meeting with remarkable people [096]
中村天風
1876-1968


瀕死の病を抱えながら世界を闊歩し、
日本に初めてヨガ哲学をもたらした哲人・中村天風。
政財界の頂点を極めた人がこぞって師と仰ぐ、
その魅力の秘密は何なのか。
驚くほどのプロフィールをもつ天風の波乱の生涯を辿ってみる。

1876年(明治9年)、華族の三男として東京に生れる。
本名は三郎。父・祐興は、九州柳川藩主の出で明治政府に仕官し、
後に大蔵省に勤める。
類い希な頭脳と身体に恵まれた三郎は、
幼い頃から剣、書、画に優れ、英会話もできた。
一方で気性が荒く、激しい喧嘩や悪戯は日常茶飯事だった。
中学三年の頃、出刃包丁をもった中学生ともみ合い、
弾みで相手は死亡。正当防衛で釈放されるが、退学となる。

16歳で右翼の巨頭・頭山満が率いる福岡の玄洋社に預けられ、
怒った時の狂暴さから「玄洋社の豹」と渾名される。
同年、頭山の推薦で日清戦争に備えた陸軍の偵察に一年間同行し、
中国語を修得。帰国後、学習院に入学するがすぐに中退。
日露の国交が悪化しはじめると、中国での経験を活かし、
26歳から軍事スパイとして活躍。
日露戦争中の満州・蒙古で暴れ回り、「人斬り天風」と恐れられる。
3千人から選抜された113名のスパイのうち、
帰還したのはわずか9名だった。

帰国後30歳にして、当時は死病であった奔馬性肺結核を患う。
名医や禅僧、牧師、著名な人々に助言を求めるが
病は好転せず、忍び寄る死の影に絶望する。
戦地では死をも怖れぬ自分が、
病によってなぜこんなにも弱い心になったのか。
その答えを得たい一心で
医学、宗教、哲学、心理学、生物学の書物を読みあさる。
この苦悩の問いかけが、心と身体、生命、
人生の意味を探究する旅のはじまりとなる。

33歳、救いの道を求めて渡米。
華僑留学生の代わりに大学へ通い、首席で卒業。
医学博士の学位を取得。しかし医学でも答えは見つからず、
代理受講の謝礼金で大西洋を渡り、ヨーロッパ各国の著名な学者や医者を訪ね歩く。
結局誰からも病を克服する具体的方法は得られず、
せめて母のいる故郷で死にたいと35歳で帰国を決意。
そして乗り込んだ船が偶然寄港したエジプトの港で、
ヨガの聖者カリアッパと出逢う。
「お前は助かる、私についてきなさい」と声をかけられ、
失意のどん底にあった三郎は
最後の望みを掛けてヒマラヤ高峰の麓についていく。
山中の滝で坐禅を組み、
導師から与えられた根源的な課題と向き合い、
厳しい自己修行を重ねる。
そして宇宙と合一する体験から、
人間本来の統一された心と身体の在り方を悟り、
病を恨む不平不満から、
生かされていることの感謝へと心の持ち方を変えていく。
気づけば病も癒えていた。
心の仕組みを現実にフィードバックする方法を会得した天風は、
導師から帰国の許しを得て、約3年のインド滞在を終える。

37歳、帰国途中、中国で孫文の辛亥革命に協力し、
謝礼に財産を得る。
日本に戻り、銀行頭取や会社の重役を歴任、実業界で活躍する。
1919年43歳、「悩み苦しむ人を救いたい」との信念から、
突然すべての身分と財産を捨て「統一哲医学会(現・天風会)」を創設。
街頭で辻説法を始め、「積極」をキーワードに
人間の生まれもった生命力を活かす「心身統一法」を体系化する。
門下には、原敬、東郷平八郎、松下幸之助、稲森和夫、
ロックフェラー三世、宇野千代など、
社会的に影響力のある実業家、皇族、芸術家、科学者など
錚々たる人々が名を連ねる。

1968年12月1日、「おれが今まで長年教えたことは、みんな忘れろ」
と最後の言葉を残し、ニヤリと笑って他界したという。享年92歳。

まるで寄席のような講和録からは、
歯に衣着せぬ物言いで迷う心を斬ってゆく、
天風の豪快で粋な人柄が伝わってくる。
インドで得た宇宙真理を軸に、
瞑想法、自己暗示誘導法など潜在意識を掃除して
心の舵をとるためのプラクティカルな実践哲学を教えるが、
野口晴哉もまた潜在意識教育を目指したように、
心の奥底にある倉庫を変えなければ、結局その場し
のぎで終わってしまうということなのだろう。
随変流の剣の達人だった天風の号は、
得意とした技、天風(あまつかぜ)に由来する。
まさに力強い天の風のように、
心を覆う厚く暗い雲を吹き祓い、
光を呼び戻してくれるのかもしれない。



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