meeting with remarkable people [051]
エドワード・バッチ
1886-1936

自然の草花から得られる固有の「質」を
様々な症状や個人の性格に合わせて使用する
「フラワー・エッセンス」という治療法がある。
このユニークなレメディ(治療薬)を研究し、
現代に続く代替医療の流れを築いた人物、エドワード・バッチ。
日本でも注目が高まるこの療法を見いだした、
バッチ博士とはいかなる人物だったのか。

1886年、バッチは、イギリス、バーミンガム郊外で生まれた。
20歳でバーミンガム大学へ入学し、医学を学んだ。
その後、ロンドンのユニバーシティ・カレッジ病院に移り、
外科医、内科医、医学士、理学士の学位を習得。
2年後には開業医の免許を得て、診療所を開設した。
あらゆる医学の基礎を修めた彼は、
よりシンプルな治療法を模索するうちに、免疫学に注目。
腸内の特殊な細菌が、病気とその治療に密接な関係を
持っていることを発見した。

1917年、31歳の頃、病院での研究、診療所の運営、
患者の治療など多忙なスケジュールをこなしていた彼は、
突然の大量出血、昏睡状態に陥り、余命3ヶ月と診断される。
しかし、その現実を受け止め、
研究に対する情熱に火を付けたバッチは、
3ヶ月後には、自力でこれまでにない健康体となった。
この体験から、人生にはっきりした目的をもつこと、
そしてが強い愛が、人間の幸せを形にすることを確信する。
1918年に起きたインフルエンザ大流行の時に、
バッチの研究した腸内ウイルスワクチンが使用され、
王立医学会報に記録された。

1919年、33歳の時、ロンドン同種療法病院に入ったバッチは、
100年前のホメオパシー創設者ハーネマンの著書
『オルガノン』に出会う。
ホメオパシーの思想に心を揺さぶられた彼は、
彼は腸内ウイルスワクチンをさらに改良。
この研究によってバッチの名は世界中の医学界に広まった。

1926年、40歳の時にはフィラー博士との共著
『慢性病 - 有力な仮説』を出版。
疾患から獲得した治療薬と、患者の性格タイプの
関連性から得た治療メソッドは対症、同種療法、
いずれの分野でも大きな話題となる。
個人の「体」より「性格」に着目したバッチの考えは、
当時の医療現場において異端な考えであった。

1930年、44歳のバッチは、ウェールズの地に居を移す。
数々の業績や地位をすべて捨て、
新たな治療法を模索するためだった。
もともと強い直観力を持っていたバッチだが、
この頃には草花をなめただけで、それぞれがもつ
「有効性」を感じとることができたと言われている。
また患者からは一切お金を取らないというポリシーで、
昼夜を問わず、診療と研究に勤しんでいた。

1934年、48歳、バッチは放浪の旅にでる。
薬を作る瓶のお金すら無くなってしまったが、
行く先々で出会う人々の不思議な縁に導かれた。
ひっそりと生活することを楽しみながら、
絶え間ない情熱を持ち続けた。
そして多くの試行錯誤の末に、
自然から得た治療薬(レメディ)を記録した本、
『12人の癒し手と7人の助け手』を執筆。
バッチを訪れる患者やレメディの使い方を
習いにくる人の数は倍々に膨れあがった。

それぞれの薬を発見する数日前から、
バッチは特殊な心理状態になったという。
強烈な苦しみと心理的な苦悶を体験することによって、
患者の状態や症状にあった薬を見つけだしていた。
しかし、そのような心身ともに極限の状態をくり返す内に、
徐々にバッチの体は衰弱していった。
1936年、50歳でバッチは永遠の眠りについた。

7種類の「バッチノソード」と呼ばれるワクチンは、
現在でも医療現場で使用されている。
また、彼の発見した39種類のレメディに続いて、
その後、数多くのフラワーレメディが開発された。
彼の命を賭けた探求は、今もなお、光を放ち続けている。

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