meeting with remarkable people [054]
カール・ランソム・ロジャーズ
1902-1987

カウンセリングという手法を、
人間の心の解明に取り入れた、カール・ロジャーズ。
対話のプロセスからなる心理治療は、
彼のどんな人生から生みだだれたのか。

1902年、アメリカ、イリノイ州シカゴ郊外で彼は生まれた。
父はエンジニアの分野で成功していた新進のビジネスマン。
プロテスタントの厳格な一家は、社交的な遊びを禁じ、
家族の強い絆や勤勉さを求めた。
病弱だったカールは、友達をつくる機会も無く、
空想的な世界に引きこもる孤独な子どもだった。

1914年、12歳の時、一家はシカゴ郊外から、大農園に引っ越す。
農園での生活が、彼に科学者としての新たな可能性を開き、
後にウィシコンシン大学に入学、科学農業の分野へと進む。
しかし、2年生になった時、北京で開かれた
「国際キリスト教学生会議」の代表として選ばれた彼は、
半年以上にわたるこの旅行の間、
両親から与えられていた道徳的な宗教観から解放され、
自らの信じる道を進むことを決意した。

1922年、18歳の時、帰国。
心理学入門の通信講座に申し込む。
1924年、22歳の時、歴史学の学士号をとって卒業。
恋人だったヘレンと結婚し、二人でニューヨークに移る。
ニューヨークでは、いったんユニオン神学校へ入学するが、
その後、コロンビア大学の教育学部に入り直し、
心理療法家としての道を歩み始める。

1927年、25歳の時、児童相談研究所のインターンとなり、
翌年、ロチェスター児童虐待防止協会の児童研究部門に就職。
1931年、29歳の時、コロンビア大学から博士号を取得。
博士論文は、「9才から13才までの子どもの人格適応の測定」。
1939年、37歳の時、児童相談研究所の所長に任命された。

1940年、38歳の時、オハイオ州立大学の教授職に4年間就く。
ミネソタ大学において「心理療法の新しい諸概念」を講演、
この日を<クライエント中心療法の誕生日>と呼ぶようになる。
1942年、39歳の時、2冊目の著作
『カウンセリングと心理療法』を出版。
この分野で初めて「クライエント」という言葉を使った。
この頃までに面接をテープに録音したテープは、
100本ちかくになっていたという。

1944年、42歳の時、アメリカ応用心理学学会会長につく。
この頃には、彼の評判はうなぎ上りに高くなっていった。
1946年、44歳の時には、アメリカ心理学会会長に就任。
しかし、ひどく混乱したクライアントとの接触から
2年間ほど深刻な抑鬱となる。
この危機的体験によって自信喪失となるが、絶望のさなか、
自分の育てた教え子に援助されたという。

1957年、55歳の時、出身大学であるウィシコンシン大学に移る。
心理学と精神医学の両学部で仕事ができるポストだったが、
移籍後すぐに同僚たちとの衝突などにより、心理学部を辞める。
しかし、彼の業績は着実に脚光を浴び、
これまで以上の影響力を持つ事となる。

1963年、61歳の時、教え子が設立した、
カリフォルニア州ラホイヤにある非営利団体に招かれる。
この頃には、エンカウンターグループの
第一人者とみなされるようになっていた。
1968年、66歳の時、新たに人間研究センターを設立。
精力的に仲間たちと研究を進める。
晩年は、各国の紛争地域でエンカウンターグループを実施し、
世界平和に力を注いだ。
その功績を認められ、ノーベル平和賞候補に
ノミネートされるが、1987年、85歳の時、
その報せを受ける直前にこの世を去った。

神秘化されていた心理療法のプロセスを克明に記録し、
多くのセラピストを生み出したロジャーズ。
一時代を築いた彼の業績は、20世紀という時代に、
大きな進歩をもたらしたと言えるだろう。



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