meeting with remarkable people [099]
井筒俊彦
1914-1993


文学、言語学、イスラーム学、東洋思想、
神秘主義哲学と広大な精神文化を探求し、
きわめて独創的な視点で東洋の新しい境地を開いた学者・井筒俊彦。
30に迫る言語を理解し、
コーランを原典から訳した最初の翻訳者としても知られ、
その躍動する詩的な美しさは他に類をみない。
鋭利な知性が生んだ膨大な著作群によって世界的評価が高く、
鬼気迫る情熱で研究に一生を捧げた人物である。

1914年、東京に生まれる。
幼くして禅の修道者だった父から独自の内観法を授かり、
5歳で坐禅を組み、仏典を暗唱。
青年期は勉強嫌いの劣等生だったと語っているが、
大学・学者時代は大抵の言葉は数ヶ月で習得し、
読みたい本があれば書かれた言語を学び、
原典に脈打つエッセンスを取り出すという鬼才ぶりだった。

キリスト教の中学校に通う頃、毎朝の礼拝が一番嫌で、
ある日、全校生徒が集まる礼拝の最中に偽善的な不快感に襲われ嘔吐してしまう。
すると不思議なことにキリスト教嫌いは治り、
逆にその面白さに目覚めたという。
禅的な家庭で育った彼にとって
一神教や人格神にふれる初めての体験であり、
生涯の方向を決めた出来事だったそうだ。

慶應義塾大学で本格的な研究活動に入り、後に教授に就任。
太平洋戦争が終わると、活動の場を海外へ広げていく。
カナダのマギル大学で教鞭をとり、
1967年からは12回にわたりエラノス会議に参加する。
エラノスとは気ままに語らう饗宴を意味し、
心理学者ユングと宗教学者ルドルフ・オットーが始めた
東西の哲学、宗教、芸術、科学など各界を代表する人物が講演する学際的会議。
鈴木大拙に次いで2人目の日本人講演者として井筒はその中核的存在となる。

1975年以降はイラン王立哲学アカデミー教授としてイランに移り、
イスラーム文化の奔流の中で研究に没頭。
1979年イラン革命が起こり、
指導者ホメイニが帰国する前日にテヘランを脱出する。
日本に戻り、1981年には主著『意識と本質』を発表。
イスラーム哲学、ユダヤ神秘思想、老荘思想、孔子、禅、インド哲学、チベット密教、
ギリシャ哲学、日本文学における様々な詩人、哲学者、宗教者を取り上げて
「東洋哲学の共時的構造化」を展開する。
1993 年1月7日、脳溢血のため78歳の生涯を終える。

井筒は、一なる叡智の頂上へと向かう「向上道」の達成は神秘道の途中であり、
そこから降りる「向下道」を重要視していた。
それは禅の十牛図の最後の一枚を想起させる。
悟りを得たものは現象界に帰り、その叡智を伝えてゆく。
この神聖な義務を果たすことこそ神秘家の使命だという。
井筒の辿った道は、決して簡単に語れるものではない。
しかし敢えて言うならば、この神秘道こそが、
向上道としての神秘主義、向下道としての哲学という両翼を羽ばたかせ、
ひとりの神秘家として井筒が追求した道だったのかもしれない。
思想や文化の違いによる分離や対立を越え、
それぞれの根源に流れる普遍性に光を当てた彼の遺産から、
私たちは何をすくいとることができるのだろう。



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