meeting with remarkable people [082]
エルヴィン・シュレーディンガー
1887-1957


20世紀には人類の通念を変える科学的発見が相次いだ。
存在の不確かさを証明した量子力学もそのひとつ。
今回は、「シュレーディンガーの猫」の思考実験で知られる、
エルヴィン・シュレーディンガーの生涯を追ってみたい。

1887年、オーストリアのウィーンで彼は生まれた。
商売を営む父の元、裕福な家庭環境で大切に育てられたが、
幼少時は病気がちで、生死の境をさまよったこともあるという。
休みがちな小学校の授業を補うために、家庭教師がつけられた。
少年になると、人文主義教育の影響を受け、
文学を愛するようになる。
以後、詩作は生涯続くライフワークとなった。

1906年、19歳の時、ウィーン大学入学。
ハーゼンエールのもとで理論物理学を専攻する。
卒業後は助手として、輻射エネルギーの揺らぎに関する
実験を行っていた。
1914年、27歳の時、大学の教員資格を取得するが、
第一次世界大戦が勃発。
シュレーディンガーは、砲兵としてイタリア国境へ出兵する。
終戦後、無給講師として、ウィーン大学で教鞭を執る。
困窮生活に苦しむが、研究を続けたいという熱望は、
途絶えなかった。
1920年、32歳の時、アンネマリー・ベルテルと結婚。

1920年、33歳の時、ドイツ、イェーナ大学に助手として赴任。
その後、シュトゥットガルト大学、ブレスラウ大学に
それぞれ短期間在職した。
翌年、スイスのチューリッヒ大学に教授として着任。
ようやく研究生活に集中できる立場を手に入れた。

いつの頃からか、彼はヴェーダーンタ哲学に深い興味を持ち、
東洋的な世界観を自らの思想的根底に置くようになる。
1925年、38歳の時には、その哲学的思想を綴った、
『わが世界観』を執筆。
そして翌年、「固有値問題としての量子化」という
新機軸の論文を半年間で一気に書き上げ、科学誌に発表する。
これは、波動力学を提唱するものであり、
同時期に展開されていた、ハイゼンベルクらの行列力学と
つながる理論であることを証明して、
量子力学の基礎を築く先駆けとなった。

1927年、40歳の時、ベルリン大学の教授に就任。
その後、プロイセン科学アカデミーの会員となり、
科学の啓蒙にも積極的に尽力するようになった。
1933年、46歳にして、ノーベル物理学賞を受賞。
1935年、「シュレーディンガーの猫」の例題を論じた
「量子力学の現状」をドイツの科学雑誌に発表する。

名実ともに、理論物理学の第一人者となった彼だが、
ボーアやハイゼンベルグらのコペンハーゲン解釈を
絶対に受け入れようとしなかったことなど、
アインシュタインと共通する点も多かった。
実際に、ベルリン時代、二人は仲がよかったそうだ。

父がユダヤ人だったシュレーディンガーは、
ナチスの台頭により、亡命生活を強いられるようになる。
イギリスのオックスフォード、ベルギーのゲント大学にも
短期間滞在したが、
1939年、52歳の時、アイルランドのダブリン高級研究所に、
理論物理学部門の主任として着任。
以後、執筆活動に励んだ。
著書の中には、『生命とは何か』『精神と物質』など、
物理学者の域を超えて、分子生物学や認知科学などの
命題に触れるものも多い。
しかし、その私生活は、常識に縛られず、奔放で、
倫理的に眉をひそめられるような行動も多かったという。

1956年、69歳の時、ウィーン大学の教授として
祖国へ帰還する。
その後、体調をくずし退官するが、執筆活動は続け、
73歳の時に自伝を執筆。
1961年、74歳で息をひきとった。

科学、生物学、認知科学、哲学と、新時代の科学につながる
新しい視点を常に提示し続けたシュレーディンガー。
その功績はジャンルを超えて、今も引き継がれている。




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