meeting with remarkable people [041]
アレイスター・クロウリー
1875-1947

<獣666>を自称した、大魔術師アレイスター・クロウリー。
カバラ思想から、東洋のヨガ、性魔術に至るまで、
多くの魔術実験を行い、存命中の著作は実に147冊。
20紀最大のオカルティスト、クロウリーとは、
どんな人物だったのだろうか。

1875年、イギリスのレミントンで出生。
父は裕福なビール醸造業者で、地方の御曹子として育てられる。
夫婦は熱心なプリマス・ブレスレン派の信者で、
極度の正統派にもとづく日々の生活を送っていた。
遊びを覚えるより早く聖書の言葉を口にする利発な子で、
4才にして創世記を読む事ができるようになっていた。

1887年、12歳の時、父死去。
決められた20歳になると巨額な遺産を相続した。
彼は次々に豪華な自作の詩集を出版し、
奇抜な服装で街を闊歩、詩人として世に出ようと決心する。
また、一種の知的ゲームとしての同性愛に興味を抱く。
この頃、もっとも熱中していたのが、登山であった。
マッターホルン、アイガー、など次々と挑戦をする。
1898年、23歳の時、『黄金の夜明け』団の大幹部、
G・C・ジョーンズに出会う。
さっそく入団し、魔術研究に乗り出した彼は、
ものすごいスピードで団内の位階を駆け上がっていった。
アラン・ベネットに弟子入り、自宅にて二人で暮らしはじめる。
また、組織の独裁状態にあったマグレガー・マサースにも傾倒。

1900年、25歳の時、黄金の夜明け団が分裂すると、
そのきっかけとなったクロウリーは追放。
メキシコ、サンフランシスコ、ハワイ、横浜、上海、セイロンと
いう世界一周旅行に旅立った。
コロンボでベネットと再会、ヨガを学ぶ。
1903年、28歳の時、2年ぶりにネス湖のほとりの家へ戻る。
学友の姉で美しい美貌の持ち主ローズ・ケリーと電撃結婚。
1904年、29歳の時、カイロにて妻と共に魔術的祭式をしていると、
守護天使アイワスが現れ、『法の書』を授かる。
1907年、32歳の時、魔術結社「銀の星」創立。
1909年、34歳の時、機関誌「春秋分点」を発行。
誌上で「黄金の夜明け」団の儀式を公開して業界を混乱に陥れる。
11月、ローズ・ケリーと離婚。

1912年、37歳の時、東方聖堂騎士団(O.T.O.)の首領、
テオドール・ロイスと接触。
1920年、45歳の時、シシリー島に<テレマ僧院>を開く。
世界各国から入門者が集まる。
1923年、48歳の時、ムッソリーニ統治下のイタリア当局より
国外退去命令が下る。
このころ英国大衆紙に悪評攻撃があつまり「世界最大悪人」と
いうイメージが一般に定着する。
1925年、50歳の時、O.T.O.全派の長に指名される。

1929年、54歳の時、フランス当局から国外退去命令がくだる。
英国にて、『魔術-理論と実践』を出版。
マリア・テレサ・ド・ミラマールと結婚したが、
一年とたたずに離婚。
この頃から晩年にかけて、スキャンダラスな話題の影響で、
彼は社会から完璧に葬り去られた。
1938年、63歳の時、画家レディ・フリーダ・ハリスと
タロットの制作に取りかかる。
6年の歳月をかけてトート・タロットが完成。
これは生涯において最も成功した作品となった。
1947年、72歳の時、心筋退化及び、慢性気管支炎のため死亡。
最後まで残った弟子達によって異教式の葬儀が執り行われたが、
これは一大スキャンダルにまで発展した。

新時代の預言者を自認した彼は、
世紀のペテン師という汚名も負っている。
彼が数々の秘教的知識を公開したことによって、
オカルティズムの流れが大きく変わったことは事実。
ある意味では、トリックスターとしての役柄を
忠実に演じた人と言えるかもしれない。

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