meeting with remarkable people [030]
マルティン・ブーバー
1878-1965

 ヘルマン・ヘッセをして、
「今日、世界に現存する数少ない賢人の一人」と言わしめた人物、
それがマルティン・ブーバーだ。
人並みはずれた知性、神に対峙する魂、人々と対話し続ける力、
その全てを体現したブーバーとは、いかなる人だったのか。

1878年、彼はウィーンで生まれた。3歳の時、母が突然の失踪。
彼は、大地主である祖父母の家に預けられた。
祖父は、ユダヤ啓蒙主義の偉大な学者でもあり、祖母共々、
高潔な人物として地域の尊敬を集めていた。二人は独自の教育方針に従って、
10歳になるまで彼を学校にやらず、家庭教師をつけた。
いくつもの言語を学んだ彼は、後に11種類もの言語を修得。
その類い希な知性の基礎を築いた。

わずか14歳して、彼は根源的な危機と対峙する。
それは、空間と時間の無限性について。果てのない空間、
時間の始まりと終わりについて、彼は思考を続けずにはいられなかった。
この形而上学的な危機から彼を救ったのは、
カントの著書であり、同時に彼の「直感的認識」だった。
20世紀の最も偉大な書籍の一つ、
『我と汝』の種は、この時すでに萌芽したと言えるだろう。

1896年、18歳の時、ウィーン大学哲学部入学。
17歳でニーチェに心酔、早熟な哲学青年は周囲の誰よりも先を歩いていた。
そのナルシシズムから彼を救い出したのは、
テオドール・ヘルツルの新しいシオニスト運動だ。
優秀で熱き血にもえる彼は、すぐにこの運動の中心的なメンバーとなる。
しかし彼の姿勢は、反ユダヤ主義に対する純政治的抵抗手段というよりも、
思考を因習から解放し、真のユダヤ的知性にたどりつくことだった。
彼は、ユダヤ思想の根幹に関心を持ち、神秘思想「ハシディズム」を見出す。
ハシディズムが持つ、素朴だが純粋な熱を伴う信仰形態は、彼の魂をゆさぶった。
その結果、彼はすべての政治的シオニズムの運動から身を引いて、
ハシディズムの研究に没頭する。

そして、マルティン・ブーバーという人の独自性が現れるのが次の選択だ。
神秘主義には圧倒的な高揚感を伴う忘我の状態がある。
神との一体感をもたらすこの体験を、彼自身、何度も体験した。
だが彼は最終的に、この神秘体験を永続的に放棄するという決意に達した。
神秘主義を否定したのではない。ただ本当のスピリチュアリティとは、
快い忘我に辿り着くことではなく、目の前にある現実と
いかに関係性を築いていくかということだという結論に達したのだ。
以後、生涯にわたって、「狭い尾根の両側の深淵があり、
その上を歩き続ける」ことを彼は選んだ。
そして38歳の時、彼の知性、直感、熱意が、魂という溶鉱炉の中で融合し、
そのエッセンスとして、ついに『我と汝』の草稿が抽出された。

その後の彼は、一貫して「現実」と共に歩み続ける。
膨大な文献を執筆を行いながら、若者の教育にも尽力。
彼の前には、常に誰かがいた。
どんな人の話にも彼は耳を傾け続けた。
49歳の時に、パレスチナ最初の訪問。
1933年、55歳の時、ナチスが政権につき、ユダヤ人迫害が始まる。
ブーバーの公式活動は禁止されたが、精神的な指導者として、
多くの人にとっての支えとなる。
5年後、彼はパレスチナへ移住。イスラエル建国に、多大な貢献をする。

1948年、70歳の時、イスラエル独立。
しかし、権威や因習的な信仰を嫌ったブーバーは、
国から政治的地位を与えられなかった。
その思想の奥の深さ、中立性、そして現実の活動に対し、
絶大な評価を得ながら、なぜか本流からは疎まれる傾向にあって、
二度、ノーベル賞候補にあがるも、実現されなかった。
にもかかわらず、彼を敬愛し慕う人々は後をたたず、
80歳の誕生日には、世界中から祝辞が贈られた。
1965年、87歳、慢性腎炎にて死去。
最後まで、彼は、狭い尾根の上を歩き続けた。
その勇気、気高さ、やさしさ、知性を、私達に遺して。

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