meeting with remarkable people [033]
エリザベス・キュブラー・ロス
1926-

人は誰でも死ぬ。
しかし、その時が近づいてくるまで、多くの人は、
その事実に向き合おうとしない。
『死ぬ瞬間』という世界的ベストセラーを生み出した、
エリザベス・キュブラー・ロスは、
クオリティ・オブ・デスという新しい概念をもたらした。
「死」という出来事にあくまでも真摯に対峙した彼女の
人生を追ってみたい。

1926年、スイスのチューリヒで、誕生。
三つ子の末娘であり、誕生時900gしかない未熟児だった。
三つ子という特殊な生い立ちは、彼女を幼い頃から、
「自分とは何か」という問いに立ち向かわせた。
そして、この世に生を受けた意味を考え続けた。

1942年、16歳の時、彼女は医師の道へ進みたいと考えた。
しかし、父の反対があったことから、家を出る。
裕福な教授の未亡人の元でメイドとして働きながら進学を志すが、
うまくいかず、結果的に家族の元に戻り、
チューリヒのカントン病院の皮膚科研究室で働き始める。
時は第二次世界大戦の真っ最中。
病院には難民があふれていた。
研究の仕事より看護を優先させ、病院の食料を難民達に
分け与えた彼女は、懲罰を受け、解雇に。
しかし、新しく就任したワイツ博士に、
「難民の子どもを世話することが君の仕事だ」と鼓舞される。
彼女は、終戦後も、ボランティアとしてヨーロッパ各地で
活動を続けた。

1957年、31歳の時、ようやく念願のチューリヒ医科大学を卒業。
翌年には、結婚してアメリカに渡ることになる。
ニューヨークのマンハッタン州立病院、コロラド大学病院を経て
39歳の時、シカゴ大学の研究員となる。
医療の現場で目にした、末期医療の状況に愕然とした彼女は、
「死とその過程」に関するセミナーをはじめる。

1969年、43歳の時、処女作『死ぬ瞬間』を出版。
本書は世界的なベストセラーとなる。
それまで医学界で孤立無援の状態にあった彼女だが、
国際的な評価を得、一躍注目を浴びるようになる。
「私の当時の目標は、患者が心の奥深くの悩みを訴えることを
禁じる専門家の拒否の姿勢をうち破ることだった。」
と彼女は語る。
 
その後、各地でワークショップやセミナーを開き、
本の著作を続けた彼女は、49歳の時、ヴァージニア州に、
「シャンティー・ニラヤ」(やすらぎの終の棲家)という名の
センターを開設しようとするが、そこには多くの困難があった。
身内内のトラブル、自然災害、
エイズなどに偏見を持つ住民の反対…。
それでも彼女は、意志を貫徹し、
1990年、64歳の時、念願の「エリザベス・キューブラー・ロス・
センター」が完成した。
当時、彼女の元には、毎月1万5000通もの手紙が届いたという。

その後も、過酷な運命は続く。
夫マニーの死後まもなく、エイズの本格的支援に乗り出す矢先、
悪意ある反対者の放火で自宅が全焼。
研究用の2万件におよぶケースヒストリー、
論文、少女時代のアルバム、など全てを失う。

1995年、69歳の時、彼女も脳卒中で倒れてしまう。
ひどい発作におそわれ、麻痺が残り、
彼女自身が死と向き合うことになった。
命は取り留めたものの、半身不随と車椅子という生活。
自身が医療を受ける立場となり、
35年間携わってきた医療について、想いを巡らせた。

1997年、71歳の時、初の自伝『人生は廻る輪のように』を出版。
彼女はこれまでに、20冊以上の本を書き、25カ国語以上に翻訳、
また20を越える名誉博士号を受けている。
そして、最後には生きることに関する本を書きたいと
思っていたと、2001年に『ライフ・レッスン』を上梓。
現在は、アリゾナで療養をつづけながら、
鳥やコヨーテとともに過ごす日常を楽しんでいると言う。

どのように死ぬか。
それはどうのように生きるか、ということである。
彼女の生き様は、私たちひとりひとりに、
何かを問い続けている。

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