meeting with remarkable people [068]
ヘンリー・デイヴィット・ソロー
1817-1862


森での生活を通して、精神の自由を訴えかけたソロー。
自然と人間社会を対置させ、新しい生き方を示してみせた。
ソローの生涯とはいかなるものだったのか?

1817年、アメリカのマサチューセッツ州コンコードに、
フランス系の血を受け継ぐジョン・ソローとその妻シンシアの
第三子として彼は生まれた。
父は、鉛筆製造の仕事で生計を立てていた。
学芸に秀でていたソローは、奨学金などをもらいながら、
16歳で、ハーバード大学へ入学。

コンコードは自然環境に恵まれた豊かな土地であると同時に、
アメリカ独立革命発端の地であった。
そこには、時代を先導した超越主義運動と呼ばれる
文学思想活動の中心人物であるエマソンもいた。
ソローは、エマソンの『自然論』を感銘を受け、
20歳の時、夏に学友が建てた池の畔の小屋で、6週間過ごす。
ハーバード大学を上位の成績で卒業後、教職に就くが、
児童に対する体罰を強いられた彼は、激しく反発し辞職する。
秋にはエマソンと交流が深まり、「超越クラブ」に加わった。

21歳の時、彼は自宅で私塾を開いた。
その教育法は時代を先取りするもので、屋外で授業を行い、
知識を実生活に結びつけることに重きを置いた。
のちに『若草物語』の著者となるオルコットもここで学んだ。
同年、コンコード文化講座の書記および管理者にも選ばれた。
22歳の時、エレン・シューアルに会い、恋をするが実らず、
彼は、生涯独身を通した。
1841年、24歳の時、軌道に乗っていた学校が、
兄の病気によって突然閉校することとなる。
毎日数時間の庭仕事を条件に、エマソンの家に住み込む。

1843年、26歳の時、ボストンの『文学雑録』誌に
「ウォチューセットへの散歩」を発表。
同年、『ダイヤル』誌に自作の詩と孔子の言葉の翻訳を掲載。
その後も、折りにふれ、エッセーを書き続けた。
自然に囲まれたひとり暮らしを夢見る彼に、チャンスが訪れる。
エマソンは、ウォールデン湖周辺の森を破壊から守るために、
北岸の土地の一部を購入した。
エマソンの同意を得て、その土地の中に小屋を建て、
28歳の時、簡素な一人暮らしを始める。

この生活は、単に「自然の中で暮らす」のではなく、
ソローらしい、数々の実験を試すことが目的であった。
真の豊かさとは何かを自ら確かめるために、
彼は経済効率の問題などもシビアに考えている。
それまでの社会的な常識にとらわれず、
自ら信じることを実践したソローは、
人頭税を払うことを拒否、逮捕もされた。
これは、奴隷制度を支持しメキシコ戦争を推進する
アメリカ政府に抗議するためだった。
彼のウォールデンでの生活は注目を集め、
その講演は好評のうちに何度も開催されるようになった。

1848年、31歳の時、父の鉛筆工場が火事になる。
彼は、父を経済的に援助するため、測量士になることを決意。
各地での講演をこなしながら、測量士の仕事も行った。
1854年、37歳の時、何度も校正を続けてきた
『ウォールデン』をついに出版。

1860年、43歳の時、風邪をこじらせて気管支炎になる。
転地療養なども行うが、あまり効果もなく、
肋膜炎にかかって、家に閉じこもりきりになる。
死期が近いことを悟った彼は、原稿の整理にかかり、
機関誌などに発表した。
翌年、結核のため、故郷コンコードで息を引き取った。
44歳だった。

自然を愛し、静けさの中で自身と対峙する生活というものを
実践してみせたソローは、
ナチュラリストの元祖のように扱われることも多い。
しかし、もっとも大きな功績は、
社会のシステムに囚われて生きている人々に、
自分の頭で考える生き方を提示したことではないだろうか。
パラダイムの転換は、今、目の前にある日常から
起こしていくことが可能なのだと、彼は教えてくれた。



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