meeting with remarkable people [069]
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ
1900-1944


大人の童話として名高い、『星の王子様』。
この不思議な魅力を放つ物語を書いたのが、
飛行家でもあった、サン=テグジュペリである。
永遠の少年、とも言える彼の人生を追ってみたい。

1900年、フランスのリヨンで没落貴族の父と母マリーのもと、
5人兄弟の長男として生まれる。
3歳の時、父を失った後、一家は母の大祖母である、
伯爵夫人の城館で年の半分を過ごすようになる。
幸せに育った子供時代の記憶は、彼の中の核になった。
「...ぼくはどこの者か、ぼくは少年時代の者だ。
ぼくはひとつの国の者であるように子供時代の者だ...」と、
『戦う操縦士』で後に言っている。

1912年、12歳の時、初めて飛行機に乗る。
空を自由に飛び回り、上空から地球を見るという不思議な感覚を
彼は生涯追い求め続けた。
14歳の時、第一次世界大戦が始まると、スイスの聖ヨハネ学院に転校。
成績は決して優秀ではなく、数学が苦手で、
あまり人に好かれるタイプではなかったようだ。
19歳の時、海軍兵学校を目指すが、2度にわたり
試験に不合格となり断念。
パリ美術学校建築課の聴講生になる。
1921年、21歳の時、ストラスブール第二飛行連隊に入隊。
しかし、軍隊では操縦訓練が受けられなかったため、
自分で民間飛行免許を取得し、飛行操縦学生となる。

1923年、23歳の時、のちに有名な女流作家となる
ルイーズ・ド・ヴィルモランと婚約。
しかし墜落事故で重傷を追い、除隊、
タイル製造会社へ入社するも婚約を破棄される。
1926年、26歳の時、航空郵便を取扱うラテコエール社に入社。
フランスから地中海とサハラ砂漠を越えて
アフリカまで郵便物を配達する仕事につく。
小説『飛行士』が、「銀の船」誌上で初めて掲載される。

27歳の時、サハラ砂漠の中継基地である飛行場に、
主任として赴任し、1年間暮らす。
その孤独の期間に、『南方郵便機』を執筆。
また、この間、植民地支配に抵抗する現地の部族と
さまざまな交渉に当たり、砂漠の民ムーア人から、
「砂漠の王さま」と呼ばれるようになった。
サハラ砂漠で不時着した友人を大冒険の末、救出もしている。

1929年、29歳の時、郵便航空路線の夜間飛行航路を開発するため
アルゼンチンに趣く。
30歳の時、ブエノスアイレスで妻となるコンスエロに一目惚れ。
翌年ニースで結婚する。
31歳の時、『夜間飛行』を出版。
1935年、35歳の時、巨額の賞金をねらって、
パリ〜サイゴン間の長距離飛行の記録更新に挑戦するが、
リビア砂漠の砂丘に激突し大破。
機関士プレヴォと二人、3日間砂漠をさまよう。
キャラバンに救われ奇蹟の生還を果たしたが、この時の体験が、
『星の王子様』という作品に結実した。

38歳の時に執筆した『人間の大地』が、
アカデミー・フランセーズ小説大賞を受賞、
翌年にはアメリカで全米図書賞を受賞する。
その後も、危険な長距離飛行に挑戦し続けていた彼は、
第二次世界大戦で、長距離の偵察飛行機のパイロットとして
フランス軍に従事。
1940年、40歳の時、ドイツ軍侵攻による戦線崩壊のため、
アメリカへ亡命。
1943年、43歳の時、『星の王子さま』が、
英語版とフランス語版で出版される。
しかし、同年、自ら志願して、再び北アフリカ戦線へ。
1944年、44歳の時、フランス上空偵察のため、
コルシカ島のボルゴ基地から偵察飛行に出撃し、消息を絶つ。

サン=テグジュペリは、純粋さと自由への憧れを持ちながら、
現実面では挫折を繰り返すという、不安定な人生を送った。
しかし、パターンに陥りがちな多くの人にとって、
その危うさこそ、忘れてしまった「何か」をとりもどす、
きらめきに見えるのかもしれない。




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