meeting with remarkable people [071]
役小角
634-706


日本のスピリチュアリズムの源流に、
役小角(えんのおづの、えんのおづぬ)という行者がいる。
聖徳太子の死の直後に生まれた彼は、
安倍晴明からさかのぼること約300年に活躍した修験道の開祖である。
不思議な神通力を操ったという、この謎の人物に迫ってみたい。

797年に完成した史書『続日本紀』によると、
役小角は、634年、大和国葛城上郡茅原(現在の奈良県御所市)、
葛木山のふもとに生まれたとされている。
父は、当時の豪族、賀茂氏に使える家臣。
「小角」はもともと楽器の名から由来している事もあり、
祭祀や雅楽に関係する職業であったことが推察される。
ちなみに小角は彼の幼名であるが、
成人名は伝えられておらず、
後には、役行者(えんのぎょうじゃ)、
役優婆塞(えんのうばそく)など尊称で呼ばれることが多かった。

小角は、幼少の頃から、
類い希な力を発揮したと言われている。
4歳で土で仏像のようなものを作ったり、
7歳で誰にも教わらないのに梵字を書き始めたり、
という逸話が記されている。
また、13歳の頃からは、毎夜、葛木山に登り、
朝になると戻ってくるという生活を送っていたらしい。
17歳の時、彼は家を捨て、葛木山での本格的な修行に入ることを決意。

さて、当時は日本における仏教の黎明期。
小角は元興寺で学んだもとされているが、
彼の霊的な修行は独自の道から生まれたと言えるだろう。
深い山の中で、草を食べ、厳しい鍛錬をつんだ彼は、
19歳の時、インドで大乗仏教の基盤を確立した龍樹(ナーガルジュナ)と
時空を超えて通じ受法。
また、金峯山上での千日修行の末に、
金剛蔵王権現が出現し、
感得を成し遂げたという。

神通力を操り、仙人と遊んだと伝えられる小角は、
伝説の主人公として語られることも多いが、
様々な史実が残っていることからも、
彼自身が霊的資質の非常に高い人物だったことは間違いないようだ。
彼の伝承で興味深いのは、
たとえば金剛蔵王大権現を受法するおりに、
最初に現れた観音や弥勒菩薩では満足せず、
より強い力を持つ金剛を求めたり、
葛城山にいた神、一言主(ひとことぬし)を叱りとばしたりと、
仏や神に対しても決然たる態度で臨んでいることだ。
また、前鬼後鬼というふたりの鬼を従者として使い、
使役に役立てていたという。

悟りを得た後の彼は、
諸国を巡り、霊山高峰を巡るようになる。
現在、日本で霊山とされるほとんどの山が
役行者の開山伝説を伝えていることはたいへん興味深い。
まさに日本のスピリチュアリズムの源流を築き上げたひとりと言えるだろう。

しかし、彼の神通力は、
次第に朝廷に知られることとなり、
その力を恐れた天皇は、謀反の疑惑により、
伊豆大島への流刑を命じる。
すでに65歳になっていた小角は、
母が人質にとられていたことから、
おとなしく捕獲され、疑いが晴れるまでの2年間を大島で過ごした。
伝承によれば、この時も小角は毎夜、空を飛び、海を歩いて、
富士山に遊びに行ったりと、
自由自在に動き回っていたらしい。

701年に放免された彼は、故郷の葛城山に戻る。
そして、68歳の時、
弟子達に「本寿は限りはないが、化寿は今に至った」と告げ、
天井ヶ岳にて微笑みながら静かに息をひきとったという。

小角の遺訓には、「身の苦によって心乱れざれば、証課自ずから至る」とある。
つまり、自らの身体でそれぞれに体験し、
その精神を高めていくところに神髄があると説いているのだ。
当時の日本は、大陸からの移民、仏教の伝来などにより、
文化が大きく変容を遂げた時期でもあった。
山には、日本古来の民達が生きていたことから、
小角はそのスピリチュアリズムをも受け継いだとも考えられる。
体制に流れず、自ら信じるところによって、
より高い霊的な高みを目指すという姿勢は、
現代社会においても、
学ぶべきことの多い生き方ではないだろうか。




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