meeting with remarkable people [028]
ヨーハン=ヴォルフガング=ゲーテ
1749-1832

スピリチュアルな精神を誰よりも抱えながら、
常にリアルな場所で活動し続けた大詩人ゲーテ。
母国の発展への寄与、各国の芸術家への影響、
この二つを併せ持つ人間で、彼に優る者はいない。

1749年、ゲーテはフランクフルトに生まれた。
父は帝室顧問官の称号を持ち、母は市長の娘であり、
田舎に過ぎない当時のドイツで、家庭は裕福と言えた。
良家の子供は自宅教育が一般的で、彼もその道へ。
語学に堪能で、5、6カ国語を少年時代に習得。

読書好きの彼は、驚くべき数の寓話・神話・奇譚を読破し、
印象的な事件や奇怪な人物、伝説を頭に詰め込んだ。
七年戦争やリスボン大地震は、彼にショックを与える。
ゲーテの心に「神の問題」が浮上した。
突如ペンが走り出し、詩や戯曲の試作が開始される。
この頃から一貫して、ゲーテの作品には
「超自然的な力(=デーモン)」が登場してゆく。

1765年、彼は16歳で名門ライプツィヒ大学へ。
法律学を専攻、医学や自然科学にも関心を抱く。
しかし、学業修了を目前にして彼は、病気のため帰郷。
健康回復後、フランスのシュトラースブルクに入学し、
残りの業を終わらせ、詩人的視野を拡大させてゆく。
この頃より、本格的な抒情詩が創作された。
大聖堂に感激し、建築芸術についての論文なども書く。

1771年、22歳の彼は弁護士を経験後、学報ライターへ。
彼の作家としての経歴は、ジャーナリストから始まった。
同年、処女作の戯曲を書き上げ、2年後に改作が出版。
翌年には、あの『若きヴェルテルの悩み』を上梓。
「魂の純粋な告白」が、この書物の吸引力だった。
主人公の服装や話法、自殺が一種のブームとなる。
先進国の殆どで翻訳され、
彼の名声は、一気に全ドイツから世界中へ知れ渡る。

後進国ドイツを世界の檜舞台へ押し出した功績により、
政界からも注目される。
ナポレオンも彼の作品を愛読。
ワイマール宮廷がゲーテを招聘し、彼の状況は一転、
自分の運命を試すかの如く、政治中心の生活を送った。
26歳の頃より約10年間、大臣的な地位に就き活躍した。

1786年、37歳のゲーテは、イタリアヘ旅立った。
“空白の時間”を過ごした故の、創作衝動の爆発だ。
自分がすべきことを自覚し、芸術家として再生すると、
フランス革命、結婚・子供の誕生、シラーとの交友の中で、
溜まっていたアイデアを作品に転化し、次々に発表。
40代になると、自然科学への興味がピークに達し、
『植物変態論』が生まれ、後の『色彩論』に繋がった。
形式・内容を改変し、人格の形成を中心とした作品郡、
『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』などは、
教養小説の典型となり、世界の小説を新たな方向へ進めた。

晩年のゲーテは、歴史的・社会的関心の増大に伴って、
世界の秩序と平和を切に願い、<諦念の思想>を展開し、
国境を越えた文化交流の必要を思い、「世界文学」を提唱。
その考えは、東洋風の歌謡集『西東詩集』に結実した。
自伝的著作『詩と真実』『イタリア紀行』を纏める一方で、
24歳より順次進められた『ファウスト』の仕上げに着手。
60年程の歳月が要され、死の前年に完成したこの大作は、
ゲーテの化身となり、幾世紀に渡る文学の総決算となった。
作品に全てを託すかのように、83歳で生涯を閉じた。
神・悪魔・人間、愛・生・死を題材とした深遠な物語は、
彼の意図を飛び越え、今日まで問題を提起し続けている。

自然の営みの中に存在する神との関係性を注視して、
自分の欲望(エゴ)を抑制すること。それだけである。
そんなシンプルな問題を、詩的に表現したのではないか?
世界が複雑になればなるほど、人々が混乱すればするほど、
ゲーテのメッセージは、浮き上がってくるのかもしれない。

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