meeting with remarkable people [077]
チョギャム・トゥルンパ
1939-1987


チベット仏教には、輪廻転生によって指導者を定めるという
伝統が今もある。
生まれた時から、生き仏としての運命が定められた人は、
何を想い、どう生きるのか。
チョギャム・トゥルンパは、模範的な指導者としてのあり方を
逸脱しながら、現代を生きたチベット仏教者だった。

1939年、ドルジュ・ドラドゥル・ムクポは、
東チベットのカム州で、農民の息子として生まれた。
1歳で転生活仏として認定されると、カギュウ派の総本山である
スルマン僧院で育てられることになる。
この時から、チョギャム・トゥルンパ・リンポチェという
名前で呼ばれ、5歳にして大修道院長に任命。
以後、徹底した英才教育を受ける。

19歳で、キエンポ(神学心理学博士号に相当)と
ケンポ(修士に相当)の学位を取得。
しかし、1949年よりチベットに侵攻していた中国は、
仏教への弾圧を日増しに強めていた。
1959年、20歳の時、ついに彼はヒマラヤを越えて、
インドへ亡命。
インドの青年ラマ僧研修所にて、4年間ほど
チベット僧の指導にあたる。
ちなみに、ほぼ同時期に亡命した、ダライ・ラマ14世は、
トゥルンパより5歳年上である。

1963年、24歳の時、奨学金を得て、アコン・トゥルクと共に
英国オックスフォード大学に留学。
頭脳明晰なトゥルンパは、旺盛な学習意欲を持ち、
大学では西洋哲学、比較宗教学、美術などを学んだ。
この期間、日本の生け花、草月流の免許も取得している。

1967年、28歳の時、スコットランドへ移り、
西洋初のチベット仏教の瞑想センターを開く。
翌年には、ブータンに移り、王家の個人教師を務めた。
この頃から西洋に仏教を広めることを志として定めた彼は、
一大転換を図る。
仏教の衣を脱ぎ、普通の洋服を着るようになったのだ。
また、酒を飲むなど、チベット仏教の指導者という身分を
逸脱した行動を取るようになった。

1969年、30歳の時、イギリスに戻った彼は、飲酒運転により
自動車事故を起こし、左半身麻痺という重傷を負う。
また、若いイギリス人女性ダイアナ・ジュディスと結婚。
彼の変化に、周囲の批判は高まった。
特に、一緒に留学をしたアコンとの意見対立は大きく、
やむなくイギリスでの布教を断念し、
新天地をもとめ北米に渡ることを決めた。

1973年、34歳の時、コロラド州ボルダーに
ヴァジュラダーツ・センターを設立。
1974年、35歳の時、Nalanda財団、ナロパ研究所・大学を創立。
『タントラへの道』『タントラ狂気の叡智』を出版した。
流暢な英語を話し、通訳なしで西洋の学生たちに法を説き語る
ことのできる最初のラマ僧だった彼は、
アメリカでの人気が急上昇、
一躍、精神世界のリーダーとして注目されるようになる。
1977年、38歳の時、シャンバラ・トレーニング・
プログラムを設立。
世俗的な環境の中で、チベット仏教の本質を実践して
生きるためのプログラムを展開し、
多くの弟子が彼の元で学んだ。

アメリカでの成功を手にした彼だが、同時に、
数々のトラブルも抱えていたようだ。
アルコール中毒、セックス・スキャンダルなど、
宗教者としての姿から逸脱した話題に事欠かなかった。
1986年、46歳の時、住居とヴァジュラダーツ・センター本部を
カナダのハリファックスへ移す。
しかし、翌年、47歳で死去。
晩年は、交通事故の後遺症と、深刻なアルコール中毒のため、
急速に健康が蝕まれていったという。

模範的な道を歩んだダライ・ラマ14世と比較すると、
対照的な存在だった、チョギャム・トゥルンパ。
斬新な発想で、仏教の本質を伝える彼の才能が、
類いまれなものだったことはたしかだ。
狂気と真っ当さを含んだ彼の教えは、
矛盾に満ちた現代社会の何かを、象徴しているかのようである。


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