meeting with remarkable people [060]
クロード・レヴィ=ストロース
1908-

文化人類学に、「フィールドワーク」という
革命をもたらしたレヴィ=ストロース。
未開社会にみずから分け入り、原始的な知覚の世界を、
西洋的な思考に紹介した功績は大きい。

1908年、ベルギーの首都ブリュッセルで生まれる。
父レーモンは肖像画家で、両親共にフランス国籍の
ユダヤ教徒だった。

6歳の時、父が第一次世界大戦に招集されると、
母と彼はパリ近郊のベルサイユにあった祖父の家に移った。
祖父はベルサイユのユダヤ教会の長であった。
野山を歩き化石や岩石、動植物に熱烈な興味を示す生活。
浮世絵愛好家だった父の影響で、
幼いころから日本の美術工芸に親しんだ。

1927年、19歳の時、パリ大学法学部に入学。
同時に文学部にも籍を置き、法学と哲学の学士号取得。
その後、哲学の教授資格試験に一度で合格。
メルロ=ポンティ、ボーヴォワール、サルトルなどと親交を結ぶ。
1932年、24歳の時、ディナ・ドレイフェスと結婚。
2年の兵役を終えてから、地方の高校で哲学の教職についた。
この頃、アメリカの人類学者ローウィの
『未開社会』を読んで啓示を受けたという。

1934年、26歳の時、ブラジルのサン・パウロ大学社会学教授に。
授業の合間に、ブラジル奥地の村を訪れるようになる。
28歳の時、初めての人類学の論文を発表。
いったんはフランスに帰国したものの、政府の給費をうけ、
本格的なブラジル奥地の調査を開始した。
6ヶ月かけて、ナムビクワラ族などと接触。

しかし、第二次世界大戦が勃発。
動員令を受けた彼は、帰国し、兵役を解除されるまで
フランス南西部で電報検閲などを担当した。
1941年、33歳の時、ユダヤ人排斥運動に会った彼は、
ロックフェラー財団によるヨーロッパの学者救済計画により、
社会研究学院の職を得て、アメリカへ。
ニューヨークでは、ナチスに追われたフランス語圏の学者が
中心となり自由高等研究所を創設した。
多くの知識人たちと交流を続けながら、講義を行い論文を執筆。
1945年、37歳の時、ディナと離婚、
ローズ=マリー・ユルモと結婚し、後に長男ローランが誕生。
翌年には、駐米フランス大使館の文化顧問に就任した。

1948年、40歳の時、博士号を取得し、
パリの人間博物館副館長に就任。
1954年、46歳の時、二度目の離婚、
モニク・ローマン(現夫人)と結婚。
この年から翌年にかけ、一気に『悲しき熱帯』を書き上げる。
結婚直後の夫人が清書にあたった。
この本が刊行されると、世界中に大きな反響が起こった。
神話学者エリアーデも賛辞をおしまなかったという。
1958年、50歳の時、『構造人類学』をパリで刊行。
翌年、念願だったコレージュ・ド・フランスの
初代社会人類学教授に就任。
1962年、54歳の時、『野生の思考』を刊行。

晩年になっても、旺盛な執筆活動を続けていた彼は、
積極的に世界各地へ旅行にでかけている。
念願だった日本探訪は、69歳の時に実現。
6週間にわたり各地を旅行し、日本の職人、手仕事などを
意欲的に観察した。
75歳まで勤めたコレジュ・ド・フランスを退職。
世阿弥の思想に強くひかれ、論集『離見』を刊行した。
その後も数回来日を重ね、沖縄、九州などに神話世界を求めた。
2000年、92歳の時には、「猿田彦神についての若干の考察」を
日本のサルタヒコ・フォーラムに寄稿している。

レヴィ=ストロースは、日本にとってもゆかりの深い人だった。
彼は、世界を制覇しつつあった西洋的思考に逆行するがことく、
原始的思考と神話世界の豊かさを持ち込んだ。
未来には彼のような知性が必要になってくるだろう。
100歳を目前にした今、彼はどんな夢を見ているのだろうか。




この人物についての関連書籍等はこちら → click!

BOOK CLUB KAI  [ home ] [ contact ] [ link ] [ privacy policy]・・・ [ back ] [ page top ]
Copyright (c) 1989-2006 BOOK CLUB KAI  All Rights Reserved.