meeting with remarkable people [100]
エリック・サティ
1866-1925


1917年5月、パリのシャトレ座で初演された『パラード』。
けたたましく聴こえてくるタイプライターの音、
鳴り響くサイレン、ピストル、弦楽器、ピアノの音。
そこに、大きな馬の着ぐるみ、
巨大なハリボテのフランス人の支配人、
ニューヨークから来た支配人と
白塗りの顔に赤と金の派手な衣装を着た中国人奇術師、
セーラー服のアメリカ人の天才少女、
2人の曲芸師が次々に舞台に現れて客寄せのパフォーマンスを行う。

この舞台は、「日曜日の見世物小屋を舞台に出演者が踊り、
マネージャーが客を呼び込む」というストーリーだ。
これを見た詩人のアポリネールにより
「シュルレアリズム」という言葉が生まれたという。
斬新な驚きを隠せないこの作品の台本はジャン・コクトー、
美術と衣装はパブロ・ピカソ、
そして音楽を担当したのはエリック・サティ。
あまりにも時代の先を行く舞台は、当時一大スキャンダルになった。

『冷たい小品』『〈犬のための〉ぶよぶよした前奏曲』
『ひからびた胎児』『アーモンドチョコレート入りのワルツ』
『眼の中の神秘的な接吻のワルツ』、
感覚的で、イメージしやすく、
まるで触感でつかまえるような楽曲のタイトルである。
小節線や拍、調号を超えた自由な発想、
1分程度の曲を840回繰り返す『ヴェクサシオン』、
ある朝、役人が家を出て役所に出勤し、
夕方役所を後にするまでを書いた
ソナチネのパロディ『官僚的なソナチネ』、
楽譜に記してある音楽用語は通常
「早く」「ゆっくり」などであるが、
サティの表現は、「真剣に無言で」
「歯痛で悩むうぐいすのように」
「うやうやしく」など、非常にユニークである。

今までもきっとこの先も、摩訶不思議、唯一無二の奇才、
音楽界の異端児エリック=アルフレッド=レスリー・サティは
1866年5月17日、フランス・ノルマンディーの小都市、
オンフルールに生まれる。
母親はイギリス、父親はノルマンディーの生まれ。
母親は若くして他界。
6歳の時に地元の寄宿学校に入り、音楽のレッスンを開始。
その後、パリ音楽院へ。
しかし、学ぶものがないと感じ、兵隊に志願。
ところがその生活も続かず、
冬の戸外でわざと裸になり肺炎を発症、除隊となる。

1887年、モンマルトルに移住。
モンマルトルにあるキャバレー「黒猫」には、
ピカソ、ドビュッシー、ロートレック、
ヴェルレーヌ、エッフェル……その当時の様々な芸術家が集った。
一般大衆が入ることは容易ではなかったが、
サティは自分は「ジムノペディスト」
(古代ギリシアの裸の踊りジムノペディアから引用した)
だと言って、入ることができたという。
数ヶ月後、言葉通り彼の代表作となる『ジムノペティ』を作曲する。

その頃、神秘思想家ジョセファン・ペラダンの主宰する
カトリック薔薇十字教団に入団し、
『薔薇十字教団の最初の思想』『薔薇十字教団の鐘の音』を作曲する。
2年後に脱退。
自ら「主イエスに導かれる芸術のメトロポリタン教会」という教団を発足する。
信者はサティ1人のみだった。
この頃、サーカスのブランコ乗りの経歴をもち、
画家でもあるシュザンヌ・バラドンと恋をするが半年で破局する。
サティが唯一語った恋愛だという。
1897年、クロード・ドビュッシーによって管弦楽用に編曲された
『ジムノペティ』が、初めて大ホールにて演奏される。

翌年、パリ郊外のアルクイユに移住するが
モンマルトルには毎日歩いて通った。
人々に「貧乏氏」と呼ばれていたサティは
カフェのピアニストとして演奏し、生計をたてていた。

42歳にして学校に入り直し「対位法」を学ぶ。
人生初の修了証書を取得。
1915年、第一次世界大戦が勃発。
2年後、ディアギレフのバレエ『パラード』が上演される。
その時代のサティに影響を受けた若い作曲家たち、
オーリック、デュレ、オネゲル、プーランク、
ミヨー、タイユフェールが「6人組」を結成し、
ジャン・コクトーがバックアップした
スペクタクルコンサートが上演される。
世間の音楽への関心が高まるにつれ、
逆行するようにサティは現在のBGMや環境音楽のはしりとなる
「家具の音楽」を作曲しはじめる。

一般的には、異端児で反逆的なイメージのサティだが、
実は子どもが大好きだったという。
近隣の子どもたちを集めて音楽会を開いたり、
音楽やソルフェージュを無料で教えていた。
様々な「会」を結成しては脱退を繰り返していた彼も、
子どもたちとのつながりだけは絶たなかった。
彼自身が、少年のこころを持ち続けていたのかもしれない。

1925年7月1日、肝硬変のため死去。
アルクイユの共同墓地に埋葬される。
亡くなる一年前、ベル・エポック時代にさしかかろうという
1924年に書かれた自画像には
「私はまことに老いた時代に、まことに若くして生を受けた」
と記されている。



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