meeting with remarkable people [045]
イエス
B.C.4〜 A.D.28頃

ヨハネ・パウロ2世が亡くなり、
第265代法王に、ラツィンガー枢機卿が選出された。
日本人にとっては他国の出来事だが、
キリスト教は、総人口の3割を占める世界最大の宗教。
その報せは、トップニュースとして世界を駆けめぐった。
キリスト教の影響は、世界の政治や文化に色濃く表れている。
私達が当たり前のように使っている西暦もしかり。
しかしその教祖、イエスの生涯となると、
度重なる聖書の改ざんによって神話化され、
真実を知ることは難しい。

イエスの幼年期は、学術的にはまったく不明とされている。
弟子達による福音書によると、
北パレスチナのナザレの大工ヨセフと、その妻マリアとの
子として生れたことになっている。
母マリアの処女懐胎、東方の三博士の礼拝などは、
後年、教会によって創作された伝説だと考えられている。

イエスは、ユダヤ人であったので、
幼少期には、ユダヤ教を学んでいた。
しかし、人々の前に姿を現し、
数々の奇跡を起こし始めるまでの約10年間、
彼が、どこで何をしていたのかは、
未だ謎となっている。

ひとつのヒントとなりうるのは、
1947年に、クムランの洞窟から発見された死海写本だ。
この古写本の中には、原始キリスト教と呼ばれる
エッセネ派の暮らしが描かれていた。
記録されているのは紀元前125〜後68年、
ちょうどイエスの生涯と重なっている。
イエスがクムランにいたかどうかは不明だが、
当時のユダヤ〜キリスト教徒の信仰生活を
うかがい知ることができる。

イエスが、ガリラヤ湖畔で布教活動をしていたヨハネの前に
現れたのが、33歳から34歳の頃。
ヨハネはユダヤ教の改革を掲げていた人物だった。
ユダヤ教では、この世の終わりに「救世主」が現れると
伝えらている。
ヨハネは、イエスこそ救世主だと信じ、
それを人々に広めたという。

その後イエスは、荒れ野に行き、
修行のため40日間の断食を行ったり、
各地で教えを説きながら、弟子たちを率いるなど、
自分が主体となった宗教活動を始める。

イエスが起こしたと言われる数々の奇跡、
最後の晩餐、ユダの裏切りなどのストーリーは、
あまりにも有名なので、ここでは省略したい。
イエスは自身の著作を残していないので、
これらのエピソードは、新約聖書によるものである。

イエスを死刑に処したのはユダヤ人だと思われがちだが、
実際の裁判は、ローマ人の提督ピラトによって行われた。
当時イスラエルは、ローマ帝国によって占領されていた。
ピラトは当初、イエスを軽微な処罰で済まそうとしたが、
それに対して強い不満を表明したのがユダヤ教徒だ。
イエスを死刑にしない限り、暴動が起きそうな気配に、
ピラトは政治的判断により、イエスに死刑判決を下した、
と聖書には記されている。

イエスが何を語ったを知る上では、
20世紀にエジプトで発見された、もうひとつの写本、
「ナグ・ハマディ文書」が参考になるかもしれない。
これは3〜4世紀頃のキリスト教の教えを記録している文書で、
弟子のひとり、「トマスによる福音書」が含まれている。
正統のキリスト教からは外典として位置づけられているが、
ここで語られる114のイエスの言葉は、
より生々しいリアリティを持っている。
後に改ざんが加えられたと言われている、
他の福音書と比較して読んでみると興味深い。
ちなみに正典となっている、マルコとマタイの福音書は54年頃、
ルカの福音書は60年頃に書かれたと言われている。

キリスト教に限らず、宗教が組織化された後で、
人間としての教祖の生涯を知ることは難しい。
しかし、キリスト信徒の共通概念を知らない限り、
現代に続く欧米文化の理解は得られない。
そういう意味では、日本人も一度は聖書を手に取って、
読んでみることをお薦めする。

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