meeting with remarkable people [046]
仏陀(ゴータマ・シッダールタ)
B.C.5〜4世紀頃

仏教は、日本人の精神的な柱のひとつとなっている。
敬虔な仏教徒であるか、と問われればその限りではないが、
日々の暮らし、また人生の折節に、仏教的な世界観は今も息づいている。
その教祖ゴータマ・シッダールタは、仏陀・釈迦・釈尊として称されることが多い。
仏陀とは覚者を表し、釈迦・釈尊は、シャカ族の聖者を表す釈迦牟尼世尊の略称である。
今回は、ひとりの人間としてのゴータマ・シッダールタに光を当ててみたい。

紀元前5世紀頃、シャカ族の国は、
現在のインドとネパールにまたがった比較的狭い地域にあった。
隣接する強大なコーサラ国に従属していたが、
古い起源を持つ極めて自尊心の強い種族だったようだ。
アーリア人の聖典であるヴェーダの権威を全く認めていなかったところから、
ネパール人と同様、モンゴロイドだったという説もある。
シッダールタは、首都カピラヴァストゥを治める王・スッドダーナと、
皇后・マハーマーヤの第一王子として出生した。
母は、出産のために里帰りをする途中、
ルンビニの花園の中で彼を出産。彼を生んだ一週間後にこの世を去った。

小国ながらも豊かであったシャカ国で、彼は大切に育てられた。
幼い頃から聡明ぶりを発揮した王子は、
バラモンの学者に、五明(文典・論理学・宗教学・医学・技芸学)とヴェーダを学んだ。
また、王は彼を喜ばすため、あらゆる歓楽を用意した。
彼が同じシャカ族の娘、ヤショーダラーと結婚したのは16歳の時。
妃は特に目立ったところのない典型的なインド女性だったようだ。
しかしシッダールタは、年とともに深い瞑想に耽るようになる。
真実と永遠を求める彼にとって、王族に与えられた豊かさは大きな苦悩となっていた。

29歳の時、一子ラーフラの誕生直後、シッダールタはついに出家を決意する。
仏陀となる運命の彼にとっては必然の選択だったと言えるが、
彼の家族にとっては理解しがたい仕打ちだっただろう。
ちなみにラーフラは、9歳の時、シッダールタの弟子となっている。
ヤショーダラーが、シッダールタの財産を相続するよう息子を促したため、
シッダールタは思案の末、彼を出家させ、精神的な財を相続させようとしたのだ。
そして最高位の弟子であるサーリプッタに指導をゆだねる。
それを聞いた王は、とても悲しみ、以後両親の許しのない子を
出家させないでほしいとシッダールタに伝えたそうだ。
複雑な家庭で育ったラーフラは、その後も苦難の道を歩む。
唯一の実子であることから、シッダールタはことさら彼を厳しく扱った。
後年、ラーフラは「密行第一」(戒律で定められたことを誰よりも厳密に守って実践する人)と呼ばれ、
十大弟子の一人に数えられるようになるが、特に目立った活動もせず、
ひたすら大人しく真面目に修行を続けた人生を送ったようだ。

さて話が前後したが、シッダールタが出家してしまうと、
王は悲しみながらも彼を気遣い、5人の修行者を王子とともに修行させることにした。
非常に厳しい苦行生活が送られたが、シッダールタの苦悩は去らなかった。
彼は伝統的な修行法を捨て、共に苦行を行っていた5人の沙門とも別れ、独自の道を歩むこととする。
ブッダガヤーの菩提樹の下で49日間の瞑想の後、ついに悟りは開かれた。
シッダールタ35歳の時であった。

その後のシッダールタは、大悟した教えを人々に伝えるために生きた。
彼の教えを請う人々は年々増加し、1000人以上の弟子からなる教団に成長。
シッダールタは、当時としては驚異的な80歳という寿命を遂げるまで、教えを説き続けた。

彼は教えの中で、如来(タターガタ)という語を使った。
「ありのままに来る者」という意味と共に、
「真理の世界から衆生救済のために迷界に来た人」という意味がある。
この一語に、彼の得た真理と、彼の後半生が象徴されてはいないだろうか。
世界が混迷を深める中、彼の教えは今もなお光を放ち続けている。

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