meeting with remarkable people [029]
ジョン・カニングハム・リリー
1915-2001

未知の領域を探求しようとする時、
どこから「狂気」と呼ぶのか、その境界は曖昧だ。
20世紀、意識とリアリティを、自らの体験を通して、
探求し続けた科学者がいた。
アイソレーション・タンクや、イルカの研究で知られる、
ジョン・C・リリーとは、いかなる男だったのか?
  
1915年、ジョンはアメリカ、ミネソタ州セントポールにて、
資産家の父と母の元に生まれた。
裕福な環境で、自由な教育方針で育てられた彼は、
ごく幼い頃から、客観的な視点で物事を見る能力を持っていた。
科学に興味を持った少年を、周囲の人は、
「アインシュタイン・ジュニア」と呼ぶ事もあった。
 
1933年、18歳の時、カリフォルニア工科大学に入学。
当初は、物理学を専攻していたものの、
次第に、人間の意識や行動に強い関心を持ち始めた彼は、
生物学を同時に修得。
そして、脳と意識について、「リアリティ」という論文を書く。
その後、脳についての研究を深めるため、医学部にも入学。
同時期に、父が自動車事故から奇跡的に生還したり、
母が脳腫瘍に冒されたことなどが重なり、
彼は、より真剣に、この生涯のテーマに向き合うこととなる。

1942年の戦時中は、戦闘機の高速飛行がもたらす
生理学についての研究要員に招かれ、
実験の中で、自ら進んであらゆる極限状態を体験した。
1953年、38歳の時、国立保険研究所へ。
かねてからの念願だった、
大脳皮質の電気的活動の研究へとシフトした。
外部との接触を断ち感覚的な刺激をすべて遮断すると、
人間の意識はいったいどうなるのか、という研究を行うために、
アイソレーション・タンクを開発。
実験を続ける内に、彼自身、様々な変性意識状態を体験したが、
当時はまだ、コンピュータもない時代。
彼の研究を解析できる十分なテクノロジーが、存在しなかった。

そこで次に彼が注目したのは、人間に似た大きな脳を持つ、
イルカという生物だった。
1960年、45歳の時、彼はヴァージン諸島に、
イルカの研究所CRIIを設立。
彼は、異種間コミュニケーションの可能性に注目した。
この研究によって、イルカの持つ優れた知性を世界に知らしめた
彼は、一躍、イルカ研究の世界的な権威として認知された。
ちなみに、あのテレビ番組『わんぱくフリッパー』も彼が監修。
この頃の共同研究者として、世界的な文化人類学者、
グレゴリー・ベイトソンがいる。

1968年、53歳の時、彼は、エサレン研究所へ向かう。
当時、アメリカで大きな注目を浴びていた、
向精神薬LSDによる研究を進めるためだ。
LSDを服用することによって、アイソレーション・タンクでの
体験は、劇的な効果を発揮した。
この研究は、後に、映画『アルタード・ステーツ』の
モデルとなっている。
T・リアリーらとの出会いも果たした彼は、
自らが実験台となりながら、意識変容の研究に没頭していった。
 
ハードな実験を重ねる内に、彼は、「ECCO」と呼ぶ、
地球外リアリティとのコンタクトをするようになった。
この時期の体験が、サイケデリック文化や、ニューエイジ文化に
様々な着想を与えたのも確かだが、
当時の彼は、薬物中毒で、常に幻覚を見ていたと考える人も多い。
 
1976年、61歳の時、
非営利組織ヒューマン・ドルフィン財団を設立。
イルカと人間のコミュニケーションを科学的なアプローチで探る
「ヤヌス計画」を始動。
1988年に第一回国際イルカクジラ会議の特別ゲストとして招かれ、
イルカコミュニケーションのパイオニアとして賞賛される。
 
2001年、9月。心臓発作により、86歳でこの世を去る。
ニューサイエンスの先駆者、内的宇宙の探究者として
生きながらにして伝説となった彼の意識は、
今、どこまで拡大していっているのだろうか。

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