meeting with remarkable people [039]
エルネスト・チェ・ゲバラ
1928-1967

革命家はみな、人をインスパイアする魔術的な力を持っている。
キューバ革命を成功に導いたチェ・ゲバラは、
死後もなお、世界中の若者たちの心を惹きつけてやまない。
その秘密とは何なのか、彼の一生を追ってみたい。

1928年、アルゼンチンのロサリオ市でゲバラは生まれた。
父は建設技師、裕福で中産階級の家庭だった。
幼少時のゲバラは、重い喘息を患う病弱の子供だった。
ゲバラは、喘息に苦しみながらも、
ラグビーやサッカーなどの激しいスポーツを好む青年に育った。
1948年、20歳の時、ブエノスアイレス大学医学部に入学。
冒険心豊かな青年であったゲバラは、
北部アルゼンチンをモペッドで単独走破する。

23歳になると、同じ大学の医学生で友人の
アルベルト・グラナードと1万キロの行程の南米旅行に出る。
この時つけた日記は、『モーターサイクル南米旅行記』として
後に出版され、彼の瑞々しい感性を伝えている。
ポデローサ号と名付けられた中古バイクで、
チリ、ペルーからベネズエラへ。
途中でバイクは壊れ、いかだに乗ったり、
ヒッチハイクや船に密航などして旅行を続ける。
お金をほとんどもたず、人々の好意に頼り、
旅自体が、学ぶことに対する情熱の一部となっていた。
7ヶ月に及ぶ南米旅行は、自分さえも想像できなかった変化を
彼にもたらしたという。
友人のアルベルトは、カラカスのハンセン病患者の村に
残ることを選択したため、
彼は一人帰国し医学部を卒業することを決意。

1953年、25歳の時、6年かかる過程を3年で終え、
アレルギーに関する論文を書いて卒業、医学博士となる。
軍隊に召集されるも、医者は軍務に不適当と判断。
友人のアルベルトに合流するためにカラカスに向かったが、
その途中、ボリビアで、
民族主義革命直後の労働者や農地改革の現実を目撃。
医師としてできることの限界を痛感した彼は、
すべての人が尊厳を持って生きることが可能な社会を
夢見るようになった。

そのため、カラカス行きを変更し、中米グアテマラへ向かう。
当時、グアテマラでは、親米勢力が急進的な政府を打倒。
反米的な立場にいた彼は、メキシコへ逃げる。
グアテマラで知り合ったペルー女性、イルダ・ガデアと結婚。
1956年、28歳の時、メキシコに亡命中のカストロと出会う。
ゲバラは、キューバの帰還作戦と反政府ゲリラ闘争に加わり、
軍医として働くことを承諾する。
カストロのグループに加わり、ヨットでキューバ上陸。
独裁体制に対するゲリラ戦を開始する。

1959年1月1日、31歳の時、キューバ革命に勝利。
この年、アレイダ・マルチ・デ・ラ・トーレと2度目の結婚。
以降4人の子をもうける。
10月、革命政権の国立銀行総裁に任命される。
1960年、ゲリラ戦による革命の方法を理論化した
『ゲリラ戦争』を執筆。
その後の南米で、革命のバイブルとして大きな影響を及ぼした。
1961年、33歳の時、工業相に任命される。
キューバ代表として国際会議にも数多く出席し、
ウルグアイで開催されたアメリカ州機構の会議で、
ケネディ大統領が提唱した計画を非難するなど、
新生キューバと敵対するアメリカを厳しく批判した。

1965年、37歳の時、キューバを離れ、
アフリカのコンゴにおける闘争に参加。
翌年、再びゲリラグループを組織するため、南米に帰還した。
民族解放軍を結成し、アメリカのCIAに支援された
ボリビア政府軍と数ヶ月にわたり戦う。
1967年、39歳の時、山中でボリビア政府軍に捕らわれ、
大統領の命令により射殺処刑。
1997年、死後30年たち、彼の遺骨は発掘された。

詩情あふれる感受性、行動力、転がり続ける魂、
社会を変容させる力、
若きカリスマ、チェ・ゲバラは、
その全ての象徴となる男だったのかもしれない。

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