meeting with remarkable people [055]
ウィリアム・ブレイク
1757-1827

幻視の詩人にして画家、ウィリアム・ブレイクの作品は、
見る者を黙らせる。
そこには、人間を超えたもののパワーと、
カオス的なエネルギーが充ちている。
幻想の世界を現実へと持ち込んだ非凡のアーティスト、
ブレイクとは何者だったのか。

1757年、ロンドンで洋品店を営む父ジェームズと、
母キャサリンの三子として、彼は誕生した。
正規の教育を受けず、母から読み書きを教わった。
幼児の頃から幻想を見る傾向のあったウィリアムは、
早くから画才を示した。
そのことに気づいた父は、彼に絵の教育を施すことにした。
12歳になる頃には詩も書き始め、
14歳で一流彫版画家ジェームズ・バーシアに弟子入りする。
その後、ロイヤルアカデミーの画学校に入学、
卒業後は、雑誌の挿絵などを描きながら生計を立てていた。
26歳の時、初めての詩集、『詩的素描』を出版。
この頃は、神秘思想家スウェーデンボルグの影響を
大きく受けていたという。

1782年、25歳の時、植木屋の娘、キャサリンと出会い結婚。
自由恋愛を主張するブレイクは、キャサリンを悩ませたが、
彼女のブレイクに対する想いには、崇拝に近いものがあった。
2人の間に子どもは生まれなかったが、
彼女は生涯彼に添い遂げ、幸福な家庭を築いた。

1784年、27歳の時、父が死去。
兄のジェームズが洋品店を継ぐと、
彼はその店の隣に兄弟弟子と共に版図店を開いた。
その頃、弟ロバートが病死。
それからはロバートの霊が夢に現れ、
独特の彩色版画印刷法を教えてくれたという。
この方法で、ブレイクは彼自身の詩集を印刷、
自ら絵の具で彩色した。
こうして、1789年、32歳の時、『無垢の歌』が完成した。
その4年後に『天国と地獄の結婚』、翌年『経験の歌』も出版。
1797年頃から、『prophetic books』と呼ばれる、
一連の予言的な幻想詩を書きはじめた。

1800年、43歳の時、ウィリアム・ヘイレーと出会い、
依頼された挿絵の仕事をするために、3年間の田舎暮らしをする。
しかし、指示通りの流行的な作品を作ることに嫌気がさした彼は、
ヘイリーと不仲になっていく。
同じ頃、反戦主義者でもあったブレイクは、その言動が兵隊の反感を買い、
国事犯として逮捕されるという事件が起こる。
治安妨害罪で裁判を受けたが無罪となり、彼はロンドンに帰った。

ブレイクの後半生は、恵まれたものではなかった。
51歳の時に詩集『ミルトン』、
61歳の時に『エルサレム』を完成させるが、
幻覚による神秘的な詩を理解する受け取り手は、
ほとんどいなかった。
誰にも注目されないまま、経済的にも苦しい日々を送ることとなる。
しかし、友人や妻の存在によって、
ブレイクの晩年は、比較的穏やかに過ぎたという。
67歳で、ダンテの『神曲』の挿絵を描き始めた彼は、
最後まで創作意欲を失わなかった。
亡くなる前には、神を賛美する歌を作って口ずさんだり、
とても幸せそうだったと言われている。
1827年、69歳の時、息を引き取る。

ロマン派として位置づけられるブレイクだが、
詩と絵画とが合体した独自の総合芸術は、後世に大きな影響を与えた。
彼の作品のモチーフは、神、悪魔、天国、地獄、聖書、神話など、
ひとりの人間の意識を超えた次元から来るものが多い。
しかし彼は、自由主義者であった。
それゆえ厳格な宗教的信仰ではなく、様々な境界を超えた、
オリジナルなソースからインスピレーションを
受け取っているように感じられる。
「スピリチュアル」な詩人、画家として、
現在では確固たる地位を築いているブレイク。
もし機会があったら、ぜひ、肉眼で彼の作品に直に触れてみてほしい。
きっと、そのエネルギーが伝わってくるだろう。
彼の作品は、今も私たちにインスピレーションを与え続けている。



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