meeting with remarkable people [075]
メヴラーナ・ジャラールッディーン・ルーミー
1207-1273


イスラム神秘主義として知られるスーフィの旋舞教団。
スカートをはいた信者が音楽にあわせて回転しながら踊る姿は、
イスラム教徒に限らず、世界中の人々を魅惑してきた。
彼らはメヴレヴィー教団に属する教徒達。
その創設者こそ、13世紀の神秘詩人ルーミーである。

メヴラーナ・ジャラールッディーン・ルーミーは、
1207年、現在のアフガニスタン北部バルフに生まれた。
父は高名な神学者だった。
当時のバルフは中央アジアにおける重要都市だったが、
勢力を拡大しつつあったチンギス・ハンが、西方に向けて進軍を開始。
1219年、12歳だったルーミーは、
モンゴル軍の来襲を恐れた家族と共に郷里を去った。
10年間の流浪の旅の後、たどり着いたのがトルコのコンヤである。
ルーミーという名は、
彼が残りの生涯を過ごしたトルコ(ルーム・セルジューク朝)にちなんで号された。

父が亡くなった後、その高弟の指導で神秘主義を修行し、
シリアにも留学した彼は、当代一流の学者として知られるようになった。
そして37歳の頃、放浪の老托鉢僧シャムス・アッディーン・タブリージと出会う。
この老師との出会いは、彼の生き方を一変させた。
真の神の姿とは愛そのものであると気づいた彼は、
神学者としての生活を放棄して日夜師に仕えることを選択、
神秘主義詩人ルーミーが誕生した。
まもなく師は亡くなったが、彼は陶酔的な叙情詩を書き続けた。
彼の元には弟子達が集まりだした。

陶酔し忘我の境地に至るという信仰形態は、
旋回舞踊という独自の祈り方をも生み出していった。
これは、ルーミーが鍛冶屋の鉄をきたえる金槌の音に共鳴して我れを忘れ、
踊り始めてしまったことが発端となったと伝えられている。
回転は宇宙の運行を表し、回転することで神との一体を図る。
悟りの境地に達した時、すべてを委ねきった旋舞の行為は、
そのままアッラーの手の上で舞う姿となる。

弟子のすすめにより、ルーミーが晩年になって着手したのが、
神秘主義詩の最高傑作と呼ばれる『精神的マスナヴィー』である。
50代半ばから生涯が尽きるまで、14年間続けられたこの創作は、
全6巻2万5000句に及ぶ。
寓話や歴史、伝説のなかに神秘主義の教説のエッセンスが盛り込まれ、
その完成度の高さはペルシア語のコーランとも称される。
その他の著作としては、陶酔の抒情詩集『シャムセ・タブリーズ詩集』、
散文として『ルーミー語録』『七説話』がある。
日本では、1993年に井筒俊彦訳の『ルーミー語録』が出版されたが、
残念ながら現在は再販未定となっており、入手がむずかしい。

1273年、66歳でルーミーはその生涯を終えた。
彼の弟子達はコンヤに墓廟を作り、その教えを引き継いだ。
そして、「我らの師」という意味の「メヴラーナ」、
その「師に従うもの達」という「メヴレヴィー」が、
現在に続く教団の名として使われるようになった。
メヴレヴィー教団は、15世紀頃にオスマン帝国の庇護を受けて隆盛を極め、
なかには信仰するセリム3世のようなスルタンも現れた。
1923年のトルコ革命では、「脱イスラム政策」の一環として、
1927年までにルーミーの霊廟は破却され、教団は解散させられた。
しかし現在は、歴史的文化価値などから復興し、
コンヤの霊廟は博物館として一般に開放されている。
ルーミーの命日には、体育館などの公共の場で旋回舞踊が披露され、
その神秘的な姿を見ることができる。

日本では、まだそれほど知名度の高くないルーミーだが、
彼の教えは、今日にいたるまで世界中で読まれ続けている。
きっと彼の言葉が、宗教の定義を超えて、存在に美しく響くものだからだろう。
人々の受け止め方を見ると、まったく質は異なるが、
禅の語録やタオの教えに通じるところがあるのかもしれない。



この人物についての関連書籍等はこちら → click!

BOOK CLUB KAI  [ home ] [ contact ] [ link ] [ privacy policy]・・・ [ back ] [ page top ]
Copyright (c) 1989-2006 BOOK CLUB KAI  All Rights Reserved.