meeting with remarkable people [080]
ダニエル・デフォー
1660-1731


誰でも知っている「ロビンソン・クルーソー」の物語。
孤島に流れ着いた男のサバイバル・ストーリーという
認識が一般的だが、この作品には、
もっと深い複雑な要素が詰まっている。
18世紀に、この特異な作品を世に出した、
ダニエル・デフォーとは、いかなる人物だったのか。

1660年、ダニエル・デフォーは、ロンドンの獣脂蝋燭商を
営む父の元に生まれた。
本来の家名は、「フォー」というもの。
後に肉屋に転身した父の稼ぎはそれほど悪くはなかったものの、
社会的地位の低さを嫌ったダニエルは、
後に、響きよい「デフォー」へ名字を変えた。
当時、イギリスでは、英国教会が権威を振るっていたが、
非国教徒(ピューリタン)の家に生まれた彼は、
エリート教育ではない、実学的な教育を重んじる学校で学ぶ。

1682年、22歳の時、成人した彼は、
ロンドンで靴下仲介人として商売を始める。
24歳で、メアリーと結婚。
たばこや葡萄酒などにも商いを広げていたが、
25歳の時、当時の王政に反乱を起こしたマンモス公に加担。
それが失敗に終わると、彼の人生は迷走を始める。

1692年、32歳の時、事業に失敗し、
1万7000ポンドもの負債を作る。
通常であれば、ここで失脚してもおかしくないのだが、
デフォーは、苦境をしぶとく生き延びる
たくましさを持っていたようだ。
2年後には、債権者と示談を成立させ、
宮廷の主流派とも、密かに交流を深めている。
そして、37歳の時に、煉瓦・タイル製造の事業を始め、
この成功によって、見事に実業界への復活を遂げた。

文学者としての片鱗も見えない半生が変わり始めるのは、
38歳の時に、『企業論』を出版してからである。
実は、デフォーは、作家となる以前に、
ジャーナリストとして精力的な活動を続けた人物だった。
後半生では、自ら執筆・編集を務めるパンフレットを
多数発行、社会情勢に対する自らの考えを世に示した。

1702年、42歳の時、『非国民教徒最短処理法』という、
英国教会のやり口をパロディー化した
パンフレットを匿名で発行。
しかし、後にこれが彼の仕業であることが判明し、
3日間、さらし台の刑を処されている。
事業もうまくいかなくなった彼は、
後ろ立てとなった政治家ロバート・ハーリーの
スパイとして諜報活動にも従事するようになる。
1704年、44歳の時、社会情勢、宗教、演劇などの題材を
自由に取り上げた『レビュー』誌の編集に参加。
執筆・編集をほとんどひとりでこなした。

1711年、51歳の時、遭難して無人島で4年間を過ごした
スコットランドの水夫が救出され、話題となった。
その実話にインスパイアされたのかは不明だが、
1719年、59歳の時、彼は小説形式で書いた、
『ロビンソン・クルーソー』を出版。
この作品は、資本主義経済の本質とは何かを描き出した
として、後に多くの知識人が引用することになる。
また、神と人間との関係、生き方の指針をどう求めるべきか、
というピューリタン的な思索が散りばめられた、
思想的要素の濃い作品となっている。

作家としての評判を得た彼は、その後、
『モル・フランダース』『疫病大作』などの作品を
次々に発表。
いずれも、意表を突くテーマで、人々を驚かせた。
1731年、71歳の時、老衰で死亡するまで、
執筆活動は続けられた。

崇高な生き方を求めた思想家や文学者と違い、
デフォーは、変化する社会の波をたくましく乗り切る
リアリストとしての核を持っていた。
要約された子供用の『ロビンソン・クルーソー』では、
この作品の持つ、本当のおもしろさはわからない。
経済的思考、個の確立、精神と豊かさの定義、
運命と自由の関係…。
現代を生きるひとりの人間として、
ぜひ読んでおきたい一冊である。




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