meeting with remarkable people [083]
白川静
1910-2006


生涯にわたり、中国古代文字である甲骨文字や金文を研究し、
白川静によって明らかにされた白川説は、
二千年来の伝統的中国文字学の基礎を根底から覆すものであり、
広く中国古代史研究界に革命をもたらしたとも言われる。
漢字が持つ意味、東洋を全域とした土壌の上で民俗学的に位置づけ、
長年にわたる地道で丹念な研究、分析、
厳密な実証によってそれらを有機的に構築し、
体系化した壮大なる白川文字学は、
白川学とも称えられ海外での評価は非常に高い。

ブッククラブ回は、インタビューのためお宅を尋ねる機会があった。
体調を心配しながらも、
時間を忘れ数時間にもわたって
私たちの質問に時間をさいて応えて下さった。
ひとたび文字について語り出すと止まらなかった。
その情熱、狂気にも似た探究心。
白川静とはどういった人物だったのか、紐解いてみよう。

1910年4月9日福井市に生まれる。
小学校を卒業後姉の住む大阪に出て、
政治家広瀬徳蔵の所に書生として住み込み夜学に通う。
仕事の合間に多くの蔵書に親しみ、
楚辞や唐詩など多くの漢籍を熟読し、暗唱した。
また『万葉集』のすばらしさを味読し、
中国の『詩経』との比較研究をこの頃既に夢みる。
読書家であった広瀬のもとでの修行は先の生涯を方向づけるものとなった。
教職と中国学を志し、1931年立命館の夜間專門部の国漢科に入学するために京都へ移る。

1933年23歳で立命館大学専門部文学科国漢学科入学。
中等教育国語科免許を受け、
25歳で在学のまま立命館中学教諭となり、
1941年31歳で立命館大学法文学部漢文学科に入学する。
卒業後は予科教授として、翌年には専門学部教授となる。
38歳で文学部助教授となり、初めての論文を発表。

1954年44歳、立命館大学文学部教授となり、
このころから中国、台湾の専門を同じくする学者・研究者らとの交流がはじまる。
52歳の時には文学博士の学位を受く。
これまで多くの論文を発表していたが、
一般読者のために書き下ろしたのは1970年60歳、
還暦にして初めてとなる『漢字』(岩波書店)。
以降『詩経』、『孔子伝』(中央公論新社)など次々と一般読者のために書き下ろす。
定年後も研究への熱意は衰えず、著作を発表し続け、
71歳で立命館大学名誉教授の称号を受ける。
1984年74歳の時に平凡社より『字統』刊行。
同11月には『字統』により毎日出版文化賞特別賞を受く。
これより先、『字統』『字訓』『字通』の字書三部作を構想する。
続く『字訓』を77歳で、『字通』を86歳で発表。
90歳を前に、文字文化研究所理事長を就任し、
年4回ペース全20回を数える『文字講話』講演会を開始し、
1999年勲二等瑞宝章を受く。

90歳を過ぎて次の目標を尋ねられれば、
今やりたい仕事を片付けるにはあと20年はかかる、
松尾芭蕉は30歳代で『翁』と称したというが、
私はこの年でも『翁』と書いたことはないと朗らかに笑ったという。
一世紀近く、漢字を研究し、
学問の突き詰めた研究者でありつづけた白川静、
2006年10月30日この大いなる巨人は享年96歳で亡くなった。

白川静の環境は学閥の背景がないだけにとりわけ厳しいものがあったと聞く。
蓄積された彼の業績の成果に光があてられたのは最晩年になってからだ。
しかし多岐にわたる研究の範囲は特定の学会に収まらず
横断的に活躍したとも言えるだろう。

早くから白川文字学を伝承する指導者育成にも着手し、
義務教育の国語の授業に組み込むような働きかけが少しずつ形を成してきている。
現在では各地で子ども向けに勉強会も多く開催されており、
中国でも白川静の著作集の翻訳がようやくはじまったと報じられた。
生家は残ってはいないが、功績をたたえ、
生家跡近くに記念碑が建てられるという。



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