿勢は、
たしかにソクラテスの偉大さを証明するものだが、
ソクラテスが最も重視した概念は、
よい生き方としての徳(アレテー)だった。
最小限の物質で、自由な生活を送り、快楽から身をひき、
自制心を失わず、「知」に忠実に生きたソクラテス。
これからの未来に、ソクラテスを見つけ、守ること。
それが人類に残された、大きな仕事のひとつかもしれない。

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