meeting with remarkable people [049]
モーシェ・フェルデンクライス
1904-1984

ボディワークの新しい流れを生み出した、
モーシェ・フェルデンクライス。
彼は、物理学博士であり、
心理学や神経生理学も学んだ科学者でもある。
彼が、身体メソッドを開発するに至ったのは、
自身を襲った大怪我という運命からだった。

1904年、フェルデンクライスは、旧ロシア領に生まれた。
ユダヤ人であった彼は、13才の時に単身パレスチナへ向かい、
1年間をかけてたどり着くと、イスラエルの開拓者として、
6ヶ月間滞在、肉体労働に従事した。
15歳で帰国、家庭教師で生計をたてながら高校を卒業した。

1925年、21歳の時、地図製作者として英国の調査会社へ就職。
スポーツが得意だった彼は、体操やサッカー、柔術も学んだ。
しかし翌年、サッカーの試合で膝をいため重傷となる。
車いす生活が強いられるほどの怪我であり、
当時の医学で、再び運動できるまでに回復するのは難しかった。
彼は、自分のために、柔術、物理学、解剖学、運動力学、
神経生理学などを独自に研究しはじめる。
そして、2年に渡る努力の結果が実を結び、自力で回復に至る。
彼は、この経験からその後も脳と体の関係を研究し続けた。

1930年、26歳の時、パリのソルボンヌ大学へ留学。
物理学と電子工学を学んで博士号を取得。
ノーベル物理学者ジュリオ・キュリーの初期の原子核研究の
アシスタントを努めた。
1936年、32歳の時、当時フランスへ来ていた
講道館柔道の創始者、嘉納治五郎と出会う。
柔道を本格的に学んだ彼は、外国人として初めての黒帯保持者の
ひとりとなり、指導者として、またその著書によって、
ヨーロッパに柔道を紹介した。
現在、柔道大国ともいわれているフランス。
フェルデンクライスは、その骨格を作った人でもあった。

1938年、34歳の時、ヨナ・ルーベンスタインと結婚。
1940年代、第二次世界大戦中の彼は、イギリス海軍の科学者と
して対ドイツ潜水艦作戦部門に士官として参加。
現在のソナー(水中音波探知機)の研究開発に従事していた。
終戦とともにロンドンへ移り、
発明家、経営コンサルタントとして働いた。

1951年、47歳の時、イスラエルへ移住。
イスラエルの国防軍でエレクトロニクスの責任者となった。
物理学教授として働きながら、からだのメソッドを教え始める。
50歳の時、身体の健康を助ける研究に専念することを決意。
機能統合などのメソッドを教え始める。
彼のメソッドのうわさは次第に広まり、
多くの人が彼のクラスに参加するようになった。
1957年、53歳の時、イスラエル建国の父と言われる元首相に
レッスンを教え、健康回復に至ったことが一躍名声を高めた。
世界各国から、音楽家、スポーツ選手、障害のある人々が、
彼の住むテレアビブへ訪れるようになる。
フェルデンクライスの身体メソッドは国際的な評価を得て、
その後、ヨーロッパとアメリカでメソッドのクラスを
開くようになった。
日本にも来日し、整体協会なども訪れている。
1972年、68歳の時、『フェルデンクライス身体訓練法』を出版。

その後も、世界各地でクラスを持ち、
指導者育成にも努めていたが、79歳の時、病いに倒れる。
新しいクラスを教え始めていたが、2年で中断、
1984年、80歳の時、永眠する。
同年、『心をひらく体のレッスン』が出版された。

心地よい体の動きが脳を刺激し、
活性化させることを発見したフェルデンクライス。
物理学者であったという、その出発点は異色である。
ボディワークという抽象的な分野で、
彼が国際的な評価を得ることができたのは、
科学的な根拠に基づいた真摯な態度があったからだろう。
動作から自己を発見するという新しい視点は、
欧米の身体学に革命をもたらした。
その流れは、今もなお続いている。

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