meeting with remarkable people [094]
エリック・ホッファー
1902-1983


人間は、「経験して、考えて、知る」ことを続けてきた。
「自分が、思う」「自分が、わかる」ということを知らなければ、
何を考えても無駄だろう。
過去にも現在にも氾濫している「読んで、見て、覚える」という
刷り込み式のシステムは、知識を増やすだけで、
答えを自分のものとして吸収することはできない。
沖仲仕の哲学者エリック・ホッファーは、
鉱山夫、移動農業労働者、港湾労働者など、常に社会の底辺を渡り歩き、
読書と思索の中で、独自の思想を築いた。
学者のそれとは質が異なる、生きた哲学を生んだ、
彼の人生とはいかなるものだったのか?

1902年、ニューヨーク・ブロンクスで
貧しいドイツ系移民の両親の元に彼は生まれた。
父は独学の家具職人だったが、哲学、数学など百を超す蔵書を持ち、
5歳のエリックは自然に英語とドイツ語を理解していた。
母親がエリックを抱いたまま階段から転落、2年後に亡くなる。
同年、彼は視力を失う。
家族の一員として住んでいたドイツ系移民のマーサ・バウアーが、
彼を母親代わりに世話をする。
15歳の時、奇跡的にエリックの視力が回復。
再び失明の恐怖から、あらゆる書物をむさぼるように読む。
規定の教育は受けずに、知的な野心を育み続けた姿勢は、
その後の、社会的な成功を望まない価値観へ通じる。

第一次大戦が終わり、愛情を注いでくれたマーサがドイツへ帰郷。
その翌年には父親が死去。
18歳で天涯孤独になった少年は、
これを機に、ニューヨークを離れ、ロサンゼルスへ。
貧民街でその日暮らしの生活を始める。
マーサから、四十歳までしか生きられない短命の家系と言われていたため
将来に対する不安は全くなかった。

1930年、28歳の頃、40歳になれば死ぬのだから、
今死んだところでいったい何が違うのか、
という感覚に襲われ自殺を図るが未遂。
労働者から放浪者へ生まれ変わった彼は、
カリフォルニアへ渡り10年間、移動しながら暮らす。
厳しい労働の暇をみては、図書館で読書に没頭し、
大学レベルの物理、植物学などをマスター。
生活は苦しかったが、工場などに従事する
安定した生活を送りたいとは考えなかった。
この頃から、自分も他ならぬその一員である
「社会に適応しえぬ者たち」に興味を抱き、本格的に思索を始める。
何よりも、大衆の「実態」を観察。
彼ら固有の自己嫌悪、欲求不満から生まれる「強いエネルギー」こそが、
人間の運命を形作るうえで大きな役割を果たし、
「弱者が生き残るだけでなく、時として強者に勝利する」ことこそが、
人間の独自性であるという核心に到達した。

39歳、港での、港湾労働者(沖仲士)の職を得た。
労働と思索の生活を送る彼にとって、沖仲士は
「自由と運動と閑暇と収入が、これほど適度に調和した職業を他に見出すのは困難」
と語るほど好都合ものだった。
以後は、サンフランシスコに定住。
暇を見ては図書館で読書をした。
落着いた生活は、彼にそれまで蓄積した読書や体験を反芻する機会を与え、
1951年、『大衆運動』を発表。
各方面からの激賛と成功の後にも、
波止場にとどまり65歳まで沖仲士として働き続けた。
その間、カリフォルニア大学で、政治学研究教授として数年勤めたり、
テレビのインタビュー番組に出演したことで、
彼の名は、全米に知れ渡り、一躍ホッファー・ブームを巻き起こす。
1967年、不本意ながら沖仲士を引退、著作活動に専念。
自由に思索を続け、次々と名著を刊行。
1983年、80歳でエリック・ホッファーはその生涯を終えた。
アメリカ大統領自由勲章受賞。

強烈な個性と、上質な皮肉に満ちた言葉ゆえに、
読者の捉え方を見ると、まったく正反対の感想に分かれてしまい、
読む必要のある人が敬遠しがちであることも、彼の本の特徴のようだ。
読者が生きる時代や国家によって限界はあるだろうが、
経験に裏打ちされた教訓は、人間の成熟という面において、
あらゆる人に深く浸透するのでないだろうか。



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